『ひぐらしのなく頃に』:2008、日本

昭和58年5月12日、鹿骨市雛見沢。高校生の前原圭一は、母・藍子と共にバスに乗っていた。バスがトンネルを抜けると、雛見沢ダム建設 予定地の看板が見えた。東京から引っ越してきた圭一は、全校生徒15人の雛見沢分校に転入する。教師の知恵留美子に促され、圭一は全く 愛想の無い挨拶をした。委員長の園崎魅音が声を掛けてくるが、圭一は握手に応じようともしなかった。
1ヶ月後、圭一は藍子と画家の父・伊知郎に「行ってきます」と元気良く告げ、自転車で出掛けた。彼は魅音と竜宮レナに村を案内して もらうことになったのだ。雛見沢の人口は二千人、交通の便は悪いが、人々は村を気に入っており、誰も出て行こうとしないという。 ここで生まれて、ここで死ぬのが一番の幸せだと信じているらしい。2人は圭一を鬼ヶ淵という沼に案内した。そこには伝説の大魚がいる と言われており、近くには沼の鬼を鎮める洞がある。
最後に魅音とレナは、圭一を古手神社へ案内する。来週の日曜には、綿流しの祭りがあるという。2人とも「オヤシロさまには、ちゃんと 挨拶しなくちゃ」と口にした。圭一が「そういうの興味ない」と軽く言うと、2人は深刻な表情で「バチが当たるよ、圭ちゃんのために 言ってるんだけどな」と述べた。そこで圭一は2人から、お参りの方法を教わった。
魅音とレナは、オヤシロさまは村の守り神だと説明した。そこへ、クラスメイトの古手梨花と北条沙都子が現れた。梨花は古手神社の巫女 だった。梨花によると、祭具殿という場所には、オヤシロさまにまつわる大切な道具が収められているという。「面白そうだな」と圭一が 近付こうとすると、梨花や沙都子は「勝手に中を開けたら祟りがある」と告げた。
神社を去った圭一は、レナに連れられてダム建設の跡地へと向かった。遠くから大勢の人々がゴミを捨てに来る場所だが、レナにとっては 面白い物が落ちている宝の山だという。レナは「ダムが出来たら沈むはずだった。でも工事が中止になった」と語る。その場所には、 フリーカメラマンの富竹ジロウが写真を撮影していた。季節毎に来るため、レナは彼と顔馴染みだった。
レナがお宝を探しに行っている間に、富竹は圭一に「4年前、ダム工事の現場監督のバラバラ殺人事件があって、未だに右腕が発見されて いない」と告げた。さらに彼は、「ダム建設が持ち上がってから村人は一致団結し、激しい反対運動を展開した。彼らは鬼ヶ淵死守同盟と いうグループを結成し、ダム建設に協力するものは厳しく糾弾された」と語った。富竹が去った後、圭一はレナに事件のことを尋ねた。 するとレナは冷たい態度に変貌し、「知らない」と告げた。
6月13日、圭一は学校で悟史という名札が付いたロッカーを発見した。魅音に「卒業した子?」と訊くと、彼女だけでなくクラス全員が 暗い顔になった。レナが取り繕うように「転校したの」と言い、魅音は「帰りに釣りしない?」と話題を変えた。沼へ赴いた圭一は、魅音 に殺人事件のことを尋ねた。すると彼女は「そんなことを誰が言ってたの?」と質問を返した。
魅音は事件など無かったと否定し、「よそものの言うことなんか気にしない方がいいよ」と口にした。圭一と魅音は、入江診療所の看護婦 ・鷹野三四が森の中を歩く姿を目にした。魅音が声を掛けると、三四は「ここが好きなのよ、ここは雛見沢村、ううん、鬼ヶ淵村の全ての 始まりの場所ですものね」と言う。それを聞いた魅音の顔が険しくなった。
6月19日、古手神社の祭りが催され、圭一は魅音、レナと一緒に出掛けた。夜店を回っている途中、沙都子と富竹とも合流した。圭一たち は神社へ行き、梨花がオヤシロさまに奉納する舞を踊る様子を見学した。尿意を催して途中退出し圭一は、富竹が祭具殿に侵入するのを 目撃した。三四も先に中へ入っており、「素晴らしい、伝承の通りだわ」と感嘆して、富竹に写真を撮ってもらった。
圭一が祭具殿に入ると、三四は「綿流しの儀式の謂われを知ってる?」と問い掛けた。三四は「ここにある道具を使って、昔は人間を バラバラに解体していた。雛見沢の村人には鬼の血が流れている。その血の欲求が抑え切れず、年に一度だけ人をさらって食べていた。 その儀式の名残りが、綿流しの起源という説がある」と圭一に語った。
さらに彼女は「4年前の事件が始まりだった。次の年も事件が起こった。村人の北条夫妻が旅行先の展望台から崖下の川へ転落し、夫は 死亡、妻は行方不明した」と述べる。それは沙都子の両親だった。翌年には神主が謎の病死を遂げ、妻は自殺した。梨花の両親だ。そして 去年、村の主婦が撲殺され、家にいた男の子が行方不明になった。その男は沙都子の兄で、名前は悟史だという。
