『ぼくんち』:2003、日本

関西のようで、ないような、水平島のウラ港。かの子と母の今日子は、船底の抜けた船で島に戻って来た。不良のコウイチが顔を血まみれ にして銭湯にゃって来ると、かの子と今日子がブツブツと口げんかをしながら出て行くところだった。しばらくして、一太と二太の幼い 兄弟が現れ、「僕ら貧乏なんで」と言って無料で銭湯に入る。2人はコウイチから、「お前らんとこの母ちゃん、帰ってきたんやな」と 教えてもらう。母の今日子は半年前に「買い物行って来る」と言い残して以来、ずっと家を出ていたのだ。
一太と二太が急いで家に戻ると、見知らぬ女の姿があった。それが、かの子だった。今日子は一太と二太に、「あんたらのお姉ちゃん」と 告げる。今日子は2人に、全員の父親が違うことを初めて明かした。二太はかの子にすぐ懐いたが、一太は反抗的な態度を取った。今日子 はめかしこんだ格好に着替えると、「ちょっと御挨拶して来るわ」と言って家を出た。そして彼女は、そのまま戻って来なかった。
翌朝、ホームレスのねこばあが、野良猫たちにエサをやる。アコーディオンを演奏している男を見つけて、「おはようさん」と元気に声を 掛ける。一太と二太は、自販機の下に落ちている小銭を探す。通り掛かったかの子は「拾わんでもええのに」と言い、ケーキを買って来た から家に帰ろうと誘う。二太は喜ぶが、一太は「要らん」と拒む。帰宅したかの子は、二太から今まで何をしていたのかと尋ねられ、 「ピンサロ」と答える。
後から家に戻って来た一太は、かの子と二太が楽しそうにしている様子を目撃し、無言のまま立ち去る。彼は「みんな勝手や」と苛立ちを 示し、倉庫からラッカーを持ち出す。彼は「とことん悪うなって金儲けたるんや」と口にすると、シンナーを売り歩いた。彼は、コウイチ がチンピラ3人組を殴り倒している現場に遭遇した。コウイチは、チンピラがシンナーを売っていることに激怒していた。一太がシンナー を売り付けようとすると、コウイチは彼を捕まえて連れて行く。
かの子と二太は、島で唯一の中華料理「新庄」の前を通り掛かる。かの子はバス停留所で休憩し、クジャクの求愛のダンスを二太に教える 。ねこばあが通り掛かり、かの子に「久しぶり。戻って来たん」と言う。二太の幼馴染・さおりが酒の一升瓶を抱えて通り掛かる。二太が 追い掛けると、さおりは「ウチの父ちゃんもカスやけど、アンタの姉ちゃんもマトモやないと思うわ」と辛らつな意見を口にした。
コウイチは一太をガレージに連れて行き、「お前に見込みがあるか試したる。戻って来るまでに一杯にせえや」と言って、ガソリンを タンクに入れるよう命じる。それが終わると、一太は新たな仕事を命じられる。コウイチの下請け仕事をしている末吉に、給料代わりの 弁当を届ける仕事だ。末吉は2人の子持ちの男やもめで、ビニールハウスに暮らしている。二太は川沿いに一人で住んでいる鉄じいの小屋 へ行き、仕事を手伝う。物知りの彼も、かの子のことを知っていた。
かの子は旧友・まゆと遭遇した。まゆは男と一緒だった。かの子はまゆから「あのロクデナシも一緒なん?」と訊かれ、「別れてきた」と 答える。まゆが「良かったやん。最低な男やったもん」と言うと、かの子は「もう男はこりごりや」と漏らす。床屋では八百屋や雑貨屋の 主人たちが集まり、「島で元気なのは風俗だけや」と愚痴をこぼしている。一太は集金に行くが、彼らに睨まれて逃げ出した。
コウイチは「何でもします」という看板を掲げ、ブランド品製造から内職斡旋、犬や老人の世話など様々な商売をしている。彼は一太に 「生活と金」と唱えさせながら仕事をさせる。二太はムショを出て来た安藤から声を掛けられ、新庄で不味いラーメンを食べる。安藤は 「なんぺんも捕まるってことは、俺には犯罪者の才能ないねん」と口にする。一太は集金相手に脅されて逃げ帰り、コウイチに怒鳴られる 。コウイチは「そんなザマやから家がのうなるんやで」と言い、今日子が家を売り払ったことを一太に教えた。
安藤は二太に、島には小学校も中学校も無いことを語り、小学校がどういう場所か教える。末吉と子供たちが通り掛かると、安藤は「一緒 に遊ぼうや」と呼び掛け、みんなで学校ごっこに興じた。家を追い出されたかの子は、一太と二太を連れて引っ越した。引っ越し先の 保証人は、かの子が働くことにしたピンサロの店長だ。かの子が二太を叱り付けると、一太は激しく反発して家を飛び出した。
チンピラたちはスナックで踊っているコウイチを銃撃しようとするが、暴発して悲鳴を上げる。安藤は子供をたぶらかして臓器売買を 企んだとして、警官に捕まった。一太の集金が遅れたせいで、コウイチはヤクザに暴行される。鉄じいの仕事を手伝っていた二太は、 通り掛かったさおりにクジャクのダンスを見せるが無視される。しかし「こんだけお金持ってるんやで」と金を見せると、すぐにさおりは 戻って来た。二太は「女は金や」と心で呟いた。
ねこばあが急死し、八百屋や床屋たちは「まさか、ここでお通夜は出来んやろ」と困り果てる。さおりは彼らが話し合う様子を見ながら、 二太に「ねこばあの子供って20人ぐらいおるんやってな。猫みたいにぎょうさん子供産んで、捨てまくってた人らしいで」と語る。二太と 鉄じいが川で金を探していると、チンピラたちが小屋にやって来た。鉄じいがバッタモンのチャカを売ったからだ。鉄じいと二太が隠れて いると、彼らは小屋に火を放った。チンピラに見つかった鉄じいは「死んだフリしよ」と言い、二太と2人で川を流れた。
まゆは男に暴力を振るわれ、顔に怪我を負って廃屋に座り込んでいた。そこへかの子が、二太を連れてやって来る。まゆはかの子に「普通 に暮らしたいだけなんやけどなあ」と漏らす。その帰り、かの子は二太に「姉ちゃん、二太が大きくなってもタイムカプセルになっておる から、、安心してね。どこ行っても一人ぼっちやないから」と告げる。だが、二太はタイムカプセルが何なのか分からなかった。
かの子がピンサロ「ホワイトハウス」に出勤すると、呼び込みのツレちゃんから今日子が来ていることを知らされる。かの子が家を売った ことを非難すると、今日子は「アンタにとやかく言われる筋合いは無いで」と開き直る。かの子が「あと2日、待ってくれても良かったん やないの」と言うと、今日子は「二太と島を出て行くまでか」と確認した。
今日子から「それより二太に話したんか」と問われ、かの子は「まだ」と答える。彼女が「ウチと暮らすわけにはいかんかな」と言うと、 今日子は「あの子のために決めたことやろ。こんなとこにおるよりヨソに行った方がマシやろ。アンタは島を出て行って、二太を産みっ ぱなしで5年も捨てたんや。今さら即席で情が移ったんか。子供を捨てる親は何度でも捨てる。アンタに子供は育てられへん」と厳しい ことを言う。二太は、かの子の娘だったのだ。今日子は「じっちゃんの家で暮らす方が、二太は幸せや」と告げる…。

