『花と蛇2 パリ/静子』:2005、日本
美術評論家の遠山隆義は大物画家である及川清輝の取材に訪れ、自分の妻である静子の緊縛画を見せられた。実際に縛ってモデルにしたわけではなく想像で描かれた絵だが、隆義は「スーパーリアルだ」と感心した。「あそこも生き写しかね?」と問い掛けられた隆義は、「いえ、こんなにリアルに見たことは」と告げる。及川は「馬鹿な奴だな、勿体無い。毎晩、喜ばせてあげてるのか」と訊かれると彼は苦笑し、「無理ですよ、この年じゃ」と述べた。
隆義が「静子は見た目は派手ですが奥手な子で、第一、SMという言葉を知らないんじゃ」と言うと、「知らぬは亭主ばかりなりってね。内に秘めた物は相当だと、僕は見たね。あれこそファム・ファタールだよ」と及川は告げる。隆義が「それにしても、静子がこういう顔をするんですかね」と口にすると、及川は「会う度に盗み撮りしてたのを気付かなかったのかね。前後左右、何パターンか写真を撮れば、憧れの君の油絵が簡単に描ける」と語った。
発表しないのかと隆義に問われた及川は、「こんなの出したら、画壇がぶっ飛ぶよ」と言う。すると隆義は、パリのブラック・マーケットなら数億は下らないだろうと告げる。そこは会員制で、入るには合言葉が必要な場所だ。及川は「私が死んだら、そこで売るんだな」と軽く告げた。及川は「最近、急に、やり残したことが気になってねえ」と言い、「君もそろそろ、そういう年だろう。やり残したことは無いのか。君のようなインテリが、教養が邪魔してやれなかったことを思う存分やってから死ぬことだな」と述べた。
及川が死去し、隆義は経営する画廊で彼を偲ぶ会を開いた。彼は及川の妻から、「BLACK MARKET」と書かれたDVDを遺品として渡される。そこには静子をモデルにした春画のデータが入っていた。書斎に静子が来ると、隆義は資料の書き写しを手伝ってほしいと頼んで一冊の雑誌を渡す。それは『奇譚サロン』という昔の風俗雑誌だった。縛られたり磔にされたりした女性の写真を見た静子は、想像を膨らませた。文章を読んだ彼女は、自分が処刑人に犯される妄想を膨らませた。
隆義は静子に、生前の及川が世に出したいと考えていた池上亮輔という画家のことを話す。彼は芸大の学生の頃に及川を罵倒し、学校を追われてパリへ逃げていた。そのことを及川は気にしており、隆義に頼んで池上に仕送りを続けていた。しかし池上は一枚も絵を描かず、堕落した生活を送っていた。隆義は静子に、「池上の元へ行って新鮮な目で見てもらいたい。このまま彼を育てるべきか。捨てるべきか。それには僕が行くんじゃなくて、君の判断が必要だ」と告げた。
静子はパリへ行き、池上の住むアパルトマンを訪れた。池上は妹の小夜子をヌードモデルにした絵を描いていたが、まるで満足できずに怒鳴り散らしていた。池上は激しく喚き、絵を切り裂いていた。小夜子は静子を見ると、「お兄ちゃん、やめてね」と忠告して部屋を後にした。池上が一枚も描かず飲んだくれている様子を見て、静子は及川を援助を無駄にしていることを批判した。すると池上は苛立った様子で、「この10年、なぜ描かなかったか分かるか。10年前に否定されたまま止まってるんだよ」と告げた。
池上は「描きたくなって来たよ、脱げよ」と言い、静子をベッドに突き倒した。静子は激しく抵抗して池上を突き飛ばし、「明日までに一枚でも描いて。それで判断するから」と告げる。池上が「金が要るんだ。デジカメとプリンターが欲しい。絵を描く。この手で一瞬の何かをカメラに写し取って、それを見て一瞬の何かを書き写す」と言うと、静子は「主人に聞いてみる」と告げて部屋を去った。隆義と電話で話した静子は、池上の絵が完成するのを待ってから帰国すると述べた。
翌日、静子がデジカメとプリンターをアパルトマンへ持って行くと、池上は「貴方を描きたい」と写真を撮り始めた。さらに彼は、服を脱ぐよう指示した。静子が困惑すると、彼は「貴方なら描けそうな気がするんだよ」と言う。静子が拒んでいると、池上は隆義の意向だと明かす。2年前、画壇を引っ繰り返すような悪魔的な絵を描いてみないか、ポルノでもSMでもタブーに挑戦してみないかと提案されたと、彼は語った。今までは全く描けなかったが、静子を見て描けそうな気がしてきたのだと池上は言う。
