『僕は友達が少ない』:2014、日本

聖クロニカ学園高等学校2年5組の羽瀬川小鷹は、友達が出来ないことを気にしていた。屋上にいた彼は不良グループに因縁を付けられ、慌てて逃げ出した。彼は日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれ、金髪は地毛だ。小さい頃から引っ越し続きで、聖クロニカ学園にも3ヶ月前に転校して来たばかりだ。彼が一日で会話を交わすのは、ちょっと変わった妹の小鳩ぐらいだ。彼は内向的な性格であり、人が苦手で緊張してしまうのだ。
放課後、携帯電話を忘れたことに気付いた小鷹が教室へ戻ると、クラスメイトの三日月夜空が誰かと話している声が聞こえた。しかし教室を覗くと夜空しかおらず、彼女が見えない誰かと話していることに彼は気付いた。夜空が「私はエアー友達のトモちゃんとお話していただけだ」と言うので、小鷹はヤバい奴だと感じる。夜空は他に友達がいないことを明かすが、「友達がいないことが嫌なのではなく、友達がいないと蔑まれるのが嫌なのだ」と説明する。
てっとり早く友達が出来る方法を夜空に問われた小鷹は、「部活とか」と提案する。夜空は「恥ずかしいだろう」と却下するが、すぐに「そうか」と含んだ笑みを浮かべた。夜空は「普通に話せているじゃないか」と言い、教室を出て行った。小鷹が家に戻ると、ゴスロリ服の小鳩は「よくぞ戻った、我が半身よ。待ちかねたぞ。我に生贄を捧げよ」と口にする。中等部2年の小鳩は『鉄の死霊術師』というTVアニメにハマって以来、自分の妄想したキャラクターに成り切っているのだ。
次の日、夜空は小鷹を談話室4へ連れて行き、「私たちの部室」と言う。彼女は隣人部を創設したことを明かし、その目的は友達作りだと述べた。夜空は小鷹を部員として引き入れ、自作のポスターを貼るよう指示した。小鷹が屋上にいると生徒会長の西園寺が現れ、不良グループと揉めたことを注意して「目立つ行動は慎んで下さい」と告げた。夜空は部室で小鷹と共に新入部員を待つが、柏崎星奈が来るとドアを閉めた。夜空は不愉快そうな表情を浮かべ、「市議会議員の一人娘だ。いつも男にチヤホヤされている、お嬢様気取りの、いけ好かない奴だ。スポーツ万能で成績優秀」と小鷹に言う。
窓を激しく叩く星奈に、夜空は「冷やかしならお断りだ」と言い放つ。すると星奈は、「私は友達が欲しいのよ」と訴えた。夜空が部室に入れると、星奈は高飛車な態度で「ほら、私って完璧じゃない?天の不平等を嘆く自由を与えるわ、庶民ども」と口にする。いつも男に囲まれている星奈だが、彼女は同性の友達が欲しいのだと話す。夜空は星奈と激しく言い争い、乳の大きい彼女を「肉」と呼んで馬鹿にした。小鷹は部活に入ったことを小鳩に話し、「放課後、暇だったら遊びに来ないか」と誘った。
次の日、小鷹は理科室で実験に失敗した高等部1年の志熊理科を助けた。小鷹が部室へ行くと、夜空が10歳の高山マリアと揉めていた。マリアは学校のシスターだが、夜空は小鷹に「隣人部の顧問だ」と言う。マリアは部室を寄越せと言われたことを怒っていたが、夜空は全く相手にしなかった。マリアが去った後、楠幸村が入部希望者として現れる。星奈から「なんで女子なのに男装してるの?」と訊かれた幸村は、「私は正真正銘の男子ですが」と述べた。幸村は入部の動機として、小鷹の舎弟にしてほしいのだと話す。幸村はイジメを受けていることを明かし、どうすれば小鷹先輩のように強くてカッコイイ男になれるのか学びたい」と話す。夜空は幸村を「面白いバカ」として気に入り、入部を快諾した。
