『8月のクリスマス』:2005、日本

鈴木寿俊は病院を訪れ、ある診断を医師から告げられた。彼は田舎町で、父の雅俊から譲り受けた鈴木写真スタジオという写真館を営んで いる。友人の宮田亮二が店に現われ、独身の寿俊に「妻の後輩を紹介すると持ち掛ける」。寿俊は興味の無い様子で、すぐに断った。亮二 がさらに粘ると、寿俊は苛立った様子を見せた。「もう誰かを好きになることは無いだろう」と、彼は心で呟いた。
寿俊は電話で友人の死を知らされ、葬式に参列した。店に戻ると、小学校の臨時教員・高橋由紀子が待っていた。彼女は急いでいる様子で、 学校で必要な写真の現像を頼んできた。そっけない態度を取る寿俊に、由紀子は写真を渡して店外へ出た。薬を飲んでから現像の仕事に 入った寿俊は、店の向かいで待っている由紀子の元へ行き、失礼な態度を詫びた。
バイクを走らせていた寿俊は、かつての恋人・佳苗と久しぶりに出会った。結婚して町を離れていたが、戻ってきているらしい。由紀子が 学校の生徒3人を連れて、写真館にやって来た。子供達が、好きな女の子の写真を焼き増ししてほしいと頼んだからだ。帰宅すると、妹の 純子が来ていた。寿俊は雅俊と2人で暮らしているが、結婚している純子がしばしば家事を手伝いに来るのだ。純子は佳苗と同級生だった。 純子は、佳苗が夫のギャンブル癖や暴力に耐えかねて実家へ戻っていることを語った。
バイクを走らせていた雅俊は、小学校の前で由紀子が保護者に責められている様子を目撃した。店に戻った雅俊の元に由紀子が現われ、 「少し休んでいい?」と尋ねてきた。由紀子は椅子に座ったまま、眠り込んだ。数日後、雅俊は困った様子の由紀子を見掛けた。生徒の 1人が家に帰っていないという。雅俊は由紀子をバイクの後ろに乗せ、生徒探しを手伝うことにした。やがて電話が入り、生徒がいたとの 連絡が入った。由紀子が貧血で倒れたため、雅俊は彼女を病院へ運び、しばらく傍にいた。
写真館に佳苗が現われたため、雅俊は招き入れた。2人が語らう様子を、お礼を言いに来た由紀子が店の外から見ていた。しばらくして 店にやって来た由紀子は、不機嫌な態度を示し、すぐに立ち去った。後日、頼まれた写真を届けに小学校を訪れた雅俊は、体育館で バスケットを教えていた由紀子に声を掛けた。由紀子から「こないだの人、キレイね」と佳苗のことを言われた雅俊は、最初は「奥さん だよ」と嘘をつく。だが、すぐに笑って「あの人は幼馴染みだよ」と告げた。
写真館に来た由紀子が「給料が入った」と言うので、雅俊は冗談めかして「おごってくれよ」と持ち掛けた。すると由紀子は「私の写真を 撮って。その出来次第」と告げた。「どんな写真?」と雅俊が聞くと、由紀子は「キレイに」と答えた。雅俊は口紅を持っているか確認し、 持っていないと聞くと唇を舐めるよう指示し、由紀子の写真を撮った。それからすぐ、由紀子は口紅を買いに出掛けた。
亮二と居酒屋に出掛けた寿俊は、酔った上での冗談に見せ掛け、自分がもうすぐ死ぬことを口にした。もちろん、亮二は本気にせず、寿俊 も笑って次の店へ向かった。中年男性とケンカになり、寿俊と亮二は警察署の世話になった。おとなしく座っていた寿俊だが、急に 暴れ始め、「俺に命令するな。俺が何したんだ。何もしてない。なんで俺に言うんだ」と泣き崩れた。
老婦人と息子や孫が、記念写真の撮影で写真館にやって来た。息子の勧めを受け、老婦人は1人の写真も撮った。雨宿りをしていた寿俊は 、通り掛かった由紀子の傘に入れてもらい、代わりに酒を御馳走することになった。7時半に写真館で会う約束をして、由紀子は自宅へ 戻った。だが、約束の時間を過ぎても彼女は現われなかった。そこへ老婦人が現われ、「昼間の写真、あれ……」と言うので、「撮り直し ますか」と寿俊は持ち掛けた。葬儀に写真を使うという老婦人に座ってもらい、寿俊は改めて撮影した。
翌日、由紀子が写真館を訪れ、約束を守らなかった理由を「なんか怖くなっちゃって」と告げた。寿俊が笑って「そんなことだったら平気 だったのに。オジサンは好みうるさいんだから」と言うと、由紀子は機嫌を悪くした様子で店を立ち去った。亮二が同級生を呼び集め、 寿俊と共にバーベキュー・パーティーを催した。亮二の提案で、全員の集合写真を撮影した。
寿俊は雅俊から、いつものようにDVDを再生してほしいと頼まれた。ふと思い付き、寿俊は雅俊に自分でやってみるよう勧めた。しかし 幾ら教えても雅俊は上手く動かせず、苛立った寿俊は「そんなことも出来なくて、これからどうすんだよ」と怒鳴ってしまう。自分の部屋 に戻った寿俊は、雅俊のためにDVDの使い方をノートへ丁寧に書き記した。
由紀子が口紅を付けて、写真館に現われた。由紀子は「友達が遊園地で働いているからタダ券をくれる。行かなきゃならないんだけど、 時間が無くて」と口にした。後日、寿俊と由紀子は遊園地へ出掛けた。その帰り、寿俊は自分のお気に入りの場所である高台に由紀子を 案内した。「冬はもっといい」と寿俊が言うと、「今度の冬にまた来よう」と由紀子が誘う。「もう来れない」と寿俊は言うが、理由を 問われると「この体力で雪の中を登るのはちょっとね」と冗談で返した。
ある夜、悲しみに暮れながら道を歩いていた寿俊は、焼き芋を買いに来た由紀子と出会った。由紀子は寿俊に焼き芋を渡し、「持ってると 暖かいから」と告げた。寿俊は自宅で様態が急変し、彼は入院することになった。一方、由紀子は次の赴任先として能登の外れにある学校 を紹介される。早めの返事を求められた由紀子は写真館を訪れるが、もちろん寿俊の姿は無く閉店中だ。事情を知らない由紀子は、毎日 やって来る。しかし、いつまで経っても寿俊が戻らないため、由紀子は手紙を残して能登へ赴任することを決めた…。

