『武士の家計簿』:2010、日本

明治十年、東京府海軍省主計室。海軍主計大監の猪山成之がそろばんを弾いていると、部屋にやって来た部下が珍しそうな様子を見せた。それが自分の仕事であることを成之は説明し、訂正する箇所を指摘した。部下が出て行った後、成之は父の直之から届いた手紙を読んだ。手紙には、猪山家の先月の入払帳に目を通してほしいと書かれていた。しかし成之は、直之の記した帳簿に間違いなど無いと確信していた。彼は父を日本一のそろばん侍だと思っていた。
天保年間、金沢城の御算用場では、大勢の算用者が帳簿を見ながらそろばんを弾いていた。その中には、直之と彼の父である信之の姿もある。算用者とは、加賀藩の理財会計を司る、そろばん役人のことだ。彼らは日々、帳簿と格闘する。百万石の加賀藩では、常時150名の算用者を召し抱えている。その多くは薄給の下級武士たちだ。猪山家は代々、算用者として加賀藩に仕えて来た。信之は7代目であり、江戸詰の際に算用者としては破格の70石取りに出世した。加賀藩江戸屋敷の赤門建築に尽力したことが認められたのだ。そのことを彼は、直之や彼の姉・春、妻・お常、母・おばばさまの前で得意げに話した。
見習いの算用者は3年に渡って無給で勤め、ようやく召し抱えられる。直之は見習いの頃から、周囲が驚くほどの働きぶりを見せていた。真面目で勤勉な彼には、「そろばん馬鹿」という呼び名が付いた。昼食の時間になっても、彼は上役の合田源治郎に間違いがあったことを報告し、「年貢の元帳を調べませんと」と言い出す。合田は困惑した表情で、「後に致そう」と告げた。その様子を半ば呆れつつ見ていた信之に、友人の青山は直之の縁談を持ち掛けた。
帰宅した信之は、お常から直之について「そろそろ落ち着かせますか」と結婚させることを提案される。そこで信之は、青山から言われた縁談について明かす。相手はお駒という器量良しで評判の女で、町同心で剣術道場の師範代をしている西永与三八の娘である。剣術はからっきしの直之だが、与三八の道場には熱心に通っていた。お駒は父から縁談を告げられるが、直之のことは知らなかった。
天保以来、飢饉は日本全国に及んでいた。加賀藩は城から200俵のお救い米を出すが、農民の与七は「調べてみたが、150俵しか出ていない。誰かが途中で抜いたんだ」と激しく抗議した。与七が武士たちに詰め寄っているところへ、御蔵米勘定役になった直之がやって来た。与七は調べた内容を記した文書を差し出すが、侍に叩き落された。直之は文書を拾い上げ、その場を去った。彼が川辺で昼食を取っていると、仲間と一緒に友禅流しをしていたお駒が水筒を差し出した。仲間の元へ戻った彼女は、それが直之であることを聞かされた。
お救い米について調査した直之は、確かに抜かれていることを知った。しかし合田に報告すると、彼は「帳尻が合っておれば良いのだ」と告げ、不正を見過ごすよう指示した。家に戻った直之は、信之に「数字が合わぬのが我慢なりません。私なりに励んでみます」と述べた。さらに調べを進めた彼は、蔵に眠っていた米を発見する。しかし報告を受けた合田は不正を握り潰し、その米を蔵に戻した。加賀藩重役の奥村丹後守栄実と家臣の安部忠継は、その一件で直之が能登辺りに飛ばされるだろうと推測した。
直之とお駒は婚礼を迎えた。初夜にも関わらず、直之は婚礼の費用を付けることを優先した。「これしか生きる術が無い。それに不器用で、出世も出来そうも無い。それでも良いか」と尋ねる直之に、お駒は微笑を浮かべて「生きる術の中に、私も加えて下さいませ」と告げた。翌朝、お駒は家事を下男の為吉と女中のお菊に任せ切りにせず、食事の支度を始める。その様子を見たお常は、穏やかな口調で「最初から甲斐甲斐しく働いては、それが当たり前になる。最初は程々を当たり前にするのです」と説いた。
直之は算用奉行の重永から呼び出され、お救い米の調査について叱責される。まだ古い帳簿を洗い直している直之に対し、重永は「修業に出てもらおう」と左遷を示唆した。お駒が直吉(後の成之)を産み、猪山家は喜びに包まれる。そんな中、直之はお駒に、能登の輪島務めになったことを話した。ひもじさに耐えかねた百姓たちが一揆を起こし、第12代加賀藩主・前田斉泰は蔵の500俵をお救い米として供出した。騒動の首謀者たちは捕まり、処刑された。
目付衆の調べが御算用場に入り、不正を働いて米を横流ししていた者たちは処分された。奥村の名によって人事は一掃され、合田一派は簡略屋敷送りとなった。直之は安部に呼び出され、輪島への転任取り止めを告げられた。しばらくして、直之は斉泰の御次執筆役に任命される。これは異例の出世であった。直吉が4歳を迎えるに当たり、袴着の祝いを行うことになった。これは猪山家嫡男を武士として内外に示す大切なお披露目である。そんな祝いを直前に控え、直之はお駒から家計が厳しくなっていることを打ち明けられた。
お披露目の費用が不足していることを語ったお駒は、父に金を借りるか、自分の着物を売って工面するかという案を示した。すると直之は「ならぬ。大切なのは体面か」と口にした。直之はお駒に睨み鯛の絵を描かせ、それを祝宴の席に並べて本物の鯛代わりにした。直吉は喜ぶが、祝いが終わった後で直之は両親から咎めを受けた。直之は2人に借用銀を書き出した書状を見せ、借金が6200匁になっていることを教えた。直之と信之の禄を合わせた2倍の額である。直之は「我が家は風前の灯です」と厳しい現実を告げた。
直之は両親に「このままでは御簡略屋敷になります」と言い、今後の対策について説明する。それは、売れる物を片っ端から売り払い、着物は1人3枚までに減らすというものだった。「恥になる」と渋る両親に対し、直之は猪山家の取り潰しを避けるために必要なことだと諭した。さらに直之は、今後は細かく家計簿を付けることを通達した。こうして、猪山家には入払帳が導入されることになった。
直之は名品を手放すことに難色を示す両親を説き伏せ、自らも大事な書物を処分することにした。彼は2人目を妊娠中のお駒に、高価な砂糖を差し出した。道具屋の三徳屋、両替屋の桜井屋と新保屋が来た日、お駒は産気付いた。産婆がお駒の世話をしている間に、直之は売り払った家財目録を桜井屋と新保屋に渡した。だが、それでも借金は半分ほどしか減っていない。そこで直之は桜井屋と新保屋と交渉し、元金の4割をここで返済する代わりに、残りを無利子の十年払いにすることを取り付けた。お駒は娘の熊を出産した。
直之と信之の弁当も、毎日の食事も、質素なものになった。お駒は安い食材を買い求め、調理法を工夫するようになった。直之は藩の財政を考え、斉泰の食事にも質素倹約を持ち込んだ。やがて彼は、直吉にそろばんや論語、礼儀作法などを教え始める。さらに彼は、日々の賄いを帳面に付けるよう直吉に命じた。直吉は与三八に、「私は何を目指せば良いのでしょうか。武士の本分は?」と相談する。与三八は「御家芸を身に付けねば家が継げない。猪山家はそろばんと筆だ」と述べた。信之が死んで家族が悲しみに暮れる中、直吉は直之が粛々と葬式の費用を計算している姿を目にする…。