次の日、理科は小鷹を呼び出し、「先輩は命の恩人です」と礼を言う。理科は「あのままだと男たちに凌辱される危険もあった」と言い、「想像してたら、おかしな気分になってきました」と柱に股間を擦り付けてオナニーを始める。彼女が貞操を捧げて礼をすると言うので、困惑した小鷹は「気持ちだけ受け取っておく」と走り去った。すると理科は部室に来て、入部を希望した。理科はクラスメイトから変態扱いされており、夜空は入部を認めた。
隣人部の面々は廊下ですれ違っても挨拶を交わすわけではなく、放課後だけ部室に集まる関係だった。部室で何かをするわけではなく、それぞれが自由に過ごすだけだった。星奈は夕食の際、天馬から「学校を楽しんでいる場合じゃないぞ。お前には期待している。やるべきことをやればいいんだ」と告げた。風呂から出た彼女は、天馬が家令のステラと情事に及ぶ様子を目撃した。翌日、小鷹は星奈がクラスの女子からイジメに遭っていることを知った。隣人部のメンバーが集まると、夜空は「リア充は放課後に、みんなでカラオケに行くらしい」と言い出す。みんなの協調性が無いことは理解した上で、彼女は部員を引き連れてカラオケボックスに出掛けた。
7月に入ると、西園寺が夜空たちに廃部を通達した。彼は今週中に部室を明け渡すよう要求し、「公式の手続きを踏んでいないため、正式な部としては認めていない」と述べた。ギャルゲーに没頭している星奈が「これから、どこでやろうかなあ。この中に入れたらって思うぐらい好き」と言うと、理科は「入れますよ、ゲームの中」と軽く告げる。彼女は某企業と共同開発したゲーム機『ロマンシング佐賀』を披露し、バーチャルな世界に飛び込めるのだと説明する。
理科はサーバーに学校と町のデータを入力しており、リアルな友達作りを体験できると言う。理科は部員にケーブルとヘルメットを装着させ、イージーモードでゲームをプレイさせる。神経ガスで眠った部員はゲームの中に入り、それぞれが友達のいる学校生活を体験する。全員が嬉しく感じるが、途中でバグが発生してしまう。小鷹たちは現実の世界へ戻り、理科は「このままだと危険ですねえ。システムから作り変えないと」と言う。星奈が「どれぐらい掛かる?」と尋ねると、彼女は「卒業までには何とかなるんじゃないですか」と答えた。星奈は深夜の理科室に潜入し、理科が棚に入れておいたロマンシング佐賀を自宅へ持ち帰った。
その数日後、隣人部は廃部になった。小鷹たちは日常に戻り、話すことも無くなった。そんな中、夜空は小鷹たちに声を掛け、部室の私物を持ち帰るよう告げる。彼女は小鷹に、星奈が数日前から学校を休んでいることを話す。理科はハードが無くなっていることを明かし、小鷹、夜空、幸村と共に星奈の家へ行く。星奈は自室でゲームに入り込んでおり、理科は「このままだと戻れなくなります。いわゆる廃人です」と口にする。
夜空がケーブルを引き抜こうとすると、理科は強制リセットは危険だと告げる。「中に入って説得した方が安全かも」と彼女が言うので、小鷹と夜空と幸村がゲームの世界に入った。すると星奈はチンドン屋に御輿を担がれ、上機嫌になっていた。小鷹が「迎えに来た」と言うと、彼女は「帰りたくないの。邪魔すると許さないから」と告げる。その直後、バグが発生して「これ以上は危険です」という理科の声が響いた。小鷹たちは現実の世界へ戻り、ひとまず引き上げて理科が対策を考えることになった。
翌日、小鷹は隣の男子が普通に消しゴムを拾ってくれたことに困惑する。小鷹や幸村たちが夜空に呼ばれて部室へ行くと、全て元通りになっていた。そこへ星奈が元気な様子に現れ、「もうゲームは飽きた」と言う。幸村が帰宅すると見知らぬ家族が住んでおり、星奈は次期生徒会長に選ばれて生徒たちの拍手喝采を浴びる。困惑する小鷹や夜空たちに、理科は「バーチャルが日常を侵食している。星奈先輩の理想と現実がごちゃ混ぜになっているんです」と話す…。

