『ボディ・ジャック』:2008、日本

1969年、澤井テツは学生運動の闘士だったが、先輩の吉岡一郎から「俺たちに革命なんか起こせないよ」と言われてしまう。内ゲバに幻滅した吉岡に、テツは革命への理念を熱く語った。しかし「心の底から革命を起こそうと思って、この運動に参加したのか」と問われると、テツは言葉に詰まった。そこへ同胞の春子が来て、テツに「戻って来て。心配事があるなら新垣隊長に相談すればいいわ。力になってくれる」と言う。だが、テツはヘルメットを捨てて、学生運動から抜けた。
20年後、テツはコピーライターとして活動している。彼は学生時代から通っているバーで、酒に溺れる日々を過ごしている。帰路に就いた彼は、独り言を呟く乞食から青白い人間が飛び出す幻覚を見て驚愕した。彼は妻の玲子、高校に通う娘の奈々と3人で暮らしている。だが、テツの酒浸り生活が原因で、夫婦関係は冷え切っている。翌朝、テツが新聞を広げると、通り魔事件の犯人が逮捕されたという記事があった。犯人の写真に青白い人影が重なったので、テツは瞬きした。すると、そんな影など無かった。
テツが洗面所で鏡を見ると、自分ではない別の人間が写った。慌てて振り向くと誰もおらず、また鏡に目を向けると自分が写っていた。外に出たテツは、独り言を呟く中年女性を見掛ける。その女性が醜い老女に一瞬だけ変貌したので、テツは困惑する。会社で後輩社員のジョーチンと喋っていると、どこからか男の声が聞こえて来る。扉の外に男の姿を見掛けたテツだが、捜しても誰もいない。
テレビのニュースを見ていたテツは、吉岡が通り魔事件で逮捕されたことを知る。警察に連行される吉岡の姿が、一瞬だけ青白い別人に変化した。通り魔事件が続発していることをジョーチンが話している中、テツは「またやりおったか。何とかせねば」という声を聞く。だが、その声はテツにしか聞こえていない様子だった。テツが周囲を見回すと、その声は「そんなことをしてもワシは見えん。ここは人が多い。後で話してやる」と告げた。
その声はテツに、「ワシは、おんしの中におる。ちょこっと付き合ってもらうぜよ」と呼び掛ける。テツは体の自由を奪われ、人のいない場所へ連れて行かれる。「俺は幽霊に憑依されたのか」と必死に抵抗するテツに、その声は「ワシはある人間を捜しておる。ワシと同じ時代に死んでおる。ワシの捜し求める人間がどんな人間にボディ・ジャックしているか、ワシには分からぬ。ゆえに、おんしが必要となったわけじゃ」と語る。二重写しの青白い人間が、ボディ・ジャックしている幽霊だというのだ。
「捜しているのは、吉岡さんに憑いていた侍の霊か?」とテツが訊くと、声は「もう、その男の中にはいないであろう」と言う。名前を明かすようテツが求めると、「今は明かせない。おんしがそれを意識すると、ちとまずい。あやつに察知されてしまうやもしれぬ」と声の主は告げた。反発するテツに、彼は「捜しているのは人斬りの霊じゃ。止められるのは、おんしだけじゃ」と話す。声の主が体を操って脅したので、テツは仕方なく協力することにした。
飲みに出掛けたテツは、女性たちの顔がキツネになっているのを見て驚く。すると例の声が「動物霊じゃ。情欲の深い者には、キツネや蛇などの不純な動物霊が憑いている場合が多い」と説明した。飲みに誘ったジョーチンが誘惑する素振りを示すが、動物霊が憑いているのに気付いたテツは「用事を思い出した」と告げて立ち去った。また声の主が話し掛け、自分が切腹した時の様子をテツに見せた。彼はテツに、「おんしはワシと似ている。改革を起こそうとする力。義憤じゃ」と述べた。
声の主はテツに、「あやつは怒りと憎しみを抱いている者にボディ・ジャックする。そういう者には取り憑きやすいんじゃ」と語った。どうすれば悪霊が離れるのかとテツが尋ねると、「改心すれば憑いていられなくなる」と彼は言う。翌朝、テツは玲子から、「あのコピー、評判がいいみたいじゃない。そんなに初恋の人が忘れられないんだ」と当たられる。テレビのニュース番組では、吉岡が逃亡したことが報じられる。
テツが学生運動時代に仲間と集まっていた店へ行くと、吉岡が現れた。テツが「俺はね、吉岡さんに助けられたんですよ。20年前、あそこから連れ出してくれなかったら」と話すと、吉岡は「だが、そのせいで春子を助けられなかった」と後悔の念を示す。春子は玲子の姉であり、玲子はテツと春子の過去を気にしていた。テツは吉岡に、通り魔事件を起こした時にはボディ・ジャックされていたのだと説明する。すると吉岡は、一瞬だけ悪霊の記憶が見えて、それが春子の死に顔だったと話す。
テツは声の主に説明を求め、春子が死んだ時に悪霊が傍にいたのだと知る。悪霊が自分の仇ではないかと考えたテツは、学生運動を撮影したテープを確認する。そしてテツは、悪霊が新垣に憑いていたことを知った。彼は「伝えることは伝えたし、自首するよ」と言う吉岡に、「悪霊が何を考えていたのか分かりますか」と尋ねる。「あいつはいつも、誰かを恨んでた。そして、そいつが嫌がることをやってやると言っていた」と吉岡は語り、テツの元を去った。
何気無くテレビを眺めていたテツは、悪霊を目撃した。悪霊は「こん時代では、おんしが一番大事にしている人物を斬る」と声の主に告げ、姿を消した。テツは声の主が武市半平太だと見抜いており、悪霊が岡田以蔵であることにも気付いた。テツが「この時代で縁がある人物は誰だ?子孫しかいるんだろ」と尋ねると、半平太は「ワシが死んだ後に妻が育てた養子で、顔を見たことも無いのでな」と言う。テツはジョーチンに手伝ってもらい、半平太と以蔵について調べた。しかし以蔵が半平太を恨む理由は分かったが、復讐として何を狙うかは分からなかった。
半平太はテツから「どうしてそこまでして以蔵を捜すんだ?」と訊かれ、「責任を感じているからじゃ。刺客として仕立てられた若者に、殺人者としての心の曇りを与えてしもうた。ワシは地獄に落ちた全ての同志を見つけ出し、謝罪し、天上界へ返してやりたいんじゃ」と語った。テツが連絡もせずに会社に泊まったため、玲子は怒りから結婚式場のポスターを破り捨てた。翌朝、テツはジョーチンから、後輩の福田が幕末について調べていたことを聞かされる。「まさか」と漏らしたテツは、悪霊が福田に憑いていると確信する…。