静子が全裸になってポーズを取ると、池上は縛らせてほしいと頼んだ。静子は同意し、緊縛状態でモデルになった。池上は静子の体を弄び、全て受け入れる彼女とセックスを始めようとする。しかし携帯が鳴ったので、仕方なく挿入を諦めた。彼は携帯を取り、「分かってるよ。絵の通りやればいいんだろ」と腹立たしそうに告げた。池上は静子に着物を与え、それを着るよう指示した。屋上で写真を撮っていた池上は、「もういい。充分撮った」と告げる。彼は静子に、「月夜に揺らいでみて。ブッツァーティーの絵のように」と言う。静子は微笑を浮かべ、彼の前で踊ってみせた。
静子が「1ヶ月。主人を説得して待つわよ」と言うと、池上は2日で完成させると告げた。約束通り、彼は静子の緊縛画を完成させる。それを見た静子は感動し、携帯電話で撮影した。「貴方には才能がある。遠山が見抜いたんだから本物よ」と彼女が言うと、池上は「才能なんか無くても、世渡りが上手い奴ほど絵が売れる」と告げる。静子が「自信持って」と励ますと、池上は彼女にキスをした。静子は彼を受け入れ、激しいセックスをした。
静子は池上から、絵をブラック・マーケットのオークションに掛けて価値を試してみたいと提案される。そこに電話が掛かって来ると、池上は「俺、出来ないよ」と告げた。電話を切った直後、小夜子が部屋にやって来た。彼女は「いつからポルノ絵になったの?こんな絵を描くために今まで辛い思いして来たの?」と言い、池上に冷たい視線を向ける。小夜子は「小夜子を描いて。縛りたいなら縛ってもいい」と告げ、服を脱いだ。静子は「連絡する」と池上に告げ、部屋を去った。「あの女で頭が一杯なのね」と妹に言われた池上は、「パトロンの奥さんなんだよ。サービスなんだ」と話す。部屋の外で密かに盗み聞きしていた静子は、ショックを受けた。
次の日、小夜子は静子と会い、ブラックマーケットに絵を出品するよう持ち掛ける。勤めている高級日本クラブのオーナーがパリの古い城を所有しており、兄のことを相談すると絵を持って来るよう言われたのだと彼女は話す。静子は「どこで売るかはお2人が決めることですから」と告げ、自分は予定通りに帰国しようとする。しかし小夜子が「オークションに入れるのは画商かバイヤーが持ち込んだ絵だけなの。妹が行っても、お城にも入れてくれない。兄のためになんて言いながら、危険な所だからって行こうとしないんだ」と話すので、その夜のオークションに静子は出向いた。
静子と小夜子が城に入ると、玄関の扉が閉じられた。2人は仮面を装着させられ、奥の部屋へと案内された。すると室内では貴子という女が全裸で磔にされ、オークションに掛けられていた。貴子がバリカンで陰毛を剃られると、一人の男が5000万で落札した。仮面で顔を隠した男たちの中に隆義が紛れていることを、静子は全く知らなかった。女が運び去られた後、舞台にはオークションの司祭が登場した。彼はスペシャル・オークションとして、10点の春画を披露した。作者名は伏せられたが、それは及川の描いた静子の絵だった。
出品された絵が池上の作品と酷似していたので、静子は驚愕した。池上が隆義の指示で及川の作品を模倣したので、似ているのは当然のことだった。しかし何も知らない静子は持参した池上の絵を掲げ、出品されているのが贋作だと主張した。すると司祭は、出品者から預かった手紙を読む。そこには「真贋の鑑定のため、万が一に備えてモデルの女性を会場に招待しております。彼女の了解の下、絵の構図を再現して頂き、絵と実物を検討して頂きたい」と書かれていた。静子は舞台に上がり、司祭に股間を調べられる。しかしホクロが描写されていなかったことで池上の絵が贋作と判定され、静子は出品された全ての絵を実際に再現させられる…。監督・脚本は石井隆、原作は団鬼六 『花と蛇』太田出版刊、企画は石井徹&松田仁、プロデューサーは新津岳人、撮影は柳田裕男&小松高志、照明は市川徳充、特撮は平山茂、美術は山崎輝、録音は北村峰晴、編集は村山勇二、疑闘は秋永政之、衣裳は高畠裕介、緊縛指導は有末剛、CG絵画協力は鏡堂みやび「剥き海老ころがしの図」「ぶっちがいの図」、助監督は阿知波孝&日暮英典&橋本尚孝、音楽は安川午朗、音楽プロデューサーは石川光。
