『風俗行ったら人生変わったwww』:2013、日本

29歳で童貞の奥遼太郎は、幼少期の吃音の名残りがあり、パニックになると過呼吸にもなる。ニートだった時代もあるが、今は実家を出て鎌田で一人暮らしをしている。薄給の契約社員である遼太郎は、緊張しながらも何とか証明写真を撮り終えた。機械を出たところで彼はギャル男のヤッくんと彼女のユッコにぶつかってしまい、すっかり馬鹿にされる。遼太郎がパニック障害を起こしたので、ヤッくんとユッコは怖がって逃げ出した。
自動車免許更新の受付所に行くが、既に終了していた。雨が降って来たので傘を差そうとリュックを開けるが、過呼吸になった時に置き忘れたことに気付いた。リュックに紛れ込んでいたピンクチラシを見た彼は、「変わりたい」という気持ちをデリヘルに向けようと決めた。遼太郎がホテルで待っていると、人気ナンバーワンのデリヘル嬢・かよが部屋にやって来た。すっかり緊張してしまった遼太郎が過呼吸を起こすと、かよは急いで介抱した。
それどころか、別れる時には「今日はごめんなさい、何も出来なくて」と謝罪した。遼太郎が「こっちこそ、迷惑掛けてすみません」と頭を下げると、かよは「良かったら、これ。もし次があったら今日の分までサービスしますから」と名刺を渡した。かよに惚れた遼太郎は、翌日に名刺の番号へ電話した。店長から「一日中、予約が埋まってまして。明日の20時以降なら」と言われたので、彼は相手が風俗嬢だということを思い知らされるが、「お願いします」と告げた。
遼太郎は20万円を引き落とし、ホテルでかよと会った。しかし、遼太郎は性的サービスを求めないどころか、ほとんど会話もしなかった。60分の時間が過ぎたので、遼太郎は料金の2万円を差し出した。すると、かよは「貰えないよ」と受け取りを拒んだ。それでも遼太郎が金を渡そうとすると、かよが「良かったら連絡先、交換しない?これ以上、お金使わせるの悪いから」と持ち掛けた。遼太郎はかよと連絡先を交換し、その3日後には初めて外で会った。遼太郎が緊張していると、かよは手を繋いできた。
その夜、彼は初めて女の子と酒を飲んだ。酒の力を借りた遼太郎は積極的に喋り、かよに恋人がいないことも聞き出した。その後も遼太郎は、かよとのデートを繰り返すようになった。会えない日は、メールや電話で連絡を取るようになった。だが、風俗で働いている理由については、質問することが出来なかった。かよを好きになればなるほど、遼太郎は彼女が風俗の仕事をしていることを想像して苦しい気持ちになった。
そんな中、かよからの連絡が突如として途絶えた。着信拒否はされていないが、連絡しても彼女は出てくれなかった。店のホームページをチェックすると、出勤予定が全てキャンセルになっていた。店に電話すると、店長も彼女と連絡が取れていない様子だった。ピザ屋が配達に来ると、遼太郎は仲間が来ているように偽装した。しかしピザ屋にはバレており、「今日は虫の居所が悪いから言わせてもらうけど、そんなの見栄にもなってないから。どうせ張るなら意地張れよ」とキツい言葉を浴びせられた。
ネット住民である晋作、河合、滝田、田中、東出、新田、佐良田は、かよに電話するよう遼太郎に持ち掛ける。「もう30回も掛けてるんだよ。次出てくれなかったらどうすんだよ」と遼太郎が言うと、晋作はバタフライ・エフェクトについて語り、勇気を出すよう促した。遼太郎が思い切って電話を掛けると、かよに繋がった。遼太郎は自転車を漕ぎ、彼女のアパートに駆け付けた。かよは精神的に疲れた様子で、遼太郎に事情を話した。
大学に入るため18歳で秋田から上京した彼女は、先輩の中畑にレイプされて初体験した。かよを田舎の恋人と別れ、中畑と付き合い始めた。中畑はほとんど大学に行かないギャンブル狂の男で、借金を重ねた。中畑はかよに金を借りまくり、留守中に他の女を連れ込むカス中のカスだった。中畑の借金は膨らみ、渡す金に困ったかよがアルバイトを増やした。しかし借金は増え続け、かよは返済のために風俗で働くようになったのだ。
かよは中畑と別れたが、彼は週に何度もアパートまで押し掛けていた。遼太郎がかよと話している時も、中畑は部屋に押し掛けた。かよは遼太郎に、「開けるまで帰ってくれないの」と言う。「どうすればいいんだろう」と泣き出す彼女を見て、遼太郎は強く抱きしめた。彼は「大丈夫」と告げ、中畑を追い出しそうとする。中畑は激しく暴力を振るうが、遼太郎が必死に反撃すると怯んだ。強気になった遼太郎は「二度とかよさんに近付くな」と告げ、かよは中畑と縁を切ることが出来た。しかし、かよには百万近くの借金が残されていた。遼太郎は闇金業者の住吉徹と会うが、あまりに怖すぎて何も言えずに立ち去った…。

