『ファイナル・ジャッジメント』:2012、日本

1996年、オウラン人民共和国の南アジア自治区。少女のリンは両親と共に、穏やかに暮らしていた。だが、食事を前にして神に祈りを捧げていると、そこに銃を持ったオウラン国の兵士たちが乗り込んで来た。隊長はリンに紙幣を見せ、「これだけあったら美味しい物がたくさん食べられるぞ」と告げる。「お祈りの言葉、覚えてるよね。上手に言えたら、このお金あげるよ」と持ち掛けられたリンは、素直に明かした。オウラン国では宗教は禁じられており、隊長は両親に「国家反逆罪で死刑だ」と宣告して連行した。
2009年、渋谷。未来維新党の若き党首である鷲尾正悟は、選挙カーで街頭演説を行っていた。彼はオウラン国の危険性を説明し、日本を守るために憲法9条を改正すべきだと説く。友人の中岸憲三やスタッフの森谷光彦、西ノ宮薫、市原直樹、遠山明日香、早鐘希たちは協力してくれているが、人々は無視して通り過ぎて行く。虚しさを感じながら空を見上げた正悟は、金色の羽が舞い降りて来るのを目にした。だが、それに気付いたのは、どうやら正悟だけだった。成長したリンは選挙カーに歩み寄り、薫たちに手伝いを申し出た。
選挙では民友党が320議席を獲得して圧勝し、政権交代を成し遂げた。一方、未来維新党は全く票が入らず、正悟は落選した。そんな中、希は明るい口調で「神様はいつも見守ってくれているんですよ。これは神様がくれたチャンスなんです」と言う。方向性を見失っている正悟に、憲三は「お前と俺の父親が作った民友党が、この国を売るんだぞ」と声を荒らげる。ただし憲三の父・雄二郎は、その民友党も途中で放り出して姿をくらましていた。
オウラン国が沖縄の領有権を主張して来たが、日本の首相は緊急記者会見で遺憾の意を示すだけだった。街に出た正悟は、父の哲山が「憲法を厳守して安保条約の見直しを進め、日本から米軍基地を無くす」と選挙演説で訴えていた時のことを回想する。リンは正悟の元へ行き、「日本がオウラン国のようにならないように祈っています」と告げる。正悟は母の秀子に頼み、リンに着物を着せてもらう。正悟とリンは、2人で新田神社の祭りへ出掛けた。
数年後。渋谷の上空にオウラン国の戦闘機と軍用ヘリが飛来した。大型画面にはオウラン国極東省の総督であるラオ・ポルトが登場し、「今日から日本はオウラン人民共和国の極東省となりました」と市民に語る。さらに彼は、「警察と自衛隊はオウラン人民解放軍に再編成される」「通貨は6ヶ月以内にオウラン通貨に統一される」「第一言語はオウラン語になる」「社会状況が安定するまでは夜10時から翌朝5時まで外出禁止」「宗教活動は全て非合法」「不穏分子は国家反逆罪として死刑」と発表した。
日本がオウラン国の支配下に置かれる中、正悟はリンや憲三たちと再会する。かつての仲間たちは、「ROLE」というレジスタンスに参加していた。ROLEの隠れ家へ案内された正悟は、雄二郎と久々に再会する。雄二郎は正悟に、民友党の過ちに気付いて離脱したことを語る。民友党が日本を滅ぼしたのだと批判する正悟に、彼は「そうだとして、君は何をしたんだい?現実から目を背けていただけじゃないのか」と問い掛けた。
雄二郎は「ちょっと付き合いなさい」と告げて情報室へ連れて行き、「世界中の仲間がオウランの動向をチェックしている」と話す。地下の施設では、様々な宗教の信者たちが匿われていた。希は正悟に、「あらゆる宗教のネットワークです」と語る。正悟が「何が彼らをそうさせるんです?死の危険を冒してまで」と口にすると、雄二郎は「我々は考えているんだよ。こんな世界にしてしまったのは、人の心だと。だから、人の心を変えなければ何も変わらない。私は信じているよ。人の持っている本当の力を。神を信じる力。我々はその力に賭けている」と語った。
ROLEにはオウラン国営放送のディレクターを務める本橋国男も参加しており、未来維新党の選挙演説を密かに全世界へ流していたことを正悟に明かす。その反響は大きく、本橋は正悟に「アンタは既に世界を動かしてる」と言う。正悟が「何を言われても実感が湧きません」と荒れた態度を示すと、雄二郎は自分も黄金の羽を見たことを静かに語り、「今こそ君は、君の役割に気付くべきだ」と告げた。
信仰心の強い希の両親は、オウラン軍に捕まって連行された。しかし助けようとすれば自分たちも捕まるため、希は野次馬に紛れて祈るしか無かった。希は涙をこぼし、「あんなに祈ったのに」と信仰を示すメダルを投げ捨てた。正悟が隠れ家で落ち込んでいると、車椅子の少女が近付いて来た。彼女は微笑を浮かべ、「悲しい顔してるよ。私が一緒に、神様にお祈りしてあげる」と告げた。だが、正悟はそれを受け入れられず、その場を後にした。
正悟はリンから、「私や貴方に何が出来る?オウラン軍を追い出せる?自分の小さな幸せを求める。それ以外に出来ないよ」と告げられる。「どこか遠くで2人だけで暮らそう。政治も宗教も関係の無い生活をしよう」と逃亡を持ち掛けられた正悟だが、「今の僕には、自分の幸せだけを求めることは出来ない。リンだって本当はそう思ってるんだろ」と述べた。隠れ家に戻った彼は、雄二郎に「人の神を信じる力に賭けて、本当に世界は救われますか。希望を失った人たちを本当に救うことが出来ますか」と問い掛けた。
正悟が「神を信じる力、どうやったらそれを知ることが出来るか、教えて下さい」と頭を下げると、雄二郎は「頭で分かるものではない。自分自身の心で実感してみることだな」と告げる。正悟が本棚に視線をやると、『八正道』の本が輝いた。本を熟読した彼は、木の下で座禅を組む。すると上空から哲山が降り立ち、「悪い父親だった。お前を苦しめて済まなかった」と詫びた。哲山は神にすがることを捨てるよう説くが、正悟は相手が悪魔だと見抜いて消滅させた。
「自分のことばかり考え過ぎていたのかもしれない。既に与えられていることに目を向けていなかったのかもしれない」と考えた正悟は、全ての存在が多くの愛を与えられ、生かされていることに気付いた。悟りを開いた正悟は、「自分がやりたいことではなく、神が望まれることを御心のままにやろう。神と一体となって」と決意した。彼は車椅子の少女を立たせる奇跡を起こし、隠れ家で布教活動を開始した。そんな中、実はスパイだったリンの密告によってオウラン軍が動き、正悟は逮捕されてROLEの隠れ家は襲撃を受ける…。