監督は森田芳光、原作は磯田道史『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書刊)、脚本は柏田道夫、エグゼクティブ・プロデューサーは飛田秀一&豊島雅郎&野田助嗣&原正人、共同エグゼクティブ・プロデューサーは前田圭一&依田翼&平城隆司&久松猛朗&喜多埜裕明&大澤善雄、企画・設計はHara Office、制作プロダクション統括は永井正夫、プロデューサーは元持昌之、アソシエイトプロデューサーは岩城レイ子&三沢和子、コ・アソシエイトは真壁佳子&池田史嗣、撮影は沖村志宏、照明は渡辺三雄、録音は橋本文雄、編集は川島章正、美術は近藤成之、殺陣は中瀬博文、音楽は大島ミチル、イメージソング「遠い記憶」はManami。
出演は堺雅人、仲間由紀恵、中村雅俊、松坂慶子、西村雅彦(現・西村まさ彦)、草笛光子、茂山千五郎、伊藤祐輝、藤井美菜、桂木悠希、大八木凱斗、嶋田久作、ヨシダ朝、佐藤恒治、山中崇、宮川一朗太、小木茂光、伊藤洋三郎、田村ツトム、柴田裕司、金子珠美、多賀勝一、野間口徹小林トシ江、魁三太郎、瀬川菊之丞、谷口高史、橋本一郎、荒田悠良、田帆乃果、林素矢、鍛治田務、平八郎、河田康雄、東田達夫、麻生祐介、楠年明、坂本真衣、平井靖、立川貴博、井手浩一朗ら。


歴史学者の磯田道史が猪山家に残された文書を参考にして執筆した著書『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』を基にした作品。
シナリオ講師で小説家の柏田道夫が脚本を担当し、『椿三十郎』『わたし出すわ』の森田芳光が監督を務めている。
直之を堺雅人、お駒を仲間由紀恵、信之を中村雅俊、お常を松坂慶子、与三八を西村雅彦(現・西村まさ彦)、おばばさまを草笛光子、重永を茂山千五郎、成之を伊藤祐輝、成之の妻・お政を藤井美菜、春を桂木悠希、直吉を大八木凱斗が演じている。

のっけから構成の悪さが気になる。
明治十年の成之が仕事をしている様子から映画が始まり、そこから天保年間の回想に入っていくのだが、明治時代のシーンなんて要らない。
タイトルからして『武士の家計簿』なんだし、直之がそろばん侍として働いている時代だけを描けばいい。
回想形式にして「明治に入ってからの年老いた直之とお駒」を登場させているが、堺雅人と仲間由紀恵に老人メイクをさせることで陳腐な感じになっちゃうし、何もいいことが無い。

