『火の鳥』:1978、日本

マツロの国の住人である天弓彦は、くにざかいを歩いていた。国を出ると決めた彼は、突進してくる猪に矢を放って仕留めた。そこへヤマタイ国から来た使者のスクネが現れ、「お迎えに参りました」と告げた。ヤマタイ国の女王ヒミコの弟であるスサノオも一緒だった。スクネは弓彦に、スサノオがマツロの王と取り決めを交わしたことを話す。弓彦が不老不死の血を持つという火の鳥を仕留めれば、国を攻めないというのだ。しかし弓彦は、国と国の取り決めに何の興味も持っていなかった。まばゆい光が空に出現し、スクネは「火の鳥に違いない」と口にした。弓彦が矢を放つと、手応えがあった。だが、矢は炎に包まれて落ちて来た。
マツロの国。踊り子のウズメが男から「弓彦があっさり国を出て行ったのは、お前に捨てられたからだろう?」と問われ、微笑を浮かべた。ジンギの率いる高天原族がマツロの国を襲撃し、人々を次々に殺害した。ウズメは兵士たちが乗り込んでくる前に、慌てて醜女に化けた。ヤマタイ国では、霊術師のイヨが占いで争いの調停を行った。スサノオはイヨの宣告が誤っていることを指摘するが、ヒミコは弟子である彼女の肩を持った。
スサノオはヒミコに、「まじないに頼ってばかりいると国は衰える」と訴える。しかしヒミコは、自分が若くて美しければ国の行く末は大丈夫だと余裕の表情を見せた。女官のヌサ、シメ、サヨは、外では強いスサノオがヒミコには頭が上がらないことを話していた。ヒミコから火の鳥を捕まえる作業について尋ねられたスサノオは、既に住んでいる場所も突き止めて万全の策を取っていることを話した。
クマソの国では、ヒナクという女が病に苦しんでいた。彼女は長であるカマムシの娘だ。ヒナクの夫であるウラジは病を治すため、7日前から火の鳥を捜しに出掛けていた。まじない師は「私の踊りとまじないで治る」と自信を見せるが、ヒナクの弟であるナギは全く信用せず、ウラジの帰還を待ち侘びていた。火の山に登ったウラジは、火の鳥を見つけた。弓矢では歯が立たないため、ウラジは素手で生け捕りにしようと考える。しかし火の鳥に触れた彼は、その熱さに悶絶した。
グズリという男が、カマムシたちの住む集落に連行されてきた。船が難破して漂流したと説明するグズリだが、カマムシは家来たちに殺すよう命じた。グズリが「私は医者だ。何でもする」と命乞いすると、カマムシはヒナクの病を治すよう要求した。グズリはナギたちに、カビを集めるよう指示した。黒焦げになったウラジの死体が、集落に運ばれて来た。グズリはカビを煎じた薬をヒナクに与え、病を治した。喜んだカマムシは、グズリをヒナクと結婚させた。
夜、ナギはグズリの不審な行動を目撃し、密かに後を追った。するとグズリは浜辺へ行き、ヤマタイ国の船団を呼び寄せていた。グズリは将軍の猿田彦に、ヒナクだけは助けて欲しいと申し入れた。しかし猿田彦はグズリの頼みを無視し、女子供も含めて皆殺しにするよう家来に指示した。集落から1人だけ逃げ出していたヒナクは、2人の男たちに犯されそうになった。グズリが駆け付けて男たちを追い払うが、ヒナクは彼に唾を浴びせて「帰れ」と怒鳴った。しかしグズリは、ヒナクの後を追い掛けた。
ナギは猿田彦の命を狙うが、捕まってしまった。家来たちがナギを殺そうとすると、猿田彦は「船に乗せろ。俺たちの国を見せてやる」と述べた。ヤマタイ国に戻った猿田彦は、ヒミコと謁見できて大喜びする。しかしヒミコがナギを殺すよう命じると、猿田彦は従うことが出来なかった。ヒミコが自ら剣を使ってナギを殺そうとすると、スサノオが「その手を血で穢しては霊術に障りますよ」と止めた。するとヒミコは不機嫌そうに、「おまえがお斬り」と命じた。
猿田彦はナギに、弓の練習を積ませようとする。狼に突進されたナギが怪我をして倒れると、猿田彦は慌てて手当てした。ナギはオロという少年から声を掛けられ、「一緒にヒミコをやっつけないか」と持ち掛けられる。オロは父親をヒミコに殺され、母親は飢えて死んでいた。ナギとオロはヒミコの命を狙うが失敗し、追って来る家来たちから逃走した。猿田彦は捕縛され、まだら蜂の穴倉に押し込められた。弓彦が火の鳥を仕留めるための鉄矢を完成させると、ヒミコは喜び、彼を誘惑した。それを目撃したスサノオは悪酔いし、牛の死体を宮殿に投げ込んだ。ヒミコはスサノオの両目を潰し、国から追放した。
