『僕と妻の1778の物語』:2011、日本

SF作家の牧村朔太郎はパラレルワールドに関する作品を原っぱで執筆し、妄想を膨らませる。彼は銀行へ行き、受付係の節子に3万円の 引き落としを頼む。朔太郎が火星人に関するアイデアを話すと、節子は「そうですね、例えば昆虫のような生物かもしれませんね」と笑顔 で告げる。朔太郎は「そうか、昆虫ね」と納得し、金を受け取って銀行を去た。彼は急いで帰宅し、執筆に取り掛かる。そこへ妻の節子が 戻って来た。話し掛けても夫が執筆に夢中で気付かないので、節子は微笑した。朔太郎は小説を書き上げ、彼女に見せた。
朔太郎は月刊SFの編集部を訪れ、今月分の原稿を渡した。担当編集者の新美健太郎は次回作について、「上司が恋愛小説を書いて もらいたいと言っているんです」と告げる。SFが売れなくなって、編集部の方針が変わったのだという。朔太郎と同期テビューの作家・ 滝沢蓮は、恋愛小説を書き初めてから売れっ子になっている。朔太郎は「興味が無いんです。恋愛とか、時代劇とかサスペンスとか」と 言うが、話している内に「恋愛なら、人間とロボットの恋なんてどうです?」とアイデアが浮かぶ。「時代は22世紀、人類は別の惑星に 移住してるんです」と語ると、新見は「それ行きましょうよ」と乗り出した。
節子が庭にいると、大家の野々垣佳子が栗のおすそわけを持って来た。話している最中、節子は腹に痛みを感じて座り込む。野々垣は水を 飲ませ、「もしかして、おめでた?」と言う。朔太郎は病院から、虫垂炎が分かって節子が緊急手術をすることになったという知らせを 受けた。しかし節子は虫垂炎ではなかった。大腸に腫瘍が見つかったのだ。朔太郎は担当医の松下照夫から、腹部に転移している腫瘍を 摘出できなかったこと、抗癌剤で対処することを聞かされた。松下は朔太郎に、「病状の進行から考えて、1年先のことを考えるのは 難しいと思います。奥さんの病状で5年後に生存しているパーセンテージはゼロです」と宣告した。
翌朝、朔太郎は節子に病状を説明するが、余命がわずかであることは話さなかった。しばらく仕事を休むように告げただけで、必ず治ると 嘘をついた。退院の日、松下は「ここを出たら楽しい時間を持つといいと思います。笑うことで免疫力が上がることがあるそうですから」 と2人に言う。帰宅して早々、節子が洗濯を始めようとするので、朔太郎は「僕がやる」と告げる。しかし洗濯も料理も全く出来ず、節子 に「やっぱり私がやる」と笑われた。
朔太郎が「僕は何をすればいいのかな」と尋ねると、節子は「小説でも書いたら?」と促した。「僕に何が出来る?何かしなければ」と 考える朔太郎だが、その「何か」が思い付かない。しかし朔太郎は散歩の途中で松下の言葉を思い出し、笑える小説を書こうと決意した。 彼は「毎日必ず3枚以上は書く。見たことをそのまま書くような、日記とかエッセイじゃない。必ず小説にするんだ」と決めた。
休職を決めた節子が花束を貰って帰宅すると、朔太郎は執筆に没頭していた。第1話「詰碁」が完成し、彼は節子に原稿を読んでもらう。 しかし「エッセイじゃない。珍しいね」と言われ、ショックを隠して「違うよ、小説だよ」と告げる。朔太郎は滝沢と会い、「仕事じゃ ないんだ。これから毎日、短い小説を書こうと思って。節ちゃんに読んでもらおうと思って」と話す。滝沢の妻・美奈が妊娠5ヶ月だと 知った朔太郎は祝福した後、大腸癌になった節子のために小説を書くことにしたのだと説明した。
第2話『観覧車』も、節子には「やっぱりエッセイじゃない」と言われた。今度こそはと書いた第3話『目覚ましシステム』で、節子は 笑ってくれた。彼女は「勿体無いなあ。この小説、ちゃんと出版するつもりで書いて」と言う。毎日というのは大変だったが、それでも 朔太郎はアイデアを考え、小説を書き続けた。節子が病院にいる時には、ファックスで小説を送った。第365話を完成させた1周年には、 滝沢と美奈、新見がお祝いに駆け付けた。
余命1年と言われていた節子だが、2度目の秋を迎えることが出来た。しかし抗癌剤の副作用で貧血を起こしたため、朔太郎は松下から 「今後は外出も控えて下さい」と言われる。転移した癌が成長したため、これまでの薬では効かなくなってしまった。新たな薬は保険が 適用されないため、高額になるという。朔太郎は新見に、恋愛小説を書かせてほしいと頼む。新見からの電話を受けた節子は、朔太郎が 恋愛小説を書くと知って奇妙に感じた。
節子に質問された朔太郎は、「書きたくなっただけ」と下手な嘘をついた。しかし節子は高額な薬の領収書を発見し、彼を問い詰めた。 彼女は「貴方が嫌な仕事で稼いだお金で長生きしたいとは思わない」と声を荒げ、朔太郎も「僕は何でもする。やらなかったら後悔する」 と感情的になって反発する。言い争いになった後、節子が家から姿を消してしまう。心配になった朔太郎は膝を抱えたが、節子は買い物に 出掛けていただけだった。
節子は朔太郎が書いた恋愛小説を読み、「やっぱり恋愛小説は書かない方がいいよ。今までの中で、一番つまんない」と正直に告げた。 朔太郎は笑って「僕もそう思う。恋愛小説は止めるよ」と告げる。節子は薬代として、へそくりを使おうと提案した。還暦旅行のために、 彼女は貯金していたのだ。朔太郎は「このお金は溜め続けよう。行こうよ、還暦旅行」と言い、依頼が来ている2つの仕事を受けることに した。さらに朔太郎の「毎日小説」は続き、ついに節子は4年目を迎えることが出来た。
そんな中、朔太郎が病気の妻のために小説を書いていることが週刊誌で報じられた。新見は上司が喋ってしまったのだと朔太郎に説明し、 「その上司が闘病記を出版してはどうかと言っているんです」と話す。朔太郎は「節ちゃんの病気を売り物には出来ません」と即座に断る 。朔太郎は滝沢から「キリのいい所で止めろよ。一日一話、この小説、終わる時はどんな時か分かってるのか。何でもいいから理由を 付けて止めろ。お前は自分で自分の首を絞めてる」と言われた。「ほっといてくれよ」と朔太郎は苛立ちを示し、「僕はいつまでだって 書き続ける」と呟いた。しかし節子は確実に弱っていき、ベッドで休む時間が増えていった。
「僕は結局、節ちゃんのために何も出来なかった、これが最後だ」と朔太郎は心に決めて、第1470話『知識屋』を執筆した。だが、その後 も朔太郎は短編小説を書き続け、やがて松下から癌の進行が止まっていることを知らされる。朔太郎は喜び、節子の提案で北海道旅行へ 2人で出掛ける。しかし旅行から4ヶ月後、節子は再入院。松下は朔太郎に、これまで使って来た薬では癌を抑制できなくなってきたこと を話す。彼は半年前の検査で、節子に「今以上に体力が戻ることは無い」と告げていた。節子が「動けなくなる前に夫と旅行に行きたい」 と望んだため、松下は強い薬を使って旅行の間は持たせるようにしたのだ。しかし薬の力には限界が来ており、節子に残された時間は 2ヶ月ほどだという…。

