『必殺始末人』:1997、日本

江戸。激昂した町民たちが紙問屋の井筒屋に押し掛け、石を投げた。しかし店から現れた北町奉行・黒沢河内守に脅されると、慌てて逃げ出した。鳥籠を売り歩いていた浪人・山村只次郎は、たまたま近くを通り掛かった。彼は町民たちを追い掛ける同心たちに鳥籠を壊され、抗議すると「文句があるならお奉行に言え」と告げられる。彼は黒沢に、「貴殿の配下たちが私の鳥籠を踏み潰した。弁償して頂きたい」と言う。黒沢は笑って「細かい金は持ち合わせておらん。欲しければ奉行所まで来るがいい」と述べた。
長屋に戻った只次郎は、覗いている門付けの女に気付いた。只次郎が外出すると、若い女が駆け寄って来て「誰かに尾けられてるんです。一緒に歩いてください」と言う。彼女は小間物問屋・和泉屋の娘・きぬだと自己紹介した。そこへ達吉という男が来て、「帰るぞ」と彼女を殴り付ける。きぬに助けを求められた只次郎は、「乱暴はやめろ」と止めに入る。彼は匕首を抜いて襲って来た達吉を軽く叩きのめした。すると達吉は倒れたまま動かない。きぬが慌てて駆け寄ると、達吉は匕首を腹に突き刺して死んでいた。
同心たちがやって来ると、きぬは逃亡した。只次郎は南町奉行所へ連行され、牢屋見回り方与力・白鳥右京が来て「大阪では名の売れた刺客だったそうだな」と告げる。只次郎は「仕置きの時間だ」と牢から出され、豪雨の中で処刑されることになった。しかし気が付くと、彼は堀の中に倒れていた。立ち上がった彼の前に、きぬと達吉が現れる。只次郎が2人を捻じ伏せて「誰に頼まれた」と脅すと、背後から刀が伸びて来た。刀を持った男は、「振り向くな。振り向けば2度死ぬことになる。2度目は帰る道は無いぞ」と告げた。
只次郎が「その時は、この2人も道連れよ」と言うと、男は「やるがいい。弱い者は死ぬ。それが世の中だ。そこにある首が9つになるだけのことだ。進むも地獄。留まるも地獄」と告げる。その声で、只次郎は男が白鳥だと気付く。白鳥に「どうする?進むか、そこに首を並べるか」と問われ、只次郎は「他に道は無さそうだな。俺にどうしろというんだ」と口にした。すると白鳥は「繋ぎはこちらから付ける。一仕事30両だ。悪くはあるまい」と言って去った。きぬと達吉は白鳥配下の殺し屋・かもめとリュウだった。、
只次郎が堀から出ると、門付けの女・お駒が待っていた。彼女は只次郎を隠れ家へ案内し、刀を渡す。「こんな手の込んだことをして、白鳥は何を企んでいるんだ」という質問に、お駒は「お奉行所でも裁けない者を成敗しようとしているのです」と説明する。只次郎が外に目をやると、同心たちが張り込んでいた。お駒は「しばらくは外に出ない方が。必要な物はここに揃っています」と彼に告げた。
翌日、リュウは和泉屋の大工として、かもめは三好座で浮島太夫の黒子として働いている。井筒屋を訪れた差し入れ業「地蔵屋」のおとらは、ちょうど立ち去るところだったお駒を見て首をかしげる。井筒屋の主人・利兵衛と女房・お園は、息子の千太郎が博打で捕まって入牢していることをおとらに話す。「北町に捕まったんのならお奉行様に頼んで何とかなるんだが、生憎、南町が月番なんですよ。それで、おとらさんに来てもらったんです」と利兵衛が話すと、おとらは「分かりました。若旦那の罪が軽く済むよう手を打ちましょう」と言い、代わりに金を要求した。
金を受け取ったおとらは牢へ赴き、牢名主・おくまに千太郎のことを尋ねる。「たかが博打。4、5日で出されるってよ」と聞き、おとらは「そんなに軽いと困っちゃうんだよ。五十叩きぐらいはしてもらわないと」とこぼす。彼女が「お駒っていう女が入ってただろ。10年ほど前に男を刺し殺して」と言うと、おくまは「ああ、ちょうど俺がここさ入った時だ。まだ19か20の綺麗な女で、酷いお取り調べに遭っちまってよ。ついにお仕置きに遭っちまったっけ」と語る。おとらが「いや、さっき見掛けたんだけど。人違いかね」と口にすると、彼女は「人違いだろ。お駒は首を切られちまったんだぜ」と告げた。
千太郎は牢から出される際、役人から「お前もドジだな。商売敵に指されるなんてよ」と、紙問屋の亀甲屋が博打屋への出入りを密告したことを聞かされる。五十叩きで解放された彼は亀甲屋に逆恨みし、女郎屋で「きっと思い知らせてやる」と息巻いた。その夜、亀甲屋に火が放たれ、店は全焼してしまう。井筒屋が火を放ったことを密告する投げ文があったため、北町奉行所が調査に乗り出した。