皆既日食が起こり、ヤマタイ国の人々は恐怖に慄いた。全てが闇に包まれる中、ナギとオロは猿田彦を見つけて宮殿から連れ出した。だが、逃げる途中でオロが追っ手の矢を受けた。慌てて駆け寄ったナギは、オロが女だと気付いた。オロは小舟を使ってクマソの国へ逃げるよう言い残し、息を引き取った。小舟で海を進む途中、猿田彦は意識を取り戻して「ヒミコ様の所に返してくれ」と喚いた。猿田彦の鼻は蜂に刺されて腫れ上がっており、ナギは毒を吸い出した。
クマソの国に上陸した猿田彦とナギは、ヒミコの率いるヤマタイ国の船団が近付いて来るのを目撃した。彼らは火の山に登り、まばゆい光を目にした。ナギは火の鳥だと確信し、仕留めるために後を追う。すると火の鳥は彼の心に語り掛け、「私を手に入れることは出来ません。私は死なないのだから」と告げた。火の鳥が飛び去ると、ナギは「絶対にお前を捕まえてやる」と叫んだ。崖下に転がり落ちたナギは、グズリと再会した。グズリはナギに、ヒナクが生きていること、自分の子供を産んだことを話した。
グズリの言葉を信じないナギだったが、彼の暮らす洞穴でヒナクが赤ん坊を抱いているのを見て愕然とした。なぜなのかと抗議するナギに、ヒナクは死のうとする度にグズリが助けてくれたことを語った。ヒナクはナギに、多くの子供を産んでクマソの国を再興するつもりだと告げた。グズリはヒナクに永遠の命を与えるため、火の鳥を狙い続けていた。ナギは「グズリに火の鳥は渡さない。俺が仕留める」と鋭く言い放ち、洞穴を後にした。
猿田彦の元に弓彦が現れ、ヒミコに雇われて討伐に来たことを告げる。猿田彦が「みすみす討たれないぞ」と自信を見せ、もしも弓彦が火の鳥を手に入れたら、その血をナギに飲ませてやってほしいと頼んだ。彼はナギとの関係を問われ、「俺の倅だ」と答えた。2人が対決していると、ナギが戻って来た。弓彦は猿田彦に「また会おう。3つの山を越えるとマツロの国がある。そこへ落ち延びるがいい」と言い、その場から立ち去った。
ヒミコは兵隊を火の山へ向かわせるが、激しい噴火が起きた。グズリはヒナクと赤ん坊を連れて洞窟に逃げ込むが、地崩れで入り口が塞がれてしまった。グズリは脱出口を発見するが、そこを抜けた先は天井の高い洞穴で、外へは出られなかった。ヒナクは赤ん坊が死んだことで、正気を失った。猿田彦とナギはマツロの国へ向かう途中、ジンギたちと遭遇した。猿田彦たちがマツロの国へ向かっていることを聞かされたザンギは、「そんな国は、もう無い。俺たちが滅ぼした」と得意げに述べた。
ジンギから自分に仕えるよう求められた猿田彦は、それを拒絶した。ジンギが部下たちに「殺せ」と命じると、ウズメが止めに入った。彼女はジンギに、猿田彦を夫にしたいと告げた。ジンギたちは嘲笑し、猿田彦は醜女との結婚を嫌がった。しかしウズメからナギのことを考えるよう諭され、猿田彦は仕方なくウズメとの結婚を承諾した。ヒミコが病で寝込み、霊術を信じなくなったヤマタイ国の人々は宮殿へ押し寄せる。イヨはスクネに、兵を使って追い払うよう命じた。
ウズメは猿田彦とナギに素顔を見せ、事情を説明した。ヒナクは洞窟で男児を出産し、グズリはタケルと名付けた。ウズメは猿田彦とナギに、ジンギがヤマタイ国を滅ぼして自分の国を作るつもりだと教えた。弓彦は火の鳥を見つけ、鉄矢を使って仕留めた。イヨは国王の免状である金印を奪おうとするが、ヒミコに見つかった。ヒミコはイヨを撲殺し、兵士たちに死体を運び出すよう要求した。そこへスサノオが現れ、ジンギの軍勢が迫っていることを告げる。聞く耳を貸さないヒミコの元へ弓彦が戻り、火の鳥の亡骸を差し出した。ヒミコは喜びに震えて火の鳥に触れようとするが、息を引き取ってしまった…。

