『ホリック xxxHOLiC』:2022、日本

高校生の四月一日君尋は黒く大きなモヤに追い掛けられ、必死で逃走した。「どうせ運命は変えられない。なんで俺だけ」と考えた彼は、ビルの屋上から飛び降りて死のうと考えた。そこへ不思議な蝶が飛来し、四月一日は後を追った。彼は幻想的な店(ミセ)に足を踏み入れ、そこにはマル&ダシという少女たちを従えた店主の壱原侑子がいた。侑子は四月一日に、「どんな願いでも叶えてあげる。ただし対価は頂く」と告げる。四月一日が黙っていると、彼女は「いつも逃げてばかりなのね。居場所を探してるのかしら」と述べた。
侑子は四月一日が「黒いモヤが見えなくなるようになりたい」と望んでいることを見抜き、そのことを指摘した。四月一日は彼女に、そのせいで誰とも関わりを持たなくなったと話す。侑子は四月一日に、一番大事な物を対価として差し出すよう要求した。しかし四月一日が一番大事な物に気付いていないと悟り、「ここに住む?」と住み込み家政婦になることを提案した。そこへ美咲という客が来て、侑子に「周囲の人々から妬まれるので何とかしたい」と相談した。
美咲は「自分はモデルで、彼は会社経営者で、もうすぐ上場する」と得意げに語り、皆と仲良くしたいのに妬まれるのだと告げる。侑子は指輪を差し出し、それを絶対に外さないことが対価だと説明した。美咲は指輪を小指に嵌め、ミセを後にした。四月一日は侑子から彼女がどうなるのか確かめないかと持ち掛けられるが、承諾しなかった。
翌朝、四月一日は学校でプリントを運ぼうとして、同級生の百目鬼静とぶつかってしまった。百目鬼と一緒にいた九軒ひまわりは、落ちたプリントを拾い集めた。百目鬼は「立てるか」と言い、四月一日に手を貸して助け起こそうとする。しかし不思議な蝶を見た四月一日は2人を無視し、後を追って街に出た。すると渋谷駅前で美咲がフレグランスのサンプルモニターになり、「自分は会社経営者でパーティーが多い」「恋人は医者」などと自慢していた。すると指輪が黒ずみ、美咲は小指に痛みを覚えた。
友人たちと話した美咲は、「恋人は商社マンで海外が多い」などと自慢した。また指輪は黒く汚れ、小指が痛んだ。美咲が指輪を外そうとすると、不気味な男が近付いて「嘘つき」と耳元で囁いた。男が立ち去った後、指輪を外した美咲は幻聴に見舞われた。苦悶した彼女は道路に飛び出してトラックにひかれそうになるが、四月一日が駆け付けて助けた。すると四月一日の周囲の景色が変化し、妖怪の女郎蜘蛛が現れた。女郎蜘蛛は四月一日のことを知っており、「噂の子か」と微笑んだ。
四月一日が「彼女に何したんですか」と尋ねると、女郎蜘蛛は「運命は決まってる。抗ったところで結果は同じ。全ては必然」と告げる。彼女は「お節介よね。死んだ方がマシだったのに」と言い、四月一日が視線を向けると美咲は精神崩壊していた。女郎蜘蛛は「可哀想。善意って残酷よ」と告げ、「君の願いは?私の願いは、この目を食べちゃいたい」と四月一日の右目を望んだ。四月一日が「欲しいなら、どうぞ」と告げると、彼女は「それじゃあ興奮できない。美味しくなったら食べてあげる」と語って姿を消した。
翌日、四月一日は学校で百目鬼&ひまわりに声を掛けられ、一緒に遊ぼうと誘われた。ミセを訪れた彼は、侑子から「アヤカシが見えないようになりたい。その存在の奥に何かあるでしょう?」と問い掛けられた。四月一日が「初めて遊びに行く約束をしたんです。そういう当たり前の人生が送りたい」と話すと、侑子は「世界はあるんじゃない。自分で作る物よ。対価を見つけなさい。貴方にとって一番大事な物が何か」と述べた。
翌朝、ミセのベッドで目を覚ました四月一日はマルとモロに頼まれ、二日酔いで苦しそうな侑子たちの朝食を作った。彼は「食べるのは好きじゃない」と言い、一緒に食事を取ろうとしなかった。ミセを掃除し帰ろうとした四月一日は、侑子に頼まれて酒を買いに出向いた。すると不気味な男が声を掛け、寺の場所を尋ねた。四月一日が場所を教えると、男は半ば強引に同行を求めた。四月一日が同行すると、寺の息子である百目鬼が弓神事の練習中で、ひまわりか傍らで見物していた。
