『ふしぎな岬の物語』:2014、日本

千葉県南端の小さな岬に、岬カフェという小さな喫茶店がある。店主の柏木悦子は毎朝、夢遊病者のような不思議な時間を過ごす。外で絵を描く亡き夫の幻覚を見て、笑顔を浮かべるのだ。何でも屋を営む甥の浩司は、「この人を守ってやる義務がある」と考えている。浩司は船を出して、悦子のために離島の水を汲んでやっている。岬カフェの壁には、悦子の亡き夫が描いた絵が飾られている。それを磨いてから開店準備をするのが、悦子の日課になっている。
浩司の元担任教師である行吉が、久しぶりに店を訪れた。定年を迎える彼は、ずっとフラフラしていた浩司が定職に就いたどうかを気にしていた。何でも屋を始めたことを悦子が話すと、「それは良かった」と安心した。不動産屋のタニさんが来たので、悦子は行吉を紹介する。タニさんは浩司から、球が速すぎて肩を壊し、甲子園の夢を断念したと聞かされていた。しかし行吉は、学校に野球部など無かったことを彼に教えた。
プロレス会場の設営を手伝っていた浩司は、外国人レスラーから声を掛けられる。「対戦相手が怪我をしたので出場できない。代役を引き受けてくれないか」と頼まれた浩司は、英語が分からないまま適当に返事をする。彼はリングに上がる羽目になり、あっさりと失神した。大沢寛彦といえ男が、幼い娘の希美を連れて店に来る。希美は絵を指差して「あった」と言い、寛彦は嬉しそうに「ホントにあったな」と告げる。描かれている虹について希美が「この虹を登って行ったら、ママに会えるのかな」と問い掛けると、寛彦は「会えるよ」と答える。悦子は「美味しくなあれ」と魔法を掛けて、2人にコーヒーを入れた。
悦子の質問を受けた寛彦は、東京から来たこと、マンションから綺麗な虹が見えたので希美にせがまれて追い掛けたこと、途中で消えたが娘に「こっちだ」と言われて店に入ったことを話す。希美には不思議な面があり、そういうことが時々あるのだと彼は話す。彼は1ヶ月前に急性骨髄性白血病で妻を亡くし、希美は母親の死を理解できずにいるのだという。悦子は「魔法を教えてあげる」と言って希美を抱き締め、「大丈夫、大丈夫って、おまじないを掛けるの」と告げる。「だんだん温かい気持ちになってきたでしょ?大切な人にだけ使える魔法なの」と話し掛けると、希美は「うん」と答えた。希美は寛彦の体を抱き締め、「大丈夫、大丈夫」と唱えた。寛彦は悦子に感謝し、自分が作った陶器を贈った。
雲海和尚はあばら屋に住む浩司を訪ね、プロレスで稼いだ金で土地代を払うよう促す。しかし浩司は生意気な態度で、それを拒否した。彼は岬カフェが見える場所だという理由で、その場所を借りていた。花畑では柴本孝夫と花嫁募集ツアーで出会った恵利の結婚式が行われ、多くの住民が祝福した。悦子や漁師の徳三郎たちは、食事の用意を担当する。泥酔した雲海が倒れると、医師の冨田が診察して「ただの飲み過ぎだ」と言う。
配膳を手伝っていた悦子は、酔っ払った中年男たちに絡まれる。それを目撃した浩司は激昂し、「汚い手で悦ちゃんに触ってんじゃねえ」と2人に襲い掛かった。タニさんたちが慌てて止めに入るが、浩司の暴走はなかなか終わらなかった。悦子から叱責を受けた浩司は、黙り込んでしまった。そんな彼を、タニさんは優しい態度で元気付けた。タニさんは浩司の作り話にも付き合っており、悦子は礼を述べた。かつて浩司は悦子の夫から死の間際に「悦子を頼む」と頼まれたという嘘をついたが、いつの間にか真実になっていた。
深夜、泥棒が岬カフェに忍び込み、金を盗もうとする。物音に気付いた悦子が店に来たので、慌てた泥棒は陶器を落としてしまった。割れた陶器を見た悦子は、「大事な物を」と口にする。「金を出せ」と包丁を向けられた悦子は、「お金なら、そのレジよ。ここにはね、そのレジのお金しかないの。ごめんなさい」と静かに告げる。悦子は「泥棒に入ったのは、今日が初めて?こんなお金の無い店に入るなんて」と微笑し、トーストを食べさせた。
泥棒がすっかり静かになると、悦子は「ホントに困ってるなら、この絵を泥棒して行って。主人が描いた絵なの。画家だったの。あの人の最後の絵」と告げる。泥棒は困惑し、「何やってんだろう、俺」と泣き出してしまった。彼は父から継いだ時計屋を潰してしまったこと、借金取りが押し掛けるようになって一家心中も考えたこと、娘の顔を見ると死に切れなかったことを打ち明けた。悦子から優しい言葉を掛けられた泥棒は、「失敗してもいいんですね」と納得した。彼は再出発することを約束し、包丁と手紙を残して姿を消した。
泥棒が入ったことを知った浩司は弟分の健に手伝わせ、店の近くに交番を建てた。警官の山本が「勝手なことを」と注意すると、浩司は「悦ちゃんを心配する気持ちは無いのか。ちゃんと勤務しろ」と交番に押し込む。しかし建築が甘かったため、簡単に壊れてしまった。悦子と鳴海神父が孝夫に呼ばれて駅へ行くと、「恵利ちゃんが東京の実家に帰るって聞かないんです」と言われる。「何かあったの?」と悦子に問われた恵利は「何も無いわ。堆肥の匂いがどうしても倒られないの。離婚します」と告げ、列車で去った。
