『ホタル』:2001、日本

昭和64年、鹿児島。第二次世界大戦で特攻兵だった山岡秀治が、漁師をして暮らしている。腎臓を患っている妻の知子と結婚して長く経つが、子供はいない。天皇が崩御したことに関して新聞記者が取材に来るが、山岡は何も話さなかった。
山岡と同じく特攻兵の生き残りだった藤枝洋二は、孫娘の真実と共に知覧を訪れる。藤枝は特攻兵の世話をしてくれた“知覧の母”、山本冨子に会いに行く。その旅を終えてからしばらく経って、藤枝は青森の雪山で自殺を遂げた。
山岡は冨子から、体の自由が利かない自分に代わって金山文隆少尉の遺品を韓国に届けてほしいと頼まれる。キム・ソンジェという本名を持つ金山は、山岡や藤枝の上官だった。そして、かつて知子が結婚を約束した男だった。山岡は金山の最後の日の言葉を遺族に伝えるため、病状が悪化した知子を連れて韓国へ向かった…。

監督は降旗康男、脚本は竹山洋&降旗康男、製作は高岩淡、企画は坂上順&早河洋&竹岡哲朗、プロデューサーは石川通生&浅附明子&野村敏哉&上松道夫&木村純一&李廷柱、撮影は木村大作、編集は西東清明、録音は本田孜、照明は渡辺三雄、美術は福澤勝広、衣裳は江橋綾子、音楽は国吉良一、音楽プロデューサーは北神行雄&津島玄一。
主演は高倉健、共演は田中裕子、奈良岡朋子、井川比佐志、小林稔侍、夏八木勲、水橋貴己、中井貴一、原田龍二、石橋蓮司、小澤征悦、高杉瑞穂、今井淑未、笛木夕子、小林綾子、田中哲司、伊藤洋三郎、崔哲浩、高雪峰、田淑、朴雄、朴世範、小林滋央、鷹城佳世、本田大輔、中村栄子、村瀬純平、大沼百合子、永倉大輔、有安多佳子ら。


「知覧の母」と呼ばれる鳥濱トメさんに関する番組を見た高倉健が、「今、語り継がないと忘れ去られてしまうようなことも、映画なら残していけるんですよね」と口にした言葉を受けて、『鉄道員(ぽっぽや)』のスタッフが再結集した作品。

過去のシーンをモノクロ映像で映し出すという演出に萎えそうになるが、それは許すとしよう。しかし、そこで演じられる若き兵士達のドラマが、ワザとらしい人物の動き方や棒読みセリフのせいで、まるで学芸会のようになっているのはキツイ。
現在のシーンでも、恐ろしく気持ちの萎えるシーンがある。
それは、終盤になって山岡が韓国を訪れ、金山の親族と話す場面。
ご丁寧に通訳を介して会話を交わすので、テンポが悪いったらありゃしない。
生真面目に描きたいのだろうが、「感動の見せ場」ということを考えれば、もうちょっと何とかならなかったのか。

この映画は、何を描きたいのかという焦点を、全く絞り切れていない。
知覧の母について描くのか、戦争で死ねなかった者の死んでいった者への想いを描くのか、特攻隊として戦死した韓国人兵士について描くのか、どれをチョイスしたいのか。
結局、この作品は前述した3点を全て放り込んでいるが、どれも物語の中心とはなっていない。この作品は、知子が病気で余命が短いという余計な設定をして、彼女と山岡の夫婦愛のドラマで物語の大半を染めてしまっている。

山岡と金山の関係にしても、単純に「金山への想い」や「戦争に関する謝罪の気持ち」ではなく、やっぱり知子との夫婦愛を絡ませている。しかも、前半は山岡と戦争の関わりをほとんど描かないというバランスの悪さが目立つ。
品が製作されることになった発端や、奈良岡朋子の圧倒的な存在感(完全に高倉健や田中裕子を食っている)を考えれば、やはり知覧の母について描く作品にすべきだったと思うのだ。
しかし、実際には知覧の母の出番は少ない。

この映画は、戦争を知っている大人達が、戦争を体験したことを大前提として作った映画だ。
そこには「戦争を知らない人々には、こんな描写では伝わらないだろう」という配慮が全く感じられない。
これでは「語り継ぐ」ことになっていないのではないか。

 

*ポンコツ映画愛護協会