『八甲田山』:1977、日本

明治34年10月、弘前の陸軍司令部では、ロシアとの戦争に向けた話し合いが持たれていた。弘前第8師団の中林参謀長は、冷下のシベリアでの戦いを熟知しているロシア軍に勝利するためには、陸軍の寒地訓練の準備不足が大きな問題だと訴える。また、交通路を遮断された場合、八甲田山を移動する必要性についても語る。
陸軍では寒地訓練と万が一の場合の交通路確保を考え、厳冬期に八甲田山を踏破する雪中行軍の実施を決定する。その雪中行軍に参加することになったのは、徳島大尉の率いる弘前歩兵第31連隊と、神田大尉の率いる青森歩兵第5連隊だ。徳島隊と神田隊は、それぞれ弘前と青森から出発し、八甲田山ですれ違うことが定められた。
調査を始めた神田は田茂木野村の長老・作右衛門に会い、冬の八甲田山で大勢の人間が死んでいることを聞かされる。徳島の家を訪れた神田は、まだ道順しか決まっていないことを告げる。一方の徳島は、未だに道順さえ決まっていない状態だった。しかし、徳島は部隊を少数精鋭とし、なるべき軽装備、民泊にすることは決めていた。
やがて徳島は児島連隊長に、雪中行軍についての決定事項を提出する。神田隊と八甲田山ですれ違うことが義務付けられているため、徳島は迂回ルートを取り、10泊11日、全行程240キロを予定していた。部隊は見習い士官と下士官が中心の27名で、兵卒はわずかに6名。小隊にもならぬ人数で、とても軍隊とは呼べない編成だった。
一方、神田は自身が率いる第5中隊から選出した小人数での編成を考えていたが、日数は2泊3日を予定していた。だが、予備演習で余裕を持った山田大隊長は、連隊全てから選出して中連隊を編成するよう指示する。人員の増加が大きな負担になることを不安視する神田だったが、大隊長の指示に従って部隊を編成する。
明治35年1月20日、徳島隊は弘前を出発した。厳しい自然の中、雪中行軍はほぼ順調に進む。一方、神田隊は23日に青森を出発する。こちらは196名の大編成、しかも研究のためということで、山田大隊長が率いる大隊本部の14名も随行する。
徳島隊は怪我人が1名出たものの、無事に宿泊予定地に到着する。一方、神田隊には作右衛門が案内を申し出るが、山田大隊長が追い返す。天候の悪化で雪中行軍の中止を進言する者もいたが、指揮官の神田を差し置いて山田大隊長が出発を命令する。指揮権を奪われる中で、神田は何とか雪中行軍を成功させようとするのだが…。

監督は森谷司郎、原作は新田次郎、脚本は橋本忍、製作は橋本忍&野村芳太郎&田中友幸、企画は吉成孝昌&佐藤正之&馬場和夫&川鍋兼男、撮影は木村大作、編集は池田美千子、録音は吉田庄太郎、照明は高島利雄&大沢暉男、美術は阿久根巌、衣裳は長島重夫、音楽は芥川也寸志。
出演は高倉健、北大路欣也、加山雄三、三国連太郎、緒形拳、前田吟、東野英心、下条アトム、浜田晃、加藤健一、新克利、島田正吾、大滝秀治、丹波哲郎、藤岡琢也、小林桂樹、神山繁、森田健作、山谷初男、丹古母鬼馬二、青木卓、加藤嘉、花沢徳衛、菅井きん、田崎潤、浜村純、栗原小巻、加賀まり子、秋吉久美子、佐久間宏則、大竹まこと、山西道宏ら。


実際に起こった陸軍の雪山遭難事故を題材にした新田次郎の著書『八甲田山死の彷徨』を基にした作品。
徳島を高倉健、神田を北大路欣也、青森第5連隊大隊本部の倉田大尉を加山雄三、山田大隊長を三国連太郎、徳島隊の斉藤伍長を前田吟、児島連隊長を丹波哲郎が演じている。なお、助監督には神山征二郎の名前がある。

2か月に渡るロケーションは、実際に冬の八甲田山で行われている。
出演した俳優陣は、“凍死寸前”という言葉が大げさではないぐらいの厳しい状況にあったらしい。
役者が死ぬほど頑張ったことは、痛いほど分かる。
しかし、それは痛いほど分かるのだが、それが映画の面白さには充分に反映されていないことも、痛いほど分かる。

冬の八甲田山の脅威は伝わってくる。
だけど、それに全てが飲み込まれてしまった。
一応、血縁や友情といった、ドラマを作り出すための人間関係もあるにはあるのだが、そんなものは厳しい自然の中で吹き飛ばされてしまっている。
なんせ出発する前のキャラクター描写が少なく、中身の見える人物がほとんど存在しないので、人間ドラマで厚みを持たせることが出来ない。
だから、ひたすら雪山を進んでいるだけの時間の長いこと、長いこと。
たまに会話するシーンがあっても、フードを被っているし吹雪の状態なので、誰が誰に喋っているのかも良く分からないし。

フードや吹雪のせいで、顔で心情描写をすることが不可能に近いので、徳島と神田はモノローグで内面を表現する。ただし、モノローグが使われるシーンは、わずか。
次々に人が死んでいく辺りになっても、誰が誰だか分からないので、どこか淡々としてしまう。せめて最初に死ぬ奴だけでも、キャラを立てておくべきだったのでは。
名のある役者が大勢出ているのだが、そのほとんどは「誰がやっても大して変わらないのでは」と思ってしまう。何しろ前述したように誰が誰だか良く分からないし、キャラクターの個性付けも非情に薄いし、顔もハッキリ見えないのだから。

雪山を移動するシーンに入ると、日時や場所がテロップで示される。
それをテロップで出して分かりやすくしようという意識が働いたのなら、誰かが死んだ時に、その時点で生存者(もしくは死者)が何名いるのかをテロップで表示すべきだったのでは。

つまらないメンツにこだわって冷静な判断を下そうとしない上司、反発を抱きながらも従わざるを得ない部下。雪山を甘く見た上官の犠牲になる下の面々、無理な親衆にこき使われる下っ端の苦労や悲哀ってのを、たぶん描こうとしているんだろう。
ただ、それならば、山田大隊長が披露困憊する前に、反発を抱きながらも耐え忍んでいる神田が彼に怒りを爆発させる場面を作っるべきだろう。披露困憊の後は、山田大隊長はすっかり影が薄くなるのだから、その前に憎まれ役としての最後の仕事をするべきだ。弱った後だと死人に鞭打つような形になるので、怒りをぶつけられないし。

徳島隊と神田隊は正反対とも言うべき編成なので、その対比は上手く使いたいところだ。
例えば神田隊が出発前の準備の段階で大人数のために揉めている様子をもっと強く描写して、一方で既に出発した徳島隊が小人数だったことで難を逃れたシーン、周到な準備が生かされたシーンを描けば、その対比がクッキリと見えてきただろう。
で、出発した後の2チームの対比にしても、徳島隊はほとんど淡々と進むだけなので、思ったほどではない。
どうせ対比が効果的じゃないんだし、これって描写する部隊を神田隊だけに絞った方が良かったのではないかと思ってしまった。

 

*ポンコツ映画愛護協会