監督は倉谷宣緒、原作は光岡史朗、脚本は藤岡美暢、企画・製作は佐々木秀夫、エグゼクティブ・プロデューサーは倉谷宣緒、撮影監督は早坂伸&ふじもと光明、監督補は小沼雄一、録音は星照光、美術は鈴木伸二郎、アクション監督は園村健介、編集は後藤師也、音楽は田畑直之、音楽監督は水澤有一。
挿入歌『さらば!ボディジャック』歌唱はTOKMA、エンディングテーマ『Sun Child』作詞・作曲・歌唱はTOKMA。
出演は高橋和也、柴田光太郎、安藤希、笠兼三、浜田学、吉満涼太、美保純、坂本長利、星ようこ、重泉充香、松岡茉優、小林且弥、内浦純一、関谷理香、TOKMA、佐久間麻由、中野渡大土、玉一敦也、松田喬兵、大山美佳、金野学武、堂兎一るこ、錦田茂仁、福岡真央、霧生正博、サイトウ晃朗、近藤通洋、成田卓弥、水澤有一、月川陽子、富田麻紗子、川村りか、村井桃子、下出晶仁、桜井映希、島本修彰、上内賢仁、江川潤、大野依子、久々江眞理、川下城誉、藤本和孝、田中尊啓、好川喬範、木村大志、藤井義典、茂木芳昌、松本美和、鏑木雄大、福島祐次、小野寺圭一ら。


