『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』:2006、日本

花田一路は、漁師町で暮らす9歳のワンパク少年だ。彼は漁師を辞めてタクシー運転手になった父・大路郎、母・寿枝、姉・徳子、祖父・ 徳路郎の5人で暮らしている。ある日、同級生の弟分・村上壮太と自転車を走らせていた一路は、トラックと衝突する大事故に遭った。 トンネルでセーラー服姿の幽霊を見た運転手が、トラックを猛スピードで走らせたのだ。魂となった一路は天高く昇っていこうとするが、 セーラー服の幽霊が阻止した。一路の魂は肉体に戻り、彼は病院で息を吹き返した。
一路が学校で男勝りの同級生・市村桂と格闘になったところにも、セーラー服の幽霊は現われた。夜、またも彼女は出現し、香取聖子と 名乗った。「あなたに会いたかった」と言う聖子が消えた後、一路の前にタバコ屋の吉川の婆ちゃんが現われた。婆ちゃんは、愛犬ジロの ことが気がかりで面倒を見てほしいと頼んできた。「自分で世話をすればいい」と一路が告げると、婆ちゃんは「もう出来ない」と 悲しそうに言った。婆ちゃんは急死しており、一路の眼前に現われたのは幽霊だったのだ。
一路は家族と共に、吉川の婆ちゃんの葬儀に参列した。漁師の中松は、海で死んだ壮太の父・猛のことで大路郎に憎しみをぶつけた。遺影 の前に婆ちゃんの幽霊が出現するが、その姿は一路にしか見えない。婆ちゃんは、まだ気掛かりが解消されていないため成仏できずに いるのだ。一路がジロの面倒を見ることにしたため、婆ちゃんは無事に成仏することが出来た。
互いに伴侶のいない壮太の母・美代子と桂の父・市村和夫が、子供連れでデートをした。桂の好物を尋ねる美代子に、和夫はハムカツだと 答えた。後日、和夫が仕事で遅くなる時に、壮太は美代子が作った弁当を桂に届けた。だが、桂は「私はハムカツしか食べない」と告げ、 受け取りを拒否した。その弁当を一路が食べていると、気障な紳士・沢井真彦が現われ、寿枝のことを尋ねた。
一路が家族と夕食を食べているところへも、沢井は現われた。そこで初めて、一路は沢井が幽霊だと気付いた。沢井は、一路が自分の息子 であり、自分は大路郎に殺されたのだと語る。そこへ聖子が現われ、「あの男の言うことを信じたらダメ」と一路に警告した。聖子は特殊 なパワーを発揮し、沢井を追い払おうとする。沢井は不敵な笑みを浮かべながら、姿を消した。
小学校の運動会が行われ、壮太が借り物競走に参加した。彼が取った紙には、借り物のお題として「お父さん」と書かれていた。父の いない壮太は、その場で立ち尽くしてしまう。すると一路の前に聖子が現われ、「体を貸してあげて」と告げて頭の傷に触れた。すると、 猛の魂が一路の肉体に乗り移った。猛は一路の体を借りて、「自分が願っているのは美代子と壮太の幸せだ。心を大きく持て」と壮太を 励ました。壮太は涙ぐみながら和夫の元へ駆け寄り、紙を見せて「一緒に来て」と頼んだ。
一路は徳路郎に、大路郎が漁師たちに嫌われている理由を尋ねた。すると徳路郎は、大路郎が猛と共に漁に出て嵐に遭遇したこと、怪我を した猛を残して大路郎だけが帰還したことを明かした。その話を耳にした壮太は、ショックを受けて走り出した。同じくショックを受けた 一路の前に吉川の婆ちゃんが現われ、若き日の大路郎を見せるためにタイムトリップさせる。
不思議な力で一路が到着したのは、かつての渋谷だった。若き日の寿枝が、ストリートミュージシャンとして街角で歌っていた。大路郎は 寿枝に惚れていたが面識は無く、話し掛けることさえ出来ずにいた。そんな中、弁護士の沢井が寿枝の元に現われた。資産家だった寿枝の 父が亡くなり、莫大な遺産を残したのだ。沢井は寿枝を高級レストランに誘い、取り入ろうとする。そこへ沢井の愛人が現われ、幼い彼の 娘を置いて去った。寿枝は、その少女を引き取って面倒を見ることにした。
寿枝が少女を伴って歌っている時、初めて大路郎が声を掛けた。大路郎は少女と親しくなり、やがて寿枝と一緒になった。大路郎と寿枝は 、少女を実の娘のように可愛がった。一路の前に現われた聖子は、それが自分だと打ち明けた。だが、やがて聖子は沢井に引き取られ、 病気を患ったまま放置されて命を落とした。遺産目当てだった沢井だが、寿枝が相続を拒否したため当てが外れた。その直後、沢井は車に ひかれて死んだ。彼は大路郎に恨みを抱き、悪霊となった。そして聖子は大路郎と家族を守るため、一路の前に現れたのだ。
現代の漁師町では、魂が過去に行ったままの一路が失神状態で病院に運び込まれていた。沢井は別の人間に乗り移り、心配する大路郎を 言葉巧みに病院から連れ出した。沢井はナイフで大路郎を脅し、嵐の海に連れ出した。ようやく肉体に戻ってきた一路は、沢井の策略に 気付いた。一路は徳路郎に船を出してもらい、大路郎の救出へ向かった…。

