『ハチミツとクローバー』:2006、日本

春、浜田山美術大学の教師・花本修司の家では、花本研究室の生徒たちが集まって親睦会を開いていた。建築科の竹本祐太は、女子たち から「健康的すぎて美大っぽくなく、オシャレ度ゼロで彼氏にするのは無理」と言われているのも知らず、ギョウザの皮を包んでいた。 建築科の先輩・真山巧と共にビールを取りに向かった竹本は、アトリエで絵を描いている少女・花本はぐみと出会った。竹本は振り返った 彼女を見た瞬間、恋に落ちた。
広間に戻った真山がはぐみのことを告げると、花本は「従兄弟の娘でウチの油絵に入った。我が家の居候でもある」と説明した。後日、 竹本が花本に呼ばれて喫茶店へ行くと、はぐみがいた。花本は「幸田先生に呼ばれた。はぐみは一人では外で飯が食えないんだ。だから 代わってくれ。座ってるだけでいいから」と告げて、慌ただしく去った。竹本は席に座り、はぐみの昼食を見守った。
竹本がはぐみと一緒に花本の研究室へ行くと、旅から戻った彫刻科の先輩・森田忍がいた。竹本は寮で隣の部屋なのに、森田は彼の名前を 覚えていなかった。彼は、はぐみの絵を見て「これ、いいよ」と誉めた。森田がスケッチブックをめくっていると、はぐみは奪い取って 走り去った。森田が他人を誉めたのを、竹本は初めて見た。森田が帰ってきたのを見て、学生たちは驚いた。
陶芸科の山田あゆみが土手で子供たちに絵を描かせていると、はぐみが通り掛かった。あゆみは彼女に話し掛け、絵を見て「ほとばしる エネルギーって感じ」と感想を述べた。「はぐちゃん、話しやすい」と彼女が言うと、はぐみは「そんなの言われたの初めて」と口にした 。寮に戻った竹本は、森田の絵を見て「やっぱすげえなあ、この人」と感嘆した。寮に戻った真山は、刑事にストーカー容疑で取り調べを 受ける妄想を膨らませた。「このままじゃ本当に捕まっちゃうな」と彼は呟いた。彼はバイト先のデザイン事務所の経営者・原田理花に 片思いしており、彼女が食べたアメや使った食器などを収集していた。
翌朝、竹本ははぐみに声を掛け、「お昼、一緒に食べるっていうのはどうだろう?」と遠慮がちに誘った。OKを貰った竹本は浮かれた。 あゆみは机の下で眠っている真山を見つけ、写真を撮影した。目を覚ました真山が「腹減った。なんか食わない?」と何気無く誘うと、 彼女は「い、いいけど」とぎこちなくOKした。しかし真山は電話が入ってバイトへ行くことになった。
原田デザイン事務所でバイトを終えた真山は、建物から出て来た理花を尾行した。そんな真山を、あゆみが尾行した。真山が電柱に身を 隠したところで、あゆみと目が合った。あゆみは「偶然」と誤魔化した。真山は理花に見つかり、「偶然ですね」と誤魔化した。成り行き で、3人で喫茶店に入ることになった。はぐみが大学のアトリエで絵を描いていると、教授の幸田が入ってきた。彼女ははぐみに「作品を 賞に出してみない?ただし一つだけ条件があるの」と告げた。
昼休み、はぐみが学食に行くと、竹本が待っていた。食券を買うため列に並んだ竹本は、男子学生たちがはぐみのことを「特待生だから 普通じゃないわけだ。道理で挙動不審」「天才少女はハマビの名誉のために頑張っているわけだ」などと嘲笑っているのを聞いた。竹本は はぐみの元へ戻り、「混んでて落ち着かないし、外へ行かない?」と誘う。竹本は、彼女をオムライスの美味しい喫茶店「風待ち通り」へ 案内した。「もし良かったら、これからもお昼とか一緒に」と言うと、はぐみはうなずいた。
花本は理花の死んだ夫・原田と親友だった。原田が死んで5年、花本は理花の心にポッカリと開いた穴を自分には埋められないと感じて いる。花本の研究室に森田が現れ、「暇だから個展でも藤原画廊で開こうかと思ってる」と言う。花本が帰宅すると、はぐみは幸田から オスロー国際ビエンナーレに出品するよう言われたことを告げた。だが、「いつものような絵はダメだ」と条件を付けられていた。抽象画 は不利だからだ。花本は「賞を取る取らないは重要じゃない。はぐは自分の好きなように描けばいい」と述べた。
はぐみは花本の研究室でビエンナーレ用の絵を描き始め、森田は倉庫で個展用の彫刻を作り始めた。2人は、互いに相手の製作過程を何度 も見に行った。花本に呼び出された竹本は、はぐみの制作途中の絵を見て「すげえ」と感心した。森田の個展に行くつもりの竹本に、花本 は「はぐも連れてってくれないか。山田も行くらしいから一緒に」と頼んだ。竹本は、真山も誘うことにした。
