『花戦さ』:2017、日本

天正元年(1573年)。京の街を焼け野原にした応仁の乱から、百年が経った。武将たちが群雄割拠する戦国の世が長く続く中で、尾張の織田信長が天下統一への道を歩み始めていた。しかし戦乱の末に京の街は荒れ果て、人々は明日をも知れぬ日々を送っていた。そんな都の中央に位置する頂法寺には、花僧と慕われ、仏に仕えながら花を生ける僧侶たちがいた。彼らは六角堂の池坊と呼ばれ、花の命を生けることで世の安寧を祈り、人々に生きる希望を与えんと願った。
花僧の池坊専好は鴨川へ赴き、そこに転がる遺体に花を供えて読経した。彼が頂法寺へ戻ろうとする幼馴染の吉右衛門が現れ、執行の専栄が呼んでいることを伝えた。専好が出向くと、専栄は信長が花を所望しているので岐阜まで行ってもらいたいと告げる。同席した兄弟子の専伯は、専栄は体の具合が悪く、自分たちは用があるので行けないのだと説明する。専好は信長が自分の好きな松を所望していると聞き、喜んで引き受けた。しかし、実は厄介な仕事であるため、専栄と専伯は専好に押し付けたのだった。
専好は弟弟子の専武たちと共に、岐阜へ向かった。彼が信長について何も知らないので、専武は驚いた。彼は専好に、信長は天下を目指す昇り龍のような男だが、気性が荒くて粗相があれば手打ちにされると教えた。しかし専好は「昇り龍」という言葉だけに食い付き、その後の説明は耳に入っていなかった。岐阜城に着いた専好が松の生け花を作り始めると、千利休が見物に来た。専好と話した利休は、面白いことになりそうだと感じた。
献上の日が訪れ、岐阜城の大座敷には豊臣秀吉や前田利家ら信長の家臣が並んだ。そこへ信長が現れて生け花を眺め、家臣たちに感想を尋ねた。家臣たちが沈黙していると、信長は声を荒らげた。数名の家臣たちは、慌てて生け花を扱き下ろした。信長は専好に、この生け花意図を尋ねた。専好が笑顔で「昇り龍でございます」と言うと、すかさず専武が補足した。信長は「見事なり」と褒めるが、松の継ぎ目から枝が折れてしまった。秀吉が拍手して「扇ひとつで枝を落とすなど、神技としか思えません」と言うと、信長は「猿の分際で」と睨み付けた。しかし彼は専好の生け花を気に入り、六角堂に花道具を届けた。
織田信長は本能寺の変で命を落とし、天下統一の夢は豊臣秀吉の手で成し遂げられようとしていた。十二年後、天正十三年(1585年)。六角堂では専栄が亡くなり、専好は当人の意思に反して後任の執行となった。専伯が十年前に旅に出たまま、ずっと戻って来ないからだ。専好は武家屋敷を回るなど多忙な日々を過ごし、吉右衛門は庶民に生け花を教えた。専好は武家屋敷からの帰り、河原に立ち寄って遺体に花を供えた。死体の髪を切る野盗に気付いた彼は駆け寄って捕まえようとするが、逃げられてしまった。
専好は少女の死体に花を供え、読経を始めた。すると少女は死んでおらず、目を覚ました。専好は少女を六角堂に連れ帰り、吉右衛門の女房を呼んで服を着替えさせてもらった。専武はお粥を用意するが、少女は食べようとしなかった。彼女は沈黙し、生気の無い目で佇んでいるだけだった。翌朝になっても、やはり彼女は何も食べようとしなかった。そんな少女は手桶に入った蓮の蕾を見た途端、部屋中の襖に夢中で絵を描き始めた。その姿を見た専好は、「花の力や」と喜んだ。
専好は少女を山へ連れて行き、様々な花を摘んだ。彼は名前を尋ねるが、相変わらず少女は何も話そうとしなかった。そこで専好は、彼女を蓮からの連想で「れん」と呼ぶことにした。専好は尼僧の浄椿尼に、れんを預けた。吉右衛門は専好に自分が営む小間物屋の花を生けてもらい、「昔のお前に戻ったみたいだ」と告げた。彼が花を店先に飾ると、通り掛かった利休が誰の作品か尋ねた。専好が生けたことを知った彼は、草庵への招待状を吉右衛門に届けてもらった。
吉右衛門は利休からの招待状に興奮するが、専好は彼と会ったことを覚えていなかった。困惑しながら草庵を訪れた専好は利休に挨拶するが、「お久しぶりです」と挨拶されて首をかしげた。彼が会ったことを覚えていないと知り、利休は少し不機嫌になった。茶を飲んだ専好は、「私は執行には向いてないと思います。苦しいです。花を生けるのが怖くなりました」と吐露して泣き出した。利休は専好のために、もう一服を用意した。専好は「ほんの束の間こそが生きていることだ」と感じ、草庵から戻ると勢いのある花を生けた。
