『母性』:2022、日本
高校2年生の女子が自宅の庭で首を吊り、落下して死亡する出来事が起きた。遺体の発見者である母親は、「愛能(あた)う限り、大切に育てて来た。自殺なんて考えられない」とコメントした。記事でコメントを知った高校の女性教師は、「胡散臭い感じがする」と評した。先輩の国語教師は女子が前任校の生徒だったと明かし、「1年の時に副担任だった。自殺とは考えられない。母親との不仲説はあった」と語った。2人の会話を、同僚の田所清佳が聞いていた。田所ルミ子は教会を訪れ、神父に「愛能う限り、娘を大切に育てて来ました」と語った。神父は彼女に、出来る限りの愛がどういう物か、溢れ出す感情のままに話して下さい」と促した。
[母の真実]
ルミ子は24歳の時、市民文化センターの絵画教室に通っていた。彼女は田所哲史という男と知り合うが、彼の絵は暗くて嫌いだった。母の露木華恵はルミ子と違い、展示されていた哲史の絵を見て絶賛した。母と意見が違うことなど、ルミ子としては有り得なかった。彼女は母を喜ばせたいので、哲史に絵を譲ってほしいと頼んだ。その際、母の意見は教えず、自分が評価しているように説明した。ルミ子が哲史の絵をプレゼントすると、華恵は喜んだ。
ルミ子は母が好きな絵を描く哲史に興味を抱くようになり、誘われてデートに出掛けた。彼女は3度目のデートでプロポーズされ、哲史の両親と会うことになった。ルミ子は自分を嫌う大人など見たことが無いので、必ず気に入られるという自信を持っていた。彼女は絵画教室で仲良くなった佐々木仁美から、結婚には反対だと言われた。仁美は哲史の幼馴染であり、彼が厄介な性格であること、もっと厄介なのは口うるさい母親であることを教えて忠告した。
ルミ子は哲史に連れられ、彼の実家を訪れた。彼女が手土産を渡しても哲史の母は何も言わず、ずっと仏頂面だった。「気に入られてないみたい」とルミ子が口にすると、哲史は「気にしなくていい。いつもああだから」と淡々と告げた。ルミ子は華恵の前向きな言葉に勇気を貰い、哲史との結婚を決めた。ルミ子は新居で哲史と暮らし始め、華恵から料理を教わった。哲史は美味しいと言わず、髪型を変えたり新しい服を着たりしても何も言わなかった。それでもルミ子は、母が褒めてくれるだけで幸せだった。
妊娠したルミ子は恐ろしさを感じ、その事実を受け入れられずに泣き出した。彼女は哲史に頼んで、華恵を呼んでもらった。華恵の言葉に励まされたルミ子は、彼女に喜んでもらうために出産した。娘の清佳が成長するにしたがって、ルミ子は母が自分にそうしてくれたように、他人を思いやる心を教えた。幼稚園の祖父母参観日は華恵に外せない用事かあったため、義母に行ってもらった。義母は清佳の振る舞いに感心し、ルミ子に「鼻が高かった」と嬉しそうな様子を見せた。「アンタがちゃんと躾けてくれてるおかげだ」と言われたルミ子は、期待に応えれば義母も自分を愛してくれるのだと思った。
華恵は小鳥の刺繍をバッグに入れ、清佳にプレゼントした。喜んで礼を言った清佳は、「ピアノのバッグはキティちゃんにして」とお願いした。華恵は笑顔で快諾するが、ルミ子はショックで顔を引き攣らせた。彼女にとって市販のキャラのバッグを欲しがることは、母の刺繍したバッグを否定するのも同じだったからだ。彼女は笑顔を浮かべ、娘に小鳥で揃えた方がいいのではないかと進めた。清佳は困惑するが母から無言の圧力を感じ、その要求に従った。
大雨の日、華恵は清佳に小鳥の刺繍をしたピアノのバッグだけでなく、キティちゃんの筆箱もプレゼントした。清佳は喜ぶが、ルミ子の顔は険しかった。台風接近のニュースが報じられる中、哲史は勤務する鉄工所へ向かった。夜、華恵は清佳から一緒に寝てほしいと頼まれ、喜んで承諾した。ルミ子は華恵に、今夜は自分の部屋で一緒に寝るよう促した。すると華恵は一線を引くよう彼女を諭し、「哲史さんがいつ帰って来るかも分からないし」と告げた。
深夜、ルミ子は大きな物音で目を覚まし、清佳の部屋へ向かう。すると落雷で木が倒れ、部屋の窓を突き破っていた。棚が倒れ、華恵と清佳は下敷きになって動けなくなっていた。部屋に火がついて広がる中、ルミ子は華恵を助けようとする。障害物のせいでドアが少ししか開かず、ルミ子は必死で手を延ばした。華恵は清佳を助けるよう指示するが、ルミ子は耳を貸さなかった。華恵が手を振りほどいて死を選んだので、ルミ子は清佳を背負って炎上する家から脱出した。 [娘の真実]
