『FLOWERS フラワーズ』:2010、日本

昭和11年4月。片山凛は父・寅雄が決めた相手・宮澤侘助との結婚が決まっていた。しかし会ったことも無い相手との結婚に、彼女は納得 できない気持ちを抱いていた。嫁ぐ前日、侘助の父が挨拶に来た。凛の態度を見ていた寅雄は、侘助の父が去った後で「なんだ、さっきの 仏頂面は」と怒鳴り散らした。妻の文江がなだめると、「お前のしつけがなってないからだ」と、そちらにも怒りを向けた。
夕食の際、寅雄から「お前は明日、嫁ぐんだ。もうウチの娘ではない」と言われた凛は、「私が決めたわけではありません」と言う。寅雄 は、また「口答えするな」と怒鳴った。凛が文江に「これでいいのかな」と問い掛けると、「お父さんは間違ってことは言ってませんよ」 という言葉が帰って来た。しかし婚礼当日、凛は「私はお母さんのようにはなれない」と両親に言い、花嫁姿で家を飛び出した。
平成21年5月。奏はピアニストになるために上京してから随分と時間が経過していたが、譜めくりの仕事に甘んじていた。妊娠したことに 悩む中、父・晴夫から祖父・凛の訃報が届いた。久しぶりに帰省した奏は、妹・佳が夫の太一、幼い息子の啓太と幸せそうにしている様子 を眺めた。佳は息子を寝かし付けながら、「何でもないことでも、この子がすると特別に思えるの」と嬉しそうに話す。恋人のことを 問われた奏は、別れたことを明かす。佳は姉の妊娠に気付いていた。
昭和44年7月。翠は交際相手の菊池敏雄からプロポーズされ、困惑の表情を浮かべた。しかし「もう27だし、そろそろ家に落ち着いた方が いいんじゃないかな」と言われ、腹を立てて立ち去った。雑誌編集者の翠は担当している官能小説家の遠藤壮太朗に相談し、「バカにして ますよ。仕事をやめろってことじゃないですか」と言う。しかし遠藤には「ホントは嬉しかったんだろ」と見抜かれていた。
会社に戻った翠は、同僚の男性から「そろそろ女の武器でも使ったらどうだ。スカートでも履けば、もっと原稿を早く上げてくれるぞ」と バカにされた。翠は腹を立てて平手打ちを浴びせ、彼に掴み掛かった。周囲が慌てて制止した後、彼女は編集長に「頭冷やせよ。男とか女 っていう以前に、めんどくさいなあ、お前は」と冷たく言われる。夜、翠は菊池に誘われてトリスバーへ行き、愚痴をこぼした。
翠は「辞めちゃおうかしら」と口にするが、菊池に「そうですよ、編集者なんて女性には向いていません」と言われると、激しく反発した 。夏休みに入り、翠は故郷に戻った。実家に着くと、姉の薫が先に戻っていた。翠は電話で三女・慧と話し、「明日には帰るから」と 告げられた。翠は薫と共に、浴衣で出掛ける。浴衣で出掛ける。夫のことを思い出す薫に、翠は「一人で寂しくない?お見合いの話、全部 断ってるんでしょ」と告げた。
昭和39年9月。薫は夫の真中博と新婚旅行へ出掛けた。旅館に向かうタクシーの中でも手を繋ぎ、彼女は幸せ一杯だ。温泉に入った後、 部屋に戻った薫は、博に後ろから抱き締められた。だが、それは全て幻だった。真中は交通事故で死んだのだ。そんな薫に翠は「結婚って 、いいもの?」と相談するが、急に泣き出してしまう。「好きなんでしょ、その人のこと。何も迷うことなんて無いじゃない」と薫に 言われ、翠は「そうなんだけど、自分でも分かんない」と告げる。東京に戻った彼女は、遠藤に「カッコだけじゃなくて、ホントに強い女 になるなんです」と言う。そして、すっかり格好も女らしく変えて出社した。
奏は祖母の遺骨を焼いている最中、晴夫から「お前らの母親が佳を産むって決めた時な、ホントにいい顔してた。その顔を見たら、反対 できなくなった。後悔はしてないよ。慧もいるし、慧太もいるからな。そうやって繋がっていくものなのかもな、人の命ってやつは」と 聞かされた。昭和52年9月。慧は、夫の晴夫、娘の奏と3人で幸せに暮らしていた。「奏にピアノ習わせようと思うんだけど」と慧が口に すると、晴夫は「奏、ピアノ好きだからな。将来はピアニストかな」と笑顔で告げた。
妊娠している慧に、晴夫は心配そうな顔で検診の結果を尋ねた。すると慧は「先生がね、貴方とも話がしたいんだって」と言う。病院を 訪れた晴夫は、主治医から出産が厳しいことを告げられた。晴夫は慧に、「やっぱり今回、やめないか。先生もそう言ってる。前みたいに 上手くいくとは限らないって」と持ち掛けた。しかし慧は、「私は、この子に世界を見せたいの。もう産めないって決めたら、きっと私、 もう笑えなくなる」と強く主張した。
佳は用事から戻り、実家の2階でピアノを弾いていた奏に声を掛ける。夕食を作りながら、佳は自宅に戻っている息子と電話で楽しそうに 話す。夜、布団に入った奏が「楽しそうね」と言うので、佳は「お姉ちゃんだって楽しいでしょ。もうすぐお母さんになるんだし」と言葉 を返す。すると奏は「どうかなあ。育てていけるのかな。お父さんいないのよ、この子」と漏らす。「一人で産むって決めたんでしょ」と 佳が言うと、彼女は「最後のチャンスだなって思ったの。私にはもうピアノも無いし」と述べた。布団を被った奏が泣き出したので、佳は 姉の体に優しく触れた。
奏の診察に付き添って病院を訪れた佳と晴夫は、切迫早産だという診断結果を聞かされる。すぐに晴夫は、「もしもの時は母体を優先して ください」と口にした。ロビーに出た彼は、佳に「すまん、お前に酷いこと言っちまって。母体の方を優先してくれなんて」と詫びた。佳 は明るい表情で、「大丈夫だよ。そのことは子供の頃にさんざん考えたもん。今はお母さんの分まで生きようって思ってる。だから今は何 やっても楽しいの。生きてるだけで楽しいんだよ」と語る。実家に戻った佳は、本に挟んであった手紙を発見した。それは、慧が奏と佳の ために記しておいた手紙だった…。

