『はやぶさ/HAYABUSA』:2011、日本

2010年6月13日、オーストラリア・ウーメラ砂漠では、JAXA対外協力室の水沢恵が小惑星探査機“はやぶさ”の大気圏再突入を待っていた。その8年前、2002年の春。宇宙科学研究所の工学博士である的場泰弘の講演会「宇宙探査の夕べ〜小惑星の謎を探る旅〜」が開かれていた。的場は「私たちはこれから太陽系の3億キロ彼方にある小惑星に探査機を飛ばそうとしています」と言い、小惑星探査機「MUSES-C」の説明をする。しかし会場に集まった人々の中には、居眠りをしたりお喋りをしたりと、あまり興味を示さない者もいた。そんな中、水沢は熱心に耳を傾け、詳細にメモを取った。
閉会後、水沢は的場に声を掛けて「感動しました」と言い、かなりマニアックな質問をぶつけた。的場は困惑し、「貴方は何をやってる人かな?学生さんですか?」と尋ねる。水沢は慌てて「いえ、以前、北大の大学院でクレーターの形態学をやってました。それと、惑星地形の研究を。今は、アルバイトです、古本屋の」と答える。バスの時間なので立ち去ろうとすると、的場は「貴方にこれを差し上げましょう。ちょっと読んでみて」と、ミューゼスC計画概要の書類を水沢に渡した。
2002年の夏、水沢が神田の宇宙堂で働いていると、的場から電話が掛かって来た。的場は「ウチに来る気はありませんか」と、水沢を宇宙科学研究所にスカウトした。水沢は萩原理がサイエンスマネージャーを務める対外協力室に研究生として加わることになった。彼女は小惑星探査機「MUSES-C」に搭載するためのカメラチームと、的場の広報の仕事を担当することになった。水沢はカメラチームを率いる坂上健一から、デブリの論文のポイントを翻訳する作業と、データのスミア補正を明後日までに仕上げるよう頼まれた。
水沢は萩原の下で高速衝突実験を手伝い、サンプラーの開発担当を担当する田嶋学と出会って挨拶した。的場は水沢たちに、宇宙開発の歴史を記録したフィルムを見せて解説する。彼は講演会の時と同様、日本の宇宙開発の父・糸川英夫の貢献について語った。水沢は宇宙研で働きながら、スーパーでのアルバイトもしていた。ほとんどボランティアなので、バイトをしないと食べていけないからだ。
ある日、相談員を担当した水沢は、見学に来た子供から「どうして電気でロケットが飛ぶの?」と尋ねられた。水沢は難しい専門用語を多用して饒舌に語るが、全く理解してもらえなかった。水沢は的場の元へ行き、「自分で分かっていることでも、人に説明するのって難しいですね」と言う。すると的場は「子供ってのは確信を突いたことを訊いて来るからねえ。話している内に、自分で分かってつもりで話していただけなんだって気付かされるんだよね」と述べた。
水沢が的場と話していると、イオンエンジン責任者の喜多修がやって来た。彼は一般から募集した100万人の名前を火星探査機“のぞみ”に乗せて火星に送るプロジェクトについて、長嶋茂雄からも応募があったことを興奮気味に語った。的場は水沢に喜多を紹介した後、スティーヴン・スピルバーグやポール・ニューマンからも応募があったことを告げる。水沢もプロジェクトに応募していた。
水沢は的場に、「もっと踏み込んで勉強しておきたいんです。資料を読ませてもらっていいですか」と告げた。的場は水沢を資料室に案内する途中、プロジェクトマネージャー・川渕幸一に遭遇した。的場は水沢に川渕を紹介し、資料室へ案内した。資料室を出た的場は、川渕から「このままだと“のぞみ”が火星に衝突するかのような報道が出てきているので、何とか対処してほしい」と頼まれた。
水沢は、宇宙研の歴史を記録した資料に目を通した。1985年、旧宇宙科学研究所(東大キャンパス)では、小惑星サンプルリターンの小研究会が開かれた。集まった坂上たちは、熱い議論を交わした。1993年、川渕は小惑星サンプルリターン計画を日米合同惑星探査研究会の場で発表した。ここで計画提案書としてまとめられたMUSES-C計画は、1995年に入り、宇宙開発委員会によって正式に認可された。食堂にやって来た坂上は、熱心に何かを描いている水沢に気付いて声を掛ける。「MUSES-Cの解説書っていうか、そういうの作りたいと思って」と水沢は説明する。彼女が描いていたのは、MUSES-Cを擬人化したイラストだった。
坂上は「探査機の製作で大事なことって何か分かるか。軽さと省電力だ。探査機の製作は、低予算と軽量化と省電力との戦いだよ」と水沢に語る。そのために、技術者の磯村英樹たちが多くの苦労を強いられたのだという。的場は文部科学省を訪れ、官僚の矢吹豊に「今度は大丈夫です。12月にしっかり打ち上げます」と告げる。矢吹は不安げな顔で、「ホントに大丈夫なんでしょうね。私も大臣に説明するのに四苦八苦なんです。お分かりのように、予算確保はもはや、かなり厳しいです」と現状を語った。
トラブルの発生により、打ち上げは5月に延期された。立ち入り規制について複数の漁連と話を付ける必要が生じた。的場は対外協力室の室員・小田島加那子たちと共に高知、宮崎、鹿児島を巡り、漁連の人々に理解してもらった。2003年5月9日、鹿児島県肝属郡内之蔵町にある内之蔵宇宙空間観測所から、MUSES-Cが打ち上げられることになった。MUSES-Cは“はやぶさ”と命名され、その打ち上げは無事に成功して惑星間軌道に乗った。
1ヶ月後、“はやぶさ”は宇宙空間での様々な試験を終え、イオンエンジンが点火された。2003年8月7日、長崎県・臼田宇宙空間観測所に、宇宙研の管制室から“はやぶさ”の運用開始が伝えられた。これまで1998SF36と呼ばれていた対象天体には、イトカワという正式名称が決まった。12月9日、“のぞみ”は火星軌道への投入を断念せざるを得なくなり、軌道変更のコマンドが打たれた。水沢は的場たちに、プロジェクトには亡き兄の名前を応募していたことを明かした。彼女の兄は、幼い頃から天文学者になる夢を抱いていた。
2004年5月、“はやぶさ”は地球の引力を利用して加速する地球スウィングバイに成功した。ミッションの達成目標8つの内、残りは5つとなった。2005年9月12日、“はやぶさ”はイトカワに辿り着き、上空20キロで制止した。搭載されたカメラによって、宇宙研の面々は世界で初めて小惑星イトカワの姿を目にした。2005年11月4日、“はやぶさ”はイトカワへの着陸に毛向けてリハーサルを行うが、リアクションホイールの故障という問題が生じていた。
宇宙研のスタッフたちが修正作業に取り組み、11月20日に着陸本番を迎えた。水沢や川渕、カプセル担当責任者の福本哲也、運用担当の永島浩二や高岡宗太郎など関係者が見守る中、“はやぶさ”は着陸に挑む。しかしコンピュータ上の観測データで高度ゼロになった後も、そのまま“はやぶさ”は下がり続けた。みんなが首をかしげる中、しばらく考えていた田嶋は、「今すぐイトカワから離れるんです。デルタVを打つべきです。ぐずぐずしてると探査機が危ない」と口にした。
川渕の指示により、“はやぶさ”はデルタVで離脱し、セーフホールドモードに移行することになった。しかし田嶋はイトカワのサンプルを採取するため、再度の着陸に挑むべきだと考える。探査機の損傷を心配する喜多からは反対意見も出るが、川渕は再着陸にゴーサインを出した。11月25日、“はやぶさ”はイトカワに再着陸に成功した。しかしスラスターが故障し、推進剤は漏洩し、姿勢制御が不可能になってしまった。イオンエンジンを中和機から噴射することで一度は姿勢を制御するものの、しばらくして通信が途絶してしまう。地球に“はやぶさ”が帰還する予定は2007年だったが、行方不明になったことを受けて2010年に延期された…。

