『破線のマリス』:2000、日本

首都テレビの看板ニュース番組『ナイン・トゥ・テン』には、『事件検証』という高視聴率のコーナーがある。5分間の映像に、解説が付けられるという内容だ。企画、取材、事件の検証から編集まで、全てを編集ウーマンの遠藤瑤子が独断で行っている。
ある日、瑤子の自宅に、春名と名乗る郵政官僚から電話が掛かって来た。見せたいビデオがあると言われ、瑤子は春名と会った。春名は、ある事件に関する話を始めた。それは、市民オンブズマン団体の吉村弁護士が不審な転落死を遂げた事件だ。
吉村弁護士は生前、BS放送チャンネルの取得を狙う大学“永和学園”と郵政省放送行政局との癒着を調査していた。上司命令で吉村弁護士を監視していた春名は、郵政省ノンキャリアの人間が吉村を尾行しているのを目撃したというのだ。
春名は瑤子に、1本のビデオテープを渡した。テープには、グレーの背広を着た1人の男の行動が撮影されていた。男は物陰から吉村を監視し、転落現場で野次馬に紛れ、葬式にも顔を出していた。男が他の郵政省官僚2人と共に事情聴取を受け、警察署を後にする様子も写っていた。同僚と別れた男は、場にそぐわない笑顔を浮かべた。
瑤子が編集した『事件検証』が放映された数日後、テープに写っていた男・麻生公彦が抗議に現れた。麻生は、少女を見て笑顔を見せたのだと告げる。瑤子がビデオテープを確認すると、確かに少女の姿が写っていた。瑤子は春名と会おうとするが、彼から渡された名刺は偽物だった。そして、ビデオテープも全てヤラセだった。
番組が放送されたことで、麻生は家庭を失い、職場では左遷された。瑤子は彼に付きまとわれ、謝罪を要求される。やがて瑤子の元に、封筒に入った1本のビデオテープが送られてくる。そこには、瑤子の日常生活を盗撮した映像が写っていた。
瑤子は麻生の職場に乗り込んで抗議するが、軽くあしられてしまう。彼女は、やはり麻生が犯人だったのだと考え、彼を公園に呼び出して部下の赤松に盗撮させる。だが、そのことに気付いていた麻生は、瑤子に迫るフリをして、隠れていた赤松を誘い出した。やがて瑤子は麻生の自宅に潜入し、彼の家での行動を盗撮する…。

監督は井坂聡、原作&脚本は野沢尚、企画は稲垣しず枝、製作は岩下孝広、プロデューサーは八木欣也&井口喜一、エグゼクティブプロデューサーは大平義之、撮影は佐野哲郎、編集は菊池純一、録音は今井善孝、照明は渡部嘉、美術は斎藤岩男、音楽は多和田吏。
出演は黒木瞳、陣内孝則、山下徹大、筧利夫、中尾彬、辰巳琢郎、白井晃、篠田三郎、中原丈雄、堤寛大、中村敦夫、鳩山邦夫、秋本奈緒美、梅野泰靖、大場久美子、坂井隆憲、江口清一郎、宮本英五郎、佐々木勝彦、迫英雄、長谷川あゆ、猪野学、椿真由美、西塚康洋、高瀬歩、嶋尾康史、北村有起哉、財部裕貴、清原久美子ら。


第43回江戸川乱歩賞を受賞した野沢尚の小説を、彼自身の脚本で映画化した作品。テレビ業界の問題を扱っているため、TVドラマ化されなかったのであろうと推測される。瑤子を黒木瞳、麻生を陣内孝則、赤松を山下徹大が演じている。

この作品、黒木瞳と陣内孝則はミスキャストだと思う。
まず黒木瞳だが、瑤子は部長が全幅の信頼を置くほどの人物で、しかも彼女の担当コーナーは視聴率が上がる。これで器量が良いのだから、番組キャスターか何かの形で表舞台に立たせようとするのではないだろうか。本人が拒否しているのならともかく、そういう描写は無いし。
それでも、まだ黒木瞳というキャスティングはマシ。もっとミスキャストなのは、陣内孝則。簡単に言ってしまうと、軽すぎる。麻生という男は、最初は犯人と疑われる怪しさがあり、やがて全てを失って狂気に走る男だ。そういう男にしては、陣内孝則は軽いのだ。単純にエキセントリックな男の役であれば、上手くハマるのだろうと思うが。