監督・脚本・編集は飯塚健、原案:@遼太郎「風俗行ったら人生変わったwww」、企画・プロデュースは谷澤伸幸、エグゼクティブプロデューサーは中沢敏明&千野毅彦、プロデューサーは厨子健介&津田悠子&大野貴裕、企画協力は黒井和男&生駒隆治&増山優子、制作プロダクションはセディックドゥ、撮影は相馬大輔、照明は佐藤浩太、美術は相馬直樹、録音は田中博信、編集は石田泉、衣裳は横田勝広、VFXは鳥尾美里、助監督は松下洋平、制作担当は高田聡、音楽は海田庄吾。
挿入歌 歌:アナログフィッシュ「公平なワールド」作詞:下岡晃、作曲:アナログフィッシュ。
主題歌 歌:MAN WITH A MISSION「your way」Music:Jean-Ken Johnny、Lyrics:Jean-Ken Johnny。
出演は満島真之介、佐々木希、松坂桃李、山中聡、中村倫也、谷村美月、はんにゃ・金田哲、滝藤賢一、時田愛梨、藤間宇宙、穂のか(現・石橋穂乃香)、駒木根隆介、上原実矩、阿部進之介、山田真歩、佐藤二朗、諏訪太朗、菅原大吉、平沼紀久、西沢仁太、倉田悠貴、松村一平(N.P.O)、おむすび、星ノこてつ(ノーモーション)、矢野ともゆき(ノーモーション)、笹原剛、高橋和歩、渡部謙之介、碓井英司、げんき、荻堂渡(わちゃコ)、溝口大樹(ダイナゴン)、堀川貴臣(僕らはポゥ)、原口和久(オレンジーナ)、小谷野拓也(ドリームチャイルズ)、帆足健(どうぶつえん)、金波憲幸(バビロン)、吉岡諒郎、市川悟(ぬりえ)、亀子のぶお(ザビエル)、まいこ、折原怜、坂ノ上朝美、光星杏梨、小峯さなえ他。


インターネットの電子掲示板「2ちゃんねる」に投稿された物語を基にした作品。
監督・脚本・編集は『彩恋 SAI-REN』『荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE』の飯塚健。
遼太郎を満島真之介、かよを佐々木希、晋作を松坂桃李、中畑を中村倫也、住吉を山中聡、ピザ屋を谷村美月、ビデオ屋をはんにゃ・金田哲、ヤッくんを滝藤賢一、ユッコを時田愛梨、河合を藤間宇宙、滝田を穂のか(現・石橋穂乃香)、田中を駒木根隆介、東出を上原実矩、新田を阿部進之介、佐良田を山田真歩が演じている。