徳三郎の娘・みどりが、久しぶりに村へ戻った。岬鯨祭の準備をしていた浩司は彼女に気付き、声を掛けた。悦子も彼女に気付き、徳三郎に知らせた。翌日、岬カフェに現れた徳三郎は、みどりが帰宅しなかったことを悦子に話して「おめおめと帰って来られるわけねえよ」と言う。かつて徳三郎は「あんなロクでもない男ダメだ」と反対したが、みどりは駆け落ち同然で東京へ出たまま音信不通になっていた。みどりはホテルに宿泊しており、浩司を村の案内役として雇った。
みどりは港へ連れて行ってもらい、父の船が開発で追い出されたことを知る。彼女は浩司から戻って来た理由を問われ、「分かんない。東京で上手くいかなくてね」と答えた。日が暮れてから中学校を訪れた彼女は、まだ残っていた行吉に挨拶する。定年退職に備えて荷物を整理していた行吉は、みどりに卒業文集を見せた。文集を開いたみどりは、「苦労して育ててくれた父と母をいっぱいの笑顔にしたい!」という自分の文字を見た。
帰宅したみどりは、徳三郎に「お父さんの言う通りだったよ。あいつは酷い男だった」と告げる。徳三郎は「もういい」と軽く告げ、娘を叱ったりしなかった。「望みは無いの?」と問われた彼は、特に何も無いと話す。徳三郎は吐血するが、みどりが焦ると「心配するな、今までも時々あったから。俺のことは気にすんな。お前は自分のことだけ考えろよ」と告げる。みどりが病院を行くよう促しても、彼は断固として拒絶した。
強風波浪警報が発令された夜、浩司はカフェの屋根に雨漏り防止のビニールシートを釘で打ち付ける。心配する悦子に、彼は中で待っているよう告げる。仕事を終えた浩司が店に入ると、悦子が転寝していた。浩司が顔を見つめながら頭を撫でると、悦子が目を覚ました。浩司は慌てて飛び退き、「ごめんなさい」と店を飛び出して叫んだ。翌朝、悦子の様子がおかしいのを見たタニさんは、浩司の元へ行って「悦子さん、どないしたんや。何かあったんやろ。正直に言わんかい」と詰め寄る。しかし浩司は、「何も無い」と否定した。
みどりは浩司に電話を掛け、逃げて来たのに別れた夫が村に来ると言っていることを明かして助けを求めた。浩司はタニさんたちに協力してもらってヤクザを装い、元夫を脅して離婚届に署名させた。悦子は徳三郎に、県立病院で診察してもらうよう頼む。徳三郎は「苦労して生き永らえようと思わない」と言うが、悦子が改めて頼むと承諾した。みどりは浩司の家を訪れ、「一杯だけ」と下戸の彼にビールを勧める。浩司が仕方なく飲むと、みどりは彼が昔から悦子が好きだという気持ちを指摘する。浩司が動揺して否定すると、みどりは「あの頃、浩司兄ちゃんが大好きだった。いいよ、悦子さんの代わりでも」と迫る。しかし浩司は酒が回り、倒れてしまった。
悦子は冨田から、徳三郎が末期の胃癌だったと知らされる。テラスで煙草を吸うタニさんを見つけた悦子は、「話があるんじゃないの?」と声を掛ける。タニさんは「大阪の子会社へ行けって言われてるんや。肩叩きや。でも恥ずかしい話やけど、仕事のうなったら、食うていかれへんねや」と弱音を吐く。悦子が何も言えずにいると、「落ち着いて、もう少し考えてみるつもりや」と彼は述べた。みどりは病院を訪れ、父の世話を焼く。徳三郎は「組合で船の買い手を探すよう頼んでくれ」と述べ、漁師から引退する考えを明かした。
悦子は病室を訪れてコーヒーを用意し、徳三郎に頼まれて「美味しくなあれ」と呪文を唱える。徳三郎が喜ぶ様子を見ていたみどりは、病院を去る悦子に声を掛けて「コーヒーの淹れ方を教えて下さい」と頼む。浩司はタニさんが大阪行きを承諾したことを知り、「だったら急がなきゃ。プロポーズだよ。悦ちゃんのことが好きなんだろ」と提案する。するとタニさんは、逆に浩司の恋心を指摘する。しかし浩司から焚き付けられたタニさんは、その気になった。
タニさんは鯛を購入して釣り上げたと嘘をつき、岬カフェで調理して悦子に振る舞う。2人きりのディナーでプロポーズしようと考えていたタニさんだが、結局は打ち明けられなかった。みどりは悦子から教わったコーヒーを病室へ持って行き、徳三郎に飲ませた。徳三郎の病状は悪化しており、スプーンでしかコーヒーを飲めない状態になっていた。それでも彼は娘を第一に考えており、「虫の知らせってやつか。お前が帰って来てくれて助かったよ。俺のことは構わんから、お前は仕事探せよ」と述べた。タニさんがフェリーで大阪へ向かう日、悦子は仲間たちと垂れ幕を用意して見送った。
徳三郎が亡くなり、悦子は霊安室を訪れて遺体に頭を下げた。首筋に血が付いているのを見つけた彼女は「苦しかったんでしょう」と言い、血を拭った。みどりは父が自分のために生命保険を積み立てていたことを知り、悦子の前で嗚咽した。悦子が店を休業していると、大沢父子が来た。寛彦は「この子が、どうしても連れて行ってくれって聞かないもので」と釈明し、希美は「若い綺麗なおじさんがいるの。その人は、その虹の絵を返して下さいって言うの」と悦子に話す。様々な場所に現れるが、怖くないのだと彼女は言う。悦子が驚愕の表情を浮かべて亡き夫の写真を見せると、希美は「この人」と口にした。悦子は寛彦と希美に絵を渡し、静かに見送る。その夜、悦子の不注意店が火事になるが、彼女は全く動こうとしなかった…。