村人々は「オヤシロさまの祟りだ」と言っているが、事件の被害者はダム建設の協力者や反対運動に消極的だった人々だ。三四は村の 血塗られた歴史について研究しているのだという。村の人は密かに、今年の綿流しの晩にも犠牲者が出るに違いないと噂しているらしい。 祭具殿を出て話していると、魅音とレナが「これから沢で綿流しがある」と圭一を呼びに来た。
6月20日、圭一は学校で知恵に呼び出され、別の部屋に案内された。そこには興宮(おきのみや)署の刑事・大石蔵人が待ち受けており、 富竹が死体で発見されたことを告げる。遺体はノドを爪でかきむしった様子だったという。さらに彼は、三四の行方が分からなくなって ことも告げた。圭一は大石に、昨晩のことを全て説明した。大石は「今の話は口外しない方がいい。この事件には村人が絡んでいる可能性 がある。最悪の場合は村ぐるみの犯行という可能性もある」と告げた。
圭一は大石から、悟史が去年の綿流しの祭りの後、行方知れずになっていることを知らされた。教室に戻った圭一は魅音とレナに何の用 だったのか訊かれるが、「大した話じゃないよ」と嘘をついた。早退することにした圭一をレナが追い掛け、「私たちは仲間だから何でも 話してほしいな」と言う。圭一は「お前らは俺に何でも隠すくせに、仲間だとか言うんじゃないよ」と声を荒げた。
すると急にレナは鋭く低い声になり、「じゃあ圭一くんはどうかな。みんなに隠し事してない?さっき誰と話してたの」と尋ねる。圭一が 「だから知恵先生と」と話そうとすると、レナは言葉を遮って「嘘だ!」と怒鳴った。レナは、圭一が大石と話したことを見抜いていた。 帰宅した圭一に、大石から電話が入った。彼は魅音に注意するよう警告し、ダム建設の反対運動を指揮していたのが園崎家だと教えた。 さらに彼は、レナの行動にも注意するようにと告げた。彼女の一家は茨城に転出していたのが、去年、村に戻ってきた。茨城にいた頃、 彼女は学校で傷害事件を起こし、「オヤシロ様、ごめんなさい」と口にしていたという。
6月21日、圭一は風邪気味で学校を休んだ。診療所で医師の入江京介に診察してもらうと、少し疲れが溜まっているようだと言われる。 入江から三四のことで何か知らないかと問われ、圭一は「知らない」と答えた。圭一は興宮のレストランへ行き、大石と会った。大石は 焼死体が発見されたことを告げ、「照合中ですが、鷹野三四さんだと思われます」と告げた。
圭一が「祟りなんですか、みんなオヤシロ様の祟りで殺されるんでしょ」と怯えると、大石は軽く笑った。彼は富竹の遺体に複数の打撲痕 と注射針の跡があったことを明かし、「何者かと乱闘し、薬物でも注射されたのでしょう」と述べた。「じゃあ犯人は誰なんですか」と 尋ねる圭一に、大石は「祭具殿に入ったとしたら、村人は彼らを決して許さないでしょう」と言う。彼が「もう一人、祭具殿に入った者が いるらしいんですが、誰か知りませんか」と質問したので、圭一は「知らない」と嘘をついた。
圭一が帰宅すると、「急用でお父さんと東京に行くことになりました。帰りは明日になってしまいます」という母の置き手紙があった。 そこへ魅音とレナが訪れ、おはぎを差し出した。2人が「ご両親はどこへ行ったの?」「具合悪いのに、どこか行ってた?」などと追及 してくるので、圭一は答えをはぐらかした。2人が帰った後におはぎを食べると、中に針が混入していた。
6月22日、圭一は悟史のロッカーを開けて、バットを発見した。彼が「悟史、お前はどこに消えちまったんだよ」と呟いてバットを激しく 振り回していると、そこに魅音がやって来た。彼女は「悟史君もそうやってバットを振り回し始めて、誰とも喋らなくなった」と言う。 圭一が「俺と同じように、お前らに」と口にすると、魅音は「私たちを疑うようになって転校した」と言う。
圭一は「転校って嘘だろ、殺されたんだ。祟りとか呪いとか言って、自分たちに従わない人間を次々と殺しやがって。この村の奴らは、 みんな狂ってるよ」と喚いた。すると魅音は「ええ、狂ってますよ。綿流しの祭りの夜に、村の敵となった人間は殺してもいいという ルールを作った。そのルールに悟史君も飲み込まれた」と語る。
「俺がどんな悪いことしたって言うんだよ」と圭一が言うと、魅音の口調が豹変した。彼女は「アンタが祭具殿に忍び込んだことなんて、 みんな知ってるよ。殺されて当然でしょ。お前なんて殺されて当然だ、あいつらのエサになればいいんだ。あいつらは必ずお前を殺すよ。 お前もオヤシロさまの生贄になればいいんだよ」と、不敵な笑みを浮かべて言い放った…。

