『フランケンシュタイン対地底怪獣』:1965、日本

1945年、河井大尉らは、ある物をドイツから広島へ運ぶ任務を命じられた。ケースを広島衛戍病院へ持ち込んだ河井は、待ち受けていた軍医から「ある物」の正体を知らされる。それはフランケンシュタインの心臓で、永久に死なない兵士を作る材料として運ばれたのだ。しかし広島に原爆が投下され、心臓の行方は分からなくなった。
それから15年後。広島放射線医療研究所のジェームス・ボーエン博士は、助手の川地堅一郎や戸上李子と共に、原爆症に苦しむ人々を救うための研究を続けている。そんなある日、ボーエン博士と李子は白人の浮浪児を目撃した。研究所で保護された浮浪児は全く言葉を話すことが出来なかったが、李子だけには懐いた。
マスコミが好奇の目を向ける中、浮浪児は異常な成長を見せた。普通の人間の2倍ほどの大きさになった浮浪児は、檻の中で鎖に繋がれることになった。やがて河井の訪問を受けたボーエン達は、浮浪児がフランケンシュタインではないかと考え始める。
ドイツに渡った川地はリーセンドルフ博士に面会し、フランケンシュタインかどうかを確認するには手か足を切断すれば分かると教えられる。フランケンシュタインであれば、切断しても手足が再生するというのだ。だが、話を聞いた李子は反対する。
川地は李子の留守中、浮浪児の手足を切断しようとする。ところがマスコミのフラッシュに怒った浮浪児は、鎖を引き千切って檻から逃亡してしまう。檻の中に千切れた手首を発見したボーエン達は、やはり彼はフランケンシュタインだったと納得した。
各地で家畜が食い荒らされる事件が勃発し、さらに清水トンネルでは工夫が行方不明となった。警察はフランケンシュタインの仕業と断定し、ボーエン達も認めざるを得ない状況となる。だが、河井は別の怪獣が地底から出現したのではないかと考える…。

監督は本多猪四郎、特技監督は円谷英二、脚本は馬淵薫、製作は田中友幸、撮影は小泉一、編集は藤井良平、録音は小沼渡、照明は小島正七、美術は北猛夫、音楽は伊福部昭。
出演は高島忠夫、ニック・アダムス、水野久美、土屋嘉男、古畑弘二、田崎潤、藤田進、志村喬、中村伸郎、佐原健二、伊藤久哉、田島義文、野村明司、加藤春哉、沢村いき雄、小杉義男、井上紀明、沢井桂子、高橋紀子、ピーター・マン、山本廉、佐田豊、田武謙三、石田茂樹、中島春雄、中山豊、大村千吉、桐野洋雄、西条康彦、大友伸、広瀬正一、向井淳一郎、古田俊彦、津田光男、木村博人、渋谷英男、宮田芳子、橘正晃、岡部正、緒方燐作、中尾純夫ら。


『キングコング対ゴジラ』の公開直後、東宝はアメリカのベネディクト・プロから「今度はフランケンシュタインの怪物を使った対決映画を」という話を持ち掛けられた。最初はガス人間と戦う内容、続いてゴジラと戦う内容の脚本が書かれた。しかしベネディクト・プロが難色を示したため、新たに地底怪獣バラゴンの登場する脚本が執筆された。

この作品、日本公開版と海外版ではエンディングが違っている。国内で劇場公開されたヴァージョンでは、バラゴンを倒した怪物が地崩れに飲み込まれて終わる。海外版では、バラゴンを倒した後に大タコが現れ、怪物と絡み合って海に消える。
なぜ海外版ではエンディングが違うのかというと、『キングコング対ゴジラ』での大タコとの戦闘シーンが海外で受けたため、この作品でも大タコとのバトルが追加撮影されたらしい。
なお、日本でテレビ放映される場合は、後者のエンディングが使われるようだ。ちなみに私が見たのも、大タコが登場するヴァージョンである。

そもそも、この作品はタイトルと内容に大きな誤りがある。製作サイドは、「フランケンシュタイン」というのを怪物の名前と混同しているようなのだ。
だが、フランケンシュタインというのは怪物を作り出した博士の名前であって、怪物に名前は無いのだ。
その認識の誤りからして、もはや破綻は始まっていると言えるかもしれない。

前述したように、この映画は「巨大怪物同士が戦う映画」として企画が立ち上がっている。その段階でキワモノ映画になることが運命付けられた作品と言っても過言では無いのだが、これを“完全なるキワモノ怪獣バトル映画”としてではなく、フリークスの悲劇を描く作品にしたことで、2つの要素が全く噛み合わず、ドツボにハマっている。
そう、間違い無くベネディクト・プロとしては、「巨大化したフランケンシュタインの怪物と、巨大な生物が戦う映画」として考えていたはずだ。ところが、観客がタイトルやポスターから受ける期待を裏切り、日本の製作サイドは怪物バトルに大きな興味を示さない。巨大な怪物も、地底怪獣バラゴンも、なかなか姿を現さないのである。

そして、肩透かしを食らわした代わりに、この映画は浮浪児の異常な成長や、彼の素姓調査を綴って行く。「怪獣バトル映画に深いテーマを差し込み、溶け込ませる」というのを狙ったのかもしれないが、それがあまりにも全面に出すぎてしまったようだ。
最初の企画意図と、シナリオの持つメイン・テーマの間に、大きなズレが生じている。そして大きなズレがあるにも関わらず、その融合を深く考えずにゴーサインが出されているのだから、上手くまとめろという方が無理な話なのかもしれない。

後半に入ると一応、みすぼらしい浮浪児は巨大化する。しかし、それだけでモンスター・パニック映画と呼ぶのは難しい。その怪物は人を襲うわけではなく、そもそも人がいる場所に行かない。警察や自衛隊が攻撃するということも、ほとんど見られない。
遅れ馳せながらバラゴンが登場して、ようやくモンスター映画らしさが見え始める。しかし、巨大怪物にしろ地底怪獣にしろ、出てくることは出てくるが、登場時間は短い。当然のことながら、2体が接触するチャンスも限られてくることになる。

残り時間も少なくなって、ようやく巨大怪物にしろ地底怪獣はファースト・コンタクトを果たす。そして、そのまま最初で最後のバトルに突入する。結果、バトルは休憩時間を除き、約10分で終了。それが多いか少ないかは、まあ言うまでも無いだろう。
そしてバラゴンが倒された後に間髪入れず、唐突に巨大なタコが現れる。巨大怪物は巨大なタコと絡み合いながら、海へと転落していく。
最後の最後に、観客を唖然とさせる展開を用意し、映画は幕を閉じる。
何ともシュールなエンディングである。

 

*ポンコツ映画愛護協会