男は本堂を見せてほしいと百目鬼に頼み、大きな木箱を見せてもらう。百目鬼は「タチの悪い奴を先祖が封じ込めたらしい」と言い、子供の頃に一度だけ覗き込んでしまったことを思い出す。男は心霊スポット巡りや怪談話が好きなのだと言い、ひまわりに「君も持ってるんじゃない、とっておきの怖い話」と問い掛けた。男に触れられて「ホントは聞いてほしいんでしょ」と言われたひまわりは、「幸せな夫婦が子供にも同じ幸せを願った。幸せに育った子供は結婚し、同じ幸せを自分の子供にも願った。しかし親が使い果たしたから無理だという声が聞こえた」という物語を苦しそうに喋った。
男は高笑いを浮かべ、「それが幸せの対価だ。素晴らしい。その子供は何世代もの親の業を背負って生きて行く。周囲を不幸にして、最高に絶望的な人生を」と話す。男は「この世には見えない物がたくさんある。我々はそれをアヤカシと呼んでる。アヤカシは人の心の弱さが大好物なんだよ」と語り、木箱の中に多くのアヤカシがいるらしいと告げる。男がアヤカシだと気付いた四月一日は、襲われる百目鬼を庇って怪我を負う。そこへ侑子が駆け付け、アヤカシのアカグモである男を攻撃して退散させた。
侑子は四月一日を店へ連れ帰り、「どんな気分?」と尋ねる。四月一日は「初めてこの目が誰かの役に立てた」と答え、家政婦の仕事を引き受けると告げた。翌日から彼は住み込み家政婦の仕事を始め、学校では百目鬼&ひまわりと仲良くなった。侑子は四月一日から「もうすぐ祭りなので、百目鬼は弓神事の練習で忙しい」と聞き、ひまわりは大変だろうと述べた。どういう意味なのかと四月一日が尋ねると、彼女は「分かってるくせに」と口にした。
四月一日は自分を避けているひまわりに声を掛け、「俺、なんかした?」と訊く。ひまわりは「今は百目鬼くんがいないから」と答え、意味を尋ねる四月一日に「分かってるくせに」と告げた。以前から四月一日は、ひまわりを黒いモヤが覆っていることに気付いていながら見て見ぬフリをしていた。百目鬼と一緒にいる時は、彼の祓う力でひまわりのモヤが抑えられていた。ひまわりが百目鬼と3人の時しか四月一日と会おうとしなかったのは、周囲を不幸にする自身の体質が理由だった。
四月一日が「今の俺なら助けられる」と協力を要請すると、侑子は「彼女が持つアレを無にする対価は、とても重い」と告げる。四月一日は「分かりました。もう頼りません」と言い、学校でひまわりのモヤを全て引き受けようとする。しかしモヤに覆われた彼は、階段から転落してしまった。すると女郎蜘蛛が出現し、四月一日の右目を奪い取った。四月一日が目を覚ますとミセにいて、侑子が「悪い夢でも見た?」と言う。四月一日は眼帯を付けていたが、右目は無くなっていなかった。
四月一日がミセの泉を覗き込むと、水中に引きずり込まれた。彼の前には幼少期の出来事が出現し、自分のせいで母がトラックにひかれて死んだ事故が再現された。四月一日が目を覚ますと、侑子に膝枕をされていた。彼が「自分はどうなってもいいから、もう誰も傷付けたくない」と話すと、侑子は「また逃げるつもり?貴方はまだ分かってない。傷付いた貴方を見た人が、どう傷付くか」と諭した。考える気が無いのかと説教された四月一日は反発し、「考えたって仕方が無いじゃないですか。どうせ何も出来ないんだから」と声を荒らげた。侑子が「じゃあ、もう好きにしなさい」と突き放すと、彼は「どうせ運命は変えられない」と吐き捨ててミセを飛び出した。
四月一日の前に女郎蜘蛛が現れ、「もう何も考えなくていい。君の願いを叶えてあげる。身を任せなさい」と優しく告げる。四月一日は彼女に体を預け、眠りに落ちた。彼がミセで目を覚ますと、4月1日の朝になっていた。四月一日はミセで平穏な時間を過ごし、夜は祭りの会場で百目鬼の弓神事を見物した。次の朝、彼が目を覚ますと、昨日と同じような日常が訪れた。祭りの会場で百目鬼と話した彼は、4月1日が繰り返されていることに気付いた。
四月一日の前にアカグモを伴った女郎蜘蛛が現れ、「とても楽しいでしょ。願いを叶えてあげた。アヤカシに襲われることも無く、小さな幸せに溢れた日々。何も考えなくていいの」と微笑を浮かべた。翌朝、四月一日は考えることを放棄し、4月1日を楽しんだ。そうやって彼は、何日も連続で4月1日を過ごした。祭りの会場でひまわりと話した四月一日は、学校での転落事故が夢ではなかったと気付いた。彼はひまわりに頼み、何が起きたのか真実を教えてもらう…。

