『同胞(はらから)』:1975、日本

3月下旬、統一劇場の組織部に所属する河野秀子が岩手県岩手郡松尾村を訪れた。彼女の仕事は劇団の地方公演に備えて、町や村を訪ねて歩くことだ。秀子は松尾村役場へ行き、社教主事の小柳文治から青年団長である斉藤高志の住所を聞いた。バスが来るまで時間があるので、彼女は長い道のりを歩いて斉藤家へ向かった。秀子が一家の母である富美と話していると、牛の出産のために獣医を呼びに行っていた高志が帰宅した。秀子が公演への協力を要請すると、突飛な話なので高志は良く飲み込めなかった。
4月、東京のレストランで働く進が休みを取り、村へ戻って来た。進や小野寺酒店の娘である佳代子、ドライブイン経営者の忠治たちは青年会の理事会に出席し、秀子の持ち込んだ案件について知らされた。高志は進たちに、統一劇場がミュージカル『ふるさと』を青年会で主催してほしいと言っていることを説明した。しかし村の若者たちは、それが何を意味しているのか分からなかった。高志は彼らに、赤字の責任を持てるかどうかだと述べた。
青年会の愛子や健一たちは、出演料として45万円、その他に滞在費など諸々を含めて合計65万円を青年会が支払うことになると説明した。秀子は進たちに、劇団員が生活費として受け取るのは20万円に満たないこと、公演は年間で100日に満たないことを語った。彼女は金儲けが目的ではなく、村の人々に芝居を見てもらいたいのだと話した。理事会が終わると、秀子は終列車に間に合わないので旅館は無いかと高志に尋ねた。佳代子は高志から秀子を泊めてあげるよう持ち掛け、喜んで引き受けた。
青年会の面々は忠治のドライブインへ遊びに行き、秀子も誘われて赴いた。彼女は佳代子たちに、盛岡に小さな家を借りて事務所にしていること、5人の仲間と各地を回っていること、10年前から今の仕事をしていることを語った。帰宅した高志は兄の博志から、百姓を継ぐ気はあるのかと質問された。博志は押し付ける気など無く、嫌なら自分が工場を辞めて百姓になると告げた。高志は「結局は押し付ける気だろう」と反抗的な態度を取り、兄の怒りを買った。博志は父が出稼ぎ先で事故死した後、高志を高校に行かせるために苦労した。3年前に慣れない畑仕事のせいで妻が亡くなり、2人の子供がいるので再婚のための縁談も全て潰れていた。
翌朝、高志が牛の世話をしていると進が現れ、父と喧嘩したので東京へ戻ると言う。彼は「いつまでも百姓やってる時代じゃない。土地を売ってドライブインにすれば、自分がコックとして働く」と語り、父に怒鳴られたのだった。高志は進から佳代子が好きなのかと問われ、激しく動揺しながら「いや、別に」と否定した。公演を巡って臨時の理事会が何度も開かれたが、高志は元気が無い様子の佳代子ばかりが気になった。忠治は冗談めかして「進がいなくなったから元気が無いのか」と言い、佳代子の機嫌を損ねた。
理事会では各人が意見を出すが、なかなか結論がまとまらなかった。高志は何も発言せず、意見を求められると少し考えてさせてほしいと述べた。盛岡へ出掛けた愛子は秀子と遭遇し、「自分は公演をやりたいが、どう進めれはいいか考えると、皆が逃げ腰になる」と語った。高志がどう思っているのかと秀子が尋ねると、彼女は佳代子が東京へ行くと言い出してから元気が無いと話す。好きな人はいるのかと質問した秀子は、愛子の「彼は他の人が好きだから」という言葉を聞いて、その相手が高志だと悟った。
6月、青年会は秀子を理事会に呼び、結論を伝えることにした。青年会は「7月末は仕事が忙しい」「赤字が出た時の責任が取れない」「本当に良い芝居かどうか誰も分からない」という理由で、公演には協力できないという結論を出していた。しかし期待に満ちた秀子の顔を見た高志は本当のことを言い出せず、「3つの問題について皆で討論する」と告げた。夜遅くまで会議は続くが結論は出せず、次の総会まで持ち越しとなった。
高志は終列車に乗り損ねた秀子を泊めてもらうため、その日の理事会に欠席した佳代子の家を訪れた。佳代子は東京へ行く件で父の精一郎と喧嘩になり、母のきぬは不安を漏らした。佳代子は激しく反発し、秀子も両親に逆らって家を飛び出したのだと語った。秀子は彼女に、自分の生き方が間違っているとは思わないが、後悔することも一杯あると話す。佳代子が「だったら、どうすればいいのよ」と泣き出すと、狼狽した秀子と高志は逃げるように立ち去った。
3日後、佳代子は駅まで来た高志に見送られ、東京へ発った。高志は盛岡の店で悪酔いし、秀子に電話を掛けて連絡事務所で泊めてもらう。翌朝に二日酔いで目を覚ました彼は、初めて「秀子の公演に協力したい」と思うようになった。臨時総会の当日、秀子と高志は村中を回り、理事会の面々と話して反対派も賛成の方向に引きずり込んだ。しかし総会が始まると、一般会員から反対の意見が出た。赤字が出た時の責任ついて問われた高志は、自分が牛を売って弁償すると告げた。すると理事会の面々は、自分も金を出すと告げた。採決を取った結果、青年会が公演を主催することが全員一致で決定した。
翌日、高志は小柳から「青年会が大きな仕事を出来るわけがない」と言われ、考え直すよう求められた。博志は高志に怒りをぶつけ、公演が失敗すれば一家も非難されるのだと告げた。高志だけでなく理事の全員が、親や勤め先の上司から責められた。理事たちは公演を宣伝するが、公演まで10日の時点で売れた前売り券は村役場と学校関係の85枚だけだった。焦った高志たちは村の1700区を分け、一軒ずつ担当を決めて回ることにした。
公演の3日前、高志は様子を見に来た秀子から前売り券の売り上げ状況を問われ、850枚が売れたことを伝えた。そこからの3日間、理事の面々は寝る時間を削って準備に奔走した。公演当日の8月2日、統一劇場の面々がバスとトラックで松尾村に到着した。秀子は状況報告を行い、2日前に高志から電話を受けて「公演を中止してほしい」と言われたことを明かす。理由を言わないので秀子は村へ行き、説明を求めた。高志は校長が出張中だったた、会場である体育館の使用許可を教頭から貰っていた。しかし教頭が報告を忘れており、2日前になって校長が許可できないと言い出したのだ…。