監督は小泉徳宏、脚本は藤本周&三浦有為子、製作は永井秀之&加太孝明&島谷能成&亀井修&ズナイデン房子&宮崎洋&村上博保& 大橋善光&雨宮俊武、企画・製作総指揮は大貫卓也、エグゼクティブ・プロデューサーは阿部秀司、プロデューサーは飯島雄介&天野孝之 &八木欣也&黒木敬士、アソシエイト・プロデューサーは天野賢&小出真佐樹、撮影は広川泰士、照明は津嘉山誠、美術は山口修、録音は 小林武史、編集は張本征治、視覚効果は石井教雄、衣装デザインは小川久美子、音楽は朝川朋之。
主題歌:『ねぇ』DREAMS COME TRUE 作詞:吉田美和、作曲:吉田美和/中村正人、編曲:中村正人。
出演は鈴木京香、田中麗奈、竹内結子、広末涼子、蒼井優、塩見三省、真野響子、平田満、大沢たかお、河本準一(次長課長)、 井ノ原快彦、駿河太郎、長門裕之、三浦貴大、不破万作、螢雪次朗、梅津栄、有川博、大竹浩一、是近敦之、武内由紀子、鶴田まや、 庵原涼香、披岸喜美子、田口主将、山崎満、藤あけみ、千田隼生、上原自恵、新冨重夫、畠山紬、屋根真樹、宮崎稲穂、久保田さくら、 井上喜雄、蔵島由貴、倉掛竜樹、堰沢結愛、荒井健太郎、平井花南、小西風優、佐藤彩音、安宅佑菜、清水詩音、太田しずく、山下ケンジ 、矢川浩明、篠塚登記子、藤堂悠紀子ら。


資生堂が特別協賛し、同社のブランド「TSUBAKI」のCMに出演していた蒼井優、鈴木京香、竹内結子、田中麗奈 、仲間由紀恵、広末涼子を起用して製作した映画。
「TSUBAKI」の商品展開に携わったクリエイティブディレクターの大貫卓也が企画・製作総指揮を務めている。
凜を蒼井優、奏を鈴木京香、薫を竹内結子、翠を田中麗奈、慧を仲間由紀恵、佳を広末涼子、寅雄を塩見三省、文江を真野響子、年を 取った晴夫を平田満、博を大沢たかお、菊池を河本準一(次長課長)、若い頃の晴夫を井ノ原快彦、太一を駿河太郎が演じている。
監督は『タイヨウのうた』『ガチ☆ボーイ』の小泉徳宏。

昭和11年のシーンでは白黒映像にするなど、フィルムの見え方を当時の映画風に細工しているが、映像の中身が追い付いていない。だから 、むしろルックだけを古くしたことが逆効果になっており、陳腐な印象に繋がっている。表面だけをそれっぽく見せて、その向こう側が ペラペラという、まさにハリボテ状態なのだ。
それこそ「当時を再現したコマーシャルの映像」みたいな感じなんだよね。
たぶんBGMまで、当時の映画っぽいモノに合わせている。そういう技術的な部分ばかりに神経が行っているんだな。
それが悪いとは言わないが、それだけになっているので、そこで凝ったことをしているのが、むしろ陳腐に感じられてしまう。
ハリボテ状態ってのは物語についても同様のことが言えて、設定として血の繋がりは用意されているが、こっちに伝わってくるような 「繋がり」を感じられない。
ホントに、ただ設定だけしか無いのだ。そこでストップしている。