秀吉は草庵を尋ねるが、利休が提唱する「侘び」を理解せず「貧乏臭い」と扱き下ろした。利休は穏やかに対応しつつも、秀吉を鋭く批判するような言葉を口にした。秀吉は茶碗を乱暴に扱い、利休を徴発した。彼は秀吉に、「内裏に上がるので帝の肝を潰したい。金の茶室を作る」と話した。その仕事を命じられた秀吉は、意に沿う自信が無いと言って断ろうとする。しかし秀吉が恫喝するような口調で改めて命令すると、彼は低姿勢で承諾した。
2年後。れんが浄椿尼の元から姿を消し、専好は周辺を捜索するが発見できなかった。浄椿尼は彼に、三条家の奥方がれんの絵を気に入り、絵師として召し抱えたいと申し入れていたことを話した。専好や吉右衛門たちが六角堂で花を生けていると、近所に住む少女のときが走って来た。彼女は専好たちに、秀吉が天神を借り切って茶会を開くことを知らせた。日本中から茶人が集まり、誰でも普段使いの茶碗で参加できる茶会だと彼女は説明した。
利休が専好の元へ来て、「頼みがある」と告げた。そこへ町人の男が来て、専好と専武を山奥の洞窟へ連れて行く。すると壁には花の絵が描いてあり、れんが暮らしていた。専好は彼女の絵を絶賛し、「山に籠った甲斐があった」と告げた。れんは彼に、理由があってお勤めは出来ないのだと説明した。専好は詳細を打ち明けるよう促すが、彼女は「言うたら巻き込むことになります」と口をつぐむ。専好は彼女のために山小屋を用意し、六角堂に絵を送るよう持ち掛けた。
専好は利休から仕事を依頼され、吉右衛門と共に大茶会が開かれている北野天満宮へ出向いた。秀吉は金の茶室を持ち込み、客に茶を振る舞っていた。吉右衛門が席を外した後、専好は利家から声を掛けられた。しかし専好は利家を全く覚えておらず、秀吉のことも彼の説明で初めて理解した。専好は利休のために、野点の場に花を差した。客の行列が途絶えて休憩に入ろうとした秀吉は、大勢の人々が集まっていることに気付いた。彼が家臣の石田三成を伴って様子を見に行くと、そこでは利休の野点が行われていた。客が自分を馬鹿にする言葉を口にするのを耳にした秀吉は、憤慨して立ち去った。
野点を終えた利休は、専好と茶を楽しんだ。利休が黒茶碗ばかり使っているので、専好は「黒がお好きですか?」と尋ねた。すると利休は、「赤も好きや。緑も紫も、金も好きやで。でも今は黒が好きや」と答えた。大茶会は十日間に渡って開催される予定だったが、秀吉は途中で打ち切った。彼は金の茶室に利休を呼び、扇で打ち据えた。秀吉は利休の頭を踏み付け、「何ゆえ、ワシの茶室で黒茶碗を使う?かような嫌がらせを繰り返す?」と詰め寄った。利休は「賢き上様に良さがお分かりいただけぬということは、手前が足らぬということ。ますます精進に励む所存でございます」と話し、ますます秀吉の怒りを買った。
3年後、秀吉が大徳寺の山門に差し掛かった時、光成は利休の木像があることを教えた。秀吉が山門をくぐる時には木像に見下ろされる形になることから、光成は「不遜な行いでは?」と告げた。れんは花だけでなく、生物の絵も描くようになっていた。そんな中で彼女は一枚だけ、今までとは異なる画風の猿を描いた。それに専好が気付くと、れんは「ととさんのような絵を」と言い掛けて慌てて口をつぐんだ。しかし専好は、彼の父も絵師だと知って笑顔になった。
利家は専好を呼び出し、利休の木像について話す。秀吉は利休に、木像を取り外して詫びを入れるよう命じた。しかし利休は「寺が勝手にやったこと」と言い、その要求を突っぱねた。周囲の人間が諭しても利休は耳を貸さず、利家は専好に説得を依頼した。秀吉は利休の木像を縛り、河原に晒した。専好は利休の草庵を訪ね、上様をもてなすつもりで詫びることは出来ないのかと話す。利休は「それを見失っておったか」と漏らすが、「これは最期のもてなしや。ワシにはもう、これより他に上様と向き合う術が無いんや」と話す。専好は「私には分かりかねます」と泣くが、利休の決意は固かった。彼は秀吉に命じられて切腹し、その首は鴨川の河原に晒された…。