2ちゃんねるに投稿された際は「書き込んだ男が体験した実話」という触れ込みになっていたが、後にAV監督の坂本鳴緒による創作だったことが露呈している。
まあ本作品に限らず、『電車男』にしろ、『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』にしろ、「2ちゃんねるに投稿された実話」という触れ込みの作品って、どれも創作である可能性は高いと思うけどね。
そして、そんな2ちゃんねる発の物語を基にした映画が駄作に仕上がるのも、やはり可能性が高いと言っていいだろう。

まず細かいことを指摘しておくと、「風俗行ったら」というタイトルは内容と合致していない。遼太郎はデリヘル嬢を呼んだのであって、風俗店へ出掛けて行ったわけではないからだ。
厳密に言うと「風俗嬢と会ったら」とか「デリヘル嬢を呼んだら」という表現が正しい。
たぶん坂本鳴緒もそんなことは百も承知で、語呂の良さを優先して「風俗行ったら」というタイトルにしたんだろう。
でも、語呂の良さを大切にするなら、遼太郎が恋する相手をソープ嬢か何かにすりゃ良かったんじゃないかと思ったりするんだけどね。
どうせ実話じゃなくて創作なんだから、その辺りは幾らでも脚色できるわけで。

ただし、もちろん本作品のダメな点は、「タイトルと中身が合致していない」などという些細なことだけではない。他が欠陥だらけなのであって、タイトルの問題など大したことではない。
まず「佐々木希が全く汚れ役を演じていない」という時点で失格。
どうせ佐々木希だから、例えデリヘル嬢の役であろうと、オッパイも尻も全く見せないことぐらいは最初から分かり切っている。だから、「なぜ乳や尻を見せないのか」なんて無理な注文をするつもりは無い。
ただし、「最低限のエロは表現しろよ」と言いたくなる。

この映画のテイストを考えると、官能的な性描写なんてのは全く必要が無い。っていうか、むしろ邪魔になるだけだ。だから、そういう方向性の艶っぽさや露出は求めていない。
ただし、「明るいエロ」ってのは逆に必要不可欠と言ってもいい。
例えば「かよが手でチンコをしごく様子を、別の物を使って表現する」とか、そういうことよ(実際に彼女がやっているのではなく、遼太郎の妄想という形でもいい)。
しかし本作品には、そういうエロも無い。それは完全に手落ちだわ。
かよがデリヘル嬢としての仕事をやっている様子を描かないと、「恋した相手がデリヘル嬢だった」という設定の意味が無くなっちゃうのよ。綺麗なだけの女なんて要らないのよ。

「2ちゃんねるに投稿された実話(という触れ込みの創作)」という時点で、リアリティーなんて1ミクロンも期待しちゃいけないことは良く分かっている。
だけど、でもツッコミを入れるべきポイントとしては、そういうのを見過ごすわけにもいかない。
まず、「遼太郎がデリヘルに電話したら店でナンバー1の美人がやって来た」という時点で、「はいアウト」と言いたくなる。
そんな可能性がゼロだとは断言できないが、「たまたまキャンセルが出た」という御都合主義を用意しても、リアリティーが欠如していることは確かだ。

冒頭、遼太郎はピンクチラシが大量に貼ってある電柱にしがみ付き、「そこから飛び出そうとするけど人が来たら慌てて戻る」ということを繰り返す。顔に汗をかき、異様に緊張した様子で走った彼は、証明写真の機械に飛び込む。
つまり、彼は「証明写真を撮るのに緊張していた」ってことだ。
「そういう人間が存在しないのか」というと、答えはノーだ。実際、私も昔は極度の人見知りで、証明写真の機械に入るだけでも緊張した類の人間だ。
ただし、「でも遼太郎はリアルじゃねえな」と感じるのだ。

