『ひめゆりの塔』:1995、日本

太平洋戦争は当初、日本が優勢に戦局を進めていた。しかしミッドウェー海戦を境に形勢は逆転し、圧倒的な軍事力を誇る米軍を相手に、 日本軍は次々と敗退した。昭和19年7月には、南方戦線の拠点としていたサイパン島が玉砕した。アメリカ軍は本土へ向かって北上した。 その頃、那覇と首里のほぼ中間に、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校があった。そこは別名“ひめゆりの学園”と呼ばれて いた。教員を養成する師範女子部は全寮制で、第一高女も遠隔地の生徒のために寮を設けていた。
1学期が終わり、生徒の神谷トシ、大湾シゲ子、知念雅子たちは舎監を勤める宮城千代子に別れを告げ、故郷へと疎開していった。琉球の 方言を研究している教師の仲宗根政文は、生徒の渡久地泰子に声を掛けられた。仲宗根の長女は、泰子の故郷である今帰仁(なきじん)に 疎開していた。仲宗根は泰子に手紙を託すことにした。西銘ノブは、母・カナが待つ石垣島へと疎開した。
職員会議の場で、山岡部長は生徒たちの疎開願いが相次いで提出されていることを非難した。率先して奉公せねばならん立場なのに、命を 惜しんで疎開するとはもってのほかだというのが彼の主張だ。「生徒の疎開は特別な事情が無い限り許可しない」と彼は告げた。山里先生 が「むしろ積極的に疎開させるべきだ」と意見すると、「君は生徒を非国民にするつもりか」と批判した。
山里が「敵が上陸してからは遅い。非戦闘員である生徒たちを戦場に残してどうするんですか」と訴えると、山岡は「軍司令部は水際で敵 を殲滅する作戦を立てておられる」と述べた。2学期は平常通りに開始することが決まり、山岡は「分からない生徒には電報を打て」と 指示した。すぐ学校に帰れという電報が生徒たちに届いた。戻らなければ奨学金を全て返却しろという。ノブは先輩の黒島初江たちが戻る ことを知り、母の反対を押し切って寮に戻った。
10月10日、那覇を大掛かりなアメリカ軍の空爆が襲った。仲宗根は糸数先生から、「市内一面が焼け野原だ」と告げられた。千代子は生徒 の大城幸子を姉・清子の元へ連れて来て、両親が空襲で死んだことを告げた。昭和20年2月、生徒たちは初めての看護実地訓練を受けた後、 休息時間に合唱を行った。それが終わると、仲宗根は10分間の休憩を指示した。彼は医者の娘である野里綾に声を掛け、「胸を患った後 だから無理をするな」と告げた。仲宗根は歌を作曲した宮平先生に「いいはなむけになります」と声を掛けた。
山里は千代子を呼び出し、召集令状が届いたことを告げた。「貴方にお知らせして行きたかった」と言う彼に、千代子は「どうぞ、ご無事 で」と言葉を掛けた。3月23日、アメリカ軍は沖縄本土に対する一斉艦砲射撃を開始した。生徒たちは南風原(はえばる)の陸軍病院へ 学徒看護婦として派遣されることになった。軍司令部へ行くことになった山岡は千代子を呼び、一緒に来ないかと誘った。しかし千代子は 「舎監として、生徒を危険にさらして自分だけ安全な司令部に行くわけにはいかない」と断った。
仲宗根や千代子は生徒を引率し、南風原陸軍病院に到着した。生徒たちは、明朝から所定の任務に就くことになった。生徒たちは婦長の 上原フミに指導を受けながら、外科壕(第一外科)での看護を開始した。泰子は、学徒出陣で乗った輸送船が撃沈され、戦う前に負傷兵と なった大杉少尉に出会った。アメリカ軍は慶良間島に上陸した。敵戦力をギリギリまで引き付けて一気に叩くという軍司令部の作戦が、 院長の喜屋武信正から仲宗根たちに告げられた。
