『花と蛇』:2004、日本

政財界を影で牛耳って来た田代一平は老齢となり、病床にあった。そんな彼はテレビに出ていた女に目を奪われ、子飼いの森田幹造を呼んで「あれは誰だ」と尋ねる。それは遠山ビルディング社長・遠山隆義の妻で、世界的ダンサーでもある静子だった。静子は1993年度全日本ダンス競技会に出場して優勝した際、特別審査員だった隆義と出会い、後に結婚した。静子が朝からうなされて目を覚ましたため、心配した隆義はスケジュールがハードすぎるのではないかと意見した。
隆義は静子の新しいマネージャー兼ボディーガードとして、自分が使っている山崎探偵事務所から警察官出身の人材を派遣してもらうことにする。出勤した隆義の元を、懇意にしている代議士の富元が訪ねてきた。富元は「森田興行の社長だ」と言い、森田幹造を紹介する。森田は田代の代理であることを語り、入手した映像を見せる。そこには、隆義が富元に多額の賄賂を渡す様子が写っていた。1億円の損失を出して解雇された遠山ビルディングの元財務担当重役・川田一夫が逆恨みし、盗撮していたのだ。
出演予定のディナーショーへ向かっていた静子は、駐車場で見知らぬ男たちに襲われ、車に連れ込まれそうになる。そこへマネージャー兼ボディーガードの野島京子が駆け付け、彼女を救った。一方、金を払って解決しようとする隆義に、森田は静子の貸し出しを要求した。森田たちがヤクザだと突き止めた隆義の秘書・江口亮が部屋に飛び込み、「警察を呼びましょう」と促す。だが、隆義は警察を呼ぶことを拒否した。森田は本性を現し、「ガキの使いじゃねえんだ」と隆義に凄んだ。
森田と子分たちが去った後、山崎が来て田代の調査結果を報告する。田代は太平洋戦争中に満州の特務機関と結託して富を得たという噂のある男で、もう95歳を過ぎていた。相手が95歳だと知った静子は、大したことなど出来ないと考え、隆義の提案を承諾することにした。帰宅した隆義は、静子に「政財界のセレブが招待される仮面舞踏会へ行こう」と持ち掛ける。隆義は喜んだ静子とセックスするが、彼女を感じさせることが出来ない自分に情けなさを感じた。
静子は隆義に、「これからは仕事をセーブして、貴方に尽くすことに決めたの。貴方が家でリラックスできるようになったら、きっと回復すると思う」と優しく告げる。それを聞いた隆義は、「明日の舞踏会、やはり止めよう」と言い出す。しかし隆義から電話で「富元代議士が首を吊って自殺しましたよ」と暗に脅すようなことを言われ、「やはり行こうか」と静子に告げた。何も知らずに会場へ赴いた静子は、隆義と一緒に楽しく踊った。そこへ隆義と子分たちが現れて隆義を捕まえ、川田が静子をスタンガンで失神させた。
隆義は静子を車に乗せ、円形コロシアムへ連行した。静子が意識を取り戻すと、目の前で逆さ吊りの女が折檻されて殺され、それを黒覆面の観客たちが見物していた。静子はステージに連行され、仮装した男が進行役として登場した。進行役は静子にドレスを脱ぐよう要求し、「言うことを聞かないと運転手が死ぬよ」と言う。そこへ捕まった江口が連行され、激しく殴られる。「この女のように殺しちやってもOKですか」と進行役が言い、江口を殺そうとするので、静子は仕方なく脱ぐことを承諾した。
服を脱いだ静子が座り込んでいると、進行役が「立って全てを晒すのです」と立たせようとする。静子が必死に抵抗していると、江口が「いいから言うこと聞け、見せればいいんだよ」と怒鳴って背後から彼女を羽交い絞めにする。「何なのよ」と静子が口にすると、彼は「社長に聞けよ。こいつらに脅されてるんだよ」と教える。そこへ川田が来て静子の体をまさぐるが、彼は勃起しなかった。ステージの様子は監視カメラで撮影されており、別の部屋にいる田代が森田を伴って見物していた。
反抗的な態度を取った江口は殺され、怯える静子に川田は「言うとおりにしなきゃ、この地獄からは戻れねえんだよ」と吐き捨てた。一方、自宅のベッドで隆義が意識を取り戻すと、傍らには仮面が置かれていた。静子を捜しに行こうとした京子は森田組の連中に襲われ、スタンガンで失神させられた。意識を取り戻すと、彼女はステージで拘束されていた。目の前では、ふんどし姿でギャグを装着された静子が縛られていた。仮装の男は京子に向かって、「静子夫人は不感症で非協力的。不感症の夫人を責めても面白くない。飼っておく必要が無くなれば始末するだけなんだ。全ては君に懸かっているんだよ」と語った。
静子は大量の利尿剤を口に注ぎ込まれ、進行役に「貴方が協力しなければ、京子は辱めを受けることになる」と脅される。調教師の鬼源が登場し、京子をローターで責め始める。静子がなかなか排尿しないと見るや、鬼源は京子の服を剥いで責めた。さらに鬼源は京子を縛って吊るし、ローターで責める。進行役は静子に向かい、「京子ちゃんを助けてられるのは、貴方しかいないんだよ」と告げる。静子は苦悶の表情でうなずき、ギャグを外されて排尿した。
ショーを終えた静子と京子はボンデージ姿にされ、別の部屋でレズビアン行為を強要される。京子は隙を見て見張りの男たちを倒し、静子を連れて脱出しようとする。だが、それは罠だった。一味は京子を撃って負傷させ、ステージで殺人ショーの餌食にしようとする。静子は慌てて進行役に土下座し、「殺さないで、何でもします」と懇願した。花魁姿にされた静子は鬼源によって縄で縛られ、責めを受ける。しかし森田は、まだ静子には誰にも見せていない顔があり、それを田代が待ち望んでいることを察していた。そこで彼は最後の手として、隆義を円形コロシアムへ連れて来る…。

