『花園の迷宮』:1988、日本
昭和10年代の横浜。本牧にある廓ホテル“福寿楼”は、戦時体制下でありながら洋風文化を保った娼館である。廓のオーナーは秋本市太郎だが、実際に仕切っているのは妻の多恵である。そんな福寿楼に、若狭から美津とふみという2人の若い娘が身売りされてきた。
美津とふみは、小間使いとして働き始めた。ある日、海へ残飯を捨てに行ったふみは、福寿楼で働く職人が海中に死体となって沈んでいるのを発見する。同じ頃、多恵は秋本が殺害されているのを発見した。さらに美津が、釜炊き夫の荘介が腹を刺されて苦しんでいるのを発見する。
多恵は警察に犯人として疑われるが、職人が秋本を殺して金を奪い、それを目撃して自分が刺されたと荘介が証言し、多恵は釈放される。しかし、カナダから帰国した秋本の姉・キクは、多恵が荘介に秋本を殺させたと疑っていた。
美津は客を取らされることになったが、激しく抵抗する。しかし、キクが彼女を押さえ付け、客に強引に肉体を奪わせる。キクは多恵を追い出してホテルの実験を握ろうとするが、殺されてしまう。美津が投身自殺をしたため、警察は彼女が恨んでいたキクを殺して自殺したと考えるのだが…。監督は伊藤俊也、原作は山崎洋子、脚本は松田寛夫、企画は日下部五朗、プロデューサーは本田達夫&中山正久、撮影は木村大作、編集は市田勇、録音は芝氏章、照明は増田悦章、美術は西岡善信、装置は梶谷信男&井筒恒雄、装飾は渡辺源三&中小路認&西條正人、衣裳は森護&山本光延&片山郁江、音楽は池辺晋一郎、唄はマーサ三宅。
主演は島田陽子、共演は名高達郎、黒木瞳、工藤夕貴、野村真美、内田裕也、江波杏子、白木万理、菅貫太郎、中尾彬、寺田農、伊武雅刀、辻沢杏子、伊織祐未、朝比奈順子、斎藤厚子、西田健、園田裕久、中島葵、小島三児、粟津號ら。
第32回江戸川乱歩賞を受賞した山崎洋子の小説を映画化。退廃的でどこか下劣さを感じさせるエロティシズムを、伊藤俊也監督は追及しているように感じられる。長回しを多用した木村大作のカメラワークが、妖艶で残酷な迷宮を映し出す。
レトロ感覚に満ち溢れた豪華セットには、総工費1億2500万円が費やされている。高さ15メートルを超える吹き抜け、大シャンデリア、ステンドグラスなど、見事に装飾された福寿楼は、撮影のために2か月を掛けて東映京都撮影所に建てられたものである。
サディスティックなシーンが多く見られる。島田陽子の顔を中尾彬が足で踏み付け、腹を蹴り飛ばす場面。伊武雅刀らに島田陽子が痛め付けられ、爪の間にペンを突き刺され、倒れたところを頭からバケツの水を浴びせられる場面などなど。
謎を解いていく面白さは全く無い。
全ての謎は登場人物の台詞によって説明される。
事件を調査するような場面は無い。
その代わりに、娼婦達が軍事訓練をする場面や、工藤夕貴が道に落ちていた硬貨を足で拾い上げる場面など、何の効果があるのか分からない場面が描かれる。サスペンスとしての魅力はゼロである。
人物描写は浅く、緊張感は低く、ストーリーは薄い。
伊藤俊也監督は『女囚701号・さそり』で原作の影も形も無いカルトな世界を作り上げているが、今作品ではそこまで突き抜けた異常な世界観は作り出せていない。「シング・シング・シング」に合わせて黒木瞳が踊る場面とか、炎の前で裸になった島田陽子が内田裕也に向かって「来な、抱いてやるよ!」と叫ぶ場面など、それなりに印象に残るシーンは、無いわけではない(あくまでも、それなりだが)。
しかし、外枠は豪華だが、中身がショボショボな作品である。