白鳥はお駒に「お前の投げ文が効いて、北町が乗り出し、井筒屋の主人を厳しく追及し出した」と言った後、彼女を鞭で打つ。そして「しかし結局はうやむやとなって亀甲屋の失火ということになり、井筒屋は御咎め無し」と語る。「どうしてですか」という質問に、彼は「井筒屋が新任の北町奉行に大枚の金を送りよった」と激昂した。「北町で決着が付けば南町が手を出すことは出来ん。このままにしてはおけん」と白鳥は述べた。
只次郎はお駒から仕事を指示され、駕籠を襲って黒沢を斬った。彼は近くに潜んでいたかもめとリュウに気付き、「俺が仕損じるのを見に来たのか。生憎だったな」と口にした。只次郎はお駒から後金を受け取り、居酒屋へ赴いた。居酒屋にやって来たおとらは、お仕置きされたはずの只次郎がいるのに気付き、困惑の表情を浮かべた。家に戻った彼女は只次郎の気配に気付き、「私の始末に来たのかい」と余裕の態度で告げた。
只次郎が「さっきの居酒屋では興が冷めた。一杯いいかい」と持ち掛けると、おとらは「つまみはメザシだ」と家に招き入れる。おとらは只次郎の素性を知っており、「一度は足を洗って刀まで捨てたアンタが、なんで元に戻ったんだい」と問い掛ける。「お地蔵様ってのは黙っているもんだぜ」と言う只次郎に、彼女は「首を切られたはずのアンタが、なんで生きてるんだい。アンタを助けたいねえ。私は地獄を見た人間が好きなんだよ」と告げて笑った。
お駒から黒沢の始末が済んだことを聞かされた白鳥は、仕上げに取り掛かることにした。翌日、かもめとリョウは外出した千太郎を捕まえ、殴って気絶させる。白鳥配下の同心・古田丈助と乾勘兵衛は千太郎の乗せられた駕籠を屋敷に運び、厳しい拷問を行って放火の自白を強要した。千太郎を罪人に仕立て上げた白鳥は井筒屋に乗り込み、利兵衛とお園に「償いとして、家屋敷を始めとして有り金一切を亀甲屋に譲れば千太郎の命は助けてやろう」と持ち掛けた。息子を救うため、利兵衛とお園は証文に署名した。
翌朝、地蔵屋を井筒屋の番頭が訪れ、利兵衛とお園の手紙をおとらに手渡した。そこには、千太郎のことを託す旨が綴られていた。おとらが店に行くと、2人は自害していた。千太郎は土座衛門として発見され、放火の罪を詫びて自害した旨を記した書状が発見された。しかし千太郎の遺体を見たかもめとリュウは、彼が殺されたことを確信した。
放火の実行犯である一番組の政吉は、目撃者である和泉屋の親方・弥七の始末に赴いた。かもめとリュウが来たので、彼は弥七を刺して逃走する。弥七はかもめとリュウに、井筒屋の放火犯が政吉であることを告げる。井筒屋では看板が亀甲屋に変えられた。白鳥は古田と乾に「3人は用済みだ」と言い、只次郎たちを始末するよう命じた。亀甲屋の主人・与右衛門は、白鳥に約束の小判を届けた。
かもめは夜鷹に成り済まして政吉に近付き、匕首で脅して放火の依頼人を吐くよう脅した。すると政吉は「亀甲屋だ。ちゃんと仕組まれていたんだ。大事な家財道具や金は別の場所に移してあった」と白状した。かもめは「亀甲屋の裏には誰がいる?」と尋ねるが、古田と乾が矢を放って政吉を始末した。かもめは頭巾を被った男たちに追われて逃走する。自分を目撃した一人を殺した彼女は、相手が町方役人だと知って驚愕した。
かもめは只次郎の隠れ家へ行き、「ここもヤバいよ」と告げる。只次郎は落ち着いた態度で、「分かってる。仕事が終われば後は始末されるだけだ」と口にした。彼は「そろそろ踏み込んで来るぜ」と余裕で言うと、かもめを連れて屋根の上に隠れた。只次郎は古田たちをやり過ごし、かもめの「これからどうする」という問い掛けに「何とかなるさ」と軽く告げる。只次郎はかもめを連れておとらの元を訪れ、「追われてるんだ。迷惑なら、この娘だけでも匿ってほしい」と頼む。おとらは2人のために部屋を用意した。かもめがリュウのことを気にすると、おとらは「私が何とかするよ」と告げた。
お駒は白鳥に、「私を解放して下さい」と願い出た。白鳥は「ワシから逃げられると思うのか。思うのなら、いつでも出て行くが良い」と告げた。翌朝、お駒は屋敷から逃げ出した。激昂した白鳥は、古田と乾を差し向けた。お駒は2人に斬られ、橋から川へ転落した。その時、おとらはリョウを連れ出し、船で川を進んでいた。2人は橋の近くを通り掛かった時、お駒が斬られるのを目撃した。リュウはお駒を抱き上げ、地蔵屋へ運んだ。
意識を取り戻したお駒は、子供を捨てた過去に触れる。幼い子供を抱えて男と一緒になったが、その男が子供を嫌って邪険にした。子供を川へ投げ込まれて逆上した彼女は、男を包丁で刺し殺した。その時、誤って子供の右肩に傷を付けてしまった。かもめとおとらはお駒の言葉を聞き、リュウが彼女の息子だと悟った。お駒は息を引き取り、かもめたちは今の話をリュウには内緒にしようとする。だが、リュウは全て聞いていた…。