脚本 監督は石井隆、原作は団鬼六「花と蛇」幻冬舎刊、企画は石井隆&松田仁、プロデューサーは清水一夫、撮影は佐藤和人&小松高志&柳田裕男、照明は安河内央之、美術は山崎輝&高橋俊秋&鈴木隆之&宮原啓輔、録音は北村峰晴、編集は村山勇二、緊縛指導は有末剛、SMアドバイザーは早乙女宏美、音楽は安川午朗、音楽プロデューサーは石川光。
出演は杉本彩、石橋蓮司、遠藤憲一、野村宏伸、未向(みさき)、伊藤洋三郎、山口祥行、中山俊、寺島進、飯島大介、有末剛、小林滋央(現・小林成男)、松田直樹、八下田智生、卯月妙子、川原京、ブレイク クロフォード、ミスターブッタマン、角掛留造、清水一哉、石井紀行、宮田博一、北原裕次、橋本一輝、冨田昌則、中村覚司、氏原祐介、牧田雄一、小松聡二郎、金子正寿、池田雅一、秋水政之、佐藤幹、市山秀貴、鈴木祐二、サドゥ兵庫ら。


団鬼六のSM小説『花と蛇』を基にした作品。
監督&脚本は『ヌードの夜』『GONIN』の石井隆。
原作シリーズは、かつて耽美館や桃園書房など複数の出版社から発売されていたが、それらは絶版となっており、この映画では団鬼六が改訂した幻冬舎版が原作としてクレジットされている。
静子を杉本彩、田代を石橋蓮司、森田を遠藤憲一、隆義を野村宏伸、京子を未向(みさき)、コロシアムの進行役を伊藤洋三郎、江口を山口祥行、川田を中山俊、山崎を寺島進、富元を飯島大介、鬼源を本作品の緊縛指導も担当した有末剛が演じている。

これまで団鬼六の『花と蛇』を原作とする映画はヤマベプロで4本、日活で5本が制作されている。
その中でもズバ抜けて有名なのは、1974年に小沼勝監督が撮った『花と蛇』だろう。
それまで所属先であるヤマベプロを始めとする独立系プロダクションのピンク映画に出演していた谷ナオミが、初めて日活ロマンポルノに主演した作品でもある。
その後、谷ナオミは日活ロマンポルノに何本も出演し、SM映画の女王として一時代を築くことになる。

1974年版の『花と蛇』以降、日活はSM映画をシリーズ化して製作していくことになる。
ただし、この映画は原作ファンからは不評であり、団鬼六も出来上がりの悪さに激怒し、次の作品では原作の映画化を許可しなかった。
しかし原作者や原作ファンからの評価はともかく、認知度はかなり高いものがある。
だから、その『花と蛇』を再び映画化するってのは、商業的な戦略としては悪くない考え方だろう。

杉本彩は、「中途半端なことをやったらダメだ」と強い決意があったのか、脱ぎまくっているだけでなく、縛られ、吊るされ、ギャグ(口枷)を装着され、イルリガードルを使って液体を飲まされ、排尿シーンやら強姦シーンやらを演じている。
この映画が団鬼六の小説の映画化ではなく、『花と蛇』というタイトルではなく、何の関係も無いエログロ映画として作られていたら、その評価は大きく違っていたかもしれない。
しかし『花と蛇』の映画化である以上、厳しく評価せざるを得ない。

まずキャラクター設定が『花と蛇』とは大きく異なっている。
原作の静子は、貞淑な和装の夫人である。
ところが本作品では、杉本彩に合わせてヒロインの設定を大きく変更しており、「世界的タンゴ・ダンサーである活動的な女」になっている。
つまり、「おとしやかで上品な夫人が辱めを受ける」という話が「華やかな世界の住人だった女がプライドをズタズタにされる」という話に変更されているのだ。
その段階で、もはや原型を全く留めてない。
『臭作』で例えるなら、水無月志保と前島香織ぐらい大きく異なっている(その例えが通じる相手は少ないと思うぞ)。

そもそも原作の静子は26歳で、夫の隆義は53歳で妻と死別し、1年前に静子と再婚したという設定になっているので、そこからして大きく違う。
それを考えると、そもそも年齢的に無理のある杉本彩で『花と蛇』をやろうという時点で間違いなのだ。
杉本彩が26歳に見えるならともかく、そういうわけでもないしね。
ちなみに谷ナオミは『花と蛇』に主演した当時、静子とほぼ同年齢の25歳だった。