出演は杉本彩、宍戸錠、遠藤憲一、不二子、伊藤洋三郎、荒井美恵子、品川徹、山口祥行、中山俊、飯島大介、クラッシャー高橋、AKIRA、狩野千秋、愛葉るび、今田茂、明石きぶし他。
団鬼六のSM小説を基にした2004年の映画『花と蛇』の続編。ただし物語としての繋がりは全く無い。
杉本彩は前作と同じ遠山静子という女性を演じているが、前作とは別のキャラクターとして捉えるべきだろう。それは夫の遠山隆義に関しても同じことが言える。前作では同名の夫を野村宏伸が演じていたが、職業は実業家だった。今回の宍戸錠が演じる隆義は美術評論家だ。
池上を演じる遠藤憲一、司祭役の伊藤洋三郎、宅配業者役の山口祥行、墨田役の中山俊、インタビュアー役の飯島大介は前作からの続投だが、演じる役柄は異なっている。
他に、小夜子を不二子、貴子を荒井美恵子、及川を品川徹が演じている。
監督・脚本は前作に引き続いて石井隆。導入部で、隆義は及川から静子の緊縛画を見せられ、「内に秘めた物は相当だと、僕は見たね」などと言われている。さらに、「そろそろ、そういう年だろう。やり残したことは無いのか。君のようなインテリが、教養が邪魔してやれなかったことを思う存分やってから死ぬことだな」と聞かされている。
それはネタ振りとしては、キッチリとしたモノになっている。
そこから「教養が邪魔して今まで出来なかったけど実はSMへの関心があり、静子を調教したいという願望を叶えようとする」という展開に結び付ければ、『花と蛇』としても、SM映画としても、スムーズな流れと言える。
だが、そこから隆義がSMプレイの願望を実現しようとする展開など用意されていない。パリを舞台にしているのも大間違いだし、なぜパリなのかもサッパリ分からない。
普通の官能映画であれば、パリという舞台が効果的に作用する可能性もあるだろう。しかし団鬼六のSM作品に、パリの街は全く似合わない。団鬼六の世界観は、日本でなきゃダメなのよ。
海外に行ってしまったら、どうしても「開放感」という要素が入り込みやすくなってしまう。だけど団鬼六作品のヒロインに、「開放感」という要素は邪魔なだけなのだ。
簡単に開放感なんて抱かれては困るのだ。耐えて忍んで、その後に悦楽を感じてもらわないと。前作を観賞した時に感じたのは、ちっとも『花と蛇』じゃないし、団鬼六作品の世界観からも遠いし、それどころかSM映画としても成立していないってことだった。
杉本彩はSM映画のヒロインを演じる気が無いし、石井隆はSM映画を撮る気が無いんだなあってことだった。
杉本彩はともかく、石井隆監督は「団鬼六作品とは何ぞや、SM映画とは何ぞや」ってことを理解しており、それを映像化することも可能だったはず。
しかし、故意的に自身のライフワークである「名美と木村の物語」に落とし込んだのだろうという印象だった。そんな映画の続編であり、主演の杉本彩と監督&脚本の石井隆が続投しているのだから、基本的に同じ印象になることは見る前から容易に予想が付いた。
そして、その予想通りの内容になっていた。
やはり今回も、ちっとも『花と蛇』じゃないし、団鬼六作品の世界観からも遠いし、SM映画としても成立していない。
当然のことながら、前作に感じた不満は全く解消されず、そのまま引き継がれている。そもそも「杉本彩が熟女」という段階で『花と蛇』としては違和感バリバリで、やはりヒロインは20代であるべきだ。しかも、ただの20代ではなく、「和装の似合う貞淑な女性」というイメージに合う女性であるべきだ。
っていうか、そっちの方が重要だから、「和装の似合う貞淑な女性」であれば、年齢的には20代じゃなくても構わないだろう。
しかし前作で「世界的タンゴ・ダンサーである活動的な女」だった静子は、今回は「貞淑な女」という設定こそあるものの、ちっとも貞淑な雰囲気を感じさせない。そもそも、冒頭シーンからして、和装ではあるものの夫に縛り上げられて調教され、宅配業者に犯されている。