監督は市川崑、原作 アニメーション総指揮は手塚治虫 朝日ソノラマ刊・講談社刊、脚本は谷川俊太郎、製作は市川喜一&村井邦彦、撮影は長谷川清、美術は阿久根厳、録音は矢野口文雄&大橋鉄矢、照明は佐藤幸次郎、編集は長田千鶴子&池田美千子、殺陣は美山晋八、助監督は橋本伊三郎、特技監督は中野昭慶、アニメーション製作は手塚プロダクション、作画演出は鈴木伸一、衣裳デザインはコシノジュンコ、振付は西野皓三、古代民族音楽 作曲考証は山城祥二、演奏は芸能山城組&小口大八と御諏訪太鼓、テーマ音楽はミッシェル・ルグラン、音楽は深町純、演奏はロンドン交響楽団&新日本フィルハーモニー交響楽団。
出演は若山富三郎、尾美トシノリ(現・尾美としのり)、仲代達矢、高峰三枝子、草刈正雄、田中健、大原麗子、由美かおる、江守徹、林隆三、沖雅也、草笛光子、加藤武、大滝秀治、伴淳三郎、潮哲也、長谷川弘、関山耕司、丹古母鬼馬二、風吹ジュン、ピーター、カルーセル麻紀、木原美知子、新海丈夫、花上晃、小瀬格、山本廉ら。
声の出演は岡真佐子。


手塚治虫のライフワークだった漫画『火の鳥』の内、「黎明編」を基にした作品。
黎明編は最初、『漫画少年』で連載されたが、出版していた学童社の倒産に伴って未完となった。その後、『COM』で大幅に内容を変えた黎明編が連載され、こちらは完結に至った(ただし手塚は、その後も何度か描き直している)。この映画は、『COM』版の方をベースにしている。
脚本は詩人の谷川俊太郎が担当。これを含めて9本の映画で脚本に携わっているが、全て市川崑が監督を務めた作品である。
猿田彦を若山富三郎、ナギを尾美トシノリ(現・尾美としのり。これがデビュー作)、ジンギを仲代達矢、ヒミコを高峰三枝子、天弓彦を草刈正雄、タケルを田中健、ヒナクを大原麗子、ウズメを由美かおる、スサノオを江守徹、グズリを林隆三、ウラジを沖雅也、イヨを草笛光子、カマムシを加藤武、スクネを大滝秀治、まじない師を伴淳三郎、オロを風吹ジュン、ヌサをピーター、シメをカルーセル麻紀、サヨを木原美知子が演じている。

テーマ音楽にミシェル・ルグラン、衣裳デザインにコシノジュンコ、振付に西野皓三と、豪華スタッフが集結しており、上述したように豪華キャストが揃っている。
しかし、キャストとスタッフに豪華な面々を揃えれば、それで必ずしも映画が面白くなるわけではないのだ。
この映画は、そのことを強く感じさせてくれるという意味では価値があるが、単純に「映画を見て楽しめるかどうか」という観点で判断すれば何の価値も無い。
ようするに、完全無欠の駄作である。
何しろ、市川崑監督自身が失敗作だと認めているぐらいだ。

原作漫画が壮大なスケールの長編で、それを全て盛り込もうとしたからなのか、筋書きを追い掛けるので精一杯になっているという印象を受ける。
1つ1つのエピソードに厚みを持たせるとか、余韻を残させるとか、そういう作業は出来ていない。
サクサクとエピソードを処理して、さっさと次に移って行く。
そもそも市川崑は登場人物を突き放すような描き方をする傾向のある人なので、シナリオの段階で淡白な味付けにすると、取り返しの付かないことになってしまう。

