『震える舌』:1980、日本
三好昭と妻の邦江、娘の昌子は千葉郊外の団地に暮らしていた。ある日、昌子は湿地で泥遊びに興じた。その日から、彼女の様子に異変が現れ始めた。昭と邦江は風邪だろうと考えたが、そうではなかった。数日後、昌子はフラフラと変な足取りで歩いた。その夜遅く、昭と邦江は娘の悲鳴を聞いた。寝室に駆け付けると、昌子は痙攣を起こし、舌を強く噛んでいた。
昭と邦江は救急車を呼び、昌子を近くの病院に連れて行った。しかし宿直医はロクな診察もせず、大学病院に行くよう告げるだけだった。昭は勤務先の先輩・山岸の紹介で、その夜の内に昌子を大学病院へ運んだ。担当した若い医者は、心因性の病気だと判断した。しかし翌日、昌子を診察した小児科医長は、心因性の病気ではないと断言した。
詳しい検査の結果、昌子は破傷風と診断された。破傷風は、テタナスという微生物が傷口から体内に侵入して感染する。2万人に1人の割合で感染し、死亡率の非常に高い病気だ。昌子は外部の光を遮った部屋に隔離され、担当女医の能勢、助手の江田、婦長の斉藤らによって治療を受けることになった。昌子の治療を見守る中、昭と邦江は自分も感染したのではないかと不安になる…。監督は野村芳太郎、原作は三木卓、脚本は井手雅人、製作は野村芳太郎&織田明、撮影は川又昂、編集は太田和夫、録音は山本忠彦、照明は小林松太郎、美術は森田郷平、音楽は芥川也寸志。
出演は渡瀬恒彦、十朱幸代、若命真裕子、中野良子、宇野重吉、日色ともゑ、中原早苗、北林谷栄、梅野泰靖、蟹江敬三、加藤健一、矢野宣、越村公一、中島久之、佐古雅誉、三浦敏和、是枝正彦、山梨光国、石倉民雄、笹原大、別府康子、西真利子、広京子、平野真理、桜井由子、原真知子、斉藤徳子、谷口久美子、野見山さと子、佐藤裕美子、酒井栄子、舟川紀子、都倉成美、住吉由美子、岡田美佐子、雪江由記、大竹知美、一氏ゆかり、村上記代、秩父晴子、谷よしの、土田桂司、園田健二、渡辺紀行、加島潤、小森英明、羽生昭彦、篠原靖史、山本幸栄、城戸卓ら。
三木卓の同名小説を基にした作品。
日本が世界に誇るべきトラウマ映画。
闘病を通して親の娘に対する愛情や家族の絆を描く作品なのかと思いきや、完全にホラー映画である。
ここに描かれているのは、病気によって娘を失うことへの不安や、何とか娘を助けたいと願う親心ではない。
病気の症状が出ることへの恐怖ばかりを殊更に強調している。「破傷風は怖い病気なので、無闇に泥で遊ぶのは避けましょう」というメッセージを込めたプロパガンダ映画と考えれば、病気の恐怖だけをアピールすることは間違っていないのかもしれない。
しかし、まるで厚生労働省が勘違いして作ったような啓蒙フィルムとして捉えるにしても、相当にヤバい描き方だと思うのだが、破傷風患者や関係者から抗議は来なかったんだろうか。強烈なのが、恐怖の対象が「病気」ではなく、「症状を示す娘」そのものになっていることだ。
つまり、本来は発症して可哀想な立場にあるはずの幼い昌子が、まるで『エクソシスト』のリーガンのような扱いを受けているのだ。
そもそも演じている子役俳優・若命真裕子の名前がヤバい。「若命(これで「わかもり」と読む)」って、なんかスゴいぞ。どうやら破傷風は音や光による強い刺激を与えるとマズいらしく、それを遮るために昌子はカーテンを閉め切った部屋に隔離される。しかし何も無いまま進んでは、ホラー映画としての面白味が無い。
そこで、傍若無人なガキンチョが騒ぎながら乱入したり、配膳に回っている台車にぶつかって食器を落としたりして、刺激を与えるわけである。
隔離された後、しばらくは「痙攣を起こして悲鳴を上げる→処置を施して静かにさせる→音や光による刺激がある→痙攣」というパターンの繰り返し。静かな時間帯には、「そろそろ来るぞ、来るぞ」という予感を漂わせ、痙攣シーンへと繋げていく。
完全にホラー映画としての演出だ。
おどろおどろしい伴奏音楽も、雰囲気を盛り上げるのに一役買っている。直接的な残酷描写、ケレン味に溢れたスプラッター描写というのは少ないが、昌子が悲鳴を上げて痙攣を起こし、歯を食い縛り、口の周囲を血だらけにしているという姿だけでも、かなりのモノである。
さらに舌を噛むことを止めるために医者が彼女の歯を抜いてしまうという展開もあるのだが、そういった医療行為の1つ1つにも怖さが感じられる。ただしホラー映画としての面白さを期待しすぎると、たぶんガッカリするんじゃないだろうか。何しろ恐怖描写がエスカレートしていくわけではなく、ダラダラしていて退屈な時間帯も多い。この内容ならギュッと締めて、あと20分ぐらいは短く出来たと思う。それと、これからクライマックスという辺りで、逆に盛り下がってしまう。
終盤になって、リーガン、じゃなかった昌子の恐怖よりも、両親が自分達の感染に恐怖するという部分に視点が移っている。一方で、前半は大活躍だった昌子は、随分とおとなしくなってしまう。もう一波乱、というモノが無い。何より、昌子が治療のために悲鳴を上げられなくなっているのはツラいところだ。最後はあっさり風味でハッピーエンドなのだが、どうせホラー映画としての作りになっているのだから、終盤になって行儀良く闘病や親子愛のヒューマン・ドラマにしようと取り繕っても遅い。
最後までホラーとしての魂を貫くべきだった。
だから最後は完治してハッピーと思わせておいて、娘か母親が痙攣して歯を食い縛るシーンで終わるとか、あるいは泥遊びする他の子供の姿を見せるとか、何か含みを持たせて幕を閉じるべきだったのだ。前述したようにトラウマ映画なのだが、トラウマと言えば、昌子を演じた若命真裕子のことが気になる。
迫真の名演技を見せているので、他の作品に出演していてもおかしくないのに、調べた限りでは、この作品しか出演作が無い。
もしかして、この映画が彼女の人生を狂わせたんじゃないか、トラウマになっているんじゃないかと、そんなことが気になってしまう。