監督は石原興、脚本は鈴木生朗、製作は櫻井洋三&鍋島壽夫、プロデューサーは佐々木勇、プロデューサー補は片岡公生、撮影は藤原三郎、照明は中島利男、美術は原田哲男、録音は広瀬浩一、編集は園井弘一、殺陣は諸鍛冶裕太&加藤正記、音楽は平尾昌晃。
主題歌「恋路」石川さゆり25周年記念作品 作詞:たきのえいじ、作曲:叶弦太、編曲:今泉敏郎、唄:石川さゆり。
出演は田原俊彦、南野陽子、俊藤光利、樹木希林、朝加真由美、森次晃嗣、伊藤敏八、あき竹城、石倉英彦、石田弘志、芝本正、下元年世、楠年明、諸木淳郎、斎藤絵里、水谷敦詞、ひろみどり、上野秀年、神原千恵、東田達夫、大迫英喜、平井靖、福中勢至郎、松尾勝人ら。


1972年から1973年に掛けて放送されたTVドラマ『必殺仕掛人』に始まる必殺シリーズの流れを汲んだ作品。
劇場用映画としては10作目。
シリーズの撮影技師でTV版の演出も手掛けたことのある石原興が、初めて劇場用映画の監督を務めている。
松竹が夜間に映画を上映する企画「サテライトシネマ」の作品として製作したが、興行収入が芳しくなかったため、2作目と3作目はビデオスルーとなった。 只次郎を田原俊彦、かもめを南野陽子、リュウを俊藤光利、おとらを樹木希林、お駒を朝加真由美、白鳥を森次晃嗣、黒沢を伊藤敏八、おくまをあき竹城、古田を石倉英彦、乾を石田弘志、利兵衛を芝本正、与右衛門を下元年世、弥七を楠年明、政吉を諸木淳郎、浮島太夫を斎藤絵里、千太郎を水谷敦詞、お園をひろみどりが演じている。
俊藤光利は、苗字でピンと来る人がいるかもしれないが、東映の任侠映画ブームを牽引した大物プロデューサー、故・俊藤浩滋の孫(富司純子は叔母)。