監督は星護、原作は眉村卓 「日がわり一話」「日がわり一話 第2集」(出版芸術社)「妻に捧げた1778話」(新潮新書)「日課・一日 3枚以上」(私家版)、脚本は半澤律子、製作は堤田泰夫&亀山千広&飯島三智&島谷能成&細野義朗、プロデューサーは重松圭一& 種田義彦&岩田祐二、アソシエイトプロデューサーは川上一夫&瀬田裕幸、視覚効果スーパーバイザーは豊直康、ラインプロデューサーは 伊藤正昭、技術プロデューサーは友部節子、美術プロデューサーは杉川廣明、撮影は浅野仙夫、照明は三上日出志、デザインは柳川和央、 録音は山成正己、映像は阿部友幸、編集は河村信二、音楽は本間勇輔。
出演は草なぎ剛、竹内結子、風吹ジュン、大杉漣、佐々木すみ江、谷原章介、吉瀬美智子、陰山泰、高橋昌也、小日向文世、浅野和之、 ヨシダ朝、泉晶子、花王おさむ、小須田康人、まいど豊、夏秋佳代子、曽我朋代、澤山薫、高見綾、嶋林邦彦、田島まり、戸田みのり、 山梨柚希、加藤四朗、山浦栄、今本洋子、新井佑青、長浜利久也、横尾和則、福島弘之、櫻井暦、矢崎大貴ら。


