『復活の日』:1980、日本

1981年、新種ウイルス創造のための遺伝子工学的実験研究は、全て世界的に禁止された。それから1年後の1982年2月、東ドイツのライプチヒ。米軍のスパイはクラウゼ博士を騙して協力させ、陸軍細菌研究所からウイルスMM88を奪取した。
MM88はアメリカの細菌学者が発明したウイルスで、摂氏マイナス10度で自己増殖をはじめ、0度を越えると恐るべき毒性を発揮する。ワクチンは無く、感染すれば全ての動物は3日で死亡する。スパイはMM88を持ち出すが、途中で飛行機が墜落してしまう。
1982年3月、アメリカ・メリーランド州の細菌研究所。マイヤー博士の元をランキン大佐が訪れ、MM88の奪還が失敗したことを知らせた。マイヤー博士は、ランキン大佐がMM88を生物兵器として利用しようと企んでいることに気付いていた。ランキン大佐はマイヤー博士を精神障害に仕立て上げ、病院に換金してしまった。
やがて世界中で、イタリア風邪と命名された病気が猛威を振るい始めた。MM88が原因だとは知らぬまま、人々は次々と死んでいった。1982年5月、南極の昭和基地にいる南極越冬隊の面々は、中部アフリカでは人も動物も全滅したという情報を聞いた。
隊員の1人・吉住周三は、日本に残した恋人・浅見則子のことを心配していた。その頃、則子は日本で看護婦として忙しく働いていたが、過労で倒れて流産してしまった。一方、アメリカのホワイトハウスには閣僚が集まり、対策を講じていた。ガーランド統参議長は自動報復装置ARSの作動をリチャードソン大統領に要求し、拒否された。
1982年7月、則子の働く病院では、土屋教授がイタリア風に倒れた。8月、昭和基地では日本との交信が途絶えていた。サンタフェの牧場にいるという少年トビーの声が無線に届くが、彼は家族がイタリア風邪で死んだことを語った後、銃で自害した。
アメリカのバークレイ上院議員は、ランキン大佐が密かにMM88の兵器利用計画を進めていたことを突き止めた。日本では土屋教授が死亡し、南極越冬隊隊員・辰野保男の妻・好子も亡くなった。則子は辰野の息子・旭をモーターボートに乗せ、天国へ旅立った。妻子の死を知った辰野は基地を抜け出し、そのまま帰らぬ人となった。
リチャードソン大統領は南極のパーマー基地に連絡を入れ、各国の基地に交信を繋ぐよう指示した。彼はウイルスが低温では活動を停止する特性を告げ、南極で生き残って欲しいと言い残して息を引き取った。ガーランド統参議長は、ARSのスイッチを入れて死亡した。1982年秋、863人の人間を南極に残し、人類は滅亡した。
南極では、各国の代表が集まって会議が開かれることになった。日本隊の中西隊長と吉住は会議に向かう途中で立ち往生し、ノルウェイ基地に向かった。だが、ノルウェイ基地では隊員が発狂し、隠れていた女性隊員マリト以外は死亡していた。マリトは妊娠しており、吉住は彼女の面倒を見るために基地に残ることになった。
パーマー基地では各国の代表者が集まり、アメリカ隊のコンウェイ提督が議長となって今後の方針を決める会議が行われる。だが、言い争うばかりで何も決まらない。そんな中、マリトが出産し、息子にグリイと名付けたという連絡が入った。
ソ連の潜水艦T232号のスミルノフ少尉から、乗組員がイタリア風邪に感染しているため上陸したいとの通信が入った。南極会議は拒否するが、スミルノフ少尉は上陸しようとする。近くにいた英国原子力潜水艦ネレイド号のマクラウド艦長は、T232号を撃沈した。潜水艦ネレイド号の乗組員は、南極会議の許可を得て上陸した。
それから1年が過ぎたが、未だにウイルスの恐怖は続いていた。南極では種の保存のため、8人の女性隊員が大勢の男性と性交渉を持つルールが定められていた。吉住はマリトと密かに惹かれ合う中だったが、愛する人を独占することは許されなかった。
地震予知の専門家である吉住は、アメリカで垂直型地震が起きることを予測した。その衝撃によってアメリカのARSが作動し、ソ連に向けて核ミサイルが発射される。そうなればソ連のARSも作動するが、ミサイルの1基はパーマー基地に向けられているのだ。ARSを止めるため、吉住と南極アメリカ隊のカーター少佐はアメリカへ向かう…。