清佳にとって最も古い記憶は、5歳頃だった。ルミ子は華恵が家に来る時、清佳に「何を言ってほしいか良く考えて喜ばせて」と指示した。清佳は華恵から無償の愛を注いでもらったと断言できるが、ルミ子からは違った。清佳は周囲の大人たちの反応を気にする子供だった。自分の行動や言葉が喜んでもらえるかどうか、常に気にしていた。自分の存在は、母の描く幸せという絵の一部に過ぎなかった。しかし、自分も同じ絵が見えていたので、それで充分だった。清佳が「ピアノのバッグはキティちゃんにして」とお願いしたのは、キティちゃんの刺繍にしてほしいという意味だった。しかしルミ子も華恵も、市販の既製品が欲しいのだと誤解した。台風の夜は、火事だと認識した途端に意識が朦朧とした。ルミ子と華恵の声は聞こえたが、何を話しているのかは分からなかった。
現在、清佳は先輩教師と居酒屋で食事をしている時、隣の席の客が串入れではなくグラスに食べ終わった串を入れているのに気付いて注意した。先輩教師から「さすがだな」と言われた彼女は、昔から「まあいいか」と思えない子供だったと話す。「自分は悪いことしたから責められてるのに、被害者みたいに傷付いた顔するのって卑怯じゃないですか」と彼女が語ると、先輩教師は「ホントに真面目だな」と言う。すると清佳は、自分は遊びが無い人間なのだと述べた。
清佳が「愛されるためには正しいこと、喜ばれることをしなければならないと子供の頃から思って来た」と語ると、中谷は「親に愛されていなかったのか」と尋ねる。清佳は「どうなんでしょう」と曖昧に返答し、発表会にはフリルの付いたブラウスを着ていたこと、運動会は新しいシューズ履いて来たことを語った。「つまり体裁を整えているだけだった」と中谷が口にすると、彼女は「ブラウスやシューズは欲しくなかった。そんなことより母に優しく触ってもらいたかった」と語った。 [母と娘の真実]
華恵の死から12年が経過し、ルミ子と清佳は哲史の実家で離れに暮らしていた。ルミ子は義母から理不尽な文句ばかり浴びせられるが、全く反発せず素直に受け入れた。彼女は息を潜めるように、足音さえ殺しながら生活した。季節外れの桜を見つけた彼女は、華恵が頑張れと教えてくれているように感じた。ルミ子は誠意をもって尽くせば、義母も受け入れてくれるはずだと信じて努力を続けた。夕食の場では義母がルミ子を罵倒するのが日課のようになっていたが、哲史は黙って食べているだけだった。
清佳はルミ子を責める義母に我慢できず、真っ向から反論した。すると義母は、嫌なら今すぐに家から出て行けと要求した。離れに戻ったルミ子は、規模に逆らった清佳に怒りをぶつけた。清佳が家事を手伝おうとすると、ルミ子は冷たく拒絶した。彼女は娘を鋭く睨み付け、「そういうことを望んでるんじゃないの。私の努力はアンタが台無しにしてるのよ」と言い放った。ルミ子は清佳に、「お婆様を敬って。どうして分からないの」と非難の言葉を浴びせた。
清佳は哲史の妹である律子か手作りのビーズアクセサリーを見ないかと誘われ、彼女の部屋に入った。するとルミ子は、「このお屋敷は台所とお風呂場と居間以外には入ってはダメなの。他人の家に勝手に上がり込むのと同じことなのよ」と説教した。学校で同級生の真子が男子の佐藤たちから母親の駆け落ちを理由に冷やかされるのを見た清佳は、注意して止めさせた。その様子を見たクライメストの中谷は、「佐藤にはデリカシーが足りない。そして田所には遊びが無い」と評した。清佳は真子を心配して「大丈夫?」と声を掛けるが、「アンタが一番失礼なのよ」と睨まれた。
帰宅した清佳は、学校での出来事を母に話した。真子を助けた行為について、ルミ子は華恵が生きていれば喜んだはずだと賞賛した。清佳が嬉しくなって話し続けようとすると、ルミ子は険しい表情で拒絶した。ルミ子は律子から、100万円を貸してほしいと頼まれた。彼女は黒岩という恋人がいること、父親の借金を返済するまで結婚できないと言われたことを説明した。ルミ子は内緒にほしいと頼まれたが哲史に教え、黒岩も読んで話し合いが行われた。哲史は黒岩が金目当てで嘘をついていると見抜いて腹を立てるが、ルミ子は律子を「可哀想」と評した。同じ気持ちだった清佳は律子に頼まれ、彼女の家出に手を貸した…。監督は廣木隆一、脚本は堀泉杏、製作は高橋雅美&池田宏之&勝股英夫&名倉健司&田中祐介&五十嵐淳之、原作は湊かなえ『母性』(新潮文庫刊)、エグゼクティブ・プロデューサーは関口大輔、プロデュースは谷口達彦、プロデューサーは古賀俊輔&湊谷恭史、撮影は鍋島淳裕、ラインプロデューサーは金森保、キャスティングプロデューサーは楠本直樹、ポスプロスーパーバイザーは佐藤正晃、照明は北岡孝文、録音は深田晃、美術は丸尾知行、編集は野木稔、音楽プロデューサーは安井輝、音楽はコトリンゴ、主題歌はJUJU『花』。