監督は堤幸彦、脚本は白崎博史&井上潔、参考書籍『はやぶさ君の冒険日誌』著者/小野瀬直美、監修/寺薗淳也(毎日新聞社刊)、製作総指揮は Fox International Productions、製作は井上伸一郎&井上潔&北川直樹&木沢裕一&長坂信人&角江慶輔、プロデューサーは井上潔、エグゼクティブ・プロデューサーは玉江唯、協力プロデューサーは宮崎大&市山竜次、ラインプロデューサーは安斎みき子、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、撮影は唐沢悟、照明は舘野秀樹、録音は鴇田満男、美術監督は相馬直樹、美術デザイナーは秋葉悦子、編集は伊藤伸行、音楽は長谷部徹、音楽プロデューサーは石井和之、主題歌はfumika「たいせつな光」。
出演は竹内結子、西田敏行、佐野史郎、高嶋政宏、鶴見辰吾、筧利夫、山本耕史、市川実和子、甲本雅裕、佐藤二朗、高橋長英、マギー、正名僕蔵、六角慎司、生瀬勝久、木野花、松金よね子、蛭子能収、桂ざこば、大石吾朗、野添義弘、清水宏、諏訪太朗、河原さぶ、小村裕次郎、藤本静、堺沢隆史、廻飛呂男、川島潤哉、林田麻里、石川ユリコ、坊薗初菜、矢崎まなぶ、中村まこと、川嶋秀明、平川和宏、小島康志、本井博之、白石タダシ、嶋村太一、夏目慎也、田付貴彦、吉田亮、村上寿子、市川しんぺー、竹森千人、吉田ウーロン太、辻本耕志、粕谷吉洋、畑中友仁、津村知与支、いせゆみこ、有川マコト、吉永秀平、畠山紬、林凌雅、多田木亮佑、北村伝次郎、春川恭亮、上田眞央ら。


