『ハラスのいた日々』:1989、日本
徳田健次と晶子の夫婦は愛犬のハラスが死んで以来、その思い出に触れることが暗黙の内にタブーとなっていた。近所に住む細川襟子は妊娠中だが、ハラスが徳田家に来たのは彼女が小学生の頃だ。徳田夫妻が初めてハラスと初めて会ったのは7年前、1972年の7月だった。晶子の妹である上村則子が、生後1ヶ月の子犬を貰ってほしいと言い出したのだ。健次は「死ぬのを見るのは辛い」という理由で引き取りに反対するが、晶子は「命ある者は必ず死ぬ」と返した。
則子が車で徳田家を訪れた時、連れて来た子犬は元気が無かった。晶子が食事を差し出しても、子犬は食べようとしなかった。しかし晶子がすき焼きの肉を与えると、子犬は食べた。徳田夫妻は子犬を可愛がり、襟子が来ると抱いてもらった。大学でドイツ文学を教えている健次は、子犬に「ハラス」と命名した。それはドイツで犬に良く着けられる名前で、日本だと「ポチ」のような言葉だ。ドイツ語の発音とは少し違うが、日本語っぽく「ハラス」と呼ぶことにした。
晶子は向かいに住む主婦の菅原から、「夜中にハラスが鳴くので騒がしい。夫が寝られない」と苦情を言われた。その夜もハラスは庭で激しく吠え、晶子は菅原からの電話で文句を言われた。家の中で飼うよう要求された晶子は、そのことを健次に伝えた。健次は「外で飼うようにしつけてきた」と主張し、晶子と意見が対立した。健次は定規を持ち出し、ハラスを何度も叩いて「鳴くんじゃないぞ」と命令する。晶子は「やめて」と泣いて制止し、ハラスを抱き締めた。
健次は晶子から責められ、「女はそれだから子供をダメにするんだ。もう口を挟まないでくれ。これは僕はハラスの問題なんだ」と怒りを示した。晶子は「相手は犬なのよ。もう金輪際、貴方には懐かないから」と感情的になると、その言葉は健次の心に響いた。翌朝、健次が目を覚まして庭へ行くと、ハラスは抱き上げる彼を自然に受け入れた。1年後、健次はハラスと散歩に出掛け、ボールで遊ばせた。彼はハラスの目の輝きを、命の輝きのように感じた。
その頃、大学では学生運動が激化し、授業を満足に行うことも難しくなっていた。梅雨が明けた頃、大学院生で助手の平田秀行が健次の元へ来て、実家の温泉旅館を継ぐことを告げた。結婚相手について徳田夫妻が尋ねると、彼は特文4回生である及川かおりの名前を口にした。かおりは健次から質問を受けると、「私、知ってました。ただ、今すぐ御返事できるような簡単な問題ではないので」と言う。それから1年後、平田は地元の蔵王でかおりと挙式し、徳田夫妻が媒酌人を務めた。同行させたハラスはスキー場で遊び、地元の犬たちと仲良くなった。徳田夫妻とハラスが車で去る時は、平田家の愛犬であるゴンが走って追い掛けて来た。運転する晶子はスピードを上げ、ゴンをトンネル付近で振り切った。
3年後。健次は8月から3ヶ月に渡ってドイツへ行くことになり、ハラスの面倒を見てくれる人間が必要になった。碁会所を営む高崎長助は、姪の山川すみれが犬好きだと言って推薦した。健次が帰宅すると、すみれが大音量で音楽を流して煙草を吸っていた。彼女は上品な生活を送る徳田夫妻とは全く違い、派手な服に身を包んで粗雑に振る舞った。晶子はハラスを預けることに不安を抱くが、健次は「ああ見えて、ウチに馴染もうとしてる」と擁護した。
徳田夫妻はすみれにハラスを任せて、ドイツへ旅立った。夫妻はボン大学に滞在中、家に空き巣が入ったという知らせを聞いた。ケルンに滞在中、風呂の空焚きが原因でボヤを起こしたという知らせを聞いた。健次が家に電話しても全く繋がらないので、襟子の母である優子に電話を掛けた。すると優子は、すみれが大勢の友達を呼んで夜中までバーベキューで大騒ぎしたこと、近所の住人が通報してパトカーが来たことを教えた。
徳田夫妻が予定を1ヶ月は辞めて帰国すると、すみれは佐々木正男という男を連れ込んで2週間前から同棲を開始していた。連絡を受けた高崎が駆け付けて叱責すると、すみれは激しく反発した。健次は正男に、すみれを本気で愛しているのかと問い掛けた。正男が「そこまで本気か考えたことないんだけど」と軽く言うと、すみれは泣いて責めた。正男は「難しいこと分かんねえから」と釈明するが、すみれは腹を立てた。しかし正男が必死でなだめると、すみれは機嫌を直した。