何がリアルに感じられないかっていうと、それは「極度の人見知り」とか「対人恐怖症」の人物が見せるような態度だからだ。
しかし、遼太郎が自らモノローグで語るキャラクター設定の中に、そういう特徴は提示されていない。
っていうか、そもそも「ニート歴がある」とか「幼少期の吃音の名残りがある」とか「薄給の契約社員」ってのをモノローグで説明するだけで、すぐに「変わりたいからデリヘルに電話する」という展開へ移るのは拙速だわ。
まずは「遼太郎の性格や置かれている状況」ってのをドラマの中で描いて、それから「そんな状況を変えたい」という彼の気持ちを示すべきだ。

それと、遼太郎はパニック障害で「パニックになると過呼吸になる」と説明しているんだけど、そこも雑に処理しちゃってるんだよな。
ヤッくんたちに絡まれてパニックになった時、遼太郎はリュックからビニール袋を取り出して口に当てて深呼吸を始めるんだけど、ホントにパニック障害の人間だったら、「あらかじめ過呼吸になった時のためにビニール袋を用意しておく」ってのは納得しかねるわ。
だってさ、昔はペーパーバッグ法が効果的だとされていたけど、現在では救急現場で禁じられている危険な行為なんだよ。
パニック障害の持ち主である遼太郎なら、そういうことも知っているはずでしょ。

それを考えるとホテルで遼太郎が過呼吸を起こした時、かよがゴミ箱のビニール袋を外して彼の口に当てるという対処法を取るのも違和感が強い。
過呼吸に対して全く慌てず、咄嗟にペーパーバッグ法を取ることが出来るってことは、医療の知識があるはずだ。
そして医療の知識があるのなら、「ペーパーバッグ法は危険なので禁じられている」ってことも知っているはずでしょ。
それを知らない人間が、咄嗟にペーパーバッグ法を取ることが出来るってのは不自然だわ。

ほとんどモノローグだけで説明してしまい、前置きの部分を淡白に処理してしまうから、「変わりたいからデリヘルに電話する」という展開に「なんでだよ」と言いたくなってしまう。
そこまでの短い展開を見ているだけでは、なぜ変わりたいという気持ちが「デリヘルに電話する」という行動に直結するのか、サッパリ分からないのだ。
それは単に性欲が溜まっていたからってだけじゃないのかと。変わるための方法なんて、他に幾らだって考えられるわけで。
これが例えば「悪友が半ば強引に電話させた」とか、「アホな主人公が騙されてデリヘルに電話した」とか、そういう自らの意志が弱い形で電話するなら納得しやすいけど。

それと、遼太郎が雨の中でピンクチラシを眺めているシーンで急にネット住人とパソコンで会話している映像が挿入され、そのネット住人が目の前に現れて語り掛けるという演出にしてあるので、「お前ら誰だよ」と言いたくなってしまう。
そういうことをやりたいのなら、まず最初に「遼太郎がネットばかりやっていて、数名のネット住人とは仲良くやっている」ってことを描いておくべきでしょ。
そういう手順を踏んでから、「変わりたいと思った遼太郎が、心情をネット住人に明かす」という展開へ移行すべきでしょ。

遼太郎がかよに名前を呼ばれた時、「名前呼ばれた?初めての三次元の女の子に」という心の声が入るのだが、それも「普段はネットばかりやっていて、実生活では全く女性から相手にされない」という前提となる描写が足りていないと感じる。
とにかく、「まず主人公の周辺情報を描いてから話を進めようぜ」と言いたくなる。
その後でネット住人と並んで飯を食うイメージ映像が挿入されるけど、やっぱり「お前らは誰なんだよ」という印象は変わらない。
かよと会った後で初めて遼太郎の職場が描かれるのは手順が逆だと感じるし、その職場の描写はペラッペラだし。