監督・脚本は及川中、原作は竜騎士07/07th Expansion、 企画は成田尚哉&平田樹彦、プロデューサーは東快彦&池原健&野村美加&団野喜人、 エグゼクティブプロデューサーは及川武、製作は気賀純夫&湯浅昭博&長谷川洋&入江祥雄&安田正樹、アソシエイトプロデューサーは武内健& 小野昌司&深尾聡志、撮影は白尾一博、編集は滝沢雄作、録音は深田晃、照明は宮下昇、美術は松塚隆史、特殊メイクはピエール須田、舞指導は伊藤嘉章、 音楽は川井憲次、主題歌制作は西村潤&一法師康孝、音楽プロデューサーは吉岡明、主題歌 「WHEEL OF FORTUNE(運命の輪)」は島みやえい子。
出演は前田公輝、飛鳥凛、松山愛里、あいか、小野恵令奈、杉本哲太、川原亜矢子、田中幸太朗、三輪ひとみ、谷口賢志、 米山善吉、星ようこ、今井雅、今井琴、今井諒、河野明仁、小松見奈美、白鳥絢子、新田尚也、新田あかね、増澤京香、増澤仁志、 増澤礼実、増澤咲智、竹内明彦、内山晶子、赤羽佐千子、北原栄、北原はるえ、橋爪勝男、 村田和也、高橋早映菜、有賀みなみ、原彩佳、伊藤秋穂、高橋歩、岡部格明、北原修平、北原優、森亮太、田中直人ら。