男子部を引率していた校長の西村忠義が首里から訪れ、卒業式が行われた。しかし、その途中で激しい爆撃があり、早々に式は終了した。 4月1日、アメリカ軍は沖縄本土への上陸を開始した。生徒たちは、次々と運ばれてくる負傷兵の手当てに追われた。泰子は腕が動かなく なった大杉に卵を与えた。患者の激増によって、生徒たちが生活に使っていた壕も外科壕として使うことになり、今後は受け持ちの壕で 寝泊まりすることに決まった。
千代子は本部、仲宗根は第一外科、金城先生は第二、糸数と宮平は第三、経理部は高嶺先生が引率することになり、生徒たちは移動の準備 をした。包帯を取りに戻った比嘉昭代は、爆撃を受けて死亡した。綾が泰子の元へ来て、「大杉さんが会いたがっていました。糸数分室に 移されるんです」と告げる。もはや回復の見込みは無いという。泰子が行くと、大杉は「君に一言お礼を言いたかった。ありがとう」と 告げ、自分のお守りを渡した。それは母親が彼に持たせてくれたものだった。
追い詰められた日本軍は特攻作戦に出たが、その多くは突撃前に撃墜された。アメリカ軍は日本軍の防衛網を次々と突破し、首里の司令部 に迫った。5月4日、5号壕の上に直撃弾が落ち、中山と又吉が生き埋めになった。又吉は助け出されたが、中山が埋まったままで救出 作業は中止された。死んだ患者を埋葬するために壕を出た泰子は、爆撃で足を負傷した。救出作業で釘を踏んだ仲宗根は喜屋武の治療を 受け、ひどい熱を出して3日3晩も寝込んだ。意識を取り戻した彼は、中山が埋葬されたことを知った。
病院の移動が決まった。歩行可能な患者は連れて行くが、それが無理な患者は壕に置いて行くことになった。仲宗根は喜屋武から、防衛隊 が後で運搬する手はずになっていると告げられた。5月25日、千代子は仲宗根の元に、「今晩8時に移動せよ」という本部からの伝令を 持って来た。仲宗根は泰子を炊事場まで運ぼうとするが、担架は患者が杖代わりに持って行ったので無かった。「とても無理だわ、どうか 行って下さい」と泰子に言われ、仲宗根は「すまぬ。必ず迎えをよこすからな」と詫びて去った。
移動の最中も、激しい爆撃が続いた。足を怪我した神谷トシは、成田衛生兵に背負われた。外科壕には軍人が現れ、残った患者に青酸カリ を飲ませて殺害しようとした。泰子は与えられた飲料に手を付けずに生き延びた。仲宗根たちが洞窟にやって来ると、軍人が住民たちを 追い出していた。怒った老人が琉球方言を使うと、軍人は斬り殺した。「ここは陸軍病院になるはずだが」と仲宗根が言うと、軍人は 「そいつは山部隊の陣地にする。もはや病院など必要ない」と言い放ち、彼らを追い払った。
仲宗根と第一外科隊は糸洲の民家まで辿り着くが、そこは壕が無いので、落ち着ける状況ではない。成田が山城の本部への移動命令を 持って来た。今晩、その辺りに艦砲が集中するとの情報が入ったという。仲宗根は第一外科隊を引率して出発した。しかし本部壕は満員で 入る余地が無く、波平(なみひら)壕への移動を余儀なくされた。すぐに、今度は伊原壕への移動命令が届いた。そこへ移動したところで 、軍からの解散命令が届いた。それは、軍が学徒隊を見捨てたとことを意味していた…。