それは「及川が描いた静子の緊縛画を隆義が見ている」というシーンに繋げるためのモノであり、実際に起きた出来事ではなくイメージ映像ってことだ。だが、現実ではなく想像であっても、いきなり調教されている様子から入ると、「貞淑な女」のイメージで静子を見ることは難しいでしょ。『奇譚サロン』を開いた静子は、縛られたり磔にされたりした女性の写真を見て、自分がそうされる想像を膨らませている。後で入浴している時も妄想は止まらず、自分が犯される幻覚に浸っている。
その時点で、既にM奴隷としての芽が顔を出している。緊縛や強姦に対して全く嫌がっていないし、むしろ喜びを感じる資質があるってことをハッキリと示している。
でも、それじゃダメなのよ。
最初は羞恥心があって、「嫌がっていたけど次第に快楽を感じるようになってしまう」という変化があるべきなのよ。隆義は静子に池上のことを話す際、彼女にマッサージをしている。
その時に彼女の尻をマッサージするのだが、そんなシーンで無駄に尻を見せる必要性は全く無い。むしろ邪魔だな露出と言ってもいいだろう。
前作と違って静子を「貞淑な女」という設定にしてあるはずなのだから、SMプレイのシーン以外は出来る限り露出を控えた方がいいのだ。そして「普段は貞淑な女」という印象を観客に対してアピールした方がいいのだ。
ところが、そういう意識は皆無で、やたらと肌を見せたがっているのである。一応、隆義が「マスターベーションはしたことがあるのか」と質問したり、バイアグラを使おうかと提案してみたりするので、マッサージのためだけに脱がしているわけではない、という形にはなっている。
しかし、それが「SMプレイをやってみたい」という願望に向かっているのならともかく、単に「年寄りだけどセックスしたい」「静子を満足させたい」という願望だけなので、「そういうのは要らない」と言いたくなってしまう。
しかも静子が隆義にフェラチオしようとするので、「ちっとも貞淑じゃねえよ」と言いたくなるし。
池上に突き倒されて乱暴に扱われた直後の静子も、『奇譚サロン』を読んだ後のシーンと同様、入浴しながらその時のことを思い出し、やはり恍惚を感じている。旦那から質問された時には「マスターベーションなんて経験が無い」と言っていたが、浴槽の中でオナニーにふけっている。翌日にアパルトマンを訪れる時はオッパイを強調した服装で、やたらと弾んだ様子になっている。
「貞淑だった女が次第に淫らな本能を目覚めさせていく」ということじゃなくて、この女は最初からビッチなのだ。池上が写真を撮りながら脱ぐよう要求すると静子は嫌がるけど、それもポーズに過ぎない。だから「ご主人の意向だ」という言い訳が用意された途端、あっさりと脱いでいる。
そこには羞恥心など微塵も無い。
なんせ最初から脱ぎたがっている女だから、理由があれば脱ぐ。そして、とても貞淑な女とは思えないセクシーな黒い下着も外して、裸になる。
ホントに恥ずかしさや嫌だという気持ちがあったら、下着を脱ぐ時だって、もう少し躊躇するだろう。しかし静子は脱ぎたい女だから、サクサクと素早く全裸になってポーズを取る。
まるで、そういうことに慣れているヌードモデルのようだ。池上がロープで縛ろうとすると、ひとまず静子は拒んでいる。しかし、それは「急に言われたから驚いて拒絶した」というだけに過ぎない。だから本当に描きたいかどうかという意思を確認すると、あっさりと緊縛にも同意する。
そもそも『奇譚サロン』の緊縛写真で恍惚を感じていた女だから、縛られることにも興味津々だったはずなのだ。
しかも池上は縛っただけで終わらせず、静子の股間をまさぐって「気持ちいいか」と言ったり、クンニしたりする。
既にモデルと画家の仕事じゃなくなっているが、静子は全く嫌がらず、すっかり悦楽に浸っている。池上の要求に応じ、舌を絡めてのキスもしている。池上が「絵を描く」とか「絵を描くための写真を撮る」という行為から完全に離れていることを脇に置いておくとして、彼が静子を縛った後の行動がSM映画としての描写として成立していれば、まだ充分に許容できる可能性はあったかもしれない。
しかし、先程から繰り返し言及しているように、静子は最初から池上を受け入れ、最初からエロいことに対する喜びを表現している。
縛られても、乱暴に扱われても、全て従順に受け入れ、恍惚に浸っている。