遼太郎がかよと連絡先を交換して興奮した後、「この気持ちを誰かに言いたかった。例え、会ったことも無ければ、顔も見たことも無い、機械社会の誰かでも」というモノローグと共に、彼がネット住人たちとパソコンで会話を交わす様子が描かれる。
だけど、それ以前から、既に彼がパソコンでネット住人と話している様子は描かれていたし、それどころかネット住人は実体化して登場していたでしょ。今さら「気持ちを言うためにネット住人と繋がる」という手順を踏んでも、もう遅いでしょうに。
ピザ屋が「今日は虫の居所が悪いから言わせてもらうけど、そんなの見栄にもなってないから。どうせ張るなら意地張れよ」と遼太郎に告げるシーンも、やはり仕掛けとして雑だわ。
そういうのは、1度か2度ぐらい「ピザ屋が配達に来た時、遼太郎は仲間が来ているように偽装し、ピザ屋は何も言わずに立ち去る」というのを描いてからやってこそ効果的に機能するモノでしょ。「ピザ屋が来た時に遼太郎が偽装する」ってのを初めて見せた時に、いきなりピザ屋が前述の台詞を言う展開にしたら、ただ違和感が強いだけだわ。

あと、「なんでコメディーとしての味付けを中途半端にしてしまったのか」と言いたくなる。
その違和感は冒頭からあって、遼太郎が緊張しながら証明写真を撮影する時も、ヤッくんに絡まれて過呼吸になる時も、免許更新の受付に間に合わない時も、雨が降って来たのに傘が無いと気付いた時も、コメディーのテイストが極端に低い。泣きそうな顔でデリヘルに電話するシーンなんて、すんげえマジなテイストなんだよな。そうじゃなくて、もっと明るく楽しいテイストを徹底すべきだったと思うのよ。
ところが、「主人公の成長物語」をやけにマジな雰囲気で描こうとするもんだから、ただでさえ陳腐でバカバカしい話なのに、それが余計に際立つ羽目になっている。リアリティー皆無のバカバカしい話なんだから、荒唐無稽にやった方がいいだろうに。
たぶん満島真之介の大げさすぎる芝居も監督の狙いなんだろうけど、それなら周囲もそこに合わせるべきだろうに、テイストとしてはマジな部分が強いから、満島真之介の芝居が浮いちゃうんだよな。

コメディー要素が薄い一方で、間違ったポイントをユーモアに包んで表現してしまっている。それは、かよが風俗嬢を始めるようになった経緯を説明する箇所だ。
かよは新歓コンパの流れで酔っ払った振りをした中畑を介抱し、トイレを借りたいという言葉を信じて部屋に入れ、そこで彼に犯されている。つまり、レイプされているのだ。にも関わらず、それを「喜劇」として表現しているのだ。
それは絶対にダメでしょ。
映画人が常識人である必要は無くて、人と違うセンスが面白い創作物を生むことも多い。
だけど、そのセンスは完全にアウトなヤツなので、それが面白いと思っているなら娯楽映画の世界から一刻も早く足を洗った方がいい。

遼太郎が「二度とかよさんに近付くな」と告げた後、かよが狂ったように中畑に殴り掛かるシーンでネット住人が登場してクラッカーを鳴らすのも、それこそ狂った演出だ。
そこは「堪えていた怒りの感情がコントロールできなくなり、かよが激しく荒れる」というマジ以外の何物でもないシーンだろうに。
そういう「マジにしか演出できないシーン」を、「かよが中畑と別れたのでネット住人が祝福する」という表現にするって、どういうセンスなのよ。
軽妙に演出したいのなら、軽妙な別れとして描写できる形にしておけよ。「レイプで付き合うようになって、借金を返済するために風俗で働かざるを得なくなっていた」という関係なのに、何をどう笑えってんだよ。

後半、「遼太郎の反撃に中畑がビビって、かよと別れる」という御都合主義バリバリの展開の後、まだ借金は残っている」という問題が示される。
ただ、その借金ってのは百万円なのよね。借りた相手はヤミ金なのに、たった百万円で済んでいるのね。
ぶっちゃけ、百万円って「返せる範囲」と捉えるべき金額だよね。どうして、そんな中波半端な金額設定にしたんだろうか。
どうせ最終的にはチャラにしてしまうんだから、もっと高額の設定にしておけばいいんじゃないのか。