監督は深作欣二、原作は小松左京、脚本は高田宏治&深作欣二&グレゴリー・ナップ、製作は角川春樹、プロデューサーは岡田裕&大橋隆、撮影は木村大作、編集は鈴木晄、録音は紅谷愃一、照明は望月英樹、美術は横尾嘉良、マット・ペインティング&“スカイ・スパイ”モデル・デザインはマイケル・マイナー、衣裳デザインはディック・ラモット、音楽は羽田健太郎、音楽監督は鈴木清司、音楽監督補佐は高桑忠男、音楽プロデューサーはテオ・マセロ、メインテーマはジャニス・イアン。
出演は草刈正雄、ボー・スヴェンソン、オリヴィア・ハッセー、夏木勲、緒形拳、ジョージ・ケネディー、渡瀬恒彦、チャック・コナーズ、千葉真一、グレン・フォード、多岐川裕美、ロバート・ヴォーン、ヘンリー・シルヴァ、エドワード・J・オルモス、永島敏行、森田健作、セシル・リンダー、スチュアート・ギラード、丘みつ子、クリス・ウィギンス、ジョン・エヴァンス、ジョージ・トウトリアス、ケン・ポーグ、角川春樹、高月忠、畑中猛重、五野上力、幸英二、ステファニー・フォークナーら。


小松左京の同名小説を映画化した作品。
吉住を草刈正雄、カーター少佐をボー・スヴェンソン、マリトをオリヴィア・ハッセー、中西隊長を夏木勲、土屋教授を緒形拳、コンウェイ提督をジョージ・ケネディー、辰野を渡瀬恒彦、マクラウド艦長をチャック・コナーズ、リチャードソン大統領をグレン・フォード、則子を多岐川裕美が演じている。

20億円を超える製作費を注ぎ込んだ、スケールの大きな映画である。キャストを見れば一目瞭然だが、ハリウッドからも有名俳優を招いた豪華スター共演作である。
元気があった頃の角川映画は、すごい映画を作っていたということだ。
ただし、豪華キャストを集めたりしたからといって、映画が面白いとは限らないのだが。

設定を考えればSFなのだが、そこに深作欣二監督はリアリズムを求めた。実際に世界各国を回ってロケを行い、特撮に頼らずに荒廃した都市を作った。南極でのシーンが多い映画だが、大半は実際に南極大陸でロケーションを行っているらしい。そこから考えると、製作費の多くがロケハンに費やされたことになる。
本物の風景を撮ることにこだわるとは、日本人の実直な性格が顕著に表れている。まあ簡単に言うと、阿呆である。そんなトコ、幾らだってウソをついて構わないのだ。本当に南極でロケをしたというのは、こぼれ話としては面白いが、それで映画が面白くなるわけではない。ハリウッドなら、そんなことより特撮に金を使っただろう。

さて、ストーリーを追い掛けながら、中身について考えていこう。序盤、オンボロのセスナでアルプスを越えて猛毒ウイルスを運ぶという、緻密とは正反対のムチャな計画が進行する。で、やっぱりセスナは事故を起こし、やがてウイルスが猛威を振るい始める。
どうやら世界中で酷いことになっているらしいが、あまり伝わって来ない。イタリアのミラノで軽いパニックが起きているのは分かるが、少なくとも都市が全滅とか、そこまで凄い状況になっているとは感じない。映像として、それが伝わって来ないからね。

さて、南極の昭和基地では、ウイルスが蔓延しているニュースは入ってくるが、どうも緊迫感が今一つ。基地の連中にも、それほど深刻に受け止めている様子は見られない。そして、なぜか吉住が則子との日々を回想するという、モッチャリした男女のドラマが描かれる。マッタリする暇があったら、世界の緊迫する空気を伝えてほしいのだが。
さて、日本では則子が仕事中に倒れて流産する。イタリア風邪なのかと思ったが、その後で普通に仕事に戻っているので、ただの過労だったようだ(イタリア風邪なら絶対に死ぬ)。そんなシーン、要りますかね?だって、イタリア風邪は関係無いんだから。