小惑星探査機“はやぶさ”のプロジェクトを題材とした作品。
監督は『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』『BECK』の堤幸彦。
TVドラマのノベライズを多く手掛けてきた白崎博史と、プロデューサーの井上潔が共同で脚本を務めている。
水沢を竹内結子、的場を西田敏行、川渕を佐野史郎、坂上を高嶋政宏、喜多を鶴見辰吾、矢吹を筧利夫、田嶋を山本耕史、小田島を市川実和子、平山を甲本雅裕、磯村を佐藤二朗、萩原を高橋長英、福本をマギー、永島を正名僕蔵、高岡を六角慎司が演じている。

ハッキリ言って、もう「小惑星探査機はやぶさを題材にした映画」という時点で、コケることは約束されたようなモンだと思うんだよね。
というのも、はやぶさが回収されたのが2010年の6月。
映画化の許諾を貰って、そこから脚本を執筆したり配役を決めたりして、どう頑張っても公開は1年以上先になる。
実際、この映画は3社が競作した“はやぶさ”映画のトップバッターだが、それでも2011年10月の公開だ。
で、もう回収から1年以上が過ぎてしまうと、はやぶさのブームなんて過ぎ去っているんだよね。

これが逆に、ずっと昔の出来事を取り上げた映画なら、ブームなんて無関係だ。
だが、なまじ「最近の話題に飛び付いての映画化」ってことになると、ブームが過ぎるのは早いから、どうしても「出し遅れの証文」になってしまうんだよね。
エクスプロイテーション映画って、とにかくブームが過ぎ去る前に出せるかってのが全てと言ってもいいようなモノだからねえ。ブームが過ぎてから公開している時点で、もう勝負にならないよなあ。
ただし、「ブームが過ぎ去ってから公開された」というタイミングの問題を抜きにして、内容だけを考えても、この映画はコケて当然だと思うけどね。

冒頭、講演会で「こうした難しいミッションに日本が挑戦できるようになったのも、実は糸川英夫という人のおかげなんですね」と的場が糸川英夫氏の紹介を始めた時点で、もうヤバい匂いがプンプンと漂ってきた。
そりゃあ、糸川博士は偉大な人だと思うよ。
でも、わざわざ名前を出して、感謝の言葉を出演者に言わせる必要があるのかと。
そりゃあ小惑星の名前になるので、説明があった方がいいとは思うよ。
ただ、そこで急に「糸川さんのおかげ」とか言い出すのは、ものすごく不自然だし、不恰好だ。