原作・監督は山田洋次、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は島津清&名島徹、撮影は高羽哲夫、美術は佐藤公信、録音は中村寛、調音は松本隆司、照明は青木好文、編集は石井厳、音楽は岡田京子、演奏は日本フィルハーモニー交響楽団、ミュージカル『ふるさと』作は石塚克彦、主題歌『ふるさと』唄は倍賞千恵子。
出演は倍賞千恵子、寺尾聰、渥美清、下條正巳、大滝秀治、井川比佐志、三崎千恵子、下條アトム、大滝秀治、井川比佐志、三崎千恵子、下條アトム、杉山とく子、今福正雄、赤塚真人、市毛良枝、土谷亨、河合進、岡本茉莉、笠井一彦、仲恭司、木村賢治、羽生昭彦、戸川美子、原浩、木村晃子、木村祥子、田村勝彦ら。


『故郷』『家族』に続いて山田洋次が手掛けた3部作の最終作。松竹創業80周年記念作品。
実話が基になっており、統一劇場も実在する劇団。ただし、現在はNPO現代座に解消されている。また、当時の統一劇場からは、「ふるさときゃらばん」「希望舞台」という2つの劇団が独立している。主人公のモデルは、統一劇場の結成メンバーで希望舞台に移った玉井徳子。
秀子を倍賞千恵子、高志を寺尾聰、小柳を下條正巳、中学校の校長を大滝秀治、博志を井川比佐志、きぬを三崎千恵子、進を下條アトム、富美を杉山とく子、精一郎を今福正雄、忠治を赤塚真人、佳代子を市毛良枝、愛子を岡本茉莉が演じている。
消防団の団長役で、渥美清が出演している。

序盤で描かれる理事会のシーンには、大いに引っ掛かる。
参加者は当初、「青年会でミュージカルを主催する」という意味を理解できていない。「公演を65万円で買い取る」という意味だと知ると、戸惑いを見せて黙り込む。
その時点では、明らかに全員が消極的だ。しかし秀子の話を聞いた途端、何も反論せずに引き受ける流れになっている。
だけど秀子の言葉に納得できる力があるとは思えないのよ。
むしろ、なんでお願いする立場なのに、ちょっと偉そうなのかと言いたくなるのよ。

根本的な問題として、村や青年会が「ミュージカルを上演したい」と思っていたわけではない。統一劇場に対して、オファーを出したわけではない。向こうが勝手に来て、勝手に「ここでミュージカルを上演したい」と言い出して、「だから青年会で金を出してくれ」と要求しているわけで。
それなのに、妙に押し付けがましくて、何となく「公演を買い取るのが普通の決断だ。断るのは間違っている」ぐらいのスタンスを感じるのよね。
青年会は単に金を出すだけじゃなくて、宣伝やチケット販売などの活動も担当しなきゃいけない。赤字が出た場合、それを補填しなきゃいけないからだ。
色んな仕事を押し付けているのに、なんで秀子は低姿勢じゃないのかと。