2005年の第一回ユートピア文学賞を受賞した同名小説を基にした作品。
脚本は『富江re-birth』『富江 最終章 〜禁断の果実〜』の藤岡美暢が担当。
株式会社ベンテンエンタテインメントの代表である倉谷宣緒が、初めて監督を務めている。
テツを高橋和也、半平太を柴田光太郎、ジョーチンを安藤希、坂本竜馬を笠兼三、以蔵を浜田学、吉岡を吉満涼太、玲子を星ようこ、春子を重泉充香、奈々を松岡茉優が演じており、バーのママ役で美保純、乞食の役で坂本長利が特別出演している。

文学の世界に詳しくても、ユートピア文学賞を知らない人は多いかもしれない。
この文学賞、幸福の科学の主催する賞だ。だから当然のことながら、その内容は幸福の科学の教えに基づいている。
「有名な事件は全てボディ・ジャックによる犯罪であり、ブツブツと独り言を口にしている人はボディ・ジャックされている」というのが本作品の主張だが、それはバカバカしいフィクションとして描かれているわけではなく、原作者の光岡史朗も、監督の倉谷宣緒も、企画・製作の佐々木秀夫も、みんな「現実に起きている出来事」として捉えている。
そして、それは幸福の科学の大川隆法先生が説く思想に基づいているのだ。

つまり、この作品は幸福の科学や信者からすると、「フィクションの形を借りたノンフィクション」なのである。
物語はフィクションだが、劇中で描かれるボディ・ジャックの実態については真実なのである。
それを世間に広く知らしめるために、この映画は作られているのだ。
悪霊の存在を知ってボディ・ジャックから身を守ってもらい、不幸な事件を少しでも減らそうという真摯な気持ちで作られた映画なのだ。だから我々は、この映画を真剣な気持ちで鑑賞し、有り難く思うべきなのだ。

さて、内容の批評に移ろう。
主人公は全共闘運動の闘士であり、1969年から20年後が舞台なので、時代設定は1989年ということになる。
1989年と言えば、バブル景気の真っ只中だ。しかし、劇中にバブルの雰囲気は微塵も無い。
それ以外でも、過去の時代を感じさせる様子は見られない。
その当時には無かったはずの携帯電話が普通に使われているし、他の道具や車、ファッションなども、全てが2008年と全く変わらない状態になっている。

予算の問題で当時の風景を用意することが出来ないという事情もあったのだろうが、そもそもバブル時代に設定しなければ済んだことだ。何故その時代に設定されているのかというと、テツは学生運動で戦った原作者を投影したキャラクターだからだ。
しかし、そんなのは映画において意味が無いことなので、学生運動の闘士だったという設定を排除して時代を現代に変更すればいいはずだ。
だが、この作品では幕末維新と学生運動が「若者が改革を目指した運動」として並列に扱われているため、どうしても学生運動の闘士という設定が必要なのだ。
「幕末維新と学生運動を並列に扱うことに無理がある」という意見が聞こえてきそうだが、聞かなかったことにする。

テツはコピーライターで、「いつの日か、思い出になる愛がある。」という結婚式場を作っている。
それって結婚式場のコピーとしては失敗なんじゃないかと思うのだが、それがポスターやテレビCMで使われており、優れたコピーという扱いになっている。
しかし原作者の光岡史朗は本職がコピーライターであり、つまりプロが考えたコピーなんだから、素人であるワシの感覚が間違っているんだろう。

テツは謎の声に体の自由を奪われ、「これじゃまるでハイジャック、いや、ボディ・ジャックだ」と言う。
彼が勝手に用語を作るのは別にいいんだが、その後で謎の声まで「ワシの捜し求める人間がどんな人間にボディ・ジャックしているか」と、当たり前のようにその言葉を使っている。
ボディ・ジャックってテツが作った造語じゃなくて、普通に存在する言葉だったのか。
だとしても、武市半平太は幕末の人間なのに、そんな言葉を知っているのね。

通り魔事件を起こしているのは、全てボディ・ジャックされた連中であって、その本人の責任ではない。
実際、劇中の吉岡は、明らかに悪い奴ではない。
「あやつは怒りと憎しみを抱いている者にボディ・ジャックする」という説明はあるが、吉岡に関しては強い怒りや憎しみを抱いているようにも見えないし(そこの矛盾は、あえて無視しておこう)。
本人の意思で殺人を遂行しているわけではないので、ボディ・ジャックを真実とするならば、「幸福の科学は凶悪犯罪の犯人を無罪だと考えている」ってことになるんだろう。