監督は阪本順治、原作は西原理恵子(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」)、脚本は宇野イサム、 製作総指揮は三宅澄二&畑利明、エクゼクティブ・プロデューサーは横濱豊行&眞澤洋士&亀井修&石川富康&木綿克己&青山悌三& 豊島雅郎、プロデューサーは塚田有希&妹尾啓太、共同プロデューサーは渡邉直子&石川博&柘植靖司、企画製作協力は椎井友紀子、 製作協力プロデューサーは小野順一、撮影は笠松則通、美術は小川富美夫、照明は杉本崇、録音は立石良二、編集は荒木建夫、 音楽は はじめにきよし、音楽プロデューサーは谷奥孝司。
エンディング・テーマはガガガSP「卒業」/作詞・作曲:コザック前田/編曲:ガガガSP。
出演は観月ありさ、矢本悠馬、田中優貴、鳳蘭、岸部一徳、志賀勝、真木蔵人、今田耕司、新屋英子、濱口優、氏家恵、金城優花、 笑福亭松之助、南方英二、武田一度、川原田樹、辻イト子、久保田磨希、新谷キヨシ、荒谷清水、スズキマリ、康喜弼、杉山幸晴、 北沢光雄、楠見薫、まついきよし、壬生新太郎、渋谷めぐみ、辻本一樹、豊島颯太、清水美沙、及川綾、広瀬義宜、福本清三、東孝、 小峰隆司、木下通博、土平ドンペイ、谷口高史、おくのまさかず、松尾修幸、宮永淳子、平口泰司、空太浩志、亀山大、本山力、 山名真貴、松永吉訓、岡田友孝、西原理恵子ら。