ホワイトハウスでは、世界でウイルスに倒れる人々の姿ではなく、ワクチンを求めてデモを起こす人々の姿がテレビに映し出される。ここまで来ても、実はウイルスの恐怖が今一つ見えてこない。あくまでも、ニュースとしての恐怖に過ぎないのよね。
南極では、トビー少年からの通信が届く。でも、それまでに、トビーというキャラクターは登場していないし、そのシーンでも姿は出てこない。だから、そいつが家族の死を告げようと自殺しようと、「遠くの見知らぬ奴が死んだ」ということでしかない。

「どこの都市で数百万人が死亡した」と出されても、ホワイトハウスにしろ昭和基地にしろ、恐怖が何となく遠い場所に存在しているように感じる。荒廃した都市を見せるより、身近な人間の無惨な死体を見せた方がショッキングだと思うし。あと、則子が旭を連れてモーターボートに乗るとか、そんなワケ分からん人間ドラマは要らないし。
そこまで、感染した1人の人間が死ぬまでの様子を描くわけではなく、病院に大勢の患者がいるとか、大まかな形でしか表現されていない。主要キャラクターも、誰も死んでいない。ようやく緒形拳が倒れたりするが、残酷な死に様は無いしね。

主要キャラクターの死に様は、ちょっとキレイだったり、死ぬ瞬間がボヤけていたりする。結局、誰1人として「もがき苦しみ、処置を施すが死んで行く」という風な、痛々しくて悲惨な死に方をする奴はいない。だから、あんまり恐怖は伝わらないのよね。

ホワイトハウスでは、今頃になって大統領と上院議員が「ウイルスは低温で活動停止するから南極なら大丈夫」と気付く。遅すぎるよ。で、舞台は完全に南極に移動し、会議が開かれることになるが、なぜかノルウェイ基地で隊員が発狂したという話が挟まれる。
実際に隊員が発狂して暴れる姿が描かれるわけでもないし、要らないだろ、そのシーン。まあ、そこが無ければオリヴィア・ハッセーを登場させることが出来ないわけだが、そもそも吉住とマリトの恋愛ドラマなんぞ、マッタリするだけだから要らないのよね。

南極の面々だけになった後、チンタラした会議があったり、女の扱いについて考えたりと、パニックも緊張感も無いドラマが続く。潜水艦が出て来たりするが、「ウイルス感染者が上陸する」という恐怖を描くのではなく、ただ爆発シーンが見せたいだけだ。
南極にはウイルスの恐怖が無いので、しばらくはモッチャリとした人間ドラマが続く。というか、そんなに人間ドラマも充実しているわけではなくて、何となくダラダラと時間が過ぎて行くという感じ。ようやくARSの問題が発覚してサスペンスに傾くのかと思ったら、また男女の恋愛とか描いて、危機が迫っているはずなのに妙にノンビリしたムード。

で、ARSの停止に失敗してミサイルが発射された後、吉住は歩いて仲間の元を目指す。神様との問答という珍妙なシーンも挟みつつ、最後に彼は仲間と再会する。実は仲間はチリに移動していたらしいのだが、それが劇中では説明されていないので、「吉住は徒歩で南極大陸に辿り着いた」という信じられないコトになってしまう。
あと、どうやら吉住はアメリカ上陸前に投与されたワクチンの効果があったようだが(これも分かりにくいのだが)、他の人間がウイルス感染せずに生きているってのも妙だ。実は核ミサイルの影響でMM88が消滅したらしいが、これも劇中では説明不足。

最終的に吉住が仲間と再会するシーンは、ハッピーエンドのように描写されている。
でも、実際には食料が無いので、いずれ彼らは間違い無く滅亡する。
『復活の日』というタイトルだが、少なくとも人類は復活しないだろうと思わせて映画は終了する。

 

*ポンコツ映画愛護協会