例えば、ウズメが醜女に化けるシーンがある。
高天原族が襲撃して来た時、女たちが手籠めにされる描写があれば「だから犯されるのを回避するために醜く化けた」という風に上手く繋がるが、そういうのは見られない。戦が一段落し、死体が転がっている静寂な光景を見せるような余韻も無い。
醜女に化けたウズメの元に兵士たちが駆け込むと、さっさと次のエピソードに移ってしまう。
あと、カマムシはヤマタイ国の連中が来たと思っていたが、実際に襲って来たのが高天原族だということを観客に教えるための作業も無い。

グズリはヤマタイ国のスパイとしてクマソに来るのだが、ヒナクが病に苦しんでいたのは偶然に過ぎない。
だから、ヒナクの病を治してカマムシを信用させるというのは、ものすごく都合のいい展開だ。もしもヒナクが病気じゃなかったら、そのまま殺されていたんだから。
そんなグズリは猿田彦に「ヒナクだけは助けてくれ」と頼むが、彼がヒナクに本気で惚れたことを示すための恋愛劇は何も無い。ヒナクは集落から1人だけ逃げているが、どうやって逃げ出したのかはサッパリ分からない。
そこも下手な御都合主義だ。

グズリがナギたちにカビを集めさせているところへ、ウラジの黒焦げ死体が運ばれてくる。
だが、すぐに「グズリがカビの薬をヒナクに飲ませる」という手順へ移ってしまい、「ウラジの死にヒナクやナギがショックを受け、悲しみに暮れる」という描写が不足してしまう。
そもそも、「ヒナクはグズリと結婚してもウラジのことを忘れられない」とか、「ウラジのことがあるのでグズリとの結婚を嫌がる」といった描写があるわけでもないので、ウラジというキャラそのものが不要だ。

猿田彦はクマソの国を滅ぼしているが、その目的が良く分からない。
彼がヒミコから命じられたのは「火の鳥を捕まえる」ということのようだが、そのためにクマソの国を滅ぼす必要性は無いはずだ。スサノオがヒミコに「火の鳥の居所は突き止めた。万全の策は取った」と話していたが、その万全の策ってのが、クマソの国を滅ぼすことなのか。
そこの関連性を上手く伝えているとは、ちょっと思えない。クマソの国に火の山があり、そこに火の鳥が住んでいるというところの説明も不足しているし。
それに、そういうことであっても、「火の山に火の鳥が住んでいるから、クマソの連中は皆殺し」ってのは、どういう方程式なのか全く分からん。

猿田彦がナギを殺さずにヤマタイ国へ連れ帰ろうとする心理は、サッパリ分からない。
ペドファイルってわけではなくて、息子のように可愛がりたいってことで連れ帰っているんだけど、そこを納得させるための背景が説明されているわけではないから(例えば彼が息子を亡くしているとか)、かなりギクシャクした展開に感じる。
ナギが自分の父親を惨殺した猿田彦を本当の父親のように慕うようになるという展開も、やはり腑に落ちるモノとはなっていない。

ヤマタイ国の女官を演じるのはピーター、カルーセル麻紀、木原美知子というメンツ。2人は女性じゃないし、もう1人も女っぽいとは言い難いが、宦官というわけではない。
そんな3人が喋るシーンには、変に軽薄でユルい雰囲気がある。
ヒミコは猿田彦にナギを殺すよう命じ、「その子倅は、この国に災いをもたらす。私の命さえ狙う者じゃ」と言っている。
ところが、スサノオに「お前がお斬り」と言った後、うやむやの内に、ナギを殺す指令は消えてしまっている。

ヒミコ暗殺に失敗して逃げる途中、ナギがオロに「お前、一人息子か」と尋ねるシーンがあって、そこで初めて「オロは男を装っている」という設定だと気付いた。
考えてみれば、オロは「オレ」という一人称で喋っていたし、服装もナギと同じだったので、気付かなかったワシがバカなのだが、ただ、髪の毛は長いし、どう見ても女なんだよなあ。
で、それはボンクラなワシが悪いとしても、オロがナギと同年代という設定みたいなんだけど、それはさすがに無茶だろ。風吹ジュンって尾美としのりより13歳も年上なんだから。
実際、とてもじゃないが、同年代には見えないし。