監督は篠原哲雄、原作は鬼塚忠『花いくさ』(角川文庫刊)、脚本は森下佳子、製作は木下直哉&村松秀信&間宮登良松&竹田和平&藤本俊介、企画は小滝祥平&榎望&小助川典子&志岐隆史&森谷雄、スーパーバイザーは遠藤茂行、エグゼクティブプロデューサーは市村友一&山本昌仁&河越誠剛&竹田幸生&吉川英作&種家純、プロデューサーは加藤和夫&柳迫成彦&坂本建士&福井栄治&石井至&加藤悦弘、アソシエイトプロデューサーは加藤秀晃&木村照彦&青木孝雄&山野隼&大澤保夫&徳山雅也、監修は華道家元池坊(華道家元四十五世 池坊専永、次期家元 池坊専好(四代))、撮影は喜久村徳章、照明は長田達也、録音は尾崎聡、美術は倉田智子、編集は阿部亙英、劇中絵画は小松美羽、題字は金澤翔子、脚本協力は長谷川康夫&中西健二、音楽は久石譲。
出演は野村萬斎、市川猿之助、佐藤浩市、佐々木蔵之、中井貴一、高橋克実、吉田栄作、竹下景子、山内圭哉、和田正人、森川葵、江藤漢斉、黒田大輔、山田幸伸、河原健二、関秀人、まつむら眞弓、海老瀬はな、木内義、伊東蒼、中島ボイル、小山友馬、江村修平、西村論士、田中理資、北村守、小澤明弘、岩田渉吾、鈴木康平、柳祐輔、塩田雄一、福永誠次、杉山慶頼、大前祐樹、芳岡瑞、加藤珠希、萩原諒、原光希、鍛冶幸宏、白井良次、松岡冬馬、渡邉一、高山了一、小澤英恵、井之上淳、酒井高陽、稲田龍雄、奥深山新、池田勝志、中村健人、門川大作、森本邦彦ら。
語りは篠田三郎。


鬼塚忠の小説『花いくさ』を基にした作品。
監督は『山桜』『小川の辺』の篠原哲雄。脚本は『包帯クラブ』『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE 〜勝どき橋を封鎖せよ!〜』の森下佳
専好を野村萬斎、秀吉を市川猿之助、利休を佐藤浩市、利家を佐々木蔵之介、信長を中井貴一、吉右衛門を高橋克実、三成を吉田栄作、浄椿尼を竹下景子、専伯を山内圭哉、専武を和田正人、れんを森川葵、専栄を江藤漢斉が演じており、語りを篠田三郎が担当している。

専好が登場すると、すぐに「池坊専好」という名前が表示される。その直後、「花戦さ」と出てタイトルバックになる。
でも、その導入部は激しく安っぽさを感じさせる。スーパーインポーズで主人公の名前を表示するなら、そのタイミングは違うでしょ。
っていうか、専好の他にも専伯、専武、専栄など主要キャラは登場シーンで名前が表示されるんだけど、その演出自体に疑問が湧く。
キャラの名前や「執行」「兄弟子」といった関係性が分かった方が親切であることは確かだけど、上手くやらないと安っぽい印象に直結しちゃうのよ。