監督は浜本正機、脚本は「ファイナル・ジャッジメント」シナリオプロジェクト、脚本協力は竹内久顕&霧生正博&南柱根&天沢彰、製作総指揮は大川隆法、企画は大川宏洋、総合プロデューサーは佐藤直史&小田正鏡、総合プロデューサー補は松本弘司&三宅亮暢、プロデューサーは伊藤徳彦、CO・プロデューサーは椋樹弘尚&飯塚信弘、撮影は谷川創平、美術は丸尾知行、照明は金子康博、録音は横野一氏工、編集は早野亮、テクニカルプロデューサーは大屋哲男、VFXスーパーバイザーは秋山貴彦、音楽は水澤有一&田端直之。
テーマ曲“Love surpasses Hatred”(『愛は憎しみを超えて』) 作詞・作曲:大川隆法(霊示:リンカン)、編曲:水澤有一、歌:Phillip Joe。
挿入歌『振り向けば愛』作詞:大川隆法、作曲:水澤有一、歌:JUN。
出演は三浦孝太、ウマリ・ティラカラトナ、宍戸錠、芦川よしみ、田村亮、海東健、並樹史朗、志村東吾、一太郎、飛坂光輝、深澤友貴、水田芙美子、水澤愛奏、井田國彦、長坂しほり、藤村一成、太田剣、松岡哲永、崔哲浩、雲母、中島しおり、井上浩、岡山和之、鈴木美智子、木場勝弘、天現寺竜、森田幸男、脇あい、村本明久、八木善孝、アベディン、ネジャット・シャニーノ、マーク・チネリー、ブイヤン・マックスドル、シンシア・チェストン、サコ・ランシネ、ハシム・ハシム、カディリ・ワヒド、キャシー・シュスラー、服部伸孝、インゴ、福嶌徹、シェリア・カーン、BUJIN、萬崎弘樹、半田浩平、佐藤まんごろう、太田麻貴、洪太植、川島雄作、湯浅奈津美、重城希美、近藤起矢、佐藤匡泰、河村晃子ら。


