『ファンタスティポ』:2005、日本
鯉之堀トラジとハイジの兄弟は、それぞれ社長と専務という役職に就き、ミネラルウォーター会社「アルマジロ社」を経営している。彼らは去年、CMソングを作った。それが社会的なブームを巻き起こし、2人は音楽の才能に満ち溢れていることに気付いた。それから1年、トラジとハイジは曲を作ることにした。曲のタイトルは『ファンタスティポ』。この曲名には、あの当時の2人にしか感じられなかった独特の気持ちが込められている。目に見える物全てが躍動感に溢れ、輝きに満ちていた。
1年半前、アルマジロ社は兄弟の父である鯉之堀金太郎が社長を務めていた。ハイジは上空からジャングルへ落下する夢を子供の頃から見続けており、それを怖がっていた。しかし彼は心に抱える恐怖を隠し、トラジと金太郎の前では明るく振る舞っていた。トラジは会社で仕事をしているが、ハイジは週1回のアルバイトだけだった。フラフラしているのが嫌いな金太郎は、トラジを見習ってちゃんと働くようハイジに説教する。だが、ハイジは軽く聞き流した。そんなハイジを、お手伝いの絹代は温かい目で見守っていた。
金太郎は『ジャック!イレブン』というトーク番組に出演し、司会者のジャックの質問を受けて、人気商品のアルマジロウォーターやアルマジロ体操について説明する。金太郎は社員を集め、アルマジロ体操の大成功を受けて感謝祭を開くことを告げた。ステージに立った金太郎は、自叙伝の執筆に専念するために社長を退任することを発表した。突然の発表に会場の人々が驚く中、金太郎は二代目社長にトラジを指名し、ハイジには専務就任を命じた。
金太郎は3年ぶりに帰国した親友のフランキーと再会し、家に立ち寄るよう勧める。しかしパイロットのフランキーは、ブエノスアイレスへ飛ぶ仕事が入っているために遠慮した。フランキーは金太郎に、ギリシャのクレタ島に住んでいた娘のマシュウコが帰国していることを話した。彼は「何があったのかは知らないが、日本で落ち着きたいと言っているんだ」と告げて、金太郎に相談を持ち掛けた。
数日後、金太郎はマシュウコを連れてアルマジロ社に顔を出し、彼女を広報マネージャーとして雇ったことをトラジやハイジたちに告げた。マシュウコは前向きな態度を示し、「一生懸命頑張ります」と挨拶した。ハイジはマシュウコが浮世離れした独特の孤独感を醸し出している女性だという印象を抱き、自分と同じ匂いを感じた。休日、トラジは自宅に同じ趣味を持つ友人たちを集め、鉄道ジオラマを楽しむ。ハイジがプリンを運ぶと、友人の一人が「専務になったんだって?」と問い掛ける。別の一人は、「もう今までのようには行かないね」とポツリと漏らした。「なんかどうなんだろうねえ、俺たちって」という友人の言葉を聞いたトラジは、ハイジに「知らない間に大人になってたんだなあ、俺たちって」と言う。
自叙伝執筆のために別荘へ移ることにした金太郎は、「次男の会」に出席した。次男に関する著書でベストセラー作家となった武田芳郎が、ゲストとして登場した。彼は参加者たちに対し、次男には変化球で接した方がいいんじゃないかという意見を述べた。トラジとハイジは、マシュウコを自宅へ招待した。彼女が会社名の由来を尋ねると、トラジは「アルマジロは生物界の食物連鎖に組み込まれていないんじゃないかって、パパは言うんだ」と話した。
トラジは友人たちを集め、「俺なりに色々と考えたよ。言うぞ。俺たちはもう大人だったんだなって」と話す。だが、友人たちはポカンとして「知ってるよ」と言い、「まだ子供のつもりだったの?本物のお坊ちゃまは言うことが違うねえ」と口にした。トラジが一心不乱に黒い円を描き始めたので、ハイジは心配になって金太郎に電話を入れた。家に戻った金太郎から「大丈夫か?」と問われたトラジは、「ほっといてくれよ、俺なんかは大人になれない世間知らずのお坊っちゃまなんだから」と喚いた。