大ヒットした同名の同人ゲームを基にした作品。
ゲームは全8話のシリーズで、漫画やアニメ、小説など幅広いメディアミックス展開が行われた。その流れで、この映画も作られたという わけだ。
映画版はゲーム第1話『鬼隠し編』がベースになっている。
圭一を前田公輝、 魅音を飛鳥凛、レナを松山愛里、梨花をあいか、沙都子を小野恵令奈、大石を杉本哲太、三四を川原亜矢子、入江を田中幸太朗、知恵を 三輪ひとみ、富竹を谷口賢志、伊知郎を米山善吉、藍子を星ようこが演じている。

私は同人ゲームをプレイしておらず、漫画やアニメも未見のままで本作品を鑑賞したのだが、そういう立場の人間からすると、登場人物の 言動や物語の展開にはキテレツで不可解な点が多い。
それはミステリーとして謎めいているという意味ではなく、それとは別の問題として奇妙だということだ。
まず、ちっとも昭和58年には見えないし、魅音たちが田舎の分校の生徒には見えない。
みんな服はバラバラなのに、私服ではなく学生服(つまり色んな学校の制服を着て集まっているような状態)というのも奇妙だ。

圭一は仏頂面で挨拶し、魅音の挨拶も無視する。
ところが、1ヶ月後には村を案内してもらい、楽しく触れ合っている。
いつの間に、そんなに心を開いて打ち解けたのか。その間に何があったのか。
もう肩を組んだり腕を組んだりするぐらい仲良くなってるけど、どういう心境の変化があったのか。
っていうか、そこの経緯を全てスッ飛ばすのなら、そもそも最初から仏頂面でロンリーウルフを気取るような態度じゃなくて、フランクな 態度にしてきゃいいじゃねえか。
あの仏頂面の意味は、どこにあるんだよ。

そもそも、そこで「1ヶ月後」と間隔を開ける必要性さえないでしょ。
会ってすぐに仲良くなって、みんなのキャラ紹介をする過程で、1日なり2日なりを消化して、そこから本筋へと入っていけば事足りる のだ。
その「1ヶ月」のブランクは、完全に無駄で無意味なものだ。
っていうか、1ヶ月も経過してからじゃないと、クラスメイトに村を案内してもらえないのかよ。

で、何だか良く分からないまま、無愛想からフランクに急変した圭一の姿を見せられるんだが、なぜか富竹に対しては、彼が挨拶して握手 を求めても拒絶して睨み付けている。
でもバラバラ殺人事件について聞く時は、そんな握手シカトは無かったかのように普通に接していて、別れる時には握手している。
何なんだよ、それは。圭一って、どういうキャラ設定なんだよ。
それは人見知りとか、そういうことじゃ説明が付かないぞ。三四には最初から普通に挨拶しているし。ただデタラメなだけにしか 見えない。

途中、圭一の回想シーンがチラッと入って、教師に叱責されたり、母親に泣かれたりという様子が示される。
どうやら過去に何かあったらしく、それが現在の不可解な態度に繋がっているのかもしれないが、そうだとしても、その設定、どうでも いい。
そんなの、まるで意味が無いので、心底からどうでもいい。
ストーリーに何の影響も与えていないし、邪魔なだけになっている。

圭一はバラバラ殺人について、やたらと好奇心満々で魅音やレナに尋ねるが、その態度も奇妙に感じられる。
そんな彼は6月13日に悟史のロッカーを見つけるが、なぜ今まで見つけなかったのか。
ずっとロッカーなんて利用してただろうに。
あと、クラスメイトは悟史のことを訊かれて重い空気になるが、見つけてほしくなかったら、その名札シールは剥がしておけよ。