監督は蜷川実花、原作はCLAMP『XXXHOLiC』(講談社『ヤングマガジン』連載)、脚本は吉田恵里香、脚本協力は宮脇卓也、製作は橋敏弘&佐野真之&小西啓介&玉井雄大&金谷英剛&松本智&井田寛&藤倉博&鵜野久美子&西野亮廣、エグゼクティブプロデューサーは吉田繁暁、プロデューサーは池田史嗣&宇田充、共同プロデューサーは秋吉朝子、声明は藤原栄善、撮影は相馬大輔、照明は佐藤浩太、美術監督はEnzo、美術は後藤レイコ、録音は石寺健一、編集は小池義幸、スタイリングディレクターは長瀬哲朗、ビューティーディレクターは冨沢ノボル、視覚効果は石井教雄、アクションコーディネーターは富田稔、音楽は渋谷慶一郎、アヤカシサウンドデザインはevala、主題歌『Habit』はSEKAI NO OWARI。
出演は神木隆之介、柴咲コウ、吉岡里帆、松村北斗、玉城ティナ、磯村勇斗、趣里、DAOKO、モトーラ世理奈、橋本愛、西野七瀬、大原櫻子、てんちむ、東條公美、岩崎楓士、数井琥恩、依吹怜、宮下かな子、新田桃子、水野智則、潤浩、梶田冬磨、辻良美、米村真理、佐藤千晃ら。


CLAMPの漫画『XXXHOLiC』を基にした作品。
監督は『Diner ダイナー』『人間失格 太宰治と3人の女たち』の蜷川実花。
脚本は『センセイ君主』『オズランド 笑顔の魔法おしえます。』の吉田恵里香。
四月一日を神木隆之介、侑子を柴咲コウ、女郎蜘蛛を吉岡里帆、百目鬼を松村北斗、ひまわりを玉城ティナ、アカグモを磯村勇斗、美咲を趣里、マルダシをDAOKO、モロダシをモトーラ世理奈が演じている。
座敷童の役で橋本愛、猫娘の役で西野七瀬、ミセに来る客の役で大原櫻子&てんちむが出演している。

ケバケバしい色彩による毒々しいビジュアルが、蜷川実花作品の大きな特徴である。
そして蜷川実花は、ケバケバしい色彩による毒々しいビジュアル「だけ」の人である。
彼女が得意としているのは「映像」を表現することであり、「映画」の演出ではない。今回も過去に彼女が手掛けた映画と同様で、目を引く映像はあるが、それが映画としての魅力には繋がっていない。
イメージだけで成立するミュージック・ビデオや明確なストーリーを必要としないプロモーション・フィルムなら、蜷川実花の持ち味は充分に発揮されるかもしれない。しかし娯楽性を求められる劇映画という分野には、彼女は向いていないのだろう。
蜷川実花は紀里谷和明と同じ畑の人なのだ。

原作は他の作品とクロスオーバーがあるが、この映画を見る人の多くは原作を知らない可能性もあるので、そこの要素は完全に除外されている。
その判断は正しいと思う。
原作は店を訪れる客の問題を解決して、というエピソードが数話完結で幾つも続いて行く。そのまま映画に落とし込むと、それを串刺し式で並べる構成になるが、1本の大きなストーリーを用意する形にしてある。
ここの改変に関しては、充分に理解できる。