しばらくアニメーション映画ばかりを手掛けていた幸福の科学出版が、1994年の『ノストラダムス 戦慄の啓示』以来、久々に製作した実写映画。
幸福の科学の総裁である大川隆法の長男で、アニオタの大川宏洋が企画を担当している。
監督は『ekiden [駅伝] 』『あかね空』の浜本正機。
正悟を三浦孝太、リンをウマリ・ティラカラトナ、ラオを宍戸錠、秀子を芦川よしみ、雄二郎を田村亮、憲三を海東健、哲山を並樹史朗、 本橋を志村東吾が演じている。

冒頭シーン、リンの家族はオウランの言語を話しているはずだが、セリフは日本語吹き替えになっている。
ところが隊長は吹き替えではなく、普通に日本語を喋っている。
まあ演じているのが日本人の井田國彦だから当然っちゃあ当然だが、だったら全員に日本語を喋らせて「オウラン国の言語を話しているのだ」と言い張ってもいいのに、そこまでの開き直りは無いのね。
この「日本語吹き替えによる外国人キャストと、日本語を喋っている日本人キャストは、どちらもオウラン国の言語を喋っており、会話が通じている設定」という状態は、かなりのカオスを感じさせる。

オウラン軍の兵隊にリンの両親が連行されるシーンは、たぶん製作サイドとしては「信仰心のせいでリンの両親が死んだ」という形に見せたいんだろう。
だけど、「金に目がくらんだリンが、祈りの言葉を喋ったせいで両親が殺された」としか見えないのよ。
まだリンは幼いけど、それでも7歳なんだから、「自分たちが弾圧されている」「宗教が禁じられている」ってことぐらいは何となく分かる程度の年齢だ。っていうか、それは両親が教えているはずでしょ、宗教は違法行為なんだから。
でも、どうやら教えていないっぽいし、その場面でも隊長に「この子は何も知りません」と言ったりリンに「なあ、お祈りなんてやってないよな」と嘘をつくよう促したりという行動が何も無いので、かなり不自然で無理がある。

正悟には大勢の仲間がいる設定だが、ちゃんとしたキャラ紹介が無いので、名前も設定も相関関係も良く分からない。
で、正悟が落選した後、選挙事務所では希が明るく「神様はいつも見守ってくれているんですよ。これは神様がくれたチャンスなんです」と唐突で違和感の強い言葉を口にするが、
何しろ宗教的なメッセージを訴えるための映画なので、神様だの信仰だのという文言が出て来るのは仕方が無い。
そもそも、幸福の科学の映画なので、不自然さや唐突さは付き物だ。

その後、憲三が消防団の訓練をしている様子や、その姿を見物していた正悟が「もっと大切なこと、根本的な何かに目を向けなければならないような気がして」などと喋る様子、彼とリンとデートしたりする様子が描かれる様子などが描かれる。
だが、ただダラダラと時間を潰しているだけで、ドラマに厚みを持たせているわけではない。
一応、「そこで正悟とリンの関係性を深めておく」という意味合いはあるけど、そんな薄い恋愛劇が無くても大して影響は無い。
どうせポンコツな映画なので。

とは言え、ここまでは、まだ良くも悪くも、おとなしい内容になっている。
しかし「数年後」にジャンプした途端、ボロが出てしまう。
オウラン国が日本を支配するシーン、まずは戦闘機が1機ずつ渋谷の上空を通過し、その後にヘリが編隊を組んで現れる。
むしろ戦闘機の方が編隊を組んで来るべきじゃないかと思うんだけど。偵察部隊だとしたら、その直後にヘリの編隊が来るのは不可解だ。
あと、なぜヘリの方が圧倒的に多いんだろう。ヘリが主力の航空部隊って、あまり聞いたことが無いのだが。

オウラン国のヘリ部隊が飛来すると、ラオ・ポルトが「今日から日本はオウラン人民共和国の極東省となりました」と言う。
どうやら、それは「これから支配するから覚悟してね」という意味ではなく、その段階で既に支配下に置いているということらしい。
だけど、日本には自衛隊が存在するので、いきなり他国の戦闘部隊が渋谷へ飛来するのは非現実的だ。その前に情報が入るだろうし、自衛隊が出動するだろう。
また、日米安保条約があるのでアメリカ合衆国が動くはずだし、日本を侵略したら国連も動くだろう。