監督は神山征二郎、原作は仲宗根政善&水木洋子、脚本は神山征二郎&加藤伸代、製作は風野健治&橋本幸治、撮影は飯村雅彦、編集は 近藤光雄、録音は池田昇、照明は大澤暉男、美術は育野重一、音楽は佐藤勝、主題歌は石嶺聡子『花』。
出演は沢口靖子、永島敏行、後藤久美子、中江有里、大路恵美、今村恵子、早勢美里、酒井美紀、尾羽智加子、吉沢梨絵、佐藤友紀、 伊藤美奈子、大島花子、高嶋政宏、神山繁、吉行和子、長谷川かずき、馬渕英里何(現・馬渕英俚可)、坂野友香、芦川ゆかり、 滝沢幸代、磯春陽、久積絵夢、藤倉珠紀、篠原友紀、小田絵梨香、熊谷真実、大林丈史、本田博太郎、大森嘉之、平泉成、浜村純、 石橋蓮司、上田耕一ら。


ひめゆり(姫百合)部隊の悲劇を描いた作品。
戦後50周年記念作品。
千代子を沢口靖子、仲宗根を永島敏行、泰子を後藤久美子、山岡を石橋蓮司、洞窟の老人を 浜村純、喜屋武を平泉成、成田を大森嘉之、高嶺を本田博太郎、西村を大林丈史、上原を熊谷真実、綾を中江有里、トシを大路恵美、清子 を今村恵子、ノブを早勢美里、シゲ子を酒井美紀、幸子を尾羽智加子が演じている。

ひめゆり部隊を題材にした作品は、これまで何本か作られている。
その中で、今井正監督は1953年に本作品と同じ題名で映画化し、1982年にはセルフリメイクしている。
その1982年版にスタッフとして携わっていた神山征二郎が、それをリメイクしたのが本作品である。
つまり「リメイクのリメイク」ということになるわけだ。
原作者の仲宗根政善は、沖縄師範学校女子部教授兼予科主事として、ひめゆり部隊を引率していた人物。
劇中の仲宗根は、彼をモデルにしたキャラクターだ。

職員会議の段階で、名前が分かっているのが仲宗根と千代子という教師2人だけ。生徒については全く名前が分からない。
最初に学生寮で複数の生徒がいたが、その後で個人として描写されているのは3人。しかも彼女たちのキャラは全く紹介されていない。
最初に帰郷する様子が描かれるってことは、泰子とノブがメインなのかとは思うが、それほどフィーチャーされている印象も無い。
誰か一人をヒロインにしているわけではなく、群像劇というほど複数キャラを描いているとも感じない。何しろ、序盤ではノブぐらいしか 生徒の名前が分からないし、個人個人の印象については、ほとんど区別も付かないぐらいの薄さだ。
群像劇ということではなくて、単に「生徒たち」という一括りの扱いという感じ。
個々の印象の薄さは、最後まで解消されることが無い。

千代子が幸子を清子の元へ連れて来て、両親が空襲で死んだことを告げるシーンがあるが、すぐに次のシーンへ行ってしまう。
悲劇を悲劇として盛り上げる意識は薄い。
では淡々と事実を積み上げることによって何かを訴えようとしているのかというと、そういう意識もあまり感じない。
ただ漫然とエピソードを連ね、適当に消化しているというような、雑な印象しか受けない。

こういう題材を取り扱う以上、それが賛同できるものかどうかは別にして、何かメッセージ性を持たせるべきだろうと思う。
だが、本作品からは、そういうモノを感じない。
たぶん戦争反対とか、その手のメッセージということを考えてはいたんだろうと思うけど、ドラマとしての抑揚に乏しく、盛り上がりが 薄く、粗雑なエピソードが淡白に処理されて行くだけなので、そこから感じるものが何も無いのだ。
何か悲しい出来事、辛い体験があった時に、そこで生徒たちがどんな感情を抱いたのか、どんな態度を取ったのか、それこそが重要なはず なのに、この映画は出来事、事象を描くと、それだけで満足してしまう。

あえてメッセージ性を読み解くなら、軍への批判ということになるだろうか。
しかし、毒殺する上田耕一には「軍」としての意志を感じるが、横暴な命令を下す鈴木軍医や、疎開を批判する山岡など、「個人としての 悪」の方が強い。
組織としての軍が悪いのではなく、軍人の中に酷い奴らがいる、という感じの描写なのだ。
軍として組織を批判しようとする描写は、かなり弱くて中途半端なものに留まっている。
まあ、それを言い出したら、全てにおいて半端な作りだが。