SF作家の眉村卓が2002年に大腸がんで死去した妻・悦子のために短編小説を書き続けていた実話を基にした作品。
フジテレビ系で放送された連続ドラマ『僕の生きる道』『僕と彼女と彼女の生きる道』『僕の歩く道』に続く“僕”シリーズの4作目と して製作されている。
監督は『笑の大学』の星護。
朔太郎を草なぎ剛、節子を竹内結子、晴子を風吹ジュン、松下を大杉漣、野々垣を佐々木すみ江、滝沢を谷原章介、美奈を吉瀬美智子、 新美を陰山泰、病院の清掃係を高橋昌也が演じている。

“僕”シリーズだから草なぎ剛が主演するのは最初から決まっていたことなんだろうけど、まあミスキャストだわな。
っていうか、演技力が不足している。
この人は演技力が高いわけじゃないので、作品に起用する場合、とにかく「芝居をさせないこと」が重要であり、朴訥としたままでやれる 役柄を与えなきゃダメなのだ。
しかし本作品では、激しい感情表現を求められるシーンがある。
そうなると、途端に演技力の不足が露呈してしまう。

“僕”シリーズだからタイトルを「僕」から始めるのはいいけど、『僕と妻の1778の物語』というタイトルは失敗でしょ。
観客は最後に妻が死ぬことを知っているけど、一方で「1778の物語」とあるから、短編小説が第1778話になるまでは大丈夫だということも 分かってしまう。
例えば朔太郎は「これが最後だ」心に決めて第1470話『知識屋』を執筆するけど、そこで終わらないことは分かってしまうのだ。
そして、どれだけ節子が苦しんでも、病状が悪化しても、第1778話になるまでは死なないことが分かってしまうのだ。

冒頭、朔太郎が空想していると、雲がUFOになって、そこから巨大ロボットが出現する。
そういう妄想シーンは、それでファンタジーを醸し出そうとしているのかもしれないけど、安っぽいCGだし、やめた方が良かったのでは ないか。
空想を映像化するってのは、ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』でも意識したのかなあ。
でも、ファンタジックな世界観を構築することは出来ていない。
ちゃんとした「現実」があって、その境界線はクッキリとしているしね。

その一方、病院に現実感が全く感じられないのはいかがなものか。
節子の手術に駆け付けた朔太郎が廊下のベンチに座っているシーン、歩いている患者もスタッフもいない。
朔太郎が「手術中」というランプを見ていたのに、カットが切り替わると、廊下を歩いて節子のいる病室へ向かうというのも繋がりとして 変だ。手術が終わったのなら、そこから医者が出て来るのを朔太郎が迎えるシーンがあるべきでしょ。
それはベタベタかもしれんけど、そんなトコで捻っておかしなことになるぐらいなら、ベタで構わないよ。
後半に入ると、小説を書く朔太郎を患者やスタッフたちが眺めているシーンがあったりするけど、それも何となく薄気味悪いし。

その後、「節ちゃんは虫垂炎ではなかった。大腸に腫瘍が見つかったのだった」というのを朔太郎のモノローグで説明するのは 不恰好。
「翌朝、僕は病状を節ちゃんに説明した」「僕は嘘をついた。必ず治ると言ったのだ」などと、ナレーションで処理するのも 不細工だよ。
なんで普通にドラマの中の台詞で語らせなかったのか。
「ナレーションに頼りすぎる映画は大抵の場合、面白くならない」というのが私の持論だが、その「大抵の場合」に入っている。