出演は戸田恵梨香、永野芽郁、大地真央、高畑淳子、吹越満、三浦誠己、中村ゆり、山下リオ、淵上泰史、落井実結子、さとうほなみ、高橋侃、加藤満、深水元基、古谷佳也、日向寺雅人、岡部ひろき、山本愛香、松長ゆり子、椿弓里奈、鈴木碧桜、徳永和久、坂本安代、大塚和彦、林加奈子、阿部きなり、阿部環、ケビン・リース・ムーア、山田玲、鈴木正人、ハタヤテツヤ他。
湊かなえの同名小説を基にした作品。
監督は『ママレード・ボーイ』『ここは退屈迎えに来て』の廣木隆一。
脚本は『ナラタージュ』『窮鼠はチーズの夢を見る』の堀泉杏。
ルミ子を戸田恵梨香、清佳を永野芽郁、華恵を大地真央、哲史の母を高畑淳子、神父を吹越満、哲史を三浦誠己、仁美を中村ゆり、律子を山下リオ、幼少期の清佳を落井実結子、黒岩を深水元基が演じている。
清佳の先輩教師として淵上泰史、同僚としてさとうほなみが出演している。進行と心情の大半を、ナレーションで説明してしまうタイプの映画である。なので、朗読劇がメインで、補完のための会話劇と映像が付随しているような感じだ。
あと原作の設定を踏襲しているだけなので仕方が無いんだけど、哲史と仁美に「ベトナム戦争の時代に学生運動に参加していた」という設定があるんだよね。
これを分かりやすく1970年で当時20歳と仮定しよう。そして哲史が25歳で結婚し、30歳の時に清佳が誕生したと仮定しよう。
そうなると、この映画が公開された2022年時点で清佳は44歳という計算になる。
しかし、どう見ても44歳の設定ではない。ここの計算が合わないことが引っ掛かったままで、ずっと映画を見る羽目になってしまう。ルミ子は華恵から多くの愛を受けて育ったが、そのせいで極度のマザコンになってしまった。いや、「極度の」と書いたが、「異様な」と表現した方が正しいかもしれない。
ルミ子は「全ては母のために」という生き方をしており、何をするにも「母に喜んでもらうこと」というのが最優先となっている。
しかも、その判断基準は全て自分にあり、華恵かそんなことを思っていなくても、行き過ぎた愛情で「これは母が悲しむ」と勝手に決めてしまう。
もはやストーカーにも近い類の、歪んだ愛情の持ち主なのだ。そんなルミ子にとっては、自分の娘である清佳さえ、母を喜ばせるための道具に過ぎない。だから常に母を喜ばせるために、娘の言動を支配下に置こうとする。
例えば清佳がキティちゃんのバッグを欲しがるのは、幼い娘からすれば何の不思議も無いことだし、もちろん何の問題も無い。
ところがルミ子は、「他人を思いやる心を教えたのに、母が悲しむようなこと言うなんて許せない」と怒りを覚えるのだ。
粗筋で書いたように華恵は笑顔で快諾しているし、清佳のリクエストに不快感など抱いていないのに、勝手に決め付けるのだ。女性は腹を痛めて出産した時点で母性が芽生えるが、男性は「自分事ではない」という感覚で、なかなか父性が生じない人もいるという考え方がある。
それに対して、この映画では「女性だって母性が無い人はいる」ってことを描いている。ただし、かなり誇張した内容にしてあるので、リアリティーは乏しい。
あとルミ子の場合、母性が無いとか芽生えないってことじゃなくて、「母の子供であり続けたい」ってことなのだ。自分が母の子供なので、母として娘への愛情を抱くなんてことは無理なのだ。それどころか、そもそも娘なんて不要ってことなのだ。
いわばピーター・パン・シンドロームの変異株みたいなモンと解釈してもいいかもしれない。これが父性の場合、たぶん「いつまでも親の子供でいたいから父性が芽生えない」というケースは特殊だと思う。そして、それは母性でも同じようなことが言えるんじゃないかと思うのだ。
