『Fukushima 50』:2020、日本

2011年3月11日午後2時46分、福島第1原子力発電所。緊急地震速報のアナウンスが入り、1・2号機サービス建屋2階の中央制御室では当直長の伊崎利夫が第1班当直副長の加納勝次や当直主任の本田彬たちに慌てて指示を出した。しばらくすると揺れが収まり、伊崎たちはパラメーターを確認する。地震の影響で停電が発生するが、すぐに非常用ディーゼル発電機が動いて電力は復旧した。所長の吉田昌郎は免震重要棟の緊急時対策室(緊対)へ行き、発電班長の野尻庄一に指示を出す。復旧班長の樋口伸行は吉田に、震度6強だと知らせた。吉田は職員の面々に、落ち着いて対応するよう説いた。
中央制御室には応援として、管理グループ当直長の大森久夫や第2班当直長の平山茂、第3班当直長の矢野浩太たちが駆け付けた。伊崎は吉田からの電話で、大津波警報が出ていることを知らされた。海抜10メートル以上の場所なので大丈夫だろうとは思いつつ、伊崎は津波用マニュアルを用意させた。総務班職員の浅野真理はスピーカーを通じ、海沿いで作業をしている面々に避難を呼び掛けた。第2班当直副長の井川和夫と管理部当直長の工藤康明は大津波を目撃し、慌てて逃げ出した。
午後3時40分、地震から54分後。非常用電源が落ちたため、伊崎は吉田に連絡してSBO(全交流電源喪失)を宣言した。吉田は動揺しながら、原子力災害対策特別措置法第十条に該当する事態を東電本店に伝えた。東都電力常務の小野寺秀樹は緊急対策本部を設け、対応に当たる。井川と工藤は中央制御室へ飛び込み、津波で建屋が水没していることを伊崎に報告した。その情報を聞いた吉田は原子炉を冷やすため、水を入れる消防車の手配を樋口に命じた。
伊崎は職員たちに、原子炉の様子を見に行くことを告げた。彼は2人1組でペアになること、1時間で戻らなければ救出に行くことを指示した。さらに伊崎は、電源が復旧しなければメルトダウンが起きること、それを防ぐためには原子炉に水を入れて冷やすしか無いことを話す。彼は消化用の配管ラインの5つのバルブを開け、水を送り込む作戦を説明した。吉田は消防車2台が津波で使えないこと、もう1台は瓦礫が散乱して難しいことを知らされ、「難しくてもやれ」と怒鳴った。さらに彼は、本店を通じて自衛隊に消防車を頼んでもらうよう指示を出した。
首相官邸の危機管理センターでは、保安院から情報が上がって来ないことに内閣総理大臣が激しく苛立っていた。そこへ東都電力フェローの竹丸吾郎が来ると、内閣総理大臣は社長も会長も出張中と聞いて憤慨した。アメリカ大使は大統領に電話を入れ、日本政府が上手く対応できていないので独自の対応策を考えるべきだと進言した。大森と加納は1・2号機サービス建屋へ行き、バルブを開いた。伊崎の元へ戻った彼らは、毎時1.2ミリシーベルトという数値を報告した。伊崎は驚き、異常が起きていることを吉田に知らせた。
吉田はヘリコプターで電源車を運搬してもらおうとしていたが、重すぎて飛べないために中止となった。内閣官房長官は記者会見を開き、原発事故を公表した。原子力緊急事態宣言が発令されたことは、ラジオニュースを聞いていた伊崎家の耳にも届く。伊崎の娘の遥香が不安を抱いていると、母の智子が「お父さんなら大丈夫」と告げた。半径2キロ圏内の住民である松永たちには、避難指示が出された。世界中で原発事故のニュースが報じられる中、双葉町役場では職員たちが対応に追われた。
吉田は本店の迅速な指示が出ないことから、激しく苛立った。福島第1原子力発電所に電源車が到着するが、電圧が違うので使えなかった。第1班補機操作員の西川正輝や宮本浩二たちは車のバッテリーを集め、格納容器の圧力計を回復させた。容器の圧力は通常の1.5倍に当たる600ミリシーベルトに達していた。報告を受けた伊崎は、「ベントしかねえのか」と呟いた。野尻から圧力の数値を聞かされた吉田は、ベントの準備を指示した。
原子力安全委員会委員長は総理や官房長官たちに対し、ベントについて説明する。格納容器の爆発を防ぐためには、圧力を外へ逃がす必要がある。この作業がベントだ。内閣官房長官が「周辺地域が放射能に汚染されるのでは?」と心配すると、彼はメルトダウンを避けるためだと説明した。委員長は世界で初めてであること、電源が使えないので人の手でやるしかないことを告げた。伊崎が1号のベントを担当する志願者を募ると、誰も挙手しなかった。しかし伊崎が挙手して相棒を募ると、職員は次々に名乗り出た。
官房長官は会見に出席し、ベントの実施を発表した。伊崎はベテランの職員から、3組6名を選んだ。大森と井川がMO弁、工藤と矢野がAO弁を開き、平山と松田が待機することになった。半径10キロ圏内の住民に、避難指示が出された。吉田は本店から総理の視察に対応するよう指示され、激しい苛立ちを示した。陸自が消防車で到着するが、総理が視察に車で待機を余儀なくされた。福島第1原子力発電所に着いた総理がヒステリックに喚き散らす中、吉田は怒りを押し殺して状況を説明した。
圏内全ての住民の避難が完成し、連絡を受けた吉田は伊崎にベントを指示した。消防車からの注水が開始され、大森と井川はMO弁を開く。2人はボンベの酸素を使い切り、無事に帰還した。続いて工藤と矢野がAO弁を開きに向かうが、トーラス室の温度が高すぎたため撤退を余儀なくされた。中央制御室に帰還した彼らの被曝線量は、限界寸前にまで達していた。状況を知った吉田は、コンプレッサーで外から空気を送り込んで遠隔でAO弁を開く方法を野尻や福原たちに提案した。
中央制御室の面々が再びトライすることを聞いて、5・6号機当直長の前田拓実と当直副長の内藤慎二が応援に駆け付けた。前田は中央で10年の経験があり、AO弁の場所を熟知していることから実行役を買って出た。平山は自分より遥かに若い前田が行くことに反対するが、伊崎は許可した。前田は内藤と組み、現場へ向かう。しかし伊崎はスタックから煙が出ているという連絡を聞き、急いで2人を止めるよう指示した。彼は吉田に連絡し、外部からのベントに成功したことを知らされた。
第1班補機操作員の西川正輝は、何も出来ることは無いので免震重要棟へ避難すべきではないかと伊崎に告げる。他の職員は西川を激しく責め、伊崎は中央制御室に留まる必要性を説いた。1号機が水素爆発を起こし、瓦礫によって電源車のケーブルが損傷した。吉田は注水用の真水が無くなりそうだと聞き、「海水注入しか無いな」と口にした。竹丸からの電話で海水注入について問われた彼は、「もう入れてますよ」と答えた。すると竹丸は慌てて中止を指示し、官邸が「海水の不純物が中性子に当たって再臨界を起こすかも」と言っていることを伝える。注水を続けることが最優先だと吉田は声を荒らげ、竹丸の「これは命令だ」という言葉に激怒して電話を切った。
吉田は防災安全部部長の佐々木明に指示し、注水を続行させた。小野寺から改めて海水注入の中止を指示された吉田は、承諾の返事をしておいて密かに注水を続けさせた。吉田は伊崎に連絡し、3号の線量が上昇して爆発の可能性があることを告げる。彼は屋外の作業を中止し、データ収集の人員を残して免震棟へ戻るよう命令した。伊崎は職員たちに、今後は5名の交代制で作業に当たるよう指示した。小野寺から作業の再開を要求された吉田は憤慨し、爆発の危険性があることを訴える。小野寺の「余計なこと言わずにやれよ」という恫喝に彼は激怒するが、仕方なく職員たちに作業へ戻るよう頼んだ。
3号機が大爆発を起こし、大勢の怪我人が出た。外の線量が上昇したため、吉田は交代に向かおうとする伊崎に待つよう指示する。しかし伊崎は前田たちを助けるため、中央制御室へ向かった。2号機の格納容器の圧力が上がっていることが判明し、伊崎は急いで吉田に報告を入れた。吉田は驚愕し、チェルノブイリ原発事故を連想する。本店の小野寺たちはドライウェルベントを早く実行するよう命令し、吉田は協力企業の面々に撤収を促した。自衛隊の面々も吉田から退避を促されるが、留まることを選択した。総理は東電が福島第一原発からの撤退を考えていると知って激怒し、テレビ会議で「覚悟を決めてやれ。撤退など有り得ない」と怒鳴った…。

