『不機嫌な果実』:1997、日本

水越麻也子は夫の航一と結婚して6年目で、会長秘書の仕事に就いている。夫婦の間に子供は無い。航一との生活に不満を抱いている麻也子は、かつて自分がプロポズを断った弁護士との食事に出掛け、彼が22歳の女性と結婚しことを知る。
麻也子は顔馴染みの占い師から、昔の男と楽しむべきだと告げられる。そこで彼女は以前に付き合っていた野村二朗に電話を入れ、彼との食事に出掛ける。次に野村と会った時、麻也子は彼とベッドを共にして、それから彼との不倫が始まる。
ある日、麻也子は会長の甥・工藤通彦にクラシックコンサートのチケットを届けることになった。音楽評論家をしている通彦に興味を抱いた麻也子は、彼と不倫関係に落ちる。やがて通彦はボローニャの大学に行くつもりだと話し、付いて来て欲しいと麻也子に頼む。最初は迷っていた麻也子だが、やがて航一に離婚の意志を告げる…。

監督は成瀬活雄、原作は林真理子(文藝春秋)、脚本は筒井ともみ、企画はTeam Okuyama、製作は鍋島壽夫、プロデューサーは片岡公生、 撮影は藤澤順一、編集は宮島竜治、録音は松本修、照明は金沢正夫、美術は磯田典宏、彫刻アーティストはジェルヴァル オリヴィエ、 音楽はJ・S・バッハ、音楽編曲は荻野清子、音楽プロデューサーは植田清美。
テーマソング「I'm Still Ur Girl」By Ellie 作詞:関根恵理、作曲:関根恵理&大町博道。
出演は南果歩、鷲尾いさ子、鈴木一真、根津甚八、美木良介、石原良純、水島かおり、吉行和子、鰐淵晴子、余貴美子、松田千晴、 庄司永建、平泉成、三津谷葉子、浅井和子、平間至、七生和美、藤川麻子、ひがし由貴、荒井ゆか、村田美和、鈴木宣博、岸俊哉、 矢部桃子、矢崎文也、牧村泉三郎、小林正寛、櫛野幸成、黒木宣彦、よね子、河上修トリオ、関根英雄、福田重男、森宣之、畠山泰孝ら。


林真理子の人気小説を映画化した作品。メガホンを執ったのは、初監督となる成瀬活雄。麻也子を南果歩、通彦を鈴木一真、野村を根津甚八、航一を美木良介が演じている。この映画の公開と同じ年に、石田ゆり子の主演でTVドラマ化もされている。

不倫を扱っているし成人指定なので、官能的に高尚な愛を描くのかと思ったら、全く違っていた。
ひょっとすると、これは艶笑コメディーを狙った作品なのかもしれない。
ただし、じゃあコメディーなのかと言われると、徹底してコメディーには成り切れていない。

最初に登場する石原良純が演じた弁護士も、彼と麻也子の会話も、充分にブンガク的なテイストになるモノだが、コミカルに見せようとする雰囲気が漂ってくる。余貴美子が演じる占い師(というより不倫アドバイザーに近い)の存在にしても、かなりユーモラス。
ただし、笑いの切れ味が悪くて中途半端。例えば会話シーンであれば、結婚した女性の繊細な心の揺れ動きを見せるのでもなく、アクの強い脇役キャラクターやリアクションなどの面白さを存分に見せるのでもなく、ただ「ユルイ」だけになっている。

笑いが入るのは、シーンの終わりの部分や捨てゴマのようなポイントが中心。流れの途中で笑いがあって次の展開に繋がるとか、笑いに笑いが被さるとか、そういったことは無い。笑いも大きくならず、オシャレ不倫劇としても締まりが無い。もしかすると、方向性をキッチリと決め切れないままに見切り発車してしまったのかもしれない。
コメディーとしては静かで淡々としすぎているし、映像はやたらキレイに見せようとしている。音楽にしてもコメディーらしさは皆無で、オシャレなムードを作ろうとしている(オープニングクレジットで音楽はバッハと出るが、バッハの曲はそれほど使われていない)。

オシャレでありながらコメディー・タッチの作品に仕上げようとしたのかなあ。ただ、常にオシャレでキレイな状態なので、ヒロインの普段の様子にも生活臭が欠けている。で、ヒロインが地に足が着いていないので、物語そのものがフワフワしてしまっている。
普段の生活と不倫の世界にギャップがあってこそ、ヒロインが不倫にハマっていく様子に説得力が生まれると思う。それに普段の生活に生活臭が乏しいとリアリティーや親近感が弱くなり、なかなか観客に共感させるのは難しいと思うんだけど。

脇役キャラクターの扱いは物足りなくて、例えば中盤で野村と航一が酒を飲むシーンがあるが、この2人の出会いは全く生かされない。そして野村は通彦が登場するとフェードアウトして、終盤になって3人が酒を飲むシーンが登場。この3人が互いの関係を知らずに交流する場面が何度かあれば、そこは面白いポイントになったと思うが。
あと、3人が酒を飲むバーでは麻也子の学生時代の同級生・キリコが働いているのだが、彼女の存在価値が分からない。もっと話に深く絡んでくるのかと思ったら、たまに出てきて喋るだけ。終盤にはキリコが前述の3人の男を引き連れてプールで泳ぐという幻想的なシーンがあるが、そのシーンにも何の意味があるのか良く分からない。

で、最後にキリコは赤ん坊を連れて登場し(3人の男の誰かの子供ということだろう)、バスの中で麻也子と言葉を交わして立ち去る。ハッキリ言って、キリコってその場面のためだけに登場したようなモノじゃないだろうか。そこまでは、ホントにパッとしない。
しかも、その終わり方はどうなんだろう。最後に待っているのが「どれだけ不倫の恋を経験して楽しんでも、子供を授かった女の満足感には敵わない」という答えでは、映画を鑑賞した女性の共感を得るのは難しいような気がするんだけどなあ。

もしも、この作品が徹底的にコメディー・タッチを貫いていたとしても、それはそれで問題があったような気がする。というのも、この映画って、おそらくヒロインに近い年代の女性を、観客のメイン・ターゲットとして考えていたはずなんだよね。そりゃ南果歩の濡れ場は確かにあるけど、それだけで男性客が大量に呼び込めるとも思えないし。
それを考えると、果たしてコミカルにしてしまうのはどうなのかなあと思ってしまう。艶笑コメディーなんて、たぶんヒロインに近い年代の女性は、あんまり見てくれないだろうし。だから、やっぱり観客動員を考えると、『失楽園』の二番煎じを狙うのが正解だったかもしれない。それで映画として面白くなるのかどうかは別にして。

 

*ポンコツ映画愛護協会