『墨東綺譚』:1992、日本

小説家の永井荷風は、女は全て慰み者だと考えているような男だった。彼は家庭に縛られることを嫌い、夜になると銀座のカフェなどに繰り出して様々な女と遊ぶ日々を送っていた。女に金をせびられたりすることもあったが、彼の女狂いは止まらなかった。
58歳になった頃、荷風は玉ノ井でお雪という娼婦と出会った。彼女は安藤まさという女が所有する娼家で客を取っていた。荷風は彼女の元に通い始める。お雪は荷風が小説家だとは知らず、尻を観察したりするのでエロ写真家か何かだと思い込む。
荷風は母親を亡くしたのと同時期に、お雪の元へ通うことをしばらく避けるようになった。1週間もたった頃、再び娼家訪れた荷風は、お雪から妻にしてほしいと頼まれる。お雪との結婚を承諾した荷風だったが、2度と彼女に会いに行くことは無かった…。

脚本&監督は新藤兼人、原作は永井荷風、企画は多賀祥介、プロデューサーは新藤次郎&赤司学文、撮影は三宅義行、編集は渡辺行夫、録音は武進、照明は山下博、美術は重田重盛、タイトル画は木村荘八、音楽は林光。
出演は津川雅彦、墨田ユキ、乙羽信子、杉村春子、浅利香津代、宮崎淑子(現・宮崎美子)、瀬尾智美、八神康子、大森嘉之、佐藤慶、井川比佐志、河原崎長一郎、浜村純、上田耕一、原田大二郎、角川博、戸浦六宏、石井洋祐、河原崎次郎、池田生二、桶浦勉、加地健太郎、平野稔、安藤一夫、古田将士、及川以造、種田政明、馬場当、石堂淑朗、下飯坂菊馬ら。


永井荷風の原作「墨東綺譚」の主人公を荷風自身に置き換えて、別の作品「断腸亭日乗」も組み入れて映画化した作品。
実際の題名は漢字が違っていて、“墨”の字の左側に“さんずい”が付く。
パソコンで文字化けするような題名は付けないで欲しいのだが、そんなことで文句を言っても仕方が無いか。

どうやら今作品、「観客は永井荷風について知っている」という前提で作られているような感じがある。だが、荷風に詳しい人がどれだけ世間にいるのかを考えると、キャラクター設定をかなり省略しているのはマイナスだろう。
ちなみに荷風を演じるのは津川雅彦だが、津川雅彦以外の何者でもない。

全編に渡って荷風のナレーションが多く入る。
それは日記を読んでいるという形になっている。
なので、「〜せり」とか「〜なり」といった昔の硬い言葉が使われる。
原作の雰囲気を忠実に再現したかったのかもしれないが、ただ難しくなっているだけだし、説明の意味を成していない。

映画が始まってしばらくは、荷風と3人の女との関係が描かれる。
カフェで働くお久に金をせびられたり、芸者のお歌にかいがいしく世話をしてもらったり、キミという娼婦の秘技にハマって住所を調べたり。
3人は順番に登場し、順番に消えていく。それらのエピソードが後半まで流れを作っていくのかと思いきや、彼女達は序盤だけで姿を消してしまう。
荷風が女に対してルーズだと示したかったのかもしれないが、そのために3人の女に焦点を当てる必要は全く無い。
この3人、全く登場させる必要は無いのである。

お雪が初めて姿を現すのは、映画が始まってから30分近くが経過した頃。
しかも、それまでの3人の女と同じように、まるですぐに消えそうな感じで登場する。
つまり、最初に3人の女に焦点を当てたのが失敗なのだ。
ムダな3人を登場させるより、もっと早くお雪を登場させるべきだったのだ。

お雪が荷風を特別扱いするような理由は見えてこない。
荷風がお雪に対してどのような感情を抱いているのかも見えてこない。
荷風が娼家に通わなくなる理由も、再び通い出す理由も分からない。
人物の感情が外に漏れることは少なく、様式美の中の記号に近いものがある。

結局、「当時の風俗や雰囲気を再現した」というだけの作品に終わっている。
そもそも、この作品の主人公は身勝手で女にルーズなエロオヤジである。
単なるクソ野郎の生き様を見せられても、どう反応すればいいのか困ってしまう。

 

*ポンコツ映画愛護協会