監督・脚本は及川拓郎、原案は平坂読『僕は友達が少ない』(MF文庫J/株式会社KADOKAWA メディアファクトリー刊)、製作は遠藤茂行&木下直哉&水口昌彦&間宮登良松&三坂泰二&木村良輔&伊藤満&菅野征太郎、プロデュースは鍋島壽夫、プロデューサーは永田博康、アソシエイトプロデューサーは柳迫成彦、撮影は小林元、照明は加藤賢也、美術は新田隆之、録音は志満順一、編集は松竹利郎、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、音楽は海田庄吾、音楽プロデューサーは津島玄一。
主題歌『ひとつだけ』作詞:ふるっぺ・森さん、作曲:ふるっぺ、編曲:松岡モトキ、歌:ケラケラ。
出演は瀬戸康史、北乃きい、石原良純、渡辺大、大谷澪、高月彩良、神定まお、久保田紗友、山田萌々香、栗原類、一双麻希、前野恵、園ゆきよ、大塚一慧、渡邉空美、黒石高大、遊木康剛、舟山弘一、佐々木しほ、柿本光太郎、高崎哉海、藤間宏衛門、村田研人、井上拓哉、福田薫、川尻真也、塩田雄一、片山ひでみ、宇都宮茜、福永大樹、園木愛、池田琴弥、木村真衣、古城戸雄多、小堀正博、岩崎優希、竹下健人、南井雄斗、伊藤尚輝、村岡慧生、河田祐希、岸本大介、長隼人、前田萌伽、佐々木沙也香、日野田香織、川上優空、仲野孝輝ら。


TVアニメ化もされた、平坂読による大人気の同名ライトノベルを原案とする実写映画。
監督&脚本は『シャッフル』『監禁探偵』の及川拓郎。
小鷹を瀬戸康史、夜空を北乃きい、天馬を石原良純、後半に羽瀬川家の見知らぬ住人として1シーンだけ登場する田中を渡辺大、星奈を大谷澪、幸村を高月彩良、理科を神定まお、小鳩を久保田紗友、マリアを山田萌々香、西園寺を栗原類が演じている。
西園寺と田中は、映画版のオリジナルキャラクター。

小説や漫画が映画化される場合、通常は「原作」という形で表記されるが、この作品では「原案」になっている。
これは、ひょっとすると製作までに起きた騒動が影響しているのかもしれない。
実写映画化されるという噂が広まった時点で、原作ファンが製作中止を求める署名活動を展開したのだ。
原作者もコメントを出して鎮静化を図ったが、だから「原案」ってことにして、「小説とは切り離して考えてね」という言い訳をしているのかもしれない。

ただ、「原作」であろうと「原案」であろうと、どっちにしろ小説のファンからすると同じことであって。原作ファンは映画が公開される前の段階で、この作品に強烈なノーを突き付けた。
大人気の小説を映画化するからには、当然のことながら原作ファンを観客層として想定しているはずで。だから原作ファンから嫌われちゃった時点で、かなり厳しいモノがある。
それでも原作ファン以外の観客層を取り込める作品なら、まだ何とかなるだろう。だけど、この映画は原作ファンに頼る部分が、ものすごく大きかったはずで。
その結果、当然のことながら興行的に失敗した。
原作ファンからはそっぽを向かれ、原作を知らない人も興味を示さなかったのである。