西原理恵子の同名漫画を基にした作品。
かの子を観月ありさ、一太を矢本悠馬、二太を田中優貴、今日子を鳳蘭、末吉を岸部一徳、鉄じい を志賀勝、コウイチを真木蔵人、安藤を今田耕司、ねこばあを新屋英子、ツレちゃんを濱口優、まゆを氏家恵、さおりを金城優花が演じて いる。
原作者の西原理恵子も、かの子に「指名減ったのアンタのせいや」と言うピンサロの女役で1カットだけ出演している。
監督は『新・仁義なき戦い』『KT』の阪本順治。
脚本は『顔』に続いて阪本監督と2度目のコンビになる宇野イサム。

原作は何度か見たことがあるという程度で、最初から最後まで通して読んだことは無い。
そんな少ない情報量だけで語るのもナンだが、ホノボノとした雰囲気を絵柄で醸し出しつつ、人間の残酷さや醜さ、汚さ、ズルさ、セコさ 、貧しさ、悲惨さ、そういった“負”の部分を笑いに包んで描いている作品だったという印象がある。
悲しいけど笑える、笑えるけど切ない漫画だったように記憶している。

しかし本作品には、笑いの要素が非常に薄い。
そのせいで、惨めさや貧しさが生々しいモノとして伝わって来てしまう。
それと、虚構の世界観を上手く構築できていない。
この作品の舞台となっている島は、中華料理屋が一つしか無くて、学校は1つも無い。しかし風俗店のある通りだけは繁盛している。
寂れた島なのにヤクザやチンピラがいて、シンナーや拳銃の売買が行われている。
ハッキリ言って、あまり現実味は感じない。
しかし、そこをファンタジーとして表現することが出来ておらず、ただ嘘臭いだけになってしまっている。

原作漫画は、ホノボノとした絵柄と、描かれている内容のギャップが、「これはフィクションだから」という安心感を与えていたように 思う。
その「ギャップによる緩和」が、映画版には無い。
実写で漫画のような「ギャップによる緩和」を持ち込もうとするなら、たぶん最善策は「全てのシーンをスタジオセットで撮影する」と いうことではなかったか。
そうすることによって、「これは絵空事である」という風に観客の意識を持って行くことが出来る。

ただし、ロケーション撮影をしていることだけが問題なのではない。
そもそも阪本順治監督と、原作漫画の組み合わせが良くないのだ。
阪本監督はリアル志向の強い監督であって、ファンタジーの世界観を構築することは得意ではない。
この映画は、あまりにも生々しさが強く出すぎているのだ。
前述したように、島の設定は現実味が薄いのに、リアルな肌触りになってしまっているのだ。
観月ありさが場末のピンサロ嬢という設定に「絵空事っぽさ」は感じるけど、そういうことじゃねえし。

原作と全くテイストが違っていても、独立した映画として面白ければ、それはそれでOKだろう。
しかし本作品は単体で見ても、やはり面白くない。
まず構成に難がある。前半は全く物語が進行せず、島に住む人々を次々に登場させるだけに終始している。
話が進まず、ただのスケッチ集として時間を費やすにしても、そのスケッチがコントになっていれば、それはそれでアリだったかも しれない。
しかし、特に笑いがあるでなく、何のオチも無く、単なる人物紹介に留まっている。

後半に入っても、相変わらずのマッタリモード。
引っ越しというイベントも、特に大きな出来事ではない。
かの子たちが家を失おうと失うまいと、物語の展開にあまり影響は見られない。
かの子はピンサロで働き始めるが、その前後で彼女の生活や心情、周囲を取り巻く環境に際立った変化は見られない。
それにピンサロのシーンは、なかなか出て来ないし。後半に入ってからの、たった1度だけだ。

この映画に必要なのは、破壊的なギャグ、爆発的なパワー、畳み掛けるようなテンポ、そういうモノではなかったか。
とにかくテンポの悪さは致命的で、すげえマッタリしちゃってるんだよな。
さおりが金を見た途端に戻って来るとか、さおりがタコ焼きの屋台をやっているとか、そういうのって、もっと笑えるシーンとして 粒立てるべきだと思うんだけど、なんかサラッと通り過ぎてしまうし。
貧乏をしみじみと描いてしまい、全体を通して、ペーソスに傾きすぎた感じになっている。

(観賞日:2011年12月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会