召集令状が届いた山里が千代子にそれを告げるシーンで「貴方にお知らせして行きたかった」と言うので、どうやら彼は千代子が好き だったようだが、それはそのシーンまで全く分からない。
そもそも、そのシーンまで、この2人が絡むことは無かったのだ。
山里の登場は職員会議のシーンで、そこが2度目の登場だ。
そんな薄い恋愛模様なんか、どうだっていいでしょ。

それよりも、女学生にもっと集中すべきではなかったか。
女学生の悲劇がメイン題材のはずなのに、彼女たちのドラマ、エピソードを描こうという意識が余りにも薄弱だ。
女生徒の個人としての存在感が薄いだけに留まらず、ではその代わりに仲宗根や千代子の物語が厚く描かれているかというと、そういう わけでもない。
どこもかしこも人間ドラマは薄い。
この映画はとにかく、「戦時中に沖縄で起きた出来事」を、ただ羅列することに意識が傾いている。

山岡から司令部に来るよう誘われた千代子が断るシーンにしても、もうちょっと盛り上げ方ってモノがあるでしょ。
そのように抑揚を付けられそうな箇所を、ことごとく淡白に処理しているんだよな。
ドラマティックにすることを、あえて避けようとしているのだろうか。
だとしても、それが何を意図したものかは見えないが。
少なくとも、プラスの効果は何も出ていない。

生徒の中では、やはりゴクミが演じる泰子メインなのかと思うが、しかし彼女のエピソードが多く描かれているでもないし、存在感が そんなに強いわけではない。
顔は分かっているので、たまに出て来た時に「ああ、ゴクミだ」と気付くけど、「他の生徒たちと比べれば、判別が付きやすい」という 程度。
陸軍病院に移ると、それ以前よりは生徒たちの存在感が少しだけアップしている。
でも、少しだけだ。泰子と大杉との関係にしても、恋愛劇が描かれるわけでもなく、患者の中では唯一、大杉の顔と名前が分かるように なっているという程度。
この2人のドラマが充実して描かれることは無い。

昭代が爆撃を受け、そこで初めて生徒に死者が出るのだが、死亡する前から死んだ後までを同じテンポ、同じテンションで消化して行くと いう淡白さ。
死ぬ前から流れていたBGMが、爆撃を受けても、死亡しても、そのまま同じように鳴り続けるんだぜ。
どういうセンスなんだよ。
しかも、即死じゃなくて、しばらく生きていて、容態が急変して出血死したようだが、その「しばらく重傷で苦しんでいた」という時期は バッサリとカットして、爆撃を受けた次のシーンでは死んでるし。
そもそも、昭代の顔も良く分からないし、まるで存在感が無かったので、そんな奴が死んでも何も感じないけどね。
「ああ、誰か死んだのね」という程度だ。
その後も次々に犠牲者は出るけど、個々としての印象が薄いから、まるで感情が揺り動かされない。

泰子は爆撃で足を負傷することで、動き回ることが出来なくなる。そうなると、彼女を中心人物として動かして行くことが出来なくなる。 さらに、泰子は移動の際に残されるので、もう完全に学徒隊から離れてしまう。
では千代子はどうなのかというと、彼女は本部にいるので、こちらもあまり出て来なくなる。
移動した後は、ガス弾でイカれた2人の生徒(爆撃を見ても「キレイ」と笑っている連中)を連れて別行動を取るため、やはり中心になる ことは出来ない。
っていうか、そもそも千代子は受け持ちが違うのだ。彼女は本部隊で、仲宗根が引率しているのは第一外科隊だ。だから千代子は波平へ 来た後、すぐに立ち去ってしまう。
そんな女性2人が中心人物に成り切れず、空白地となった中心には仲宗根が入って行くのだが、それには「なんで男が中心を取るのよ」と 言いたくなるぞ。
っていうか、メインと呼べるほどの存在感があるでもないし。

(観賞日:2010年5月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会