ラオは「日本国最後の国会で決議された通り」と言っているが、いつの間に政府まで牛耳ったのか。政府の弱腰外交を批判したいのは良く分かるけど、さすがに「オウラン国が攻め込んで来たので、無抵抗で日本を明け渡しました」というのは無理がある。
ただ、終盤になって「金欲しさに国をオウランに売ったのは誰だ」とリンが言っているので、どうやら日本の政治家が金目当てで売国奴になったという設定らしい。
だったら、それをちゃんと描写しろよ。
っていうか、それを描写したとしても、「日本があっさりとオウランに侵略され、諸外国が全く動かない」というところに説得力が生じるわけではないけどさ。

ラオは日本を支配して「第一言語はオウラン語になる」と言っているが、その後のシーンでオウラン語を喋る日本人は誰も出て来ない。
っていうか、そもそもオウラン人同士の会話も日本語だ。
ラオとリンが親子で会話する時も、吹き替えじゃなくて、なぜか日本語で喋っている。
リンが独り言で「全部、私のせい」という時も、オウラン軍の将校が「鷲尾正悟の死刑を執行する。速やかに執行せよ」と部下に命じる時も、それは日本人に聞かせるための言葉ではないんだからオウラン語で喋るのが普通だろうに、日本語を使っている。

ROLEの隠れ家には、信仰を捨てられなかった人々が逃げ込んでいる。そこにはキリスト教やイスラム教、ヒンズー教や仏教など、様々な宗教の信者がいる。
ただし幸福の科学は、全ての宗教に対して寛容というわけではない。特に創価学会は、宗教的な部分だけではなく、政治の面でも憎むべき敵だ。
だからROLEの隠れ家に創価学会の信者はいない。
日本最大の宗教団体は創価学会なので、リアルに描くのであれば、絶対に逃げ込む信者がいるはずなんだけど、ROLEが「アンタたちだけはダメ」と拒絶したんだろうか。

オウラン国営放送のディレクターを務める本橋は、未来維新党の選挙演説を密かに全世界へ流していたことを正悟に明かし、その反響が大きかったことを教えて「アンタは既に世界を動かしてる」と言う。
でも、ものすごくバカバカしい。だって、正悟は演説の中で、日本の政治について喋っていただけなんだから。
あえて探すなら、「世界の人々と力を合わせて、繁栄の未来を築いて行こう」みたいなことは喋っていたけど、そんなの誰でも言えるようなことであって、それで大勢の人が心を打たれるなんて有り得ない。
どんだけ世界中の人々は単純で騙されやすいんだよ。

この映画では左翼思想を徹底的に糾弾しており、雄二郎の口を借りて「ある時、気付いたんだ。国民の味方だと思っていた自分たちが、実は国民の自由を奪い、抑圧する社会を目指していたんだって」と喋らせ、民主党(映画では民友党)か間違っているのだと主張する。
正悟に「今のままだと侵略されても何も出来ない」と言わせて、憲法9条の改正も訴えている。
ただし、その一方で雄二郎に「暴力では何も解決せん」とも喋らせている。
じゃあ何によって解決するのかというと、それは「信仰」である。

ただし、単純な信仰心だけでは全てを解決できないことも、この映画は語っている。
だから「じゃあ神に祈れば何でも解決するのか」という憲三に対し、雄二郎に「正悟の言葉に心を動かされて大勢の人々が行動を開始した。それぞれの立場や、それぞれのやり方で。自分の役割を果たせばいい。正悟が世界を変える。いや、既に変え始めている」と自信たっぷりに喋らせる。
ようするに、「幸福の科学を信奉し、幸福実現党に投票すれば問題は解決する」と言いたいのである。
「キリスト教もイスラム教もヒンズー教も仏教も、それぞれの信仰を尊重しながら全てを包み込む全地球レベルの教えを説く救世主の到来を我々は待っていた」と雄二郎は語るが、その救世主こそがエル・カンターレ(大川総裁のことね)だというのが本作品の主張なのだ。