金太郎は思い詰めているトラジを連れて海へ出掛けようと決め、ハイジやマシュウコも同行した。ハイジはマシュウコに、7歳の頃に母が亡くなったこと、その時に父が「これからはパパがお前たちのママだ」と言ったことを語った。トラジはペットのトムに襲われ、大怪我を負った。後日、マシュウコは兄弟に、テレビ局から番組のスポンサーにならないかという話が来ていることを話した。番組内容についてマシュウコが意見を求めると、ハイジは「子供番組でも作ろうよ」と提案した。「子供用のアルマジロ体操を考えたらいいと思うよ」とトラジが言い、そのアイデアに沿った子供番組が作られた。
ハイジはフランキーとバーへ出掛け、「マシュウコとハイジ君は、ある点を除けば実によく似てる。君は何かを求めて彷徨っている気がするんだけど、マシュウコには、それが無いんだよ」と告げられる。マシュウコも来るはずだったが、店に現れなかった。フランキーは笑って「いつもこうなんだよ」と言う。翌日、ハイジが出社すると、彼を見つけたマシュウコは何も無かったように微笑を浮かべた…。監督・脚本は薮内省吾、製作は藤島ジュリーK.、エグゼクティブ・プロデューサーは加太孝明、プロデューサーは山際新平&原藤一輝、Co-プロデューサーは井上あゆみ、撮影監督は高間賢治、美術監督は稲垣尚夫、撮影は新井滋、照明は澁谷亮、美術デザイナーは内田哲也、装飾は相田敏春、サウンドデザイナーは百瀬慶一、録音は益子宏明、VFXスーパーバイザーは貞原能文、音楽は佐々木亨&Tremolohead。
主題歌『ファンタスティポ』唄:トラジ・ハイジ、作詞;久保田洋司、作曲:清水明男、編曲:CHOKKAKU。
出演は堂本剛、国分太一、宝田明、森山周一郎、藤岡弘、、大河内奈々子、池乃めだか、吉野きみか、田中輝子、団時朗、佐々木誠、隈部洋平、影山徹、農崎裕二、若林秀敏、マシューカールセン、七枝実、皐月、吉田仁美、横川仁美、吉井由紀、矢澤さとみ、中村由希子、櫛田祥光、栗原美沙、橋口まゆみ、 KaoRi、横山敬、宮崎吐夢、坂本真、安室朝泰、高木康寿、佐藤仁、木口美和子、西歩見、本間ゆかり、桜井エリカ、今井祐子、山口佳奈子、太田在、楠玲奈、猪野美菜子、水津亜子、斉藤早紀、阿部六郎、岩崎浩明、平山祐介、浩司、小島晃、戯武尊、佳本周也、秋永政之、安田佳史、保科光志、中村太一、田島和洋、外山優、小倉孝久、大場崇ら。
数々のバラエティー番組でオープニング映像の演出を手掛けてきた薮内省吾の、映画監督デビュー作。
メリー喜多川(ジャニーズ事務所の代表取締役社長であるジャニー喜多川の姉)の娘である藤島ジュリー景子(藤島ジュリーK.)が社長を務めるレコード会社“ジェイ・ストーム”の製作・配給作品であり、ハイジをKinKi Kidsの堂本剛、トラジをTOKIOの国分太一が演じている。
他に、金太郎を宝田明、次男の会の司会を森山周一郎、武田を藤岡弘、、マシュウコを大河内奈々子、フランキーを池乃めだか、兄弟の母・かほりを吉野きみか、絹代を田中輝子、ジャックを団時朗が演じている。公開された当時のキャッチコピーが「わかってもわかんなくても、いいと思うよ。」という逃げ口上のようなモノだったので、じゃあ遠慮なく言わせてもらうと、ワシはサッパリ分からなかった。
そして、分かりたいとも思わなかった。
一言で言うなら、これは映像作家が自分のやりたいことだけをやった映像のコラージュだ。
映画の体裁は取っているが、薮内監督は「長編映画」を撮っていないと思うよ。導入部の時点で、もう「なんか無理っぽい」という雰囲気に満ち溢れている。
ミネラルウォーターの会社を営む兄弟が1年前にCMソングを作って大ブームになった、そんで1年後に曲を作ることにした、という説明があるのだが、それを作っている立派なスタジオや機材は何なのか、なぜ1年後にならないと新曲を作らないのか。