中庭で休憩していたはぐみに、森田は「いいじゃん、あの絵」と声を掛けた。はぐみは「あの彫刻、1週間前の方が良かった」と言う。 森田は「バレたか。確かにそうだ。また一からやり直しだ」と笑った。それから彼は、近くにあった白いキャンバスにペンキを浴びせた。 すると、はぐみも違う色のペンキを使った。2人は共同作業を開始し、一枚の抽象画を完成させた。
藤原画廊のオーナーである双子の兄弟・ルイジとマリオは、森田の彫刻を見て「充分いいじゃない。これは芸術である以前にビジネスなの 。完成させて」と告げた。あゆみが教室で陶芸に精を出していると、真山が現れた。あゆみが無言で教室を出ると、真山が追い掛けた。 中庭まで逃げたあゆみは、「何の用?」と尋ねる。真山は「なんで俺なの?俺はたぶん変わらないから。だから他の男を探した方が早いよ 。俺のことを見るのはやめた方がいい」と言って去った。
真山は理花からクビを言い渡された。「それは僕が貴方を好きだから?」と訊くと、「違ってたらごめんなさい。小さな事務所なので、 その手のことを持ち込んじゃうと」と理花は告げた。森田の個展が開催された。竹本、はぐみ、真山、あゆみの4人は、初日に赴いた。 森田はマスコミの取材を受けていた。はぐみが例の彫刻を見ていると、森田が近寄って「メインになる大作が必要だった」と告げた。その 彫刻には高額が付いていた。森田は「ギャラリーが値段を付けるのがこの世界」と言った。
美術評論家が「ただデカいだけだ」と彫刻を評したので、はぐみが詰め寄った。森田は止めようとしている内に評論家を殴ってしまった。 会場を出たはぐみと森田を、竹本たちは追い掛けた。森田は「森田が海へ行かない?」と誘った。海で森田は「俺、最高!」と叫び、竹本 は「青春、最高!」と叫んだ。帰る途中で車がエンコしたため、竹本たちは旅館で一泊することになった。
竹本は真山と温泉に入り、はぐみに告白していないことを話す。真山は「それぐらいちゃんとしないと一生後悔するかもな。これはお互い の話」と言う。あゆみが「諦めるってどうすればいいんだろう」と漏らすので、森田は「諦めなきゃいいじゃん」と告げた。竹本ははぐみ に告白しようとするが、森田が掛け軸を破るという暴挙に出たため、出来ずに終わった。森田は「俺の方が上手いもん」と掛け軸の裏に絵 を描いた。翌朝、竹本は、森田が浜辺ではぐみにキスする様子を覗き見てショックを受けた。
海から戻って以来、竹本ははぐみと会わなくなった。竹本は花本から、「はぐがスランプで手が止まっている」と告げられた。花本は、 はぐみに影響を及ぼしたのが森田だと見抜いていた。竹本がアトリエへ様子を見に行くと、はぐみは「いつも通りに出来なくて」と元気が 無い。竹本は「なんか出来ることあったら言ってよ」と言うが、はぐみは眠り込んでいた。
別のデザイン事務所でバイトを始めた真山は、社員から「図面に起こしておいて」と軽いノリで言われる。そんな様子を、あゆみは双眼鏡 で覗いていた。あゆみが土手で子供たちに絵を描かせていると、竹本がやって来た。あゆみが「幸せになりたい」と言うと、竹本は「僕も なりたいです」と口にした。「四つ葉のクローバーでも探そうか」とあゆみが言うと、竹本が四つ葉のクローバーを架空の話だと思って いることが判明した。あゆみは子供たちも巻き込んで、四つ葉のクローバーを探した。
あゆみはベンチで佇んでいる真山に「行こう」と話し掛けた。あゆみに促され、真山は理花の事務所へ赴いた。真山は「最初はオープン デスク扱いで構いません。役に立つと思ったらそのまま使ってください」と頼む。「きっとまた同じことになるわ。きっと私は貴方のこと を……」と理花は言うが、真山は「いいんです、傷付けても。俺、傷付きませんから」と口にした。
竹本は森田と会い、はぐみのスランプを教えた。幸田は花本のいる前で、はぐみに「なぜ私のサジェスチェンを受け入れないの?」と言う 。彼女は花本に「彼女はこのままでは自分の才能の重さに押し潰されます」と告げる。その話を、アトリエの外で森田が聞いていた。 はぐみが飛び出し、森田が追い掛けようとする。花本は「追うな。今は気まぐれで、はぐの心を乱すな」と告げた。
はぐみは手が止まっただけでなく、ろくに食べようともしなくなった。心配する竹本に、花本は「俺たちは見守るしかない」と告げる。 森田はテレビの生番組で、「噂のイケメンハンター」というコーナーに出演した。それをテレビで見た竹本は、自転車で倉庫へ向かった。 外に出て来た森田に、竹本は「何やってんですか。はぐちゃんがどんな状態か知ってますか。今、はぐちゃんを支えられるのは森田さん だけなんですよ」と怒りをぶつけた…。