正悟が座禅を組むシーンは釈迦が悟りを開く際のエピソードを重ね合わせているのだが、大きな違いは悪魔との問答だ。
この映画に登場する悪魔は哲山の姿で「悪いのは左翼ではなく、左翼を選んだ国民だ。俺が責任を感じて苦しむ必要など全く無い」と主張し、その正体を正悟が見抜いて悟りを開く。
「それは何の悟りなのか」と思ってしまう。
しかも、そこは「悪魔が左翼を肯定し、正悟が過ちを指摘する」という問答ではない。悪魔は「私も被害者だ。私が若かった時代、誰もが左翼思想に取り込まれた。戦争で悪事を犯した日本という国を憎み、この国を壊してしまうことが正義だった」と主張する。
「左翼は悪」というのは、確定事項になっているのだ。

悪魔の「世界中で紛争が絶えない理由は宗教とイデオロギーだ。自分たちと違う思想や宗教を持つ国が、自分たちより繁栄することが許せないという気持ちがある。だから相手を憎む。憎まれた方も自分を守るために相手を憎み、憎しみが増幅される」「神が本当に人間を幸せにするのか?そもそも神など本当に存在するのか?人間が作り上げた絵空事ではないのか。目を覚ませ」と主張に対し、正悟は「父親では有り得ない言葉を口にしたから父親ではない」ということで正体を見抜くだけ。
その主張を論破するわけではない。
悪魔の主張に対して、「その部分はこんな風に間違っている」と指摘することは全く無い。
しかも困ったことに、この映画の中で個人的に最も賛同できたのは、そこで悪魔が説いた主張だった。

悟りを開いた正悟は、隠れ家で「主なる神を愛するということは、主なる神と一体になるということです。それが信仰です」「信じないということは、常識だけで考えて決め付けている。この世のルールに負けてしまうことを意味するんです。信仰心を強く持つということは、この世のルールに負けないということです」などと語る。
すると、なぜか人々は何の迷いも反発も無く、彼を崇拝するようになる。
ここは痛さ爆発のシーンである。

リンは正悟に「死んだ両親が喜ぶと思うか」と説得を受けるが、そんなのは使い古された安っぽい言葉でしかない。
ところがリンは幽霊になった両親と再会し、あっさり改心してしまう。
で、正悟を助けるのだが、その方法は「処刑室から正悟を連れ出す」というだけ。何の作戦も無いのに、「緊急事態が発生した。この男は連行する」と言ったら、誰にも制止されることなく簡単に連れ出せてしまう。警備体制が杜撰だなあ。
その後、オウラン軍とのカーチェイスがあるが、ユルユルで緊迫感や迫力はゼロ。

雄二郎は「暴力では何も解決せん」と言っていたが、隠れ家の襲撃から逃げる際には憲三の暴力に頼っている。
で、雄二郎は電波ジャックして正悟の説法を世界に中継することを予定していたが、正悟が逮捕されたのに「予定通り決行する」と言う。
憲三が「正悟は捕まってる。間違いなく今日、死刑になろうとしてるんだぞ」と話すと雄二郎は「彼は必ず来る」と断言するが、根拠は何も無い。そんで憲三が「自分の役割を果たす」ということで正悟の救出に向かおうとすると、雄二郎はそれを見送る。
いやいや、必ず正悟が来ると信じているのなら、憲三が助けに行く必要は無いはずだろうに。

そんで憲三は正悟を逃がすために戦って命を落とすんだけど、ってことは彼がいなかったら正悟は説法に来ることが出来なかったんだぜ。
ホントに正悟が救世主であり、「信仰心があれば必ず叶う」ということなら、それじゃあダメだろ。
あと、なんで説法の場所を渋谷に設定したんだよ。「原点だから」って言うけど、大切なのは世界中の人々に説法を伝えることなんだから、兵士の数が多い場所を選んで無駄にリスクを負う必要性なんか全く無いだろうに。
ただ、そう思っていたら、なぜか大勢の兵隊は全く銃撃しない。
幾らリンが来たからって、正悟を撃たないのは無理があるよ。正悟が選挙カーの上に立つ前に、さっさと撃てばいいだろうに。

正悟の説法が、この映画のクライマックスとして配置されている。幸福の科学の映画では御馴染みとなった、長い長い説法のシーンだ。
彼が説法を始めた途端、大勢の市民が選挙カーに集まって来る。そして説法にみんなが心を奪われ、兵士までもが拍手を送る。
良くも悪くも、ブレない信念がそこにある。
ただし、映画における説法が観客の心に全く響かないことに、幸福の科学出版は相変わらず気付いていない。
だからブレないっていうか、学習能力が無いとも言える。