ただし原作と全く異なる内容にしたのは、どう考えても失敗だろう。もはや原作のキャラを拝借しただけで、全く別の作品になっている。
実写映画化された『シティハンター』や『北斗の拳』、『DRAGONBALL EVOLUTION』辺りを連想するぐらい、まるで違っている。
だけど監督が原作を読んだことが無いような人なのかというと、違うんだよね。原作のファンで、10年も構想していたぐらいの人なのだ。
それなのに、「どうしてこうなったのか」である。
原作への愛とリスペクトがあったら、この脚本では納得できないはずで。

蜷川実花監督が得意とする映像表現は、主に舞台装置と衣装によって形成される。しかし本作品で最も重要なのは特殊視覚効果であり、そこは監督の得意分野から外れている。
なので冒頭で描かれる黒いモヤからして、早くも分かりやすく安っぽさが漂っている。
とは言え、じゃあ舞台装置と衣装によって構築されているビジュアルが優れているのかというと、そんなことは無いからね。
四月一日が女郎蜘蛛の蜘蛛の巣に絡め取られる映像とか、かなりチープだからね。

冒頭、四月一日が孤独を感じていること、アヤカシを見る能力に苦しんで死にたがっていることをナレーションで軽く触れるだけで、すぐに彼が侑子と出会う展開に入る。
だが、それは別に構わない。早い段階で侑子を登場させた方が何かと都合がいいだろうしね。
だから侑子と出会った後で、四月一日が特殊能力で辛い思いをしていることや、そのせいで孤独を抱えていることを描けば何の問題も無い。
だけど、そこを後から充分に描くわけでもないんだよね。

あと、四月一日がアヤカシら追われて逃げる様子を描く中で、侑子の姿を何度か挿入するんだよね。それは無くした方がいいでしょ。
侑子の顔はハッキリと写さないようにしているけど、そういう問題じゃない。
どうせ柴咲コウが演じていることは大半の観客が事前に知っているだろうし、それを抜きにしても「柴咲コウが演じる侑子を見せなければいい」ってことじゃないのよ。
侑子やミセのビジュアルは浮世離れしているわけで、そこは四月一日が訪問する時に初めて見せてファースト・インパクトを与えた方が得策でしょ。

オープニングで四月一日はアヤカシに追われて必死で逃げていたが、その後は全く追い掛けられない。
侑子からは取引を持ち掛けられているけど、まだ契約が成立したわけではないはず。だって四月一日は対価を渡していないし、だから相変わらずアヤカシは見えているのだ。
それなのに追い掛けられなくなるのは、どういうことなのかサッパリ分からない。
っていうか、そもそも彼はアヤカシが見えることが辛いのであって、追い掛けられて襲われるのが辛いわけじゃないでしょうに。

四月一日は生きている意味を見失い、何もかも嫌になって飛び降り自殺を決意したはずだ。そんな奴が、不思議な蝶を見ただけで自殺を思い留まり、後を付いて行くのは不自然極まりない。
あと、四月一日は人付き合いを避ける理由を「嫌な物ばかりが目に入るなら、初めから人と関係を持たない方がいい」と説明するけど、ちょっと意味が分からない。
彼には「アヤカシが見える能力を周囲に知られて皆が離れて行く経験から、人を避けるようになった」という、『夏目友人帳』の夏目貴志みたいな過去があるわけではない。
「見えるから人と距離を取る」というだけでは、説明として不充分じゃないかな。

しかも四月一日は、百目鬼&ひまわりから声を掛けられ、すぐに親しくなるんだよね。
その時もアヤカシは相変わらず見えているわけで、それでも彼は全く気にせずに仲良くなっているのだ。
そうなると、「アヤカシが見えるから云々」ってのは言い訳に過ぎず、単に人見知りでコミュ障だっただけじゃないのかと思ってしまうぞ。
いや、実際にそういうことなら、それはそれで別にいいのよ。ただ、そういうことでもないので、やっぱり前述の「説明不足」が大きく影響しているんじゃないかと。

百目鬼&ひまわりが四月一日と積極的に仲良くなろうとする理由も、サッパリ分からないんだよね。誰にでもフランクに接するタイプにも見えないし、劇中でも他の生徒と接する様子は全く無いし。じゃあ特別な理由が後から語られるのかというと、そんなことは無いし。
あと、これは説明不足の原因にも繋がることだが、とにかく展開が慌ただしい。時間が足りないから、おのずと説明も不足しているのかなと。
じゃあ時間が足りなくなった原因は何かというと答えは明白で、詰め込み過ぎなのだ。何しろ、原作は全19巻なのだが、その結末までを1本の映画に収めようとしているのだ。
そりゃあ尺を考えれば、どうやっても厳しくなるわな。