喫茶店で大石と会った圭一が「祟りなんですか、みんなオヤシロ様の祟りで殺されるんでしょ」と怯えるのは不自然。
なぜ「殺人犯がいて、そいつに殺されるかも」という考えにならないのか。
今までの流れだと、どう考えたって「村人の誰かが犯人」ということになるだろ。
怪奇現象が続発してるとか、得体の知れない存在を目撃したとか、そういうことが幾つもあったのならともかく、そういうことじゃ ないんだからさ。
その後、圭一がバットを見つけて「悟史、お前はどこに消えちまったんだよ」と言う場面があるが、そのセリフは不自然極まりない。
バットを振り回すのも変な行動だし。

監督の演出も、ある意味ではキレまくっている。
とりあえず、「悪い奴らは大体トモダチ」ならぬ「出て来る奴らは大体アヤシゲ」とばかりに、登場する連中はことごとく怪しそうに 見えるように演出しているんだが、それが陳腐に見えることといったら。
そもそも冒頭、廊下を歩いて行くとドアに挟んだ黒板消しが先生の頭に落ちるという単なるイタズラのシーンを、まるでホラーのように 見せているセンスがスゴい。
「嘘だ!」というセリフを、テロップでデカデカと表示するセンスもスゴい。
やたらモテモテな圭一の恋愛劇も盛り込んでいるのだが、その描写の不自然さたるや、タダモンではない。
魅音やレナが圭一に何か質問する度に、目付きや口調が怖くなるという演出も、やりたいことは分かるけど、陳腐でしかない。
「圭一なんてヌルい」とばかりに、こいつらは急に性格が豹変するが、これもバカバカしいとしか感じられない。

毎年、綿流しの祭りの日に必ず村で死亡者が出ているのだから、どっかのマスコミが注目しそうなものだが、全く現れない。それに警察も 警戒なものだが、そういう動きも見られない。
そして全ての謎は放置されたまま終わり、エンドロールの後で続編の製作が発表される。
その続編によって、謎が解決される仕組みになっている。
つまり、これは「問題編」で、次が「謎解き編」といった感じだ。
ここまで何も解決せずに終わらせるというのも、なかなか思い切った策略だ。
ようするに、余程のことが無い限りは、最初から続編を製作することが決定していたってことだろう。

事前に2部作だと発表されていればともかく、公開された時点では本作品だけで成立するように宣伝されていて、にも関わらず続編を 見ないと何も分からないというのは、普通なら卑怯だと批判されるだろう。
だが、この映画に関しては、そんな批判は御門違いだ。
そもそも、そんなことを批判するような奴には、この映画を見る資格など無いのだ。

そして、そんなことを書いている私も、本作品を見る資格の無い人間だ。
なぜなら、この映画を1ミリも面白いとは思えなかったからだ。
そう、この映画を見る資格があるのは、この映画を面白いと感じることが出来る、幸せな人間だけだ。
原作には熱狂的なファンも多いそうだから釈明しておくと、これを楽しめなかったのは、全て私が悪いのだ。
ゲームをやっておらず、漫画やアニメなども未見という状態で、この映画に手を出してしまった私が悪いのだ。

例えばTVアニメの劇場版だと、TVシリーズを見ていない人間には分からない部分もあったりする。
ただ、それでも世界観やキャラについて事前に軽く情報を入れておけば、それほど大きなネックにはならないケースが大半だ。
しかし本作品の場合、ゲームの全8話をやっておかないとダメだ。そういう厳しい条件が付いている。「これを見てから、ゲームをプレイ 」という順番ではダメだ。
それに、そもそも「ゲームもやってみたい」と思わせるような力は、この映画には無い。ゲームをやらず、何の情報も持たずに観賞して しまった不幸な人間にとっては、この作品は単なるクソ映画でしかない。

これは同人ゲームをやった人だけを観客として考えている、完全なコミューン映画なのだ。
だから、コミューンの住人ではない私が手を出したことが、大きな間違いなのだ。
言ってみれば、一般社会で生活している人間が、ヤマギシ会の暮らしを理解できないのと同じようなモノであり、「そりゃテメエには 分からなくて当然だよ」ってことなのだ。

(観賞日:2010年2月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会