監督は若松節朗、原作は門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫刊)、脚本は前川洋一、製作代表は角川歴彦、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎、製作は堀内大示&大角正&布施信夫&井戸義郎&丸山伸一&安部順一&五阿弥宏安&飯塚浩彦&柴田建哉&岡畠鉄也&五十嵐淳之、企画は水上繁雄、企画プロデュースは椿宜和、プロデューサーは二宮直彦、プロダクション統括は千綿英久、ラインプロデューサーは梶川信幸、撮影は江原祥二、照明は杉本崇、美術は瀬下幸治、サウンドデザイナーは柴崎憲治、録音は鶴巻仁、編集は[廣におおざと]志良、特撮・VFX監督は三池敏夫、アソシエイトプロデューサーは浅野博貴、音楽プロデューサーは小野寺重之、音楽は岩代太郎。
出演は佐藤浩市、渡辺謙、吉岡秀隆、緒形直人、火野正平、平田満、萩原聖人、佐野史郎、安田成美、堀部圭亮、小倉久寛、和田正人、石井正則、三浦誠己、富田靖子、泉谷しげる、津嘉山正種、吉岡里帆、斎藤工、中村ゆり、段田安則、篠井英介、金田明夫、和田正人、石井正則、三浦誠己、田口トモロヲ、皆川猿時、小野了、金山一彦、前川泰之、天野義久、ダンカン、ダニエル・カール、小市慢太郎、伊藤正之、阿南健治、矢島健一、堀内正美、藤田宗久、堀井新太、金井勇太、増田修一朗、須田邦裕、邱太郎、池田努、岡田卓也、内藤裕志、安藤広郎、石田尚巳、鯨井智充、竜史、魚谷としお、渡荘太、野本茂明、神田穣、中村賢哉、生田拓馬、高橋勝美、長戸浩二、岩木伸夫、柴田達成ら。