この映画の場合、スーパーインポーズによって生じるプラスとマイナスを天秤に掛けると、明らかに後者がデカい。
そもそも、文字による説明が無かったとしても、それで「執行」「兄弟子」といった専好との関係性が分からなくて不都合が生じることは無い。そこの関係性は、映画を見ていれば簡単に把握できる。
また、主要キャラが多くて複雑に入り組んでいるわけでもない。それに信長や秀吉は歴史上の有名な人物だから、台詞で名前を言えば簡単に理解できる。
信長の登場シーンで「織田信長」と出た時には、「いや、見てりゃ一発で分かるけどね」と言いたくなったぞ。

松の生け花について信長に感想を問われた家臣たちは、「奇をてらい過ぎている」「収まりが悪い」などと酷評する。
それは信長の機嫌を取るための発言だけど、実際に「奇をてらい過ぎている」と評されやすいような生け花ではあるんだろう。
ただ、「普通なら、どんな形で生け花を作るのか」「いかに専好の生け花が変わっているのか」ってのが、生け花に詳しくなければ、映画を見ていても全く分からない。
そこは何かしらの形で解説を入れた方が良かったんじゃないか。

専好が信長に対して、大胆で挑戦的な生け花を用意したことも全く伝わって来ないんだよね。
「昇り龍」と称される人物だから昇り龍をモチーフにした生け花を作るってのは、そんなに風変わりだとも大胆だとも思えないのよ。
だけど見物に来た利休の反応や献上の日の様子からすると、どうやら「普通だったら避けるような生け花」ってことみたいなんだよね。
でも、なぜ昇り龍の生け花がマズいのか、その理由がサッパリ分からないのよ。

もっと根本的な問題を指摘すると、「このシーン、ホントに必要なのか」ってことだ。
信長は専好の生け花を気に入って高価な花道具まで届けているけど、そのエピソードだけで出番は終わりなのだ。それが終わると、すぐに「本能寺の変で殺された」と片付けられ、秀吉の時代に移行する。「信長には気に入られたけど、秀吉には」という変化を付けるための効果に繋がっているわけでもない。
なので、秀吉の時代から始めてもいいんじゃないかと。
信長の時代のエピソードを入れておく必要性が、イマイチ見えて来ないぞ。

れんというキャラクターが、完全に浮いている。
史実には出て来ない架空のキャラだけであり、明らかに異質な存在なのだから、わざわざ登場させるからには専好と彼女の関係を軸にするのかと思った。彼女との出会いで専好が変化していくとか、疑似家族のような交流を描くとか、そういう展開があるのかと思った。
ところが、専好はれんを浄椿尼に預けてしまい、そこから別の方向へ話が転がっていく。
れんは架空の人物というだけでなく、原作にも登場しない映画オリジナルのキャラクターらしいのだが、完全に扱いを間違えている。
そんなことになるぐらいなら、なぜ原作に登場しないキャラクターを用意したのか。昔のハリウッド映画じゃないんだから、「大物プロデューサーの愛人を無理に出演させなきゃいけなくなった」とか、そういうことでもあるまいに。

専好は利休からの招待状が届いても、彼のことを全く覚えていない。会えば思い出すかというと、まだ思い出せない。
だけど、そのシーンまでに「専好は物忘れが酷い」ってことを示すシーンが無いんだよね。それはキャラ紹介として上手くないわ。「利休を思い出せない」という手順の前に、物忘れ酷さを紹介するシーンを用意しておいた方がいい。
あと、さすがに利休が六角堂を訪ねて来た時は専好も覚えているだろうと思ったら、また忘れているのよね。
それはさすがに嘘臭く思えてしまう。そこまでに専好が忘れている相手ってのが、利休しかいないのでね。

専好は草庵で急に泣き出し、「私は執行には向いてないと思います。苦しいです。花を生けるのが怖くなりました」と弱音を吐く。
だけど、そのシーンまでに、彼がそこまで辛い思いを抱えている様子は全く見られなかった。慣れない仕事を嫌がっているシーンはあったけど、れんと会って楽しそうにしている様子も描かれていたしね。
草庵のシーンに繋げる意味でも、れんの存在が邪魔になっている。
専好がれんと出会ったのなら、「彼女のおかげで辛さが緩和される」とか、「彼女に感化されて勢いのある花を生ける」といった展開に繋げるべきじゃないかと。でも実際には利休のおかげで変化しているので、れんは何のための存在なのかと言いたくなるのよ。