全く性質が異なるので、ルミ子を母性が無い母親のモデルケースやプロトタイプのように扱うのは、ちょっと違うだろう。
それは極端に言えば危険だ。かなり稀なケースと捉えた方が賢明だろう。
そういう意味でも、「母性」をテーマとした物語の主人公としては、ややミスマッチではないかと思ってしまう。3部構成になっており、第1章はルミ子、第2章は清佳のナレーションで進行する。第3章は[母と娘の真実]だが、ルミ子の語りから始まっている。そして途中で、清佳の語りに切り替わる。
それで終わりじゃなく、その場によってナレーション担当を母娘が交代しながら進行していく。
しかし両側から描こうとして、どっち付かずで曖昧なパートになっていると感じる。
チャプターの途中でナレーションの担当者が入れ替わるという手法自体が、絶対にダメというわけではない。
しかし本作品の場合、5部構成だった原作を映画で再構築する際に、やり方を失敗しているだけにしか思えないのだ。第3章では最初から義母を悪役として積極的に動かし、ルミ子を被害者の立場に置いている。
そうやって同情心を誘おうとしているのかもしれないが、残念ながら無理。粗筋でも書いたように、清佳への仕打ちが酷いからね。第1章でも充分に酷かったけど、さらに悪化している。
そもそも義母に尽くすのも、「実母が死んでも自分が子供であるために」ってことだしね。
そのことに本人は幸せを感じており、「辛いけど必死に耐えている」って感じでもない。
むしろ耐えているのは清佳の方で、彼女は理不尽な義母に耐えるだけでなく、理不尽な母にも耐えなきゃいけなくなっているのだ。粗筋では書かなかったが、清佳が拭き掃除を手伝おうとした時、ルミ子は「触るな」と怒鳴り、「アンタの手は生温かくてベタベタして、気持ち悪い」と罵って睨み付けるのだ。
もはや母性が欠けているとか、そういうレベルじゃないでしょ。例え何の関係も無い赤の他人に対してでも、そんな酷いことは平気で言ったりしないでしょ。
ルミ子にとって清佳は基本的に、嫌悪の対象なのだ。自分が思い描く幸せの絵を成立させる行動を取った時だけは満足するけど、それ以外では一緒にいることさえ嫌なのだ。
彼女は義母に対して奴隷のように尽くす一方で、娘に対しては横暴な独裁者として振舞うのだ。終盤、清佳は自分を助けるため、華恵が自殺したことを知る。ショックを受けた彼女は、そのことをルミ子に語って謝罪する。
このシーン、ルミ子が「愛してる」と清佳を抱き締め、本人のナレーションで「愛してる」が本心であることを主張する。
そこから華恵が自殺した夜の回想を挟み、清佳がルミ子に謝罪するシーンが再び描かれる。
今度はルミ子が清佳の首を絞める様子が描かれ、清佳がナレーションを担当する。
ここに来て「どちらが真実か分からない」という描写にしてあるのだが、なぜ肝心なトコで煙に巻くのか。そんな出来事があった後、清佳が首吊り自殺を図る。ルミ子は何も出来ずに立ち尽くしているだけで、義母が批判しながら救急車を呼ぶ。
そして病室が映し出されると、ルミ子が清佳の手を握って名前を呼んでいる。これは清佳のナレーションでも語られるので、明確な事実と捉えていいだろう。
ようするに、その辺りでルミ子が母性に目覚めた設定になっているわけだ。
だけど、そんなに簡単に母性が目覚めるような人間なら、もっと早い段階で目覚めてると思うのよ。
むしろ、ものすごく残酷な結末ではあるけど、何があろうとルミ子に母性に芽生えることは無いまま終わった方が、よっぽど腑に落ちる。終盤、清佳は先輩教師と居酒屋で飲みながら、「母性は人間の性質として生まれ付き備わった物ではなく、学習によって後から形成されていく物なんじゃないでしょうか」と語る。
この映画が発信しようとしているメッセージを、そんなに真正面からハッキリと言っちゃうのね。
で、彼は先輩から「女子高生の自殺の原因が母親だったとして、何を言ってあげたいか」と問われ、「女には2種類いる。母と娘。いつまでも誰かの娘のままでいたい女性もいるのです」と答える。「それを伝えて、どうするんだ」と訊かれると、彼女は微笑するだけで何も言わない。
マジで「それを伝えてどうするんだ」と。
それを聞いて女子高生が納得し、自殺を思い留まるとは到底思えないぞ。単なる清佳の自己満足でしかないのでは。(観賞日:2026年1月16日)