ただし、その「借金をチャラにする方法」ってのが、まるで応援できない上に、「あまりにも愚かしい」と感じる方法なんだよな。
何しろ、「巨大な送風機で借用書を飛ばしてしまう」という方法なんだぜ。
いやいや、それって根本的な解決方法になってないから。
そもそも、相手は「合法ギリギリ」で金融会社をやっているんでしょ。つまり、かよの借金は非合法ではなく正当な借金ってことだ。
そんな会社に対して、遼太郎が「送風機で借用書を飛ばす」という犯罪行為をやったら、通報されて警察に逮捕されてもおかしくないぞ。

それと、「送風機を使う作戦を授ける」という程度で出張って来るなら、晋作なんて要らないわ。
原作だと晋作が法律の知識を利用してヤミ金業者を追い詰めて行くらしいんだけど、それを大幅に改変したメリットは何も無いぞ。まさに「改悪」という表現がピッタリだ。
原作は読んでいないから知らないけど、少なくとも映画版の晋作は、お調子者のアホにしか見えないよ。「送風機で借用書を飛ばす」というアホな方法ぐらいなら、遼太郎でも思い付きそうだぞ。
「晋作がアパートまで押し掛けて助けてくれる」というトコの御都合主義は受け入れるにしても、「法律の知識を利用して遼太郎を助ける」という部分は踏襲すべきでしょ。

晋作は壊れた送風機をわざと用意し、遼太郎に「向かいの建物の屋上にある送風機を作動させるため、ジャンプする」という行動を要求する。
いやいや、何の意味があるんだよ。
そこまで協力する姿勢を示しておいて、そこで急にミッションを与える意味って何なんだよ。
それを「人間的に成長するため、自分を変えるための行動」として位置付けているけど、晋作にお膳立てしてもらった「ビルからビルへの走り幅跳び」なんて無意味なミッションをクリアしても、まるで感動なんてねえよ。ただ「アホか」と思うだけだよ。

そんな無意味なミッションの後、遼太郎が過呼吸になり、かよが駆け寄ろうとすると制止し、ビニール袋も使わずに必死で耐えて症状が消えるのを待つというシーンがある。
それを「遼太郎が強くなるために頑張った」というシーンとして描いているんだけど、過呼吸の時にちゃんと処置しないのは、ただ愚かなだけだよ。
そんなの、強さでも何でもねえから。
この映画を作ったスタッフの中には、パニック障害や過呼吸についてマトモな知識を持っている人は1人もいなかったのか。

あとさ、最後は「遼太郎がかよとセックスして童貞を卒業する」という着地が必要不可欠でしょうに。
別にさ、そこで実際の濡れ場を描写する必要なんて無いよ。『釣りバカ日誌』みたいに「合体」という文字を出して表現しちゃう形でも一向に構わないのよ。
でも表現方法がどうであれ、ともかく「2人が合体しました」という手順を入れないのは完全に手落ちだ。
「風でスカートがめくれ、かよのパンティーが見えて遼太郎が過呼吸になり、かよが駆け寄って応急処置しようとしているところへネット住人たちが走って来て万歳三唱する」って、どういう着地だよ。なんで遼太郎が過呼吸になっているのに、呑気に祝福しているんだよ。

最後に触れておくと、これっぽっちも脱がなくても、まるでエロさを発しなくても、それでも佐々木希は充分すぎるほど可愛い。
だから「佐々木希が可愛ければ、他に何も要らない」という人には、この映画を無条件でオススメする。
それ以外の人に本作品をオススメするためには、かなり膨大な条件を付ける必要がある。そして、その条件をクリアしても見たいと思える人は、そんなに多くないだろう。
あと、「佐々木希の可愛さなんて、この映画じゃなくて他でも見ることが出来るし」と言われたら、返す言葉は無い。

(観賞日:2015年5月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会