前述したように、本作品は原作から大幅な内容を改変している。だから時間的に余裕を持った構成にすることは、何も難しくないはずだ。
それなのに、なぜ「原作の結末を描く」という部分には固執して、拙速極まりない展開にしたのか。
「原作の結末を描く」ってのは本作品の映画化において最優先事項ではないし、必要不可欠でもないぞ。
むしろ、映画の尺を考えれば、「原作の最初から最後まで描く」ってことは最初に諦めた方がいいでしょ。

本来であれば、四月一日がミセを訪れて侑子と出会った後、「侑子と客のやり取りを見て、ミセのシステムやルールについて情報を得る」というチュートリアル的なパートを用意すべきじゃないかと思うのよ。
ところが、そのチュートリアルになるべきエピソードと並行して、どんどんストーリーを進めている。
四月一日が百目鬼&ひまわりと知り合ったり、女郎蜘蛛と出会ったりする様子を描いている。
それだけでも充分すぎるほど忙しいのに、そこにギクシャクした演出が加わることで、導入部が「下手な編集マンが作った舞台劇のダイジェスト」みたいになっている。

四月一日が女郎蜘蛛と出会ったら、次は彼がミセへ戻って侑子に「こんなことがありまして」と話すシーンに繋げた方がスムーズだろう。でも実際には、カットが切り替わると教室のシーンになる。
それは四月一日と百目鬼&ひまわりの関係を描くためのシーンだが、二兎を追ったことで明らかに無理が生じているのだ。
そもそも、女郎蜘蛛を登場させる必要性さえ疑問を覚えるほどなのよ。
映画だからスケールを大きくしたいのも分からんではないけど、四月一日がミセを継ぐ結末に繋がるエピソードは避けた方が良かったんじゃないかと。
「この映画がヒットしたら続編で原作の結末まで描く」という考えで良かったんじゃないかと。

四月一日がミセで目を覚まし、侑子たちのために朝食を作り、掃除をするシーンがある。
なので、なし崩し的に「ミセの住み込み家政婦になる」という展開に入ったのかと思いきや、そこは違うんだよね。映画開始から38分ぐらい経過した辺りで、四月一日が「家政婦の仕事を引き受ける」と言うシーンがあるんだよね。
だったら、ミセで眠って家事を担当する手順は邪魔だわ。
しかも、何か特別な事情があってミセで一晩を過ごす羽目になったわけでもなく、普通にミセを訪問しただけなのに、なぜかベッドで眠っているし。

四月一日が住み込み家政婦になると、四月一日のミセでの様子と学校で百目鬼&ひまわりと仲良くする様子が3分ぐらいのダイジェストで描かれる。
ここでは猫娘と座敷童、そして2人の女性客がミセに来る様子も描かれるが、何しろトータル3分しか無いので「ただ出て来て終わり」という扱いだ。
女性客が何を対価に差し出して結果としてどうなったのかは、全く描かれない。
猫娘と座敷童に至っては、妖怪であることさえ分かりにくい。四月一日が座敷童からプレゼントを渡されるけど、それも後の展開に全く繋がらないし。

美咲が侑子と約束した条件を破って指輪を外すと、女郎蜘蛛が幻聴攻撃で自殺させようとする。そういう描写だと、侑子と女郎蜘蛛は一種の協力関係にあるように見える。
だけど実際には、そうじゃないでしょ。侑子と女郎蜘蛛は、シンプルに敵対する関係でしょ。
それなのに、なぜ侑子の約束を破った人間に女郎蜘蛛が報いを与えるのかがサッパリ分からない。そこは、どういう関係性なのか。
侑子と客の契約に、女郎蜘蛛を関与させるのは違うんじゃないかと。

尺の問題で展開が慌ただしいので、四月一日と百目鬼&ひまわりがマブダチになっていくドラマも薄い。
なので、なぜ四月一日が命懸けでひまわりを助けようとするのか、なぜ百目鬼&ひまわりが大きなリスクを背負ってまで四月一日を救おうとするのかが、全く腑に落ちない状態になっている。
尺が足りないから四月一日と侑子の絆を描くドラマも足りず、だから終盤の展開に説得力を欠く羽目になっている。
何もかもが尺のせいじゃないけど、そこが最も大きな原因であることは確かだ。

(観賞日:2024年1月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会