その辺りは、その後の展開の中でも答えが無い。それどころか、回想シーンに入った後、いつまで経ってもCMソングを作ったことや大ヒットしたことが描かれず、そのまま現在のシーンに戻って来る。
それは構成として、明らかに違うんじゃないかと思うよ。あと、曲のタイトルが『ファンタスティポ』で、そこには当時の2人にしか感じられなかった独特の気持ちが込められていて、それは目に見える物全てが躍動感に溢れ、輝きに満ちていたという意味だという説明が入るが、「なんのこっちゃ」である。
ちゃんとした意味がある言葉ならともかく、「ファンタスティポ」って造語だからね。
しかも、「ファンタスティック」が入っていることは分かるが、「ポ」の部分の意味が何を意味しているのかサッパリ分からんし。
そして、最後まで見ても、なぜ曲のタイトルが『ファンタスティポ』になったか、それは全く分からない。
きっと分かっているのは、監督だけじゃないかと思うよ。1年半前のシーンになると、アルマジロ会社にいる兄弟の元へ、テニスルックの美女たちを引き連れた金太郎がノリノリで登場し、「朝のミーティングを始めよう」と言う。
当然、そこからミーティングの様子が描かれるんだろうと思ったら、画面が切り替わり、複数の男女がハメ込みの背景の前でダンスする様子が写し出される。
他の場所や会社の中でも同じ踊りをやってる奴らが写り、どうやらそれは「アルマジロ体操」らしいってことが分かるが、脈絡は無い。
のっけから、バラバラになってると思うよ。で、音楽に合わせて体操をする様子が写し出された後に『ファンタスティポ』という題名が表示され、その後には上空から落下する夢を見たハイジがベッドで目を覚ますシーンになる。つまり、朝のオフィスでのシーンは、あれで終わりってことだ。
そしてハイジは、それが幼い頃から見続けている夢であること、怖がっていることをナレーションとして語るが、やたらと陰気である。
冒頭部分でもハイジは「そして俺たちは純粋すぎたんだ」というモノローグを語って変にしんみりなムードを漂わせており、「どう考えてもバカまっしぐらな設定なんだから、もっと能天気に弾けろよ」と言いたくなったが、この男、妙に暗い。
この映画に不必要としか思えない暗さを抱えている。
そんなの、要らないと思うよ。その後、金太郎がテレビ番組に出演している様子とか、トラジやハイジが仕事をしている様子とか、アルマジロ体操をダンサーたちが踊る様子とか、そういったモノがコラージュされて、唐突に感謝祭が開かれる展開になり、唐突に金太郎が引退を発表する。
専務就任を受けたハイジが落下の夢を見るシーンが描かれて、「俺の居場所は本当にここでいいんだろうか。そんなことばかり考えていた」という彼のナレーションが入る。
「ハイジの自分探し」が本作品のテーマなのかもしれないが、そんなの、全く描写できていないと思うよ。
そして、そんなの、どうでもいいと思うよ。金太郎からマシュウコを雇ったことを一方的に通告されても、トラジとハイジは動じないし、反対もしない。
で、ハイジは「マシュウコは浮世離れした独特の孤独感を醸し出していた」というナレーションを語るが、こっちには、彼女がそういう人物であることはちっとも伝わって来ない。
クセの強いキャラクターだとは思ったが、それは彼女だけじゃなく、この映画に出てくる奴らは全員がそうだし。
そして、クセの強さだけは伝わるけど、その奥にある孤独感ってのは、全く表現できていないと思うよ。トラジは会社で大きなジオラマを作っていて、そこにゾウやサイのフィギュアを並べている。
そこへキリンのフィギュアを持って来たハイジに、社員が近付いて「専務になっても魂の旅は終わらないっすよ」と告げる。
ハイジは微笑を浮かべてトラジに視線をやり、トラジも笑顔を見せる。