門田隆将のノンフィクション書籍『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を基にした作品。
監督は『柘榴坂の仇討』『空母いぶき』の若松節朗。
脚本は『熱血ゴルフ倶楽部』『週刊バビロン』の前川洋一。
伊崎を佐藤浩市、吉田を渡辺謙、前田を吉岡秀隆、野尻を緒形直人、大森を火野正平、平山を平田満、井川を萩原聖人、内閣総理大臣を佐野史郎、浅野を安田成美、加納を堀部圭亮、矢野浩を小倉久寛、本田を和田正人、工藤を石井正則、内藤を三浦誠己が演じている。

映画の冒頭で地震が発生し、キャラ紹介や基本設定の説明といった助走は無いまま物語を進める。一気にギアを上げ、そのまま最後まで走って行く。
難しい専門用語がバンバン飛び交うが、特に解説は用意されていない。だが、「今そこにある危機」だけをドキュメンタリー・タッチで描き、臨場感や緊迫感を高めようとするのであれば、扱っている内容も考えると、それはそれで1つのやり方だと思う。
しかし若松監督はそういう乾いたタッチが持ち味の人じゃないので、途中から人情ドラマが入って来る。そして、そのことが、作品を陳腐にする上で大いに貢献している。
人情ドラマは原発だけに留まらず、他の場所にも手を広げている。避難所で智子と前田の妻・かなが話すシーン、遥香が恋人の滝沢大と電話で話すシーン、遥香が父との口論を思い出すシーン、伊崎が幼い頃を思い出すシーンなどは、全く要らない。
何ならアメリカ大使館や米軍の様子を描くシーンも要らないし。

そもそも人情ドラマが入って来る前から、実は色々と問題も多いのだ。
冒頭のシーンから、既に安っぽさに満ちている。カメラを揺らして地震を表現しているが、建物から出て来た職員の芝居も含めて、ものすごく安っぽい。
どれぐらい安っぽいのかと言うと、アサイラムの作品を連想させるほどだ。ちっとも「リアルな臨場感」を感じさせてくれない。
井川と工藤が津波を見て逃げ出す時のわざとらしい反応も、津波の映像も、やはりアサイラム作品を連想させる。

この映画では福島第一原発で働く人々をヒーローのように描いているが、それは大間違いだ。
大津波を全く想定していなかったこと、地震や津波への備えが全く足りていなかったことなど、全ては東京電力や福島第一原発の怠慢が引き起こしたヒューマン・エラーなのだ。彼らは自分たちのツケを支払わされただけなのだ。
そして東京電力や福島第一原発のせいで、大勢の市民が被害を受けた。
つまり、東京電力や福島第一原発は、ヒーローどころか、むしろ人災を引き起こした加害者側の面々なのだ。

東京電力が劇中では「東都電力」になっているが、そこを変えている時点で大きな減点だ。
そんな東都電力で働く職員には個人名が付いているが、政府関係者は「内閣総理大臣」や「内閣官房長官」など役職だけになっている。しかし、内閣総理大臣が当時の菅直人氏を示していることは誰が見ても明らかだ。
そんな菅総理は、劇中ではヒステリックに怒鳴り散らす無能な男として描かれている。そして彼の軽率な行動が、さらに事態を悪化させたように描かれている。
これは、当時の菅総理や内閣を激しく糾弾した自民党や、その太鼓持ちである産経新聞と同じやり方だ。