監督は水田伸生、原作は一色まこと、脚本は大森寿美男、製作は高田真治&平井文宏&西垣慎一郎&中村仁&松本輝起、プロデューサーは 原田文宏&佐藤貴博、企画は鈴木光、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、撮影は藤石修、編集は田中慎二、 録音は小野寺修、照明は上田なりゆき、美術は小澤秀高、VFXスーパーバイザーは進威志&稲葉貞則&小田一生、 VFXプロデューサーは篠田学&高瀬巌、音楽は岩代太郎、音楽プロデューサーは長崎行男&高桑晶子、主題歌はサンボマスター 『愛しさと心の壁』。
出演は須賀健太、篠原涼子、北村一輝、西村雅彦、安藤希、もたいまさこ、杉本哲太、上田耕一、中島ひろ子、小林隆、松田昴大、 大平奈津美、鬼頭歌乃、六平直政、半海一晃、濱田マリ、春田純一、村松利史、矢口蒼依ら。


第19回講談社漫画賞を受賞した一色まことの漫画『花田少年史』を基にした作品。
監督は日本テレビでドラマ演出を手掛けてきた水田伸生で、これが映画デビューとなる。
一路を須賀健太、寿枝を篠原涼子、沢井を北村一輝、大路郎を西村雅彦、聖子を安藤希、吉川の婆ちゃんをもたいまさこ、猛を杉本哲太、 徳路郎を上田耕一、美代子を中島ひろ子、和夫を小林隆、壮太を松田昴大、徳子を大平奈津美、桂を鬼頭歌乃が演じている。

まずタイトルに引っ掛かった。
「幽霊と秘密のトンネル」とあるが、トンネルは物語において鍵を握るような存在ではない。
聖子が出現するスポットはトンネルだが、そのことに深い意味があるわけではない。
別にトンネルなど無くても成立する話だ。
わざわざサブタイトルを付ける必要性が分からない。
『ALWAYS 三丁目の夕日』もそうだったが、タイトルを原作から変更して長くした方がヒットするというジンクスでも、いつの間にか 出来ているのかと。

原作では昭和40年代の設定だが、映画版では現代に変更している。
なぜ時代を変更したのだろうか。
どう考えても、ノスタルジーを煽る方が得策だと思うのだが。
『ALWAYS 三丁目の夕日』と被ることを懸念したのだろうか。だが、露骨に『三丁目の夕日』を意識したような部分もあるし、そこ は割り切れず中途半端になっているという印象が強い。
それと、時代を現代にするなら、ちゃんと徹底すべきだ。
冒頭から一路がテレビを叩いて直そうとするし、フォークギターがあるし、どうも「昭和」の匂いが強い。借り物競走で「お父さん」と いうお題が出るのも、現代では考えにくい。町の風景にも、昭和の匂いが染み付いている。
「田舎町」としてのアピールが弱いためか、「田舎の風景」となるべきところが「昭和の風景」に映ってしまうという問題があるのではないか。
そもそも、そこが田舎だということを示すための外の風景から入らず、いきなり室内から始めている時点でミスだと思うし。

それと、冒頭で一路が「どうしてウチは貧乏なんだ」と言うのだが、池まである庭付きの一軒屋なのに「ウチは貧乏」などと言われても、 貧乏な印象を全く受けない。
ついでに言えば、貧乏であるか否かは物語に何の影響も与えないんだよな。
そういうセリフから始めるから、てっきり貧乏をキーワードにしたようなエピソードを展開していくのかと思ったけど。

