『ボクの女に手を出すな』:1986、日本

孤児院育ちで不良娘だった黒田ひとみは、これからは真面目に生きようと考えた。しかし、客に反抗的な態度を取ったのがきっかけで、スーパーのバイトをクビになった。おまけに家賃を滞納していたため、アパートを追い出されることになった。
金に困ったひとみは、クビになったスーパーに忍び込んで盗みを働く。警察に追われて逃げていたひとみは、車で通り掛かった弁護士の加島に助けられる。ひとみは彼の事務所で夕食を御馳走になり、泊めてもらうことになった。
加島は、由緒ある大富豪・米倉家の顧問弁護士をしていた。米倉家では当主が3ヶ月前に亡くなり、孫の進が24代目の当主になったばかりだった。米倉家を仕切る妙子は進の家庭教師を探しており、加島はひとみにその仕事を勧めてきた。
米倉家を訪れたひとみは、冷淡な態度をとる米倉家の人々や、甘やかされて育ったためにワガママ放題の進に迎えられる。最初はおとなしくしていたひとみだが、好きなようにやってくれて構わないと言われ、悪さをしても謝らなかったた進を池に投げ入れる。
それを見ていたお手伝いのキヨにクビだと言われ、ひとみは東京に帰ろうかと考える。なぜか米倉家の近くにやって来ていた悪友・佑介とその相棒・徹に誘われ、なついてきた進も連れて、ひとみはドライブに出掛けることにした。
しかし、佑介は最初から進を誘拐しようと考えていたのだった。彼らにそそのかされて、ひとみは米倉家に誘拐の旨を告げる電話を掛ける。しかし、ひとみは佑介達のボスが自分達を殺そうとしているのを知り、進を連れて隠れ家から逃げ出した…。

監督は中原俊、原作は桑原譲太郎、脚本は斎藤博&中原俊、製作は周防郁雄&長谷川安弘、企画は川村光生、プロデューサーは黒澤満&伊藤亮爾&紫垣達郎&遠藤茂行、撮影は鈴木耕一、編集は冨田功、録音は神保小四郎、照明は木村誠作、美術は中澤克巳、衣裳は中山邦夫、音楽は川村栄二、音楽プロデューサーは高桑忠男&石川光&田村充義、主題歌は小泉今日子。
主演は小泉今日子、共演は石橋凌、夏八木勲、森下愛子、金子美香、河原崎次郎、山田哲平、千石規子、山田辰夫、室井滋、杉原光輪子、宍戸錠、岩崎加根子、塩沢とき、高田純二、谷村昌彦、奥村公延、大門正明、藤原晋、仁科扶紀、伊東昌一、ウッチャンナンチャン他。


桑原譲太郎の小説を映画化。1984年作品『生徒諸君!』に続く、小泉今日子の映画主演2作目。にっかつロマンポルノ出身の中原俊監督にとって、初の一般映画。
チョイ役で多くのゲストが出演しているが、物語には全く関係が無い。

まず、タイトルの意味が成立していない。
どうやら原作では、進がひとみを守ろうとして「ボクの女に手を出すな」と言う場面があるらしいのだが、この映画での進は単なるガキでしかない。
それに、ひとみを守るために行動するような場面もほとんど無い。

ひとみが孤児院出身だという設定は、全く生かされていない。
また、不良娘のはずなのに、その気配が全く感じられない。
たまに強がった態度を見せることはあるが、甘いし弱い。
何より、表情が柔らかすぎる。そして、おとなしすぎる。
全く不良娘には見えない。

ヒロインひとみの芯が弱すぎる。
例えば誘拐の話に乗る場面でも、巻き込まれるなら巻き込まれる、進んで話に乗っかるなら乗っかる、とにかくハッキリしてほしい。
メリハリが感じられない。
キャラクターがの造形がキッチリできていないのか、ただ突っ立っているだけなのだ。

進がひとみになつくのが早すぎる。
もっと反抗的な態度を取るべきだ。そして、誘拐犯から逃亡する中で、次第に2人の関係が近付いていく形にすべきではなかったか。
この作品では、逃亡の中で2人の距離が接近していくような流れが全く無い。

形としては、巻き込まれ型サスペンスだ。
しかし、全体のトーンが低すぎて、巻き込まれた感じが薄い。
もっとヒロインがアクティヴに行動するか、あるいは彼女に襲い掛かるトラブルや周囲の人々をアクティヴなものとして描くか、何か工夫が欲しい。
そのような工夫が無いと、映画自体のエナジーが生まれてこない。

ノッペリとしたシナリオと演出のため、ひとみと進が誘拐犯に追い掛けられる場面でも、全く緊張感が無い。音楽だけが空回りしている。
追いかけっこという単純な作業を、そのまま何の捻りも無く単純に描いてしまうから、全く盛り上がっていかないのだ。

ひとみと加島の恋愛を終盤になって急に盛り上げようとするが、不自然極まりない。
物語は淡々と流れていき、尻切れトンボのような形で終幕する。
どうやら中原俊監督は、ホットなテンションは苦手らしい。
結局、これは「キョンキョンが出ていれば、それだけでOK」という映画なのだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会