水沢は的場と春の講演会で会ったのに、夏に電話が入って「こないだは、どうも」は、ちょっと変じゃないかな。
っていうかさ、わざわざ春から夏に季節を跨ぐ意味ってあんのか。
実在の人物の実体験をそのまま描いているならともかく、水沢って架空のキャラなんでしょ。だったら、講演会から1週間ぐらいでスカウトされる流れでいいじゃん。
っていうか架空キャラじゃなくて実在の人物をモデルにしているとしても、そこをキッチリと「実話と同じ時間の流れで」と生真面目にやる必要は無いと思うぞ。
「実際は春から夏だったけど、映画で1週間に変更しているのは事実を捻じ曲げている」と文句を言ったりするような観客は、たぶんいないと思うよ。
そんなトコに、誰も「ノンフィクションとしての正確性」なんて求めてないって。

水沢は研究生になって早々、デブリの論文のポイントを翻訳する仕事と、データのスミア補正を「明後日までに」と坂上に言われる。
で、それを仕上げて提出するシーンが無いまま、幾つものシーンを重ねた後、坂上がカメラチームと話している時に水沢の仕事完了を示すメモを見つけている。
ってことは、その時点で、まだ水沢は宇宙研に入ってから3日目だったのかよ。
もっと何日も経過しているように思えてしまったぞ。

あと、水沢が最初に登場し、遡って「彼女が的場にスカウトされる」というところから話が始まるんだから、彼女の視点からプロジェクトや携わった人々が描かれるべきなんじゃないの。
だけど実際には、彼女の視点が存在しないところで、的場のシーンがあったりする。
水沢の知らないことについては、観客も知らない形にしておいた方がスッキリするよ。そうすることによって、「詰め込みすぎてゴチャゴチャする」という問題も少しは解消されるはずだし。
もちろん、プロジェクトに関する重要な出来事が起きる全ての場所に水沢が同席することは不可能だけど、重要な出来事を全て描写しなくてもいいと思うのよね。
水沢がいない場所で起きている出来事については、彼女が人から聞いて知るという形にしてしまえばいいんじゃないかと。

水沢は食堂でイラストを描いていたのに、それを絵本にするという作業は全く描かれず、他の出来事ばかりが描かれるから、そのことはすっかり忘れてしまう。
で、打ち上げ成功から1ヶ月後になって、水沢が自宅アパートでイラストを描いている様子が描かれる。
ここで唐突に彼女の声で「僕の名前は“はやぶさ”」と語り出すので、すげえ違和感が強い。
なんで急に、“はやぶさ”を擬人化し、キャラとして中心に配置してしまうのか。なんで“はやぶさ”に感情移入させようとするのか。
何のメリットも無いぞ。

それは本物の“はやぶさ”ではなく、水沢の描いた“はやぶさ君”というキャラクターの声を彼女が語っているという設定ではあるんだが、水沢が“はやぶさ君”として喋っている時に画面に写し出されるのは、本物の“はやぶさ”の様子だ。
だから、こっちとしては、水沢が“はやぶさ”の気持ちを代弁している、という風に見える。
だけど擬人化しちゃったら、“はやぶさ”が頑張る物語になっててしまう。
実際に頑張るのはスタッフなのに、“はやぶさ”を擬人化することで、携わる人々の頑張りが薄まってしまうでしょ。

何しろ専門的な用語が飛び交ったり、素人だと見ただけでは何だか良く分からない実験が行われたりするので、スーパーインポーズで何の実験なのかを表示したり、使っている装置や用途を登場人物に解説させたりしている。
そこの丁寧さは、ある程度は必要なことだと思う。
ただ、そもそも、そこまで詳しく過程を描く意味があるんだろうかと疑問を抱いてしまう。
様々な実験や装置、あるいは宇宙開発の歴史なんかも解説しているけど、それは娯楽映画として、本当に全て必要だったのかと。

この映画は、何を見せようとしているのか。何を描こうとしているのか。
全てを詳しく解説してしまうぐらいなら、ドキュメンタリー映画として作ればいいじゃないか、と思ってしまう。
製作サイドは「はやぶさ打ち上げに携わった人々の苦難の日々。それを乗り越えて目的を達成したことの喜び」という感動ドラマとして仕上げたかったんじゃないのか。
で、それを表現するのに、そこまで詳細な解説が果たして必要なのかと考えると、もう少し削れたんじゃないかと。