監督は成島出、原作は森沢明夫『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)、脚本は加藤正人&安倍照雄、製作は石原俊爾&石井直&岡田裕介、企画は吉永小百合&成島出、エグゼクティブ・プロデューサーは岩原貞雄&高田佳夫&千代勝美&遠藤真郷&吉村和文、撮影監督は長沼六男、題字・デザインは和田誠、衣装デザイン(柏木悦子)は鳥居ユキ、プロデューサーは冨永理生子&川田亮&岡田有正&古川一博、美術は横山豊、照明は宮西孝明、録音は藤本賢一、編集は大畑英亮、音楽は安川午朗、ギター演奏は村治佳織。
メインテーマ「望郷〜ふしぎな岬の物語〜」/村治佳織 作曲:安川午朗、編曲:海田庄吾。
劇中歌「入っておいで この里に」アメリカ民謡 日本語詞:兵頭剛、歌:ブラザーズ5。
出演は吉永小百合、阿部寛、笑福亭鶴瓶、竹内結子、笹野高史、小池栄子、春風亭昇太、米倉斉加年、石橋蓮司、中原丈雄、吉幾三、井浦新、片岡亀蔵、不破万作、モロ師岡、嶋田久作、ブラザーズ5(杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃)、近藤公園、矢野聖人、矢柴俊博、采沢真実、眞島秀和、バッドラック・ファレ、笠兼三、大和田悠太、加藤頼、志野リュウ、上月左知子、山浦栄、島ひろ子、池田静雄、トミー茨城、馬渕誉、鈴木翼、竹内天音、佐藤智美、星野光代、北島美香ら。


森沢明夫の連作短編集『虹の岬の喫茶店』を基にした作品。
監督は『脳男』『草原の椅子』の成島出。脚本は『だいじょうぶ3組』『草原の椅子』の加藤正人と『築地魚河岸三代目』『ラブファイト』の安倍照雄による共同。
悦子を演じた吉永小百合が、女優人生で初めて企画を担当している。
浩司を阿部寛、みどりを竹内結子、タニさんを笑福亭鶴瓶、徳三郎を笹野高史、恵利を小池栄子、孝夫を春風亭昇太、冨田を米倉斉加年、雲海を石橋蓮司、鳴海を中原丈雄が演じている。