正悟の説法を部分的に書き出すと、
「世界は力による支配と欲望と憎しみで覆い尽くされようとしています。人類は大切な物を見失っているんです。私たちは偶然に産まれて 来た肉の塊ではありません。私たちの本質は肉体ではなく、魂です。そして、その魂は限りなく尊い。なぜならば、大いなる神の生命の 一部であるからです。だからこそ人は皆、等しく尊いのです。そして神を信じる心があるからこそ、神の子である他の人を信じ、愛する ことが出来るのです。これが人を愛するということの出発点でもあります」とか、
「目に見えない真実に心を向けて下さい。人がこの世に生まれているのは、魂を磨き、魂を向上させるためです。霊界と呼ばれる場所こそ が、私たちの本当の住み家です。正しい心で生きた人は死後、喜びと共に天国へ帰ります。死は決して不幸なことではないのです。この世 で魂を磨くために戻って来るのです。これが神が作った世界の真実です。過ちを犯したとしても、神は決して見捨てません。そのために神 は反省と言う名の慈悲をお与えになりました。どんなに過ちを犯したとしても、神の子としての本当の自分を取り戻すことが出来たなら、 また新しい生き方を始めることが出来るのです」とか、
「世界は今、テロや戦争や天変地異により大きな危機を迎えています。人類が真実を見失い、信仰心を失ってしまったからです。人と人、 国と国が憎しみ合うのは、共通に信じる物が無いからなのです。世界の様々な宗教は本来、魂の親である1つの神から生まれた物です。 神は全ての人々をいつもどんな時でも愛し続けているんです例えどんな時でも親である神の愛を信じること。それが人類に最も必要な信仰 なのです」といったものだ。
それで大勢の人々が心を打たれるというんだから、お気楽な映画だよなあ。

正悟が「地球上に住む全ての人々に言う。憎しみを捨て、愛を取りなさい。親である神の愛を信じ、人間同士が民族や国籍を超え、同じ地球人として愛し合い、この星をユートピアに導くことこそ使命なのです。ファイナル・ジャッジメントの時は今です。共に力を合わせ、立ち上がろうではありませんか」と語ると聴衆が拍手を送り、画面が暗転する。
「そして、世界の人々が立ち上がった。『信仰に基づく民主主義』のもと、オウラン国では独裁体制が崩れ、民主化が実現。世界各地の紛争やテロも、平和と共存の流れへと変わっていった。人類は、憎しみを捨て、愛をとったのだ。」というテロップが流れ、映画は終わる。
いやあ、見事な投げっ放しジャーマンだ。

幸福実現党を作って政治に乗り出して以降、幸福の科学の映画は宗教的なプロパガンダに留まらず、政治的なプロパガンダの意味合いを強めるようになった。
今回も「幸福実現党に入信せよ」という勧誘だけでなく、「幸福実現党に投票せよ」と訴え掛ける熱意を強く感じる。
どうやら大川総裁は、選挙で幸福実現党が惨敗を繰り返していることに、よっぽど苛立ちが募っているようだ。
でも、世間に訴え掛ける前に、まずは信者を何とかすべきだと思うぞ。
信者の数から考えれば、選挙で惨敗するのは変なんだから。信者なのに幸福実現党に投票していない人々が大勢いるってことなんだから。

大川総裁は中国や左翼が嫌いなので、オウラン国という名の中国や、民友党という名の民主党を標的に据え、徹底的に悪として描いている。そして「日本の危機を訴えて勧誘する」という方法で、幸福実現党の評価を上げようとする。
それは勧誘の手口としては、そんなに大きく間違っているわけではない。
ただ、その内容があまりにも非現実的&大雑把すぎて、「いや、そんなことは有り得ないから」と冷めた気持ちにさせられてしまう。
ちっとも危機感を煽らないのだ。

もっと「実際に起きるかもしれない」という状況を設定し、リアリティーを追及して描写していけば、ひょっとすると100人に1人ぐらいは「このままだと日本は危ない」と感じたかもしれない。
ただし問題は、この映画を見て中国に対する危機感を抱いたとしても、たぶん幸福実現党への投票行動に繋がる可能性は低いだろうってことだ。
なぜなら、保守政党である自民党が右寄りで反中のスタンスを打ち出してしまっているのでね。

(観賞日:2014年7月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会