監督・脚本は長崎俊一、プロデューサーは小松万智子&千村良二、エグゼクティブ・プロデューサーは三宅澄二&森川欣信、撮影監督は 長田勇市、編集は阿部亙英、録音は武進、照明は祷宮信、美術は花谷秀文、VFXプロデューサーは石井教雄、音楽は山崎まさよし、 音楽プロデューサーは穂苅太郎。
主題歌「8月のクリスマス」は山崎まさよし、作詞・作曲・編曲は山崎将義。
出演は山崎まさよし、関めぐみ、井川比佐志、西田尚美、大倉孝二、戸田菜穂、大寳智子、草村礼子、野口雅弘、諏訪太朗、 大石継太、山崎大輔、西野まり、岡村洋一、相川裕滋、松崎早人、猫田直、氏家恵、福原拓也、暁、山本浩司、才藤了介、永島謙二郎、 坂寄卓士、金子裕太、平田秀典、斉藤瑠花、今野順貴、大久保蒼、稲生雅美、樹下尚美、大嶋美月、中村久美子、江口實、明野茂ら。


ハン・ソッキュとシム・ウナが共演したホ・ジノ監督の韓国映画『八月のクリスマス』を日本でリメイクした作品。
ミュージシャンの山崎まさよしが寿俊を演じ、音楽と主題歌も担当している。由紀子を関めぐみ、雅俊を井川比佐志、純子を西田尚美、 亮二を大倉孝二、佳苗を戸田菜穂が演じている。
監督&脚本は『ナースコール』『死国 』の長崎俊一。