これまで吉永小百合は、自身の年齢を度外視した役柄を演じて来た。
『北の零年』では夫が渡辺謙、娘が石原さとみだった。『母べえ』では夫が坂東三津五郎、志田未来と佐藤未来が娘だった。
『まぼろしの邪馬台国』では夫が竹中直人で、『おとうと』では蒼井優が娘だった。
『北のカナリアたち』では、夫が柴田恭兵で父が里見浩太朗だった。
いずれの作品でも、自分より遥かに年下の男優が夫役だった。
しかし、「かなり年下の夫」という設定ではなく、「年相応の夫婦」ということになっていた。

そんな無理を通してきた吉永小百合が、今回は阿部寛と共演している。
吉永小百合は1945年生まれ、阿部寛は1964年生まれだが、今までのパターンからすると、んなことはお構いなしで「夫婦役」になっても不思議ではない。
しかし今回のヒロインである悦子は、旦那と死別している設定だ。阿部寛は、悦子の甥という役柄を演じている。
ようやく吉永小百合も「無理のある夫婦」と決別したかのと思いきや、一方で「阿部寛から惚れられる」という設定になっている。
やっぱり、根本的な部分は何も変わっちゃいないようだ。

序盤、コーヒーをカップに注いだ悦子は、「美味しくなあれ、美味しくなあれ」と呪文を唱える。
吉永小百合が年齢にそぐわない役柄を演じる様子は見慣れていたが、この描写には、さすがに度胆を抜かれた。
「美味しくなあれ」ってのを冗談として言っているわけではない。真剣な台詞として口にするのだ。
この映画はコメディーじゃないから、もちろん誰も「おいおい」などとツッコミを入れることも無い。誰もが「それは当たり前の光景」として、素直に受け入れている。

念のために書いておくが、ヒロインは幼稚園児や小学生ではない。十代の女の子でもない。年齢的には「お婆さん」である吉永小百合だ。
いや、むしろ「お婆さん」であった方が、「美味しくなあれ」と唱えるのも「可愛い」と捉えることが出来たかもしれない。
吉永小百合が中途半端にお婆さんらしくないことが、逆に違和感を強めていると言えよう。
っていうかさ、どう考えたって、「美味しくなあれ」と悦子に言わせるのは、マトモな感覚とは思えない。

ただし困ったことに、それがマトモな感覚だと認識することは、この物語を受け入れるための必須条件となる。
なぜなら、この映画に登場する村は、我々が日常生活を過ごしている場所とは大きく異なるからだ。
そこは「サユリストの村」と称することが適したコミューンである。そこに暮らす住民も、外から訪れる人々も、みんなが吉永小百合を無条件で愛するのだ。彼らにとって吉永小百合は、汚れの無い女神のような存在なのだ。そして、何をしても許される存在なのだ。
だから当然のことながら、「美味しくなあれ」とコーヒーに唱える行動だって、何の問題も無い。同年代の別の女性がやったら変だとしても、吉永小百合なら変ではない。
なぜなら、吉永小百合だからだ。吉永小百合がやるのだから、それは全て正しいのだ。

希美は母親を1ヶ月前に亡くし、その事実を受け止めることが出来ずにいる。しかし悦子が抱き締めて「大丈夫、大丈夫って、おまじないを掛けるの。だんだん温かい気持ちになってきたでしょ?」と言うと、元気に「うん」と答える。
悦子が「大切な人にだけ使える魔法なの。これから悲しいことや辛いことがあったら、パパに魔法を掛けてごらんなさい。そしたら悲しいことなんて遠いお空に飛んで行っちゃうから」と語ると、これまた元気に「うん」と言う。
ものすごく物分かりが良すぎるのだが、相手は吉永小百合なので仕方が無いのだ。
サユリストの村で吉永小百合と出会ったら、誰もがたちまち信者になってしまうのだ。

結婚式で酔っ払った中年男たち(不破万作と嶋田久作)は、悦子に「お酌しろよ」などと絡む。その連中より遥かに年配の女性なのに、まるで若い美人が来たかのように、エロい態度で絡む。
しかし、何しろ相手が吉永小百合なので、そういうことになってしまうのだ。
時と場合によって、吉永小百合は「幼児の心を一瞬で掴む母性の塊」にもなれば、「年齢を超越して欲情をそそる娼婦」にもなる。
サユリストの村では、そういう奇怪な現象が日常的に起きているのである。