低予算の映画だったようで、伴奏音楽は全て過去のシリーズで作られたモノを使用しているし、フィルムも35ミリではなくスーパー16ミリからのブローアップ。
2作目からビデオスルーになっているけど、実質的には1作目からビデオ映画と対して変わらない製作体制だったと考えてもいいんじゃないかな。
ただし、低予算でビデオ映画と同じような製作体制の作品だったとしても、だからって手を抜きすぎてないか、これって。
そもそもメイン2人が一昔前に全盛期を終えたアイドルって、その時点で、ホントにやる気があったのかと疑問を抱いてしまうぞ。

只次郎が殺しの罪を着せられるシーンにおけるナンノの芝居が、ものすごくバカバカしい。最初からナンノの芝居がものすごく大げさで、ほとんど喜劇みたいなんだよね。
それは只次郎を陥れるための罠ではあるんだけど、その段階で罠だとバレバレにするような演技は変でしょ。それに、喜劇チックになるのも違うでしょ。
全体的に喜劇チックになっているわけじゃなくて、ナンノの芝居だけが喜劇チックになっている。
だけど、彼女の演技に問題があったとしたら、それは監督が修正すればいいわけで。
でも、それで監督がOKを出しているってことなんだよな。
どういうつもりなのかサッパリだ。

只次郎が堀で意識を取り戻し、かもめとリョウが近付いて来るとアクションシーンになるのだが、なぜ都合良く只次郎の近くに刀が落ちているのか。
っていうか、そもそも展開がメチャクチャだ。
只次郎を殺し屋として引き込むために、そこまで手の込んだ罠を仕掛けなきゃいかんかね。
彼が凄腕の刺客だったことは分かっているんでしょ。だったら、とりあえず「こっちでも刺客として働く気は無いのか」と持ち掛けてみたらどうなのよ。
で、それで断られたら、彼が拒めない状況に追い込めばいい。

ただし、只次郎を拒めない状況に追い込むにしても、この映画ほど手の込んだ作業は不要だと思うけどね。
「罪を被せて捕まえて、処刑したと見せ掛ける」という作業をする必要性って全く無いでしょ。元締めが与力なんだから、もっと簡単に罪を被せることなんて幾らでも可能なはず。
あと、只次郎を処刑したように見せ掛ける意味って何なのよ。
これまでの仕事人はみんな「表向きの仕事をやりつつ裏稼業をこなす」という生活だったわけで、「死んだように偽装し、その存在を抹消する」という必要は無いはず。
むしろ、表の顔があってこその仕事人じゃないのか。

あと、只次郎が何か事情があって刺客稼業から足を洗ったのなら、もう二度と殺しはやりたくないと思っているはず。
でも、それにしては、白鳥たちに騙されて仲間に引きずり込まれた時には、まるで葛藤や苦悩が無くて、あっさりと仕事を引き受けて遂行している。殺しを遂行する際の、ためらいや迷いも無い。
だったら、なんで刺客を辞めて江戸へ来たのか。
刺客稼業に嫌気が差したわけじゃなくて、大阪から逃げ出さないとマズい理由があったのか。
だとしたら、それを明らかにしなくても別にいいけど、「何か深い事情があって大阪から江戸へ来ました」ということは匂わせておくべきでしょ。

只次郎がしばらく外に出られない設定にしているもんだから、彼が白鳥の配下になった後、しばらくは完全に画面から消えてしまう。
で、黒沢を殺すシーンで再登場するんだけど、序盤で只次郎は彼に会っているんだし、しかも相手は北町奉行だ。
だから、暗殺を依頼された時には驚きとか困惑とか、そういうリアクションがあって然るべきじゃないのか。
でも、ものすごく淡々と仕事を受けているのよね。