オリジナル版の内容と比較すると、ヒロインの職業が駐車違反取締員から臨時教員になっていることと、終盤の展開を除けば、ほぼ同じに なっている。職業に関しては、小学校の臨時教員であることが、物語において取り立てて意味を持つわけではない。
終盤の展開に関しては、お涙頂戴と言えば韓国映画の得意技というイメージがあるが、「主人公の手紙をヒロインが受け取る」という シーンを作ったことで、日本版の方が涙を誘うような形になっているんじゃないだろうか。
他に大きな違いとしては、もちろん出演者が異なる。
山崎まさよしは、やはり本職ではないし、何しろ難しい役なので演技力の部分で少し厳しいトコロはあるが、しかしオリジナル版のハン・ ソッキュに似た雰囲気は出せていると思う。関めぐみは、最初はタイプ的に違うかなとも思ったが、話が進むにつれてそれなりに馴染んでくる。
音楽も当然のことながら、オリジナル版とは異なっている。穏やかさや、そこはかとないホノボノ感を抱かせるBGMに関しては、文句 無しに合格点を差し上げたい。

異なる点もあるにはあるが、基本的には本作品はオリジナル版を尊重している。オリジナル版に出来る限り近付けよう、なるべく同じ線を なぞろうと努めている。料理に乗せる蚊帳や、縁側のある日本家屋など、現代の日本ではなかなか見られなくなったようなモノを積極的に 持ち込んでいるのも、オリジナルの雰囲気を出来る限り残そうとした結果だろう(たぶん鈴木家は田舎町の古くからある家という設定 なんだろう。ちなみにロケ地は富山県高岡市である)。
由紀子が寿俊に「オジサン」と呼び掛け、それを寿俊が何の引っ掛かりも無く受け止め、まるで当たり前のこととして成立させているが、 それもオリジナルを出来る限り真似るためだ。
日本では30代の男性、しかも山崎まさよしが「オジサン」呼ばわりされるのは違和感があるが、オリジナル版でヒロインが主人公を 「オジサン」と呼んでいたのを踏襲したのだ。
寿俊と由紀子がタメ口になるのが早いという部分の違和感はオリジナル版を受け継いだ結果かどうか良く分からないが、でも何かあるんだろう。

さて、そこまでオリジナル版に近付けるための努力を惜しまず、この作品は出来上がったわけだ。
そこで私が思った疑問が1つ。
それは、「リメイクする意味があったのか」ということだ。
「オリジナル版から長い年月が経過しているから、古い映画を見ない人にも良い作品を見てもらいたい」という志なら、分からないでは ない(映像技術の進化によって、古い映画をリメイクして蘇らせるというパターンもあるだろう)。
しかし、オリジナル版は1998年の作品であり、まだ7年前だ。

これがアメリカならば、「吹き替えの文化も無いし、わざわざ字幕で外国映画を見る人も少ないから、アメリカ人向けにリメイクを」と いうことがあるかもしれない。
しかし、日本でオリジナル版が公開されたのは韓国ブーム真っ只中の時であり、それなりの観客動員があったはず。
それに、今からでも見ようと思えばDVDで幾らでも見ることが出来る。
日本では字幕で外国映画を見るのは普通だし、また吹き替え版で外国映画を見ることも普通に行われている。

この映画、ストーリーはそれほど重要ではない。特に大きな出来事が起きるわけではなく、平凡な日常が流れていく様子を、静かに淡々と 綴っていくというモノだ。
だからオリジナル版では、演出と俳優(特にハン・ソッキュ)の貢献度が非常に大きい作品だった。
当然、このリメイク版でも、演出と俳優の能力がとても重要になるわけだ。
しかし俳優はともかく、監督は単に韓国版の模倣を目指しただけだった。
この映画を見て感情を喚起されるとすれば、その大半はホ・ジノ監督の力だということになる。
だったら、オリジナル版を見ればいいだけのことだろう。
前述したように、オリジナル版はそれほど古いわけでもなく、日本でも簡単に不自由無く見ることが出来るのだから。
あえて言うなら、出演者のファンとロケ地になった高岡の出身者には見る価値があるかもしれないが。

(観賞日:2007年12月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会