原作本には成之の仕事ぶりや明治に入ってからの出来事に関する描写もあるらしいんだけど、そこはバッサリと削ぎ落としてしまった方がいい。
「直之が主役の物語」として構築した方がいい。
後半に入ると「厳格な直之に直吉が反発する」という親子ドラマがメインになっていくが、「親子二代(信之も含めれば三代)のドラマ」にして、欲張らない方が良かった。
成之がナレーションを担当して物語が進行されるのだが、それも上手くないと感じるし。

明治時代からの回想形式にすることで、切なさや寂しさに満ちたテイストでそろばん侍だった直之を描こうという狙いがあるのかもしれないが(BGMなどからしても、そういう意識が感じられる)、だとしたら、それも違うなあと感じる。
この映画、サラリーマン喜劇のようなテイストで描けば絶対に面白くなる素材なのに、調理方法を間違えている。
ホント、ものすごく勿体無いんだよなあ。

米の横流しを調査するエピソードなんかも、シリアスなテイストで描くぐらいなら要らないなあと感じる。
全体を通して、どうも親子愛や家族愛、そして感動の要素を持ち込もうとしているように感じられるが、それはアプローチが違うんじゃないかと。
睨み鯛の絵を祝いの席に出すシーンにしても、ちょっと感動的に見せようとしているけど、そこに感動を生み出せる種なんか無いからね。
ただ侘しさしか無い。
でも喜劇として描けば、面白くなる可能性はあるのだ。

導入部を過ぎた後も、やはり構成には難がある。
直之とお駒の縁談が持ち上がるので、婚礼まではそのエピソードに集中すればいいものを、直之がお救い米を巡る騒動に巻き込まれるエピソードが入ってしまう。
で、だったら一段落するまでは同エピソードをやるのかと思ったら、与七の文書を拾った直之が食事を取ろうとしたところで、お駒が彼と出会う。
いやいや、そこは2つのエピソードを混ぜちゃダメだよ。順番に処理すべきだよ。

っていうか、いっそのこと、お駒とは最初から結婚している設定でもいいぐらいだ。
どうせ大した恋愛劇なんて無いんだし。
この作品で描くべきモノは何なのかと考えた場合に、もっと「加賀藩と家計を倹約し、貧乏生活を工夫する」という部分に焦点を絞り込むべきだと思うのだ。
そういう倹約生活を送る日常風景のスケッチを、ユーモアに包んで描いて行くべきじゃないかと思うのだ。
だから、例えばお駒が嫁入りする場面から始めて、彼女の視点で物語を進行し、初夜でも費用計算を優先するような「そろばん馬鹿」の直之を描いていくという形にすれば良かったんじゃないかと。

直之が奉行の左遷通告を受けて、そこから画面が切り替わると、お常から大切にしている小袖を見せられたお駒が産気付く様子が描かれ、彼女が出産した後のシーンへ移る。
ってことは、かなりの時間経過があるはずだが、それが全く伝わらない。産気付く描写が訪れるまでは、直之が左遷通告を受けた当日のお駒を描いているのだと思ったぐらいだ。
それと、左遷通告があっても直ちに左遷されるのではなく、お駒の妊娠と出産を経てから輪島への転任が決まるという形にしてあるが、これも構成がマズい。左遷通告があったら、その直後に「直之がお駒に転任を明かす」という展開へ移った方がいい。
そこを律儀に「左遷通告→妊娠→出産→左遷先が決定」という順番でやる必要は無い。
原作本でそうなっているのかもしれないが、そこは脚色してもいいでしょ。
生真面目にやるこたあ無いわ。

直之の左遷に関しては、「左遷のはずが大逆転で異例の出世。大喜びのはずが、出世に伴って支出が増えてしまい、家計が苦しくなる」というところに面白さがあるはずだ。
それなのに、そういうのをメリハリを付けずに淡々と処理してしまう。
だから、「出世したせいで支出が増えるようになる」ということさえ、まるで伝わって来ない。
教養書として書かれた原作を映画化する際、どうやって娯楽映画としての面白さを出そうかという意識の部分で、それが足りていないか、考え方が間違っているか、どちらかだ。
ともかく、繰り返しになるけど、これは喜劇として作るべき素材だったと思うのよ。

終盤に入り、信之の死、おばばさまの死、お常の死、成之の元服、成之の結婚、幕末の動乱といった出来事がバタバタと描かれていく。
まるでTVシリーズのダイジェスト版なのかと思ってしまうほど、その辺りの展開は慌ただしい。
そんなに駆け足で処理するぐらいなら、そういうのはバッサリと削り落としていい。
なんで終盤を悲哀を帯びた展開にしちゃうのかなあ。
これだと「直之は算用者として倹約に務め、家系を立て直したけど、そんなことは幕末の動乱の前には全くの無意味でした」って感じになっちゃうぞ。
まさか、そういうことを描きたいわけでもあるまいに。

(観賞日:2013年9月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会