監督は高田雅博、原作は羽海野チカ、脚本は河原雅彦&高田雅博、プロデューサーは小川真司&今村景子&多田真穂、 エグゼクティブプロデューサーは椎名保&山路則隆&藤島ジュリーK.&島本雄二、企画は豊島雅郎、撮影は長谷川圭二、編集は高田雅博 &阿久津リエ子、録音は井家眞紀夫、照明は山崎公彦、美術は中村桃子、はぐみ絵画制作はMAYA MAXX、森田彫刻制作は森田太初、音楽は 菅野よう子、音楽プロデューサーは金橋豊彦&茂木英興、 主題歌はスピッツ『魔法のコトバ』、エンディングテーマは嵐『アオゾラペダル』。
出演は櫻井翔、蒼井優、加瀬亮、関めぐみ、伊勢谷友介、堺雅人、西田尚美、田辺誠一、中村獅童、堀部圭亮、宮崎吐夢、銀粉蝶、 利重剛、春田純一、清水ゆみ、池田鉄洋、真島啓、ジェイ・ウエスト、 岩崎裕司、内野謙太、ともさと衣、尼子永実、ティアラ、平野靖幸、滝直希、長谷川圭二、浜野謙太、ナジード、佐々木一平、川口覚、 阿部尚、小林健一ら。


羽海野チカによる同名の人気漫画を基にした作品。
映画が製作された当時は、まだ月刊「YOUNG YOU」で連載中だった。
監督の高田雅博はCM界で活動している人物で、これが映画デビュー。
祐太を櫻井翔、はぐみを蒼井優、真山を加瀬亮、あゆみを関めぐみ、森田を 伊勢谷友介、花本を堺雅人、理花を西田尚美、ルイジを堀部圭亮、マリオを宮崎吐夢、幸田を銀粉蝶が演じている。

序盤、竹本がはぐみに魅入られるシーンで「ここで人が恋に落ちる瞬間を初めてみてしまった」と真山のモノローグが入るから、じゃあ彼 のモノローグで物語で進行していくのかと思ったら、その後、モノローグの担当者はコロコロと変わっていく。
そのように複数の人物のモノローグが飛び交う手法は、漫画だと上手くいっていたんだろう。
そして映画という媒体に置き換えても、やり方次第では上手くいったかもしれない。
ただ、少なくとも本作品では、ただ取っ散らかっているだけだ。

それと、竹本がはぐみに魅入られるシーンで、そこに「人が恋に落ちる瞬間」としての説得力が全く無い。
そこはモノローグの説明だけじゃなく、「絵」としての説得力が欲しいのだ。
漫画だと、背景に飾りを付けたり、コマの大きさや配置を工夫したりすることによって、振り返ったはぐみの姿、そしてハッとしている 竹本の姿を描くだけでも、説得力を持たせることは可能なのよね。ところが映画では、ただ2人の姿を映し出しても、それだけでは説得力 が無い。
いっそのこと、もっと漫画チックに演出すれば、強引に捻じ伏せる説得力は生じただろう。
その辺り、演出にケレン味が無いのよね。
開き直ってベタベタの少女マンガチックに演出するぐらいのことをやっても良かったんじゃないか。
その後、部屋に残った竹本がはぐみの絵を眺めると、絵から花びらが飛んでくるという演出はあるんだし。
それは単に、タイトルバックに繋げるための演出ではあるんだけど。

モノローグの多用が、ものすごく疎ましいものに感じられる。
漫画だと効果的に機能していたんだろうが、映画だと「そんなの、いちいち言わなくても見ていれば分かるよ」とか、「それは言葉じゃ なくてドラマや芝居で表現しろよ」と思うことが大半だ。
例えば真山、あゆみ、理花が食事する場面、あゆみの「顔見知り?」「理花さん?」「真山が好きな人」とか、そんな言葉を、いちいち モノローグにする必要性をまるで感じない。