この映画は、ステレオタイプのキャラクターを軽くなぞり、使い古されたベタな筋書きを軽くつまんで、大雑把に処理している。
別に、ステレオタイプやベタな筋書きが、全てダメってわけじゃないのよ。ただ、それを魅力的なキャラ、面白い話にするためには、それ なりに工夫した肉付けが必要なのだ。
でも本作品の場合、肉付けするような時間の余裕が無いもんだから、ダメな映画になっている。
時間が足りないから、その頃の日本がどういう時代だったのか、女性を取り巻く環境はどうだったのか、そういうことを充分に説明する ことも出来ていない。世相・風俗をちゃんと盛り込むことも出来ない。

時系列を入れ替えてシャッフルした構成にしてあるが、その効果が全く無い。ただ無駄にややこくしなっているだけ。普通に、時系列順で 並べれば良かったのに。
どういう効果を狙って入れ替えたのかさえ、良く分からない。
1人のエピソードを一気に最後まで描くのではなく、分割しているのもマイナスでしかない。時系列の異なるエピソードの繋ぎ方も ギクシャクしている。
あと、時系列をシャッフルして、無駄にややこしい構成にしたせいで、頭の中で相関関係が上手く描かれない。
それってマイナスでしかないでしょ。

薫のエピソードは、最初に博との新婚旅行を描いて、後から「実は、彼は隣にいなかった」と明かす形にしてあるが、そんなホラー風味に せず、普通に描けばいいのに。
そこだけ急に、変な捻り方をしている。
でも、旅行先で博と撮った写真は部屋に飾られているので、彼との新婚旅行そのものは実際に行ったことがあるのか、そうじゃないのかが ボンヤリしている。
あと、このエピソードは特に中身の薄さを強く感じる仕上がりで、喪失感の前の「2人が出会い、恋愛感情が深まり、結婚して幸せ一杯」 という部分がほとんど無いし、喪失感から薫が立ち直っていくためのドラマも用意されていない。

1人ずつをフィーチャーしたエピソードを繋げていく構成が、資生堂からの要求なのか、監督が考えた結果なのかは知らないが、ともかく 、そういう構成になっているので、1人につき20分程度しか使えない。
そうなると、それぞれの心情やキャラを掘り下げることも難しい。
だから当然のごとく、ドラマもキャラもペラペラだ。
その場その場で、女優がキャラの心情に応じた演技をしても、そこに至るドラマが全く描かれていないので、表面的なものになってしまう。

蒼井優、鈴木京香、竹内結子、田中麗奈、仲間由紀恵、広末涼子が、同じカットの中で一緒に写ることは一度も無い。
鈴木京香と広末涼子、竹内結子と田中麗奈が、それぞれ一緒に写るシーンが用意されているだけ。
仲間由紀恵なんて竹内結子&田中麗奈と3姉妹の設定なのに、共演していない。
それと、薫と翠が帰省した時に凜を含む彼女たちの家族が誰も登場しないとか、凜の葬儀に老年の薫と翠が参列していないとか、かなり 不自然な状況が見られる。

たぶん「メイン6人のスケジュールを全て合わせて同時に拘束することが難しい」という事情はあって、だから歪な構成になってしまった という事情はあるんだろう。
ただ、「だから仕方がないよね」という風に受け入れて、甘く評価することは無理だ。
そんなのは製作サイドの勝手な事情であって、観客が甘受しなければならない事情ではない。
6人をマトモに「共演」させることが不可能だと分かっていたのなら、オムニバス映画として作れば良かったんじゃないのかとも思うし。

それと、ここで描かれている女性像って、どれも魅力的に見えないんだよね。
凛は結局、すぐに実家へ戻り、父が決めた男と結婚してしまう。外見は美しくても、「中身の美しい女性像」としては、ものすごく 古臭い。
そりゃ凛は古い時代に生きていたんだから、当時としてはそれが当然だったというのは分かるよ。
でも、それを「古き良き日本の女性」みたいに描かれてもさ、共感しねえよ。
親父が泣いて万歳しても、何の感動もねえよ。

っていうか、この映画って、トータルで考えると「結婚して子供を産むのが女の幸せ」というメッセージを発信しているとしか思えない んだけど。
何だよ、その産経新聞もビックリするぐらい超保守的な考え方は。
資生堂って色んなタイプの女性に商品を買ってもらわなきゃいけないはずなのに、いいのか、そんな主張の映画を製作して。
そうそう、1つだけ誉めておくと、終盤で使われていたオリビア・ニュートン=ジョンの『そよ風の誘惑』は、やっぱり、いい歌だよね。
って、映画と全く無関係だけど。

(観賞日:2012年4月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会