それから5年が経過し、あっという間に健次の50代は過ぎようとしていた。学生が変化して授業が無気力化し、彼は大学を辞めた。ハラスの散歩中に良く見掛けていた老人の樽前敬次郎は、愛犬のアレックスを亡くした。健次は病院で精密検査を受け、主治医の原口から酒と煙草をやめるよう忠告された。しかし健次は「酒までやめて長生きしようとは思わないよ」と言い、従おうとしなかった。ハラスも老化し、日中の大半を日向で過ごすようになった。
そこから2年が過ぎ、徳田夫妻は平田が建てた新しいロッジに招待された。夫妻はハラスが喜ぶのではないかと考え、久々に蔵王を訪れた。しかしハラスは全く喜ぶ様子を見せず、スキー場でも遊ぼうとしなかった。夫妻がカレー屋へ行こうとした時、ハラスは先にドアの外へ出た。車へ赴いた夫妻は、ハラスが来ていないことを知らされた。夫妻は周辺を捜索するが、ハラスは見つからなかった。近所の住人も、捜索に協力してくれた。
別のロッジに泊まっている若いカップルが徳田夫妻を訪ね、ハラスを見たことを伝えた。カップルは夫妻と同じ車に乗っており、ハラスが追い掛けて来たらしい。晶子はハラスがロッジを嫌がって早く家に帰りたがっていたのだと考え、気持ちを理解していなかったことを後悔した。スキー場でハラスを目撃したという証言が入り、徳田夫妻は急いで現場へ向かった。ハラスらしき犬を目にした夫妻が、大声で呼び掛ける。犬は逃げ出すが、すぐにハラスではないことが判明した…。監督は栗山富夫、原作は中野孝次(文藝春秋 刊)、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は名島徹、撮影は安田浩助、美術は横山豊、録音は近藤勲、照明は飯島興一、編集は鶴田益一、ドッグトレーナーは宮忠臣、音楽は池辺晋一郎。
出演は加藤剛、十朱幸代、益岡徹、日下由美、東野英治郎、中田喜子、すまけい、有森也実、相楽晴子、河原崎次郎、石田太郎、杉本哲太、伊東達広、小林哲子、中谷一郎、倉崎青児、北山雅康、高井靖史、木内大介、永野真大、小森英明、篠原靖夫、河田裕幸、増田裕生、山口淳史、吉田隆、佐々江智明、小山優子、玉井美香(叶美香)、マキノ佐代子、吉永みのり、吉田麻乃、小川晃代、光映子、小笠原かや、丸山真穂、宝田絢子、江崎れいな、越智幸紀、中村美代子ら。
ドイツ文学者である中野孝次が愛犬との日々を綴った回想記を基にした作品。
監督は『愛しのチイパッパ』『釣りバカ日誌』の栗山富夫。
脚本は『男はつらいよ』シリーズの山田洋次&朝間義隆が担当している。
健次を加藤剛、晶子を十朱幸代、平田を益岡徹、かおりを日下由美、樽前を東野英治郎、則子を中田喜子、高崎をすまけい、襟子を有森也実、すみれを相楽晴子、優子を小林哲子、原口を中谷一郎が演じている。冒頭から健次の語りが入るが、その時点では大して気にならない。
だが、小学生の襟子とハラスが遊んでいるシーンで「子犬の可愛らしさを何に例えれば良いのだろう。その仕草、姿の一つ一つが、抱き締めてやりたいほどいじらしくて可愛らしく、幾ら眺めても飽きない。ああ、これが生き物というものか。その時、初めて私に、犬を飼うことにして良かったという実感が湧いて来たのであった」という語りが入ると、「なんて野暮なのか」と言いたくなる。
最初は淡々としていた健次が、笑顔で子犬を可愛がるように変化した様子なんて、映像だけで充分に伝わる。
そこに心情を表現する饒舌な語りを入れるのは、過剰な説明でしかないわ。粗筋で書いたように、健次は「ハラスが夜中に鳴いて騒がしい」という苦情を受けると、定規でハラスを何度も叩いて躾けようとする。この行動だけでも、かなり酷いと言わざるを得ない。
そもそも夜中に激しく吠え続けるってのは、ちっともしつけが出来ていないってことだろ。
で、それを何とかするための手段が「定規で何度も殴って言うことを聞かせようとする」って、最低じゃねえか。
それは「1989年という時代だから」という理由で甘受できるような問題じゃないぞ。1989年であろうと、れっきとした暴力であり、虐待だぞ。ところが翌朝のシーンでは、ハラスが怯えることもなく、健次に懐いているんたげよね。だから健次も暴力を反省したり詫びたりすることも無いし、一緒に笑顔で散歩に出掛ける。
そこから「それから一年たって」という文字が入り、1年後に健次がハラスと散歩している様子が描かれる。
何の言及も無いので、どうやら夜中にハラスが激しく吠えることは無くなり、菅原の苦情も無くなったようだ。