冒頭、ディレクターが瑤子に対して不快感を抱いており、「いつか殺してやる」とつぶやく様子が示される。ここから、この映画は違うと思う。最初に示されるべきは、瑤子が優れた報道人として、周囲から高く評価されている様子だと思うのだ。
なぜなら、瑤子が栄光の絶頂にいることで、彼女がヤラセ報道によって一気に転落していくという落差が生まれるからだ。だから、ディレクターは瑤子に対して賞賛の言葉を告げるべきだ。彼女が充実した日々を送っていることを示すべきだ。
また、瑤子がテープを作為的に編集したことに対して、赤松が「それはマズイですよ」と言うシーンも示される。しかし、そこは彼女の作為的な編集を「さすがです」と、ウソを本当にしてしまう技術を好意的に受け取っているセリフを吐くべきなのだ。最初から「ヤラセは悪いことだ」という描き方をしてしまうと、“一転”の面白さが無くなる。

瑤子の栄光が示されるのは、助教授殺しの真犯人を当てたことに関連する新聞のスクラップ記事を彼女が眺める、わずかな場面だけ。そうではなく、もっと彼女が周囲からチヤホヤされて、幸福の絶頂にいる様子を示した方が絶対にいいはず。
落差を付けることを考えると、瑤子の決して幸せとは言えない私生活の様子を描写するのも、どうかと思う。最初から幸せには見えない人間が不幸になっても、別に驚きは無いのだから。だから、離婚しているという設定も変更した方が良かったかもしれない。もしくは、彼女とホットな関係になっている恋人を登場させるとか。

最後に瑤子の息子が重要な役割を果たすのだが、それにしては、そこまでに息子が登場するシーンは全く無い。息子の顔が写るのは、瑤子が写真を眺める2シーンだけ。だから、最後に息子が出てきても、「お前誰だよ?」ということになる(いや、分かるけどさ)。
最後に息子を登場させるまでに、観客に彼の顔をキッチリと印象付けておく必要があったはずだ。途中、瑤子が息子と会うはずが元ダンナが来てしまうという場面があるが、そこは普通に息子を登場させて、母親とのシーンを作っておくべきだっただろう。

瑤子がインチキなテープに騙され、自分を騙した春名を探す展開になるのかと思ったら、全く違う。中盤からは、開き直って謝罪しないイヤな女が、報道被害の犠牲者にストーキングされるという、どっちを応援していいのか分からない話がメインになる。瑤子には全く罪悪感が無いので、彼女がストーキングに恐怖を感じたとしても、スリルは感じない。
後半に入って、瑤子が「やはり麻生が犯人だ」と考えて行動を開始しても、こっちは付いていけない。前半で、麻生が犯人でないことは明白になっているので、おかしな方向に走り出したとしか思えない。そこから生まれるのは、せいぜい「瑤子が間違った核心で麻生を追い詰めた結果、何が起きるのか」という興味ぐらいだろう。

そんなわけで、ミステリーのように始まる話だが、ミステリーとしては成立していない。肝心の「春名が何者で、なぜ瑤子を騙して麻生を陥れたのか」という謎は、全く解明されないままに終わる。謎を探ろうとする動きさえ無いのだから、当然だろう。原作は未読だが、江戸川乱歩賞を受賞したぐらいだから、ちゃんとミステリーになっているのだろうが。
結局、サスペンスやミステリーを作ろうとする意識より、テレビ業界に関する社会的メッセージを訴えようとする意識が強く出てしまったのではないだろうか。考えてみれば、テレビ業界に疑問を呈する麻生の説明的なセリフが、やたら多かったもんなあ。

 

*ポンコツ映画愛護協会