青年会は公演に協力できないという結論を伝えるため、大雨が降る中で秀子を村に呼ぶ。
だけど、そんなの電話や手紙でも伝えられるだろ。わざわざ村まで来てもらわなきゃいけない理由が見当たらない。
っていうか、最初に秀子が来た時には、最終的に前向きな態度を見せていたはずで。そこから臨時の理事会を重ねて「協力しない」という結論に至るのが、流れとして上手く描けていない。
話し合いの中で、皆が次第に逃げ腰になっていく様子をキッチリと描かず、おざなりにしているのだ。
そんなことよりも、「高志は佳代子が気になっている」ということを重視しているわけでね。

秀子は東京へ行きたがる佳代子が後押しを求めるような言葉を口にした時、「自分も同じように両親に逆らって家を出たけど後悔も多い」と話す。そして佳代子が「どうすりゃいいのか」と泣き出すと、その場から逃げ出す。
それは無責任じゃないかと。
そりゃあ決めるのは佳代子だし、彼女の人生に関して秀子が責任を取ることなんて何も無いのよ。
ただ、自分は両親に逆らって家を飛び出しておいて、佳代子には思い留まるよう諭すような言葉を吐き、それで相手が泣いたら何もフォローせず逃げ出すってのは、ダメなんじゃないかと。

臨時総会の席でも、やっぱり秀子には「相手に金を出して協力してもらう立場」という意識が全く感じられない。「統一劇場は素晴らしいことをやっているのだから、みんなは協力するべきだ」みたいな感覚にしか見えない。
彼女は理事会の時と同じく「金儲けが目的じゃなく、村民に芝居を見てもらいたいのだ」と説明するけど、リスクを負ってまで青年会が金を出すことの意義やメリットを全くアピールできていないんだよね。
一方、青年会サイドは高志が「河野さんを信じる」と言い、賛成派からは「失敗をおそれてやらないより、やって失敗した方がいい」という意見が出るけど、そういう情熱だけで物事を進めるのは危険だと思うのよ。
芝居の中身を度外視しているけど、もし面白くない芝居だったら、それは高い金を出して買い取らない方がいいでしょ。

高志たちがチケットが全く売れずに焦りを覚え、一軒ずつ回り始めるシーンがある。だけど、全く応援する気にならない。
その理由は簡単で、理事の誰一人として「ミュージカルは素晴らしい」「統一劇場の芝居は面白い」という気持ちで売り込んでいるわけじゃないのだ。
それは言ってみれば、使ったことが無くて切れ味を知らない状態で、包丁を客に売り付けようとするようなモンなのよ。そういうのって、中身が無い情熱じゃないのか。
あと、周囲が理事を責める様子は、高志が小柳と兄から少し苦言を呈される程度だし、それが公演の障害に繋がることは無い。芳しくなかったはずのチケット販売も、あっさりと850枚に達している。なので、大して苦労したようには見えない。
そういうこともあって、余計に「なんだかなあ」と思っちゃうわ。

公演当日に統一劇場の面々が芝居の準備を済ませた後、秀子が状況を報告するシーンがある。
ここで秀子は松尾村について詳しく説明するが、そんなデータを今さら教えられても「それが何なのか」としか感じない。
その後、秀子は今までの理事会や臨時総会についても詳しく説明するが、観客からすると「既に見て来た内容」なので、無駄な二度手間でしかない。
その後でようやく「実は2日前に公演中止の危機があった」と明かすが、そこだけで事足りる。

っていうか、その「公演中止の危機」を振り返る形で描くのも、いかがなものかと。
そこは普通に、時系列準で描いた方が良くないか。
だってさ、秀子が「実は危機があった」と語る時点で、それは「既に解決した問題」になっているわけで。無事に芝居が出来ることは確定しているわけで。
だから回想シーンで高志たちが深刻そうな様子を見せても、思い悩んでいる様子を見せても、観客の不安を煽るようなことは何も無いのよね。

終盤に『ふるさと』の上演シーンが断片的に描かれ、そこで「統一劇場はどんな芝居をやっているのか」ってのが伝わるようになっている。
だけど正直に言って、そういうのって「今さら見れせられてもなあ」って感じなのよ。ぶっちゃけ、「青年団が公演を主催すると決め、全員で協力して成功のために奔走する。そして当日、大勢の観客が会場に集まる」という流れさえ描けば、ほぼ目的は達成されているのよ。
「そこで青年団が達成感や充実感を得ました」ってことでいいんじゃないかと。芝居の中身なんか見せなくても、「芝居が終わって観客が笑顔で拍手している」という様子だけ描けば充分なんじゃないかと。
芝居の内容と村民の生活を重ね合わせようとする意識は伺えるが、それを考慮してもなお、「長いなあ」と感じて蛇足みたいになっちゃってるし。

(観賞日:2025年6月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会