兄弟は社員にフィギュアを渡し、自分たちも手に取って頭上に掲げる。他の社員たちも一斉に動物フィギュアを掲げる。
どうやら「みんな何かを理解した」ってことらしいが、こっちには何も伝わらないと思うよ。休日、鉄道ジオラマを楽しんでいたトラジは、友人の「俺たちもいずれ会社を継ぐ。なんかどうなんだろうねえ、俺たちって」という言葉を聞いて、「知らない間に大人になってたんだなあ、俺たちって」と口にする。
でも、そう感じたことによって行動を起こすとか、彼の考えが変化するとか、そんなことはない。
その後、それについて友人からバカにされて落ち込むというシーンがあり、そこでドラマを作って行こうとする。
でも不自然さしか感じさせない展開だし、とても薄っぺらいモノになっていると思うよ。その後、トラジは「トムに餌をやりに行く」と言い出す。生肉を抱えた彼は少し怯えた様子なので、猛犬なのかと思っていたら、地下室へ向かう。
ひょっとしてライオンや虎のような獣でも飼っているのかと思いきや、猿に似た二足歩行の獰猛な生物が鎖に繋がれているという、予想の斜め上を行く展開だった。
たぶん実在しない生物という設定か何かじゃないかと思うが、その生物が物語に大きく関わって来るわけでもないし、ますます話を散らばった印象にさせているだけだと思うよ。
ちなみにハイジはトムが肉食じゃなくて果物や野菜が好きだと知っていて、トムは彼には懐いているんだけど、その設定も、その場の笑いを取りに行くだけのモノになっている上、しかも笑いにさえ繋がっていないと思うよ。トラジはマシュウコからアルマジロ社と名付けた理由について問われ、「パパが付けたんだけど、アルマジロは食物連鎖に組み込まれていないんじゃないかって言うんだ」と話す。
で、そこから会社名の由来について説明するのかと思いきや、別のシーンに切り替わる。
ってことは、「アルマジロは食物連鎖に組み込まれていないから」ってのが、アルマジロ社と名付けた理由ということになるらしい。
でも、それは何の説明にもなっていないと思うよ。金太郎が退任してトラジ&ハイジが社長と専務に就任するんだから、そこからは「社長の交代によって会社の運営や業績がどうなるのか、トラジ&ハイジがどういった仕事ぶりを見せるのか、それによって会社はどのように変化するのか」というのを見せて行くのかと思いきや、そんなのは全く描かれない。
そもそも、トラジ&ハイジが仕事をしている様子さえ、ほとんど描かれていない。たまに仕事をしている様子が描かれても、そのフォローは無い。
例えば、トラジが作ったCMを社員たちと見るシーンがある。でも、そのCMを作るまでの経緯は描かれていないし、そのCMを流した反響についても描かれていない。
トラジもハイジも、社長や専務に就任したからって、それで苦労している様子は全く見られない。
そんなことだから、「大人に成り切れないトラジ」とか「自分の居場所に悩むハイジ」というドラマが、ますます浅薄で説得力ゼロの中身になっているんじゃないかと思うよ。その後も色々と描かれてはいるんだけど、そろそろ一つ一つ取り上げて詳しく説明するのが面倒になって来た。
でも、それは仕方のないことだと思うよ。
だって、1つ1つのシーンがちっとも繋がりを持っておらず、とりとめの無さがホントにハンパないんだから。
物語がつまらないから飽きて来るとか、そういう問題じゃなくて、最初から最後までツギハギ状態が解消されず、長編映画として完全に破綻しているんだから、ちゃんと論評しようという気が失せて行くのは仕方がないことだと思うよ。
でも、どうやら監督自身は出来上がりに自信があって、かなり満足しているらしい。
これを「芸術作品」として捉えるのであれば、芸術ってのは基本的に自慰行為だから、本人が満足しているなら、それで別に構わないんじゃないかと思うよ。(観賞日:2013年10月21日)