どこに焦点を置くのか、何をメインで描きたいのか、そういうことが全く定まっておらず、ただ様々な出来事を雑に並べているだけだから、構成もグダグダだ。
例えば、水沢が子供の質問に対して難解な用語を多用してしまい、全く理解してもらえないというシーンがある。
だったら、その次のシーンは、それについて彼女が反省するとか、今度はどうやって分かってもらおうかと考えるとか、誰かに相談するとか、そういうトコへ繋げるべきじゃないのか。
しかし実際には、坂上がチームの面々から「何の観測を優先するのか決めて下さい」と言われたりしている様子が写り、そこで水沢のメモを見つけるというシーンになる。

そこで描くべきことは、それじゃねえだろ。
水沢が指示された仕事を終わらせるってのは、それより先に済ませておくべき手順だよ。で、その後で、相談員として子供から質問を受けるエピソードに移るべきだ。
で、坂上のシーンを挟んでから、水沢が的場に「自分で分かっていることでも人に説明するのって難しいですね」と言っているけど、そこへ直接繋げろよ。
しかも、相談しているところへ喜多が現れ、的場が“のぞみ”プロジェクトについて語ったり、喜多を水沢に紹介したりするけど、その手順も邪魔だよ。
そこを挟んでから「もっと踏み込んで勉強しておきたいんです。資料を読ませてもらっていいですか」と水沢が言うけど、そこも直接繋げなきゃ。

とにかく色々なことを盛り込みすぎて、話の流れがあちこちで分断されてしまっているのよね。
その後の川渕との遭遇も邪魔だし、的場が川渕から“のぞみ”に関する報道を何とかしてほしいと依頼される手順も邪魔。
そこは、しばらく水沢に集中すべき時間帯でしょ。
先に主要キャラは全て紹介して、それから物語を本格的に進行させる流れにしたら良かったのでは。その方がスッキリすると思うよ。

的場と川渕の会話の後、水沢のターンが戻って来るが、そこから回想シーンを入れて宇宙研の歴史を巡る手順になってしまう。
そりゃあ、これまで色んな苦労があったとは思うよ。でも、そういうのを回想で軽く触れても、そこに感動の種は無いからね。そこを描いておくことが、後の展開において感動を生み出すってことは無いからね。
そんなのはバッサリと削ぎ落として、「水沢が関わってからの宇宙研の人々の苦難や努力」に絞り込むべきでしょ。
今までの歴史まで詰め込んでしまったら、もう「はやぶさ打ち上げまでの歴史に関する「お勉強」という印象が色濃くなってしまう。
こっちは学びたいわけじゃないのよ。娯楽映画を楽しみたいのよ。
“はやぶさ”について学びたければ、ドキュメンタリー番組を見るなり、関連書籍を読むなりするよ。

色んなことを盛り込みすぎたせいで、苦難ってのがあまり見えない。
予算的に厳しいらしいけど、そういうのもセリフで触れているだけで、実際に予算的に厳しいからどんな問題が生じているのか、そこで関係者はどれほどの苦労を強いられているのか、どれだけの努力を重ねているのか、そういうことが見えて来ない。
「大勢の人々が力を合わせ、苦難を乗り越え、努力を重ね、ようやく打ち上げに漕ぎ付けた」というドラマが見えないから、打ち上げが成功しても、そこには何の高揚感も無い。
通信復帰にしても、回収にしても、同様だ。

そういう要求がJAXAからあったのか、それとも製作サイドでの気遣いなのか、とにかく「プロジェクトに携わった人々の貢献を紹介し、全てを丁寧に描写しよう」という意識が強すぎる。
そのせいで、とにかく描くべきことが多すぎて、しかも「どこを重視する」ということが無くて均等に描写しているので、事実の羅列になっており、メリハリってモノがまるで無いんだよな。
あと、“はやぶさ”プロジェクトについて詳しくない人からすると、解説があっても分からないことが多い。
だから登場人物が何に焦燥したり興奮したりしているのかが、イマイチ伝わって来ないし。

(観賞日:2012年7月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会