花本が「理花の心にポッカリと開いた穴を自分には埋められないと感じている」というモノローグを語る場面がある。
そういうモノローグを語るんだから、そこから理花の話に入ったり、花本が彼女と会ったり、あるいは真山とそういうことを喋ったり するのかと思ったら、アトリエへ森田が挨拶に来て、まるで別の話が描かれる。
たった今喋ったばかりのモノローグは、あっという間に遠くの空へと消え去って行き、大した意味など無かったかのようになってしまう。

はぐみと森田が共同作業をする場面で、花本の「どんなに目を凝らしても自分には見えなかった世界、果たせなかった夢と憧れ」などと モノローグが入るが、その複雑な心境がドラマの中で出て来ることも無いし、そんなのを語る意味が全く無い。
竹本が「僕は自分が彼女のために出来ることの少なさに愕然としていた」と語る場面でも、そういう落ち込みや歯痒さを感じていることは 、モノローグが無くてもドラマとして伝わってこなきゃダメなんだよ。
モノローグがドラマを補う役割になっていればともかく、ドラマで全く表現されておらず、全てをモノローグに頼るというのは、演出と して手抜き、もしくは間違いと言わざるを得ない。

森田の絵を見て、竹本は「やっぱすげえなあ、この人」と感嘆する。
でも、それがすごいのかどうか、こっちには何しろ絵心が無いもんだから、良く分からないのよね。
で、分からないなら素直に竹本の言葉を受け入れて「ああ、すごいのか」と感じておけばいいのかもしれないが、そこに説得力を求めたく なってしまうのよね。
はぐみの絵についても同様だ。

はぐみは大学のアトリエで描き始め、森田は倉庫で彫刻の制作を開始する。
ここは、交互にそれを描いているだけで、互いに天才として感性が刺激されて創作意欲が燃え上がる、という感じが弱いんだよな。
そして創作意欲が湧き立つのと同時に、恋愛感情か、もしくはそれに似たような感情が互いに芽生えて行くといったものが伝わってくる べきだと思うんだが、そういうのも伝わらない。

竹本が寮の屋上でやっているバーベキューに真山を誘い、そこに森田もやって来るという展開がある。
で、何かドラマ的に進展があるのかと思ったら何も無くて、ただギターで歌を歌う奴がいて、みんな盛り上がって、それでオシマイ。
そういう「何も話が進展しない」という場面に時間を使えるほどの余裕があれば、たまには休憩もいいだろう。
でも、全く時間が足りていないのよ。なのに、そんなとこで時間を浪費している場合かと。
原作は読んだことが無いが、まさか原作を適当に抜粋して、そこにあった場面を深く考えず適当に並べているだけじゃあるまいな。
そんな風に疑いたくなるぞ。

真山は教室から逃げたあゆみを中庭まで追いかけ、「なんで俺なの?」と言う。
だけど、その時点であゆみの気持ちに気付いているのは不自然に思えるんだよね。
彼の前であゆみがそんな素振りを見せたことは一度も無くて、ただ一度、尾行している時に目が合っただけだ。その一つだけで「こいつは 俺が好きだ」と断定するのは、ちょっと早計じゃないか。
その後、理花からクビを言い渡された彼は「それは僕が貴方を好きだから?」と自分から言っちゃうのね。
そんなこと自分から言えるぐらいなら、ずっとストーカーする意味あんのかと。
前に告白してフラれて、それで付きまとっているわけでもあるまいに。

竹本ってホントに主役なのかと思うぐらい存在感が薄い。
出番が少ないわけじゃなくて、彼に関する話が薄い。
一応、はぐみに恋していて、食事に誘ったり、浮かれたりという描写はあるんだけど、それも薄っぺらいモノだし、芸術の分野においては 全く話が無い。
それに、彼がはぐみに片思いしている切なさも今一つ伝わらない。
竹本に限らず、真山やあゆみの片思いに関しても同様だ。
それは、きっと時間が足りていないというのが最大の原因だと思われる。

ここに登場する面々は、ものすごく青臭い。そして、大学生なのに、ものすごく子供っぽい。 だが、青臭いのが問題なのではなく、彼らが子供っぽいのが問題なのではなく、それをスンナリと受け入れさせることが出来ていないのが 問題なのだ。ファンタジーとしての世界観に引き擦り込むことが出来ていないのが問題。
ファンタジーなら、それもアリなんだから。
流れてくる歌も、絶望的なぐらいファンタジーの雰囲気から作品を遠ざけている。
歌と言えば、エピローグ的なところでスピッツの歌が流れてエンドロールに入るので、そのまま最後までいけばいいのに、色々と大人の 事情があったらしく、その後に嵐の曲が入るのはヒドい。
ただし、本編を見せられて既に気持ちが離れており、わざわざエンドロールを最後まで見ない人も少なくないかもしれんが。

(観賞日:2010年3月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会