パン屋でパート勤めをしている玲子は、追い掛けて来たパン職人の南野拓郎から忘れたハンカチを渡され、彼の手に触れて恥ずかしそうな様子を見せる。
それは拓郎に何となく不倫愛を感じているってことなのかと思ったら、そんなことは全く無い。
テツのコピーを見た彼女は拓郎に「初恋の人を忘れられないものなの?」と訊いた後、過去を回想する。
回想シーンではセーラー服姿の玲子が登場するが、それを演じているのは星ようこなので、かなりキツいコスプレになっている。

奈々を盗撮してストーキングしている謎の男が何度か登場しており、「娘が狙われている」という話も盛り込んである。
玲子が不倫愛など全く感じていないのに拓郎という男を絡ませている理由はそこに関連していて、後半になって「実は拓郎がストーカー」ということが明らかになるのだ。
それは、なぜか玲子が拓郎と2人きりで公園で会うという不自然な展開を用意し、彼が離れている間に落ちた鞄から奈々の盗撮写真が落ちることで明らかにされる。
決して上手い処理とは言えないが、伏線はちゃんと回収している。でも、「そもそも奈々がストーキングされているエピソードって要らなくねえか?」と言われたら、何の反論も無い。

書物を読んだジョーチンは、テツに「武市半平太はテツさんに似てる。真っ直ぐな性格というか、大きな物に立ち向かう精神というか」と話す。
テツが学生運動の闘士だったことを知っていれば、そういう感想が出て来るかもしれない。だけどジョーチンは、そんなことを知らないはずだよね(っていうか知っていたとしても、テツは途中で学生運動から抜けてるんだし)。
しかし、それよりドイヒーなのは、「一番似てるのは、愛妻家ってところですね」という感想。
テツが「愛妻家?俺が?」と言うまでもなく、こっちの頭にハテナが浮かぶ。
ジョーチンは「お酒は飲むけど浮気はしないでしょ」と言うけど、それだけで愛妻家とは言えないだろ。
それ以外でも、テツが愛妻家であることを示すようなシーンなんて何も無かったし。

福田が幕末について調べていたことを聞かされたテツは、「まさか」と呟き、ある事実に気付く。それは、テレビの中にいたと思っていた悪霊が、鏡のようにブラウン管に映ったということだ。
ここは一応、「ミステリーの種明かし」という重要な箇所なので、バカバカしいと思っても付き合わなきゃいけない。
っていうか、吸血鬼でも鏡に写らないのに、悪霊はブラウン管に反射してしまうんだね。
悪霊のボディ・ジャックは、幸福の科学によれば真実なんだから、我々も実生活で役に立つ情報だよね。
悪霊を見つけようとしたら、テレビの画面に反射するかどうかをチェックすればいいんだから。

半平太はテツに、「以蔵はワシがおんしにボディ・ジャックにしているのに気付いていたんじゃ。それで、ずっとおんしの傍で見張っていたんじゃ」と言う。
だが、半平太は気付かれないように修業したはずだ。
そう言っていたから、こっちもそう受け止めていたのだ。
そこを破るのはミステリーとして完全にルール違反なのだが、「この映画にマトモなルールを求めるのが間違いじゃないのか」と言われたら、返す言葉が無い。

テツが半平太と協力して以蔵を見つけ出し、目的を阻止して退治する話なのかと思っていたのだが、玲子の回想シーンが何度も挿入されて、彼女とテツと春子の関係性や、玲子が今も春子を気にしていることが描かれる。
何の意味があるのかと思っていたら、どうやら恋愛劇(夫婦愛のドラマ)も絡めたいようだ。
ただし、テツの春子や玲子に対する思いはほとんど表現されていないし、テツの「春子の仇討ち」という士気も弱いので、その狙いは上手く形になっていない。

以蔵が狙っている相手が玲子であることが判明し、そこで強引に夫婦愛と絡めようとしているのだが、そこには「なぜ玲子が以蔵に命を狙われるのか」という疑問が生じる。
テツはたまたま半平太に憑依されただけだから、「協力者の妻だから殺す」という理由も成立しない。
っていうか、「協力者の妻だから殺す」というのは、「半平太の一番大事にしている人物を斬る」ってことにならないし。
玲子が半平太の血縁という設定でもあるのかというと、そういうことではない。