「笑える小説を書こう。面白くて、お腹の皮がよじれて癌細胞が笑い死にするような話を」と朔太郎が笑いながらナレーションで語るのも 、「毎日必ず3枚以上は書く。見たことをそのまま書くような、日記とかエッセイじゃない。必ず小説にするんだ」とナレーションで説明 するのも、これまた不細工。
言葉で全て説明してしまうのが不細工だし、言葉で説明するにしても、せめてセリフとして喋ろうよ。
なんで「心の声」にしちゃったのか。
っていうか、「僕に何が出来る?」というのは原稿に文字として書いているんだから、その答えも原稿用紙に書けば良かったん じゃないの。

朔太郎が「妻のために笑える小説を毎日書こう」と思い付くのが、ちょっと早すぎるようにも感じる。
「妻のために色々なことをやろうとするが、全て失敗してしまう。自分は何も出来ないダメな人間だと落ち込む。こんな自分に何が 出来るんだろうと悩み、小説しか書けないんだから、そこで妻のためになることをやろうと決める」という経緯、心情の変遷を、もっと 時間を割いて丁寧に描写すべき。そして、いざ書き始めたら、もう1本目から妻が笑える小説になっているような形にした方がいい。
それに、朔太郎が夢見がちで空想ばかりしているというのも、もっと表現しておくべきだ。
冒頭のシーンだけで、すぐに「妻が大腸癌になる」という深刻な現実に突入してしまうと、それに伴って朔太郎も「現実」を見なきゃ いけなくなってしまう。
「妻のために笑える小説を毎日書こう」と決めた後で、再び空想の日々へ戻るけど、ひとまず深刻な現実と向き合わなきゃいけなくなる タイミングが早い。

「朔太郎が妻のために小説を書くと思い付くのが早すぎる」という指摘とは矛盾してしまうかもしれないが、話が長い。
139分も使うような話じゃないなあ。まあ100分かな。
1周年の日に過去を回想するシーンなんかも、要らないでしょ。
とにかく単調でチェンジ・オブ・ペースが無いから、だんだん退屈になって来る。

そもそも、この話って、そのままだと長編映画に向いている題材とは思えないんだよな。
だってさ、「SF作家が余命わずかな妻のため、1日1話の短編小説を書き続ける」という枠から、全く外れることが無いのよ。
だから「小説を書く」→「脱稿して妻に見せる」というルーティンが延々と繰り返され、たまに「妻の具合が悪くなる」という描写が入る だけだ。途中で他の方向に話が転がっていくようなことは無い。
例えば、それまで妻が内緒にしていた事実が明らかになって主人公が動揺するとか、主人公の身にもトラブルが降り掛かるとか、そういう 「大きな変化」「想定外の展開」は見られない。

朔太郎が書いた短編小説の中身を幾つか詳しく描いているけど、そこの必要性が全く分からない。
ただ無駄に尺を引き伸ばしているようにしか思えない。
その空想ストーリーが、現実の展開とリンクしているわけでもないし。
後半、病院で小説を書き始めてからは、第1775話『話を読む』や第1777話『けさも書く』では現実と小説の内容が重なるけど、それは単純 に「現実を投影したエッセイ風小説」にしか思えないし。

それに、この映画で重要なのって、そこじゃないと思うのよ。
「不器用で偏った人間である朔太郎が、自分の出来る範囲で妻のために愛を込めて一所懸命に尽くした」ということのはず。
だから、小説の内容なんて、別にどうでもいいっちゃあ、どうでもいい。ぶっちゃけ、まるで笑えない小説だったとしても、それはそれで いい。
きっと妻は頑張っている夫のために笑っただろうし、「面白くないのに笑った」ということであっても、それはそれで感動的なんだし。

「面白くないのに妻が笑っていた」ということにすると、それは事実と大きく異なって来るんだろうけど、そもそも「そこまで実話に 近付ける必要があるだろうか」というところで引っ掛かる。
むしろ、前述したように「単調なルーティンの繰り返し」を避けるためにも、大幅な脚色を施してしまった方が良かったのではないか。
あと、実際に内容が描かれる第50話「ある夜の夢」は、節子が「最後に残ったロボットが切なくて」と感動するような話なんだけど、 それって最初に決めたルールから外れちゃってるよね。
朔太郎って、笑える話を書くと決めたんじゃなかったのか。

(観賞日:2012年1月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会