こうなると、「暴力によるしつけは正しかった」ってことになっちゃうだろ。それは絶対にダメだろ。しつけのエピソードの後、「それから一年たって」で1年後に切り替わる。平田が大学を辞めると明かした後、「それから一年たって」で結婚式のシーンがある。そこから「それから三年たって」で、すみれが登場するエピソードになる。
そうやって何度も時間を跳躍させる構成は、ハラスが来た日から死までを描く以上、止むを得ないだろう。
ただ、何度も「それから一年たって」と文字を出して繋ぐのは、やり方として不細工だ。
何度も語りを入れるのなら、そういうトコでも語りを利用すれば良かったんじゃないの。平田がかおりの名前を出した時点で結婚が決まっているのかと思ったら、「今すぐ御返事できるような簡単な問題ではないので」ってことになる。
では、そこから結婚に至るまでのドラマが描かれるのかと思ったら、すぐに「それから一年たって」と表示され、挙式の様子が描かれる。
だったら、その手順は全くの無駄でしょ。
そもそも、そのシーンで初めて平田を登場させているのも、どうかと思うし。その前から助手として登場させておけば、もっと活用できただろうに。あとさ、平田が地元へ戻ってかおると結婚するエピソードって、ハラスと何の関係も無いんだよね。
この両名の結婚に、ハラスは何も関与していない。それどころか、ハラスが結婚式に同行するまで、その存在自体を認識していなかっただろうし。
ハラスが地元の犬と遊ぶ様子や、ゴンが追い掛けて来る様子を描いて何とかハラスを絡ませようとしているが、無理矢理だとしか感じないし。
あと、ゴンが走って車を追い掛けて来た時、晶子がスピードを上げて振り切るのは「それでホントにいいのか」と思っちゃうし。すみれはハラスの面倒を見る仕事を引き受けるので、ここはハラスの存在意義があるエピソードと言ってもいいだろう。ただし徳田夫妻はドイツへ行ってしまうので、夫妻とハラスの交流を描くことは出来なくなる。
しかも、すみれは「不良娘っぽいけど実際は真面目にハラスの世話をする」というエピソードになるのかと思ったら、夜中まで仲間を呼んで大騒ぎしたり、男を連れ込んで同棲したりと、問題ばかり起こすんだよね。「ちゃんとやろうとしたけどミスを繰り返す」ってことなら擁護できるが、ちゃんとした問題児なのだ。
でも、すみれは全く反省も謝罪もせず、それなのに健次は全く怒らない。男を勝手に連れ込んでいたことさえ容認し、それどころか「私の心の中で、彼らのまぶしい青春を羨む気持ちが確かにあった」とモノローグを語ってしまう。
いやいや、そんなに甘く許しちゃダメだろうに。下手すりゃハラスや家に何かあったかもしれないんだし。蔵王でハラスが行方不明になっちゃうエピソードは、「完全に自業自得だろ」と呆れてしまう。何しろ、ロープを外した状態でハラスが外へ出たのに、夫妻は全く慌てずノンビリしているからね。
そんで車に赴いてハラスが来ていないと知り、慌てて捜索するんだよね。
それ以前にも屋外で何度もロープを外していたから、今回も大丈夫だと思ったんだろう。
だけど、そもそも屋外でロープを外すことが常態化している時点で、「いつ逃げられても仕方が無い」ってことだからね。この映画における大半のキャラは、「使う時に登場させ、そのエピソードが終わるとお役御免」という扱いだ。
冒頭で妊娠が明かされる襟子にしても、そんなに重要キャラとしては使われていない。小学生の彼女がハラスを可愛がるシーン以降も何度か登場するけど、置物みたいな扱いで、意味のある存在としては使われていない。
すみれと正男にしても、仲直りを描いたらポーンと放り出されてしまう。
この2人はラストで再登場するけど、ほぼ付け足しみたいなモンだ。ずっと背景だった襟子が終盤に入って結婚すると言い出し、「じゃあ、あの人、中学の先生?」と晶子が告げるが、それまでに襟子の交際に触れるシーンは皆無だったので、「中抜きが酷いな」と感じるし。
そこに主眼を置いていないのは分かるけど、冒頭で登場する徳田夫妻とハラス以外の唯一のキャラであり、ハラスと最初に触れる第三者でもあるキャラなんだから、もう少し大事に扱った方が良かったんじゃないの。
最初から最後まで登場する、数少ないキャラでもあるんだし。
この手の映画では「飼い主とペットの絆」と「周囲の人間ドラマ」の両方を描こうとして上手く行かないケースが少なくないけど、本作品もそんな感じだね。(観賞日:2023年12月13日)