当時の菅直人氏の対応が、全て正しかったとは思わない。しかし全ての元凶のように描き、彼だけを悪者にするのは違うだろう。
東京電力や保安院から全く情報が上がって来ない中で、首相が出来ることは限られていた。そして東京電力が正確な情報を伝えないから、首相が現場へ乗り込まざるを得なくなったのだ。
首相が本店で「撤退など有り得ない。命懸けで守れ」と怒鳴るシーンでは彼が批判の対象として描かれているが、彼が現場に残って作業に当たるよう命じなければ、東京電力は福島第一原発から逃げ出すつもりだったのだ。
そうなればメルトダウンが起きて、甚大な被害が出ていたのだ。

「伊崎がベントの実行役に挙手して相棒を募ると、次々に志願者が名乗り出る」というシーンは、感動のドラマとして描かれている。
でも、最初に伊崎が志願者を募った時点では、誰も名乗り出なかったわけで。
伊崎が挙手してから「俺が行きます」「僕が行きます」と次々に名乗り出るのは、ダチョウ倶楽部のネタみたいに見えちゃうわ。
そのタイミングで次々に名乗り出るのなら、最初に伊崎が志願者を募った時点で挙手しろよ。

前田はAO弁を開く仕事を買って出た時、「あいつの性能は僕が一番分かってます」と言う。「あいつ」ってのは、原子炉のことだ。
さらに「僕は1号機に育てられたようモンなんです」と語り、伊崎が「原子炉は機械じゃねえんだよな。子供と同じで、やんちゃな奴もいれば、おとなしい奴もいる」と話すと「この手であいつを助けてやりたいんです」と語る。
彼らは原子炉を「大事な友達」「可愛い子供」のように捉えているわけだが、ものすごく感覚がズレているという印象があるぞ。
まさか子供だから甘やかして、安全対策を疎かにしていたわけじゃあるまいな。
そんな風に、うがった見方もしたくなるぞ。

前田と内藤がトーラス室へ向かおうとすると、スタックから煙が出る。慌てて2人を止めた伊崎が確認すると、吉田はコンプレッサーで外から空気を送り込んでAO弁を開いたことを話す。何も知らされていなかった伊崎が激怒すると、吉田は逆ギレする。
でも下手をすれば、前田と内藤は命を落としていたわけで。
遠隔操作でベントを試みるなら、事前に連絡するのは当然の行動だ。
大切な「報告・連絡・相談」という基本を、そういう時も忘れているわけだ。そういう基本的な感覚が、欠如しているわけだ。

吉田は本店に連絡せず勝手に海水を注入し、竹丸から官邸が「海水の不純物が中性子に当たって再臨界を起こすかも」と中止を命じていることを知らされると「素人は黙ってろ」と苛立つ。
しかし後の検証により、注水した方が化学反応によってメルトダウンの可能性が高くなることが判明した。つまり吉田の海水注入も、素人判断に過ぎなかったのだ。
それでも福島原発で起きなかったのは、皮肉なことに配管から海水が漏れていたからなのだ。
吉田は命令に従わず、密かに海水注入を続行する。そのくせ撤退を指示された伊崎が抗議すると「これは命令だ」と怒鳴り付ける。
自分は命令を無視したくせに、部下には命令への順守を要求するのだ。メチャクチャじゃねえか。

吉田が官邸や本店から様々な要求を受け、恫喝されるシーンが何度も描かれる。これにより、「理不尽な要求を強いられた吉田が現場との板挟みになって苦悩しながら、未曽有の危機に立ち向かう」という姿を強調している。
この辺りの描写は完全なるフィクションなのだが、実話ベースなので「全て真実」と誤解する人もいるだろう。
再現ドラマじゃなくて劇映画なので、なんでもかんでも事実通りである必要は無い。ある程度は脚色があってもいい(品質としては再現ドラマだけどね)。
でも、吉田を悲劇のヒーローとして描く脚色は、この映画をダメにしている大きな要因と言ってもいいだろう。

他の面々は仮名にしてあるのに、吉田だけは実名を使っている。そして、そんな吉田の死を「立派な殉職」のように描き、「彼が命懸けで戦ってくれたことで危機が回避され、東京五輪に繋がった」というハッピーエンドのように物語を締め括っている。
これは、ものすごく醜悪なやり方だ。死人に鞭を打つようなことを言うべきではないのだろうが、そもそも吉田がちゃんとしていれば、事故も起きなかった。
そして事故後の対応にしても、実は大きな誤りだったのだ。海水の注入が全くの無意味だったことは、既に明らかとなっている。
最終的に「2020年7月より開催される 東京オリンピック・パラリンピックは復興五輪と位置付けられ、聖火は福島からスタートする」という言葉で「全て解決し、明るい未来に向けて日本は動き出している」ってな感じで締め括っているけど、何も終わっちゃいないのだ。まだまだ問題は山積みなのだ。

(観賞日:2021年8月14日)


2020年度 HIHOはくさいアワード:第4位

 

*ポンコツ映画愛護協会