現代に設定を変更した映画の中で、一路は過去にタイムトリップする。
両親が若い頃だから、そこが昭和40年代ということなんだろう。ところが、そこに広がる渋谷の風景に、昭和40年代を感じない。
それこそ現代と大差が無いように感じられてしまう。
篠原涼子と西村雅彦の髪型や服装を野暮ったくさせただけでは足りない。
幽霊対決にVFXを使うよりも、そこで使った方がいいんじゃないの。
っていうか、使った結果があれなのかな。

聖子が重要な鍵を握るキャラクターとなっているが、これは失敗と言っていいだろう。
家族の絆を描きたかったのかもしれないが、そのために一路の両親が関わる過去の出来事を持ち込むよりも、吉川の婆ちゃんのエピソード や壮太と桂のエピソードを膨らませて、そこに一路が関わることで「皆が愛する人の幸せを願っている」と彼が強く感じ、それを家族への 思いに繋げればいいのでは。
聖子と沢井の対決で一路をカヤの外にするよりも、そっちの方が遥かに得策だろう。
まずセーラー服の幽霊、及びそれを演じる安藤希(完全にミスキャスト)を登場させることありきで、そのために無理を承知で強引に話を 作り上げていったのかと思うぐらい、聖子が諸悪の根源になっている。
セーラー服は幼いの聖子が寿枝から貰ったクリスマスプレゼントだったという設定があるが、それは安藤希にセーラー服を着せるためのこじつけにしか思えん。
大体、大路郎が猛を見殺しにしたのではないかと一路が不安になった流れでタイムスリップするのだから、そこで両親の出会いや沢井& 聖子との関係を見せるのはスムーズとは思えない。流れからすると、「大路郎が猛を見殺しにしたのか」を解明するための過去へ戻るべきだろう。
それに、回想にあるような出来事で沢井が悪霊になったのなら、なぜ今頃になって大路郎を狙うのかも分からないし。

それにしても、原作は「一路が幽霊の依頼を受けて願いを叶えるため行動する」というパターンのはずなんだが、この映画だと一路が 依頼で動くのって吉川の婆ちゃんの時だけだよな。その後は、壮太と桂の親の話にしろ、聖子と沢井と話にしろ、「聖子に体を利用された」 とか「婆ちゃんに過去へ連れて行かれた」とか、一路は受動的なんだよな。
壮太と桂の親が結婚を前提に交際しているエピソードが、この劇中だと最も活かすべき、膨らませるべき素材だろう。
運動会で猛が壮太を励ます場面なんて、感動的なモノだ。
この感動の人情ドラマ路線で全て染めればいいのに。
聖子と沢井のエピソードさえ変更すれば、持ち込むエピソードのバランスは大きく間違ってはいないんだよな。
一路の幽霊入門編(吉川の婆ちゃん)、友人の問題への介入(壮太絡みの話)、そして本人が関わる問題ってことで。
大路郎が猛を見捨てたわけじゃないと分かった後で、運動会のエピソードを持って来るべきだろう。運動会のシーンは、中盤で出すのは 勿体無い(そこが映画のハイライトになっているので)。そこは、映画のクライマックスの1つ前ぐらいで持って来た方がいいんじゃないか。

1つのエピソードを進めながらも、その最中に他のエピソードも少し重なるような形にしてあるが、これは失敗していると思う。1つの エピソードを片付けてから次のエピソードへ移るという、完全な串刺し式の構成にすべきだった。
もちろん複数の話が上手く絡み合うなら、それにこしたことは無いのだが、まとまりが失われて散漫になっているだけだ。
結局、ハムカツを巡る話は全く膨らませていないし、壮太は親の結婚に前向きになったけど、桂に関するフォローは一切無いし。
大きなストーリーを作って盛り上げようとするにしても、幽霊バトルとは全く別の話にすべきだった。
この映画の盛り上げに必要なのは、特効を使った幽霊バトルの派手なスペクタクルではない。
必要なのは人情ドラマだったはずだ。
幽霊と悪霊のバトルをメインとして持って来るというのは、この作品の捉え方を根本的に間違っているのではないか。
聖子と沢井と最初の遭遇でのオカルトSFアクションなんて、そんなのがやりたいなら他の映画でやれと思っちゃう。
それに適した原作なら、他に幾らでもあるだろうに。
『さくや妖怪伝』みたいなことがやりたいのなら、『さくや妖怪伝』の続編でやりなさいよ。

 

*ポンコツ映画愛護協会