私は原作を読んでおらず、アニメ版も見ていない。
だから幸いなことに、「原作やアニメ版と比較して云々」というトコで酷評することは回避できる立場にある。
「柏崎天馬はイケメンのはずだろ」とか、「なんで小鷹は金髪なのに小鳩は黒髪なんだよ」とか、「星奈が女王様タイプじゃなくて、ただのビッチにしか見えないぞ」とか、そんな文句は何一つ出て来ない。
ただし本作品は、原作やアニメ版との比較とか、そういう問題ではないのだ。
そこと切り離したところで、ポンコツな映画であることに変わりは無いのである。

小鳩は「妄想のキャラを演じている」という設定なので、口調が変なのは容易に受け入れられる。
しかし夜空や幸村は違うので、そいつらの口調がキテレツなのを受け入れるのは、そんなに簡単なことではない。
原作の設定を踏襲しているだけなので、「正しいアプローチ」と言えるのだが、アニメなら有りでも実写だとキツいというケースは少なくないわけで。
そこは「昔懐かしい月曜ドラマランドでも見ている気分になりましょう」と言っておこう。

そうなのだ。実は本作品を「月曜ドラマランド・のようなもの」と割り切ってしまえば、そんなにストレスは感じなくて済むようになる。
「三文芝居が仕様」ってことになるので、陳腐なセリフ回しも、外しまくっている喜劇演技も、グダグダのシナリオとヘロヘロの脚本も、そんなにストレスを感じさせなくなる。
ただし、そんな作品だと最初から分かっていれば、わざわざ見たがる酔狂な人は少ないだろう。
そして、この映画を見なければ、余計なストレスを感じることも無いわけでね。

小鷹が「だから何なのか」と言いたくなるようなモノローグを語る冒頭シーンで、部活動に励む生徒たちの様子が写し出される。その中で、スクール水着の女子生徒や短いスカートからパンツが見えそうになっている女子生徒も登場するのだが、その時点で嫌な予感はしていた。そして、その予感は的中してしまう。
この映画、無駄にエロいのである。
西園寺が屋上を去る時に側近の女子がパンチラするとか、その女子がオッパイを強調するような制服を着ているとか、星奈がビキニの水着になる夢を小鷹が見るとか、足を組み替える時にパンチラするとか、理科が階段の柱に股間を擦り付けてオナニーするとか、やたらと多くエロ関連の描写が含まれている。
ただし、その表現だと、この映画の抱えている重大な欠陥を指摘できていないだろう。実際のところ、エロくても別に構わないのである。
問題は、「そのエロさが下品」ってことだ。

この映画は青春学園ドラマとして作られているはずなんだから、エロの要素を持ち込むにしても(そもそもゼロでもいいんだし)、もっと爽やかで明るいエロにしておくべきじゃないのかと。
なんで粘着質で湿気のあるエロにしてあるのかと。日活ロマンポルノでもなければ、東映ポルノ映画でもないんだからさ。
まさか、そういうノリを狙ったわけでもあるまいに。
その下品なエロさが監督の意図した演出じゃなくて本質的に備わっているモノだとしたら、もっと問題は根深いし。

小鷹が番長グループから逃げ出すタイミングで、軽音部のバンドが演奏を開始する。歌が流れて演奏シーンが描かれ、それと小鷹が逃げる様子は並行して描かれ、タイトルが表示されるというのが導入部になっている。
バンドで歌っているのが夜空なら、それは理解できる。瀬戸康史と北乃きいはエンドロールで並列表記され、つまり小鷹と夜空がメインのキャラだからだ。
でも、そうじゃなくて、そのシーンにしか登場しない「聖クロニカ学園軽音部」の演奏なのだ。
そんな連中と小鷹を冒頭に並列で描き、一方で夜空を登場させないってのは、キャラの出し入れとして上手くない。

小鷹は友達が出来ない原因の1つに、自分の外見が影響していることを認識している。
「だったら、とりあえず金髪を黒く染めればいいんじゃないか」と思うのだが、そのことに彼は全く触れない。
原作だと「小鷹が金髪を続ける理由」が説明されているらしいのだが、映画版では何も用意されていないため、小鷹は「ただのバカ」でしかない。
まあ実際にバカでしかないんだけど、それじゃダメでしょ。
ただし、この映画に登場する連中は、総じてバカにしか見えないんだけどさ。