また、団鬼六作品の映画化である以上、そこには「ヒロインの羞恥心」が必須要素になる。
ところが、この映画の静子は、羞恥心を全く見せていない。だからって、強い態度で頑なに拒否し、必死に抵抗しているのかというと、そういう描写も無い。
そもそも、責められているシーンにおける彼女は苦悶しているだけで、その表情や心情は見えて来ない。ずっとギャグを装着されているので、何も喋ることが出来ないし。
だから進行役が何か要求をしても、それに対する静子の返答は全く分からない。
同じように苦悶の表情を浮かべているだけだから、脅しに対して抵抗しているのか、何も考えられないのか、どういう状態なのかサッパリ分からない。
うなずく場面が到来して、「ああ、今までは拒否していたのね」と、ようやく分かる次第だ。

また、団鬼六作品における責め役は基本的に、女を鞭で打ったり、平手で尻をスパンキングしたりするような行為は取らない。鞭打ちやスパンキングはSMプレイに含まれる行為なのだが、団鬼六作品では女を殴ることを避けている。
その代わりというわけではないが、言葉による責めが重視されている。肉体的な責めだけでなく、言葉を浴びせることで精神的に攻撃し、女を辱めようとするのだ。
だが、この映画では、言葉責めが全く重視されていない。
あと、コロシアムでは殺人ショーも行われている設定だが、それはSMプレイから大きく逸脱してしまっている。
SMプレイの延長線上に、人殺しは存在しない。

ここまでは「団鬼六作品の映画化、『花と蛇』の映画化としてはアプローチに問題がある」という視点から批評を書いてきたが、そういう部分を除外して、この映画だけを捉えても、やはり不満は大きい。
最もダメなのは、「ヒロインが最後まで堕ちない」ということだ。
この映画における静子は、どれだけ責められても、決して快楽を感じることが無い。
京子を人質に取られて「何でもする」と言った後は、抵抗する様子を全く見せないが、それは観念しただけであって、Mに目覚めたわけではない。
彼女が「Mとしての悦び」に目覚めることの無いまま、映画は終わってしまうのだ。

でもね、そうなると、ここで行われている行為は、「SMプレイ」じゃなくなってしまうのよ。
SMってのはSが一方的に責めているだけじゃなくて、責められる側が性的な悦びを感じてこそ成立するものなのよ。
「男が女を殴ったり甚振ったりして喜びを抱いているけど、それを受けている女は全力で嫌がっている」という関係は、SMではない。
それは単なる性的暴力に過ぎない。
「SMプレイ」と「性的暴力」は、まるで別物だからね。

だから、これをSM映画とするならば、ヒロインは「最初は責められることを嫌がっていたが、次第に快楽を感じるようになってしまう。そんな自分に恥ずかしさを感じ、快楽への抵抗を試みるが、とうとう負けてしまい、すっかりMに目覚めてしまう」という変化を見せるべきなのだ。
それなのに、静子はMに目覚めないままで、羞恥心じゃなくて男への復讐心を抱く。
静子が貞淑な夫人じゃなく高慢な女であっても、最終的にMに目覚めてくれればSM映画としては成立しただろう。
しかし、それすらも放棄しているのだ。

石井隆って、かつてはSM雑誌でイラストを描いていたこともある人だから、SMに対する理解度は高いはずなんだよな。
だから、その気になれば、SM映画を撮ることも出来たんじゃないかと思う。
でも結局のところ、石井監督は自分にとっての永遠のテーマを、本作品でも描こうとしているんだよね。
ヒロインと旦那の役名は違うけど、ようするに名美と村木の物語なんだよな、石井監督にとっては。
そりゃあ、『花と蛇』の映画化どころか、SM映画になろうはずもない。

まあ、考えてみれば、男女の物語を石井監督に任せたら「名美と村木」になるのは容易に想像できるわけで、彼にオファーした段階で間違いだよな。
ただし、杉本彩が石井監督にオファーしたそうだから、彼女の狙い通りの仕上がりにはなっているんだろう。
ってことは、杉本彩も、最初からSM映画を作ろうとは思っていなかったんだろうなあ。
とどのつまり、「団鬼六」や『花と蛇』っていう看板は上手く利用されただけってことだね。
ワシはそうじゃないけど、団鬼六の熱烈なファンからすると、腹立たしい映画だろうなあ。

あと、ある意味では杉本彩のスター映画であり、彼女だけを目立たせるように作っているから仕方が無いんだけど、京子の扱いがすげえ中途半端だよなあ。
彼女への責めも中途半端でストップしているし、最終的に彼女はどうなったのか分からないまま、放置されて終わっているし。
個人的には、今一つキャラの分かりにくい静子より、「タフガイで反抗的」という分かりやすいキャラになっている京子の方が、「責められて陥落する」という姿を見てみたいと思ったけどね。

(観賞日:2012年9月1日)


第1回(2004年度)蛇いちご賞

・女優賞:杉本彩

 

*ポンコツ映画愛護協会