「なぜ玲子が以蔵に命を狙われるのか」という疑問に対して用意されている答えというのが、半平太のテツに対する説明では「(自分が苦しむものは)テツだ。テツと自分は似ている。
つまり、テツの大切な人を狙っている」ということらしい。
ようするに、半平太もテツも愛妻家という共通項があって似ているので、テツの妻を殺せば、似ている半平太を苦しめることに繋がる、という論理らしい。
デタラメにも程がある論理だが、デタラメな映画なので仕方が無い。

テツが「玲子に憑依して守ってほしい」と頼むと、半平太は「いや、おんしの中にいた方が安全じゃ。下手に動くと、あやつは何をするか分からん」と告げる。
だけど、以蔵が何をやるにしても、どう考えたって半平太が玲子に憑依して守った方が得策だと思うぞ。テツが帰宅するまでには、時間が掛かるんだから。
実際、テツが必死に走って帰宅すると、玲子はカッターを突き付けられているんだよな。
もしも半平太が先回りして憑依していれば、そんなことは防げたはずでしょ。

面倒だからネタバレを書くけど、以蔵に憑依されているのは福田じゃなくて、その福田に振られたジョーチン。
で、そのジョーチンが玲子にナイフを突き付け、テツと半平太が身動きを取れないまま対峙していると、拓郎に追われた奈々が逃げ込んで来る。
なんと、その2つの話を一緒に処理しちゃうのである。
そうそう、ちなみに拓郎は悪霊に憑依されているわけではない。犯罪者であっても、ストーカーはボディ・ジャックされていないらしい。

奈々が室内に駆け込むと、テツにぶつかる。その勢いで鞄が飛んで、それがジョーチンにぶつかる。ジョーチンが離れた隙に、テツは飛び込んで玲子に覆い被さる。
半平太が刀を抜くと、ジョーチンが振り下ろそうとしていたナイフが飛んでいく。ナイフが目の前の柱に突き刺さったので拓郎は驚き、バランスを崩して後頭部を打ち付けて失神する。
たぶん、半平太が刀を振ってジョーチンの行動を阻止し、あらぬ方向にナイフが飛んだってことなんだろうけど、刀がナイフを弾く直接的な描写が無いので、かなり分かりにくい。
っていうか、悪霊なのに刀は実体化できるのかという疑問もあるが、でも刀で阻止したということじゃないと、なぜナイフが柱に飛んで行ったのかという説明が付かない。

以蔵がジョーチンの体から抜け出すと、急に場所が野外へと切り替わり、半平太とのチャンバラ・アクションが繰り広げられる。
『ハード・リベンジ、ミリー』などを担当した園村健介がアクション監督に付いており、そこだけ急にアクション映画になる。
主人公のテツがカヤの外に置かれていることは、ひとまず無視しよう。
で、以蔵が説得を受け入れずに拳銃を使おうとすると、坂本龍馬が現れて彼を撃つ。唐突に登場した龍馬が説得すると、あっさりと以蔵は改心する。

龍馬は半平太と以蔵を天上界を行かせて自分も消えるのかと思ったら、なぜかテツにも説法する。
その内容というのが、「剣をペンに持ち替えて、ほんまの革命成し遂げるんが、おんしの終生計画じゃろうが。ほんまの革命に命を懸けえや」というもの。
いやいや、勝手にテツの仕事を「革命」と決め付けるなよ。
その論法で行くと、学生運動に参加した奴らは年を取ってからも革命に燃えなきゃいけないってことになるぞ。

で、半平太が「ある少年がウチにあった本を読んで感動し、やがて世界中の人々に影響を与えるまでに大きく成長する。そして国の指導者になり、改革を起こす。その本を書いたのがテツ」という『レディ・イン・ザ・ウォーター』からそのまんま拝借したネタを語り、ホントにテツは作家になることを決める。
つまり、それは光岡史朗の「作家として革命を起こす」という宣言でもあるのだ。
もちろん、その革命は、幸福の科学の思想に基づいた革命である。
人間革命である(いや、それだと創価学会になっちゃうから)。

(観賞日:2014年5月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会