前作と同様、今回も「羞恥」の要素が決定的に欠けているのである。前作の静子は、最後までM奴隷としての悦びに目覚めないままだった。
快楽を感じる自分に恥ずかしさを感じることも無く、男に対する復讐心だけが芽生えていた。
同じことをやっても意味が無いと思ったのか、その部分はガラリと変えている。
だけど、「ヒロインが最後まで堕ちない」ってのはSM映画として完全に失格だが、この映画のように「最初から簡単に堕ちている」ってのもダメだよ。池上のアパルトマンからホテルに戻って風呂場でオナニーしていた静子は、旦那から電話が掛かって来るとバスローブを羽織るが、前をはだけているので裸が見えた状態だ。
池上から「揺らいでみて」と言われた時に静子は踊り出すのだが、指示されたわけでもないのに着物をはだけて裸をさらしている。
完全に露出狂である。とにかく裸を見せたくて仕方が無い女なのだ。
っていうかハッキリ言ってしまうと、これは「杉本彩が脱ぎたいだけの映画」なのである。ホテルにいた静子は池上からの電話で「携帯電話をバイブ状態にして、アソコに当ててくれないかな」と頼まれると、素直に応じて喘ぐ。池上にキスされると喜んで受け入れ、激しいセックスを始める。鏡で自分たちの姿を見つめ、淫らに喘いでいる。
やはり前作と同様、静子は貞淑さなど微塵も感じさせない女である。
その理由は簡単で、演じているのが杉本彩だからである。
ハッキリ言ってしまうと、これは「杉本彩がエロいシーンを演じたいだけの映画」なのである。会員制のブラック・マーケットは絵を売る場所だったはずなのに、なぜか全裸の女が縛られてオークションに掛けられている。
その後に静子の緊縛画が出品されるんだけど、その時点でオークションとしてデタラメであることは言うまでも無いだろう。
最初に全裸の女が出品されていたのなら、そのまま「女が売られる場所」であるべきだし、絵が売られる場所なら1人だけ生身の女が競りに掛けられるのは変だ。
「女も絵もオークションに掛けられる場所」という設定を何の違和感も抱かずに受け入れられる人は、そう多くないだろう。静子は絵の真贋を確かめるためのモデルになることを要求されると、それほど嫌がることもなく自ら舞台に上がる。司祭は「もし贋作を持ち込んだと分かったら、全ての絵を再現してもらう」という珍妙な条件を提示し、静子はアソコを念入りに調べられる。そしてホクロが描かれていなかったことで池上の絵は贋作と判定され、司祭の約束が実行されることになる。
ぶっちゃけ、その辺りは前作の焼き直しと言ってもいいだろう。
細かく見ていけば違いはあるけど、「静子が秘密クラブでM奴隷として責められる」ってのは全く同じだ。静子がオークション会場で責めを受け始めると、なぜか「快楽」が全く見えなくなる。
池上に責められていた時は恍惚を感じていたのに、惚れた相手じゃないから無理ってことなのか。
だからって羞恥心が芽生えるわけではなく、ずっと苦悶して嫌がっているだけに見える。なぜか、そんなトコまで前作と同じにしてあるのだ。
だから、「杉本彩がハードな要求に応じて頑張りましたよ」というのを延々と見せ付けられているだけ、という状態になってしまう。
そんなモンにエロスなんて全く感じないわ。池上がオークション会場に乗り込むと当然のことながらボコられるけど、彼が負傷しても舞台に上がって静子に歩み寄ると、なぜか誰も制止しない。
そして静子が目を覚ますと、池上の部屋でベッドに寝かされている。
なぜクラブの連中が解放したのか、サッパリ分からない。
その後、隆義がマジックミラーで全て見ていたことが明らかになるんだけど、その時の彼が女装している理由がサッパリ分からない。そんな隆義が池上を使って静子を罠に掛けたのは、「死ぬ前に彼女の魅力を引き出したい」ってのが目的であって、SM趣味を叶えるためではない。
そして池上も指示に従っているだけで、SM趣味は無い。
ってことは、そもそも方法がSMである必要性さえ無いわけで、この映画がSM映画になろうはずもない。
結局は前作と同じで、やっぱり名美と村木の話なんだろう。(観賞日:2015年4月1日)
第2回(2005年度)蛇いちご賞
・女優賞[杉本彩]