あと、その殺しをやる前の段階で、白鳥が悪党なのを観客に明かしてしまっているのも、どうなのよ。
ってことは、只次郎は悪党の片棒を担がされているってのも、もう黒沢を殺す段階でこっちは分かっている。
まあ、それ以前から薄々は分かっていたけどさ。
で、そんな風に描かれてしまうと、簡単に騙されている只次郎がバカに見えるんだよな。
もしかすると、製作サイドは白鳥が悪党なのを観客にはバラしていないつもりだったりするのかな。そんなことはねえよな。

白鳥を終盤まで正義の味方に見せ掛けておかないのなら、黒沢を「賄賂を貰って手心を加える」という悪党キャラにしている意味も無くなるでしょ。
悪党が悪党を始末させるって、どういう狙いによる構図なんだよ。
例えば「只次郎は白鳥が悪党だと何となく分かっているけど、弱みを握られているので仕方なく協力する」とか、そういうことならともかく。
っていうか、仮に「何となく分かっているけど、弱みを握られているので協力する」という設定だとしても、奉行の暗殺を引き受けたら、その段階で完全にアウトだけどね。

放火事件は亀甲屋与右衛門の計略であり、それは白鳥と結託しての悪巧みだ。
でも、放火で全焼した翌朝、野次馬が見ている前で与右衛門は呆然と佇み、そこへ白鳥が来て「とんだ災難で気の毒だった」「何もかも焼けてしまいました。目の前が真っ暗でございます」「実は付け火だったという知らせがあった」「えっ、付け火?誰がそんな酷いことを」という会話を交わしている。
それも芝居だったわけだが、そんな白々しい芝居を、わざわざ野次馬の前で演じる必要がどこにあるんだよ。
それは明らかに、観客を騙すためだけに用意されているシーンだ。
で、そこが不恰好な形で露出してしまっている。

只次郎は黒沢を殺し、おとらと喋った後、また画面から消えてしまう。
彼が放火事件に疑問を抱いて調査に乗り出すとか、そういうことは全く無い。
周囲の人間が疑問を抱いたり行動を開始したりする中で、只次郎は完全にカヤの外に置かれている。
ホントに主人公なのかと、それこそ疑問を抱いてしまうぐらい出番が少ない。
狂言回しになっているわけでもなくて、単純に出番が少ないだけだ。

せめて、かもめやリュウたちが只次郎の指示を受けて行動しているということなら、画面に写らなくても、それなりに只次郎の存在感を示すことが出来たかもしれない。
しかし、そういうわけでもない。
そもそも彼は、千太郎の死体が発見されたのも、彼の両親が自殺したのも、全く知らないのだ(知っているかもしれないが、劇中では描かれていない)。
だから放火事件に疑問を抱くことさえ無いのだ。

終盤、お駒がリュウの母親であることが明らかにされるが、「だから何?」って感じだ。
そこまでにリュウが母のことを語るシーンは全く無かったし、母への思いを表現することも無かった。お駒の方が、息子について触れることも無かった。
だから、ただ唐突にしか感じない。
それに、メインのドラマと上手く絡んでいない。
「お駒が死亡し、只次郎たちが白鳥一味の退治に乗り出す」というのがクライマックスへの流れなんだけど、それ以前に、白鳥一味に井筒屋の親子が騙され、そして命を落としている。
だったら、その親子の弔い合戦として行動すべきじゃないのか。

おとらが井筒屋から預かった金を仕事料として出しているので、只次郎たちの行動は一応、「井筒屋の恨みを晴らす」という形になっているけど、流れとしては「お駒を殺した悪党を始末する」という感じになっちゃうんだよな。
そのせいで、なんか井筒屋親子が無駄死にっぽく感じられてしまう。
ぶっちゃけ、お駒って要らないよなあ。
そこを排除して、その代わりに只次郎のキャラ造形やドラマに厚みを持たせた方が良かったんじゃないの。

(観賞日:2012年8月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会