猿田彦と共にクマソの国へ戻ったナギは、滅ぼされて誰もいない集落に到着して愕然とした表情を浮かべ、「姉さん」と漏らす。
だけど、アンタは集落が襲撃された時、その場にいたはずでしょ。なぜ滅ぼされたのを初めて知ったような反応なのか。
あと、猿田彦は滅ぼした張本人なんだから、その事実を分かっているはずでしょ。それなのに、なぜ何も残っちゃいない集落へ向かったのか。
意味不明だ。

ナギがヒミコの率いる船団を見た後、火の山へ登って火の鳥を仕留めに行くのは、どういうことなのか良く分からない。
「ヒミコに火の鳥は渡さない。火の鳥はクマソの物だ」という考えが彼にはあるらしいんだけど、クマソの物だとしたら、アンタの物にしちゃダメだろ。
ヒミコに渡したくないのなら、彼女を阻止するために動くべきじゃないのか。
その時点では、ナギが火の鳥を仕留めたとしても、その血を飲ませる相手もいないんだし。

実写にアニメを組み合わせているのだが、これが大失敗で、水と油のような状態になっている。
この映画には、その2つを上手く混ぜ合わせるための石鹸水が無い。
大半は実写で、そこに少しだけアニメを投入しているのだが、実写オンリーにすれば良かったのではないか。正直に言って、わざわざアニメを少しだけ盛り込む意味がサッパリ分からない。
それが効果的に作用すると、本気で思っていたのだろうか。

例えば、猿田彦がナギに弓の練習をさせる際、標的として現れる狼の群れがアニメで描写される。
だが、そこをアニメにする意味が、どこにあるのか。「実写で狼を描こうとしても、犬しか用意できないから陳腐になってしまう」という考えだったとしたら、別に狼なんて登場させなくてもいいんだし。
っていうか、アニメで描いたことで、ものすごくチープになっているし。
その上、なぜか狼にピンクレディの『UFO』を踊らせるという演出まである。
シリアスな展開のなかでコミカルな表現を織り交ぜるのは、手塚治虫の漫画でも良く見られた。しかし、ここでは、ただ単に場違いな演出とか感じられない。

他にも、ヒミコが弓彦を誘惑している現場をスサノオが目撃すると、彼の眼球に擬人化された炎が現れるというアニメ表現もある。また、ナギが馬に蹴り飛ばされると、鉄腕アトムになって空を飛ぶというアニメ表現もある。
アニメーション演出の部分は完全に浮き上がっているのだが、これがコメディー映画であれば、それも含めてギャグとして活かすことも出来た可能性はある。
しかし基本的にはシリアスな作品なので、ただチープさが目立つばかりだ。
しかも、そこで変に喜劇チックな演出をして、ますますドツボにハマっているし。

終盤、ナギは弓彦が埋めた火の鳥の亡骸を掘り起こすが、干からびていて血は一滴も無い。
そこへザンギが現れ、その手下がナギを刺す。ナギが「これは誰にも渡さないぞ」と亡骸を炎の中に投げ込むと火の鳥が復活して飛び立ち、何度も使われているミシェル・ルグラン作曲のテーマ曲らしき音楽が流れて来る。
ここ、ホントは盛り上がるべき箇所なんだけど、アニメで表現された火の鳥が出現しても、陳腐な印象しか受けない。
そこに至っても、やはりアニメの挿入は全くプラスの効果を生まない。

アニメーションの挿入以外に、分割画面やスローモーションといった演出もあるが、これまた全く作品にマッチしていない。
市川崑監督はアクション演出が得意ではないので、戦のシーンも今一つ冴えが無い。
火の鳥が復活して飛び立つと「エンディング感」が充満しているので、その後に成長したタケルが崖を登って洞穴から脱出するシーンがあっても蛇足にしか思えない。
そんなわけで、最後の最後まで、ダメな映画だという印象を観客に与え続けて終幕を迎える映画なのであった。

(観賞日:2013年12月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会