もちろん原作の全てを描くのは絶対に不可能だが、ある程度の情報は盛り込まないとファンが納得しない(まあ本作品の場合、それで納得してもらえるわけではないのだが)。そのため、かなり慌ただしい展開を余儀なくされている。
何しろ、「メインの2人を登場させる」「隣人部を創設し、そこに入部するメンバーを紹介する」「隣人部としての活動を描く」「メンバーが仲良くなる経緯を描く」「その上でトンデモ展開に突入する」ということを全て消化しなきゃいけないわけで、そりゃキツいでしょ。
それを考えると、トンデモ展開(詳しくは後述する)の部分は本当に必要だったのかと思ってしまうのだ。
そこに使う時間を残さなきゃいけないもんだから、「隣人部の面々が少しずつ心を開いて仲良くなっていく」という、何よりも必要なはずの手順がペラペラになっているわけで。

そりゃあトンデモ展開をやりつつ、隣人部の面々が交流を深めて行く経緯を描くことも、もちろん出来なくはないよ。
でも、それならトンデモ展開は前半から始めるべきだしね。
トンデモ展開を後半に配置しているのは、「隣人部の面々が仲良くなる作業は前半で完了した上で」という条件が満たされていることを前提にした構成だ。でも実際は、まるで足りていないわけで。
っていうかさ、ぶっちゃけ、「多くの要素を盛り込むのは厳しい」という事情に関わらず、「隣人部の面々が少しずつ心を開いて仲良くなっていく」という部分だけで物語を構成した方が、明らかに作品の質は向上するはずだ。これは「絶対に」と断言できる。

原作を読んでいる人からすると、「隣人部の面々の日常を描くだけでは、原作の魅力を充分に描いていない」と言われるかもしれない。
だけど、何よりも重要なのは「映画としての質」なのでね。どうせ原作ファンから嫌われた作品なんだし、それぐらい思い切った割り切りがあってもいいんじゃないかと。
まあ、それを言い出したら、そもそも陳腐な台詞回しやキャラ設定からして、思い切り改変した方がいいことは確かなんだよな。
ただ、そうなると「じゃあ原作を映画化する必要が無いし」ってことになるわな。

夜空がカラオケボックスで歌うシーンで、前半戦は終了する。
その歌を流す中で、小鷹が小鳩を部室へ連れて行く様子や、みんなが浴衣姿で花火をする様子などを挿入しているので、どうやら「それで隣人部が仲良くなる作業は終わりました」ってことらしい。
まるで終わっていないし、むしろ「まだ始まっちゃいねぇよ」と『キッズ・リターン』を真似て言いたくなるぐらいだ。
あと、夜空はカラオケボックスでアニメ映画『タッチ 背番号のないエース』の主題歌だった『背番号の無いエース』を歌うんだけど、それを選んでいる理由がサッパリ分からない。この映画のテーマや内容に合っているとも思えないんだけど。

ともかく後半に入ると、前述した「トンデモ展開」への幕が開く。理科がバーチャルゲームを作っているという時点で既にバカバカしさはあるが、まだ何とか現実との接点を残そうとする意識は見える。
しかし、「バーチャルが現実を侵食して云々」ということになり、「いや何言ってんの?」と呆れながらツッコミを入れたくなってしまう。
途中で「実は星奈じゃなくて夜空の世界だった」ってことが明らかになり、そこで整合性が壊れる気がするが、「どうでもいいわ」という気分になっている。
最終的に「実は最初にプレイしたゲームの世界から抜け出していなかった」ってのが判明するが、それも「どうでもいいわ」という感想になる。「非日常SF的な部分も原作の一部」ってことかもしれんけど、まるで要らないわ。

(観賞日:2016年9月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会