泥棒が店に侵入しても、悦子は決して慌てない。それどころか「泥棒さん」と「さん」付けで優しく話し掛け、「泥棒に入ったのは、今日が初めて?こんなお金の無い店に入るなんて」と微笑む。
そうなれば、完全に彼女のペースだ。っていうか、「吉永小百合の世界」だ。
穏やかになった泥棒は、悦子の優しい言葉で泣き出してしまう。そして再出発を誓い、包丁をプレゼントとして残す。
どうやらサユリストの村では、悦子への謝礼として所持品を残すのが慣例になっているようだ。

恵利が実家へ帰ると言い出した時、孝夫は悦子と鳴海を呼ぶ。
鳴海は結婚式を担当した神父だから分かるとしても、普通に考えれば悦子を呼ぶのは変だ。彼女は孝夫の身内じゃないし、恵利と特に仲良しだったわけでもないからだ。
しかし、何しろ「サユリストの村」なので、それは当たり前なのだ。何があろうと、「まずは悦子」なのだ。
そこに口を挟む余地など無い。「なぜ」という疑問は存在しない。
あえて言うなら、「吉永小百合だから」ってことになる。

徳三郎は冨田の検診や注射を極端に嫌がり、吐血しても「心配するな、今までも時々あったから。俺のことは気にすんな」と娘に告げる。みどりが病院を行くよう促しても、断固として拒む。
悦子から県立病院に行くよう頼まれても、彼は「苦労して生き永らえようと思わない」と言う。しかし「良く分かったわ。でも、私からのお願い」と頼まれると、あっさりと承諾する。
「病院が大嫌いな頑固ジジイ」という設定の徳三郎も、悦子から頼まれたら、絶対に断れない。
なぜなら、彼もサユリストだからだ。

タニさんがフェリーで大阪へ向かう日、悦子は垂れ幕を用意して見送る。垂れ幕を支えるのは住人たちで、悦子は一人だけ横にいて顔を出し、タニさんに手を振る。
垂れ幕を作ったのも彼女じゃなくて住民たちだろうし、すっかり美味しいトコだけを取って行く形だが、悦子は特別な存在なので当然なのだ。
タニさんは涙を流し、「頭下げんのはこっちや。ワタシの方こそ、一杯一杯ふりがとうや。ワシはアンタに出会えて、ホンマに幸せやった」と深々と頭を下げる。
そこまで感激するほど、悦子がタニさんに何かしてあげたという印象は全く無い。
でもサユリストの村の住人からすると、「吉永小百合と触れ合えた」ってことが何よりの幸せなのだ。

終盤、タニさんが大阪へ旅立ち、徳三郎が死去する。常連客を失った後、悦子は希美から「おじさんが絵を返して下さいと言っている」と告げられ、それが亡き夫だと知って、絵を引き渡す。
その途端、悦子は一気に虚ろな状態へと変貌し、心を病んでしまう。
そして店が火事になってもボーっとしたままで、浩司に救助されるとブツブツと独り言を呟く。
タイトルの「ふしぎな」を平仮名で書いている辺りからして、ほんわかしたファンタジーを意図しているのかと思いきや、終盤になって急にサイコ・ホラー映画へと舵を切っている。

しかし、それは一時の気の迷いだったようで、すぐにサユリストたちが映画の雰囲気を戻そうとする。みんなが笑顔で悦子をサポートし、あっという間に岬カフェを再建するのだ。
みんながサユリストの村の信者なんだから、教祖様に奉仕するのは当たり前のことだ。
とにかく彼らは、吉永小百合が笑顔になってくれたら、それだけで幸せなのだ。
世の中には様々なコミューン映画が存在するが、これは吉永小百合を心から愛する人たちだけに向けられたコミューン映画なのである。

東映の会長である岡田裕介もサユリストなので、吉永小百合が笑顔になってくれたら、それだけで幸せなのだ。だから彼は彼女の主演作を作り続けているのだろう。
1996年の『霧の子午線』以降、山田洋次監督の『母べえ』『おとうと』を除いて、吉永小百合の出演作は全て東映の製作だ。岡田裕介にとって、「吉永小百合が年に合わない役を演じている」という印象は無いのだろう。
彼の中では、吉永小百合は「永遠のマドンナ」なのだ。
そう考えると、日本アカデミー賞で『ふしぎな岬の物語』がその年の最多13部門で優秀賞を獲得したのも、慣例では5人である優秀主演女優賞が吉永小百合を含む6人になったのも、すんなりと理解できる。

(観賞日:2016年2月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会