『深い河』:1995、日本

インド最大の聖地ベナレスに向かう観光ツアーのバスには、様々な想いを秘めた人々が乗っている。磯辺は亡くなった妻、成瀬美津子は大学時代の同窓生、木口は戦友に関する想いを抱き、インドにやって来ている。
磯辺は病気で妻を亡くしていた。妻は亡くなる直前、彼に「必ず生まれ変わるから、私を探して」と言い残した。大学の研究機関からの報告で、磯部は前世を日本で過ごしたという少女がベナレスにいることを知り、ツアーに参加したのだ。
美津子は大学時代、退屈な日常に刺激を求め、カトリックの信者だった大津を誘惑した。美津子は彼に信仰を放棄させ、気持ちを弄んで捨てた。時は経ち、美津子は建設会社社長の息子と結婚してフランスに渡った。
美津子はリヨンの教会で神学生をしていた大津に連絡を取り、再会した。大津は美津子に捨てられた後、祈りの中で「おいで」という声を聞いて信仰の道に戻った。大津は彼女に捨てられたことに感謝の気持ちを示した。
大津は善悪を明確に区別するという、フランス人の考え方に溶け込めずにいた。彼と手紙をやり取りするようになった美津子は、彼がフランスを去ってインドで働いていることを知らされた。美津子は結婚生活に失敗し、インドにやって来た。
第二次世界大戦で出征した木口は、50年後に東大寺のお水取りを見に出掛け、かつてジャングルで沼地から自分を助け出してくれた戦友の塚田に再会した。しかし、久しぶりに会った彼は酒に溺れ、性格もまるで変わってしまっていた。
木口は体を壊して入院した塚田の見舞いに出掛け、彼の妻から話を聞くことになった。塚田の妻によれば、終戦後に戦地で死んだ皆川の家族が訪れてから、塚田は酒に溺れるようになったという。
戦時中、皆川は手榴弾で自殺した。塚田は生き残るため、彼の肉を食べたのだ。だから塚田は皆川の家族を見たことで、酒に逃げるようになったのだ。やがて塚田は亡くなり、木口はインドを訪れることにした。
美津子は川岸で日本人の神父が死体を火葬場に運んでいたという情報を聞き、現場に駆け付ける。そこに大津の姿は無かったが、美津子は町で彼に声を掛けられる。大津は現在、ヒンドゥー教徒と共に暮らしていた…。

監督&脚本は熊井啓、原作&題字は遠藤周作、製作は佐藤正之、企画は正岡道一、プロデューサーは香西謙二&北川義浩&神成文雄、エクゼクティブ・プロデューサーは今井康次&松永英、監督補は原一男、撮影は栃沢正夫、編集は井上治、録音は久保田幸雄、照明は嶋田忠昭、美術は木村威夫、衣裳は久保里誉志&宮脇久美子、音楽は松村禎三。
出演は秋吉久美子、奥田瑛二、井川比佐志、香川京子、三船敏郎、沼田曜一、菅井きん、杉本哲太、白井真木、沖田浩之、内藤武敏、秋元海十、歌澤寅右衛門、大瀧満、加藤空、水原英子、和泉ちぬ、佐藤治彦、八木橋修、田島貴美子、白坂久美、加藤仁志、島ひろ子ら。


遠藤周作の原作を熊井啓監督が映画化した作品。
美津子を秋吉久美子、大津を奥田瑛二、磯辺を井川比佐志、その妻を木口を香川京子、沼田曜一が演じている。
塚田を演じた三船敏郎は、これが遺作となった。

言いたいことは分からないではないのだが、熊井啓監督はあまりにもクソ真面目に遠藤周作の哲学を描こうとしすぎたのではないだろうか。
小説なら引っ掛からずに読めてしまうようなセリフも、映画の中では臭すぎて陳腐に聞こえてしまうこともある。

例えば美津子が大津の誘惑に成功した後、キリスト像の前に行って「彼はあなたを捨てて私の元に来たわ。私の勝ちよ」と語るシーン。
それまでに美津子が信仰に対して何かを考えているような様子は無いので、かなり不自然に感じられる。

磯辺、美津子、木口の過去が順番に回想されていくのだが、この作品のヒロインは大津との関係がある美津子のはずだ。
それを考えれば、3人の中で最初か最後に回想シーンがあるべきだろう。
真ん中って、そんな中途半端な。

テーマが深すぎるのか、意欲が空回りしているような感じがある。
半分ぐらいはインドの紹介フィルムみたいな状態になってるし。
もちろん監督はマジなんだろうけど、どこかシュールなコメディーみたいな雰囲気もあったりする。
秋吉久美子や奥田瑛二が大学生を演じているというのは、年齢的に無理があるすぎる。ほとんどギャグだ。女とマトモに話せない臆病な男を奥田瑛二が演じているというのも、ギャグに近いものがあるかも。

カメラで火葬場を撮影してもいいかと尋ねる三條に、ガイド役は「遺族の怒りを買うからダメだ」と言う。
そして強引に三條が火葬場を撮影すると、インド人達が怒り出す。
そして、そんな火葬場の様子を、映画は撮影している。
分かりにくいけど、これって静かなギャグだよな。

音楽は必死に盛り上げようとしているんだけど、どれだけ秋吉久美子がガンジス川に浸かっても、何の感情も沸いてこないのね。
心の中には「だから?」という言葉が浮かぶだけ。
その言葉は、映画が終わった後にも浮かんでくる。

 

*ポンコツ映画愛護協会