草庵から戻った専好は、勢いのある花を生ける。それを見物していた吉右衛門は、町人たちに「ほんの束の間こそが生きていることだと感じた、それを生けたいと思ったらしい」ってことを解説する。
だけど、専好が草庵で「ほんの束の間こそが云々」と感じたことなんて、利休と会っているシーンからは全く見えて来なかったぞ。
泣いた後の茶を飲む時に草庵を見回す様子は描かれていたけど、それだけだった。
後から吉右衛門の台詞で解説されても、「なるほど、そういうことか」と納得できる表現になっているわけでもない。

関白様になってから再登場した秀吉は高慢な態度を取り、利休との間に因縁が生じている。
だけど、初登場シーンの後、そこまでに何があったのかと言いたくなる。
いや、もちろん信長が死んだり天下統一を果たしたりと、色んなことがあったのは分かるよ。ただ、まだ態度が偉そうになるのはともかく、利休との確執に関しては何かしらの情報が欲しいわ。
そこの経緯がサッパリ分からない状態にするのなら、やっぱり信長のパートは要らないと思うぞ。

大茶会のシーンで、専好は利休の野点に色とりどりの花を生けて飾り付ける。それが「侘び」になっているようには思えないのだが、利休は満足そうな表情を浮かべている。
自然に生えている花を使っているから、カラフルでも別に構わないってことなのか。その辺りの基準が、映画を見ているだけでは全く分からない。
しかも、利休は専好に「黒がお好きですか」と問われて「赤も好きや。緑も紫も、金も好きやで」と言うんだよね。
だったら金の茶室だって、別にいいんじゃないかと。

秀吉が傲慢なのは紛れも無い事実だけど、利休の方にも問題があるように見えちゃうんだよね。わざと秀吉の怒りを買うようなことばかりを繰り返して、挑発しているかのように思えるのだ。
なぜ秀吉に対して異常なほど頑固な態度を崩さないのか、それが映画を見ているだけではサッパリ分からないのよ。
そこまで秀吉を否定するようなこと、神経を逆撫でするようなことを繰り返して、何がしたいのかと。
彼がボンクラに見えちゃうので、切腹に追い込まれても同情心が削がれちゃうのよね。

利休は木像の撤去と謝罪を秀吉から要求されても、「寺が勝手にやったこと」と拒絶する。専好が「もてなすつもりで詫びればいい」と諭しても、「これが最期のもてなしや。これより他に上様と向き合う術が無いんや」と話す。
専好は「私には分かりかねます」と泣くが、私もサッパリ分からない。
「他に向き合う術が無い」と言うけど、「いや幾らでもあるだろ」と反論したくなる。
変な意地を張っているとしか思えないし、それがカッコ悪いとしか感じないのよ。

終盤、嫡男の鶴丸を亡くした秀吉は、些細なことで庶民を次々に処刑する。専好と親しい面々も次々に連行され、少女でさえ容赦なく殺害される。
そんな中、れんも命を落とすが、他の面々とは少し異なる。捕まって自害するので、死の形も異なるが、それ以上に「専好は彼女の死を知らない」ってことが大きく異なる。
専好は彼女が小屋から姿を消したことしか分かっていないのだ。そして彼は、れんが自害に追い込まれたことを知らないまま、目の前で吉右衛門が殺されるという体験をする。
これは明らかに失敗だ。「れんの死を知って、専好が何かを決意する」という大きなきっかけになるべきでしょ。

周囲の人々が命を落とす中、専好は何も出来ずに無力さを露呈するだけだ。
ただの花僧なので、もちろん何も出来ないのは当然だ。でも、そのままだと話が盛り上がらないので、専好が「花で秀吉を諌め、世を正す」と言い出す展開を用意する。これを専好は「戦さ」と呼んでおり、「その戦さに勝ちました」という結末にしてある。
でも実際のシーンを見る限り、花は前振りみたいなモンで、メインは無尽斎の掛け軸なのよね。しかも、利家のサポートがあってこそだし。
さらに言うと、秀吉が専好の厳しい指摘を甘んじて受け入れるだけでなく、「みんなが大笑いしました」という結末にしてあるのは、すんげえ分かりやすい御都合主義にしか思えないぞ。

(観賞日:2020年12月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会