『眉山』:2007、日本

32歳の河野咲子は、東京の旅行代理店で働いている。ある日、咲子の母・龍子を「姉さん」と慕う居酒屋「甚平」の主人・松山賢一から、電話が掛かって来た。松山から「龍子姉さん、入院したんよ」と聞かされ、咲子は久々に故郷の徳島へ戻った。空港に到着すると、松山が迎えに来ていた。松山によると、龍子は阿波踊りを楽しみにしているという。「昔は咲ちゃんも、姉さんと一緒によう踊ってたけんなあ」と松山が言うので、咲子は「楽しかったなあ。なんであんなに楽しかったんやろ」と微笑した。
徳島市立大学病院まで送ってもらった咲子だが、母の病室の前で、入ろうかどうか逡巡する。そこへ介護福祉士の大谷啓子が現れ、声を掛けた。その時、病室から「痛いって言ってるじゃないの」という母の怒鳴り声が聞こえてきた。病室に入ると、龍子は女性看護師を「私は前も言いましたよ。ここは痛いからやめてって。お医者の方ばかり見て仕事するの、おやめなさい」と厳しく叱責していた。同室の入院患者たちが、叱られる看護師を見てニヤニヤと笑っていた。
看護師が走り去った後、咲子は「お母さん、いいかげんにして。ここは病院よ。お店じゃないんだから」と睨んだ。しかし母は「はいはい、ちょっと疲れたから、休ませてもらうよ」と軽く受け流し、まるで聞く耳を貸さなかった。咲子はカンファレンス室へ行き、主治医の島田修平から母の病状について説明を受けた。島田は悪性の腫瘍が全員に転移していることを語り、余命が長くないことを告げる。告知するかどうかの判断を委ねられた咲子は、母に本当の病状を隠した。
病院の廊下で、咲子は龍子から「私は肝臓の炎症だって分かったんだし、心配しないでいいから」と、東京へ戻るよう促される。その時、背後のスペースに入った女性看護師は、咲子たちに気付かず、小児科医の寺澤大介に相談を持ち掛けた。彼女は龍子に怒鳴られたことを愚痴って、「看護師辞めます」と言う。寺澤になだめられた彼女は、「もうええです、年寄り相手やし、ベッドが空くまで辛抱します」と口にした。咲子は彼女を呼び止め、「ベッドが空くって、どういう意味」と突っ掛かった。
寺澤が間に入って「言葉の綾です、深い意味は無いです」と釈明するが、咲子は「貴方、それでも医者なの」と腹を立てる。龍子も「そいつは私も聞きたいね。言葉の綾?だったらアンタが医者になったのも何かの綾とでも言うのかい。生半可な答えじゃ承知しないよ」と詰め寄った。その夜、咲子は啓子と一緒に「甚平」を訪れ、松山に昼間の出来事を話す。すると松山は、龍子が小料理屋を営んでいた頃、キツく言われたことで常連になった客もいたという出来事を明かした。
その常連客というのは、吉野三郎という歌手だ。売れっ子新人歌手だった彼は、デビュー曲がヒットして浮かれ、取り巻きと共に大騒ぎしていた。カウンターでは、ある客が龍子に女房のことを話して泣き出した。吉野が「人が楽しく飲んでるのによ」と怒鳴ったので、龍子は「大の男が泣く時にはそれなりの理由があるんだよ。ちょいと鼻歌が売れたぐらいでのぼせてるんじゃないよ。人の痛みも分からないような奴の歌なんて、どうせ偽物に決まってる」と言い放った。吉野は取り巻きと共に、店を去った。その後は鳴かず飛ばずで、俳優に転向しても上手く行かず、4年後にテレビに出られるようになり、阿波踊りの日に大きな花束を持って店に来たという。
翌日、咲子が病院の屋上で洗濯していると、寺澤が謝罪に来た。龍子も、寺澤が低姿勢で謝罪したことで、彼を見直した。寺澤は院長の小畠剛に呼ばれ、「自分も昔は龍子に良く叱られた」と言われる。それから小畠は、「あの方は、夢草会の名簿に載ってるお方やぞ」と寺澤に告げる。咲子は同室の患者たちとトランプに興じる龍子を眺めながら、学生時代に「なんで家には、お父さんの位牌も写真も一枚も無いん?」と問い詰めたことを回想した。その時、母は、父に家庭があったこと、自分は愛人だったことを明かした。
龍子は14歳の咲子に、「でもね、これは悲しいことでも悔しいことでもないのよ。お母さんは貴方のお父さんが大好きでした。だから貴方を産んだの」と語った。「ほいだら、なんで嘘ついたん?恥ずかしいからやろ。悪いことしたからやろ」と咲子が問い詰めると、彼女は「亡くなったの、あの人は」と口にした。咲子はその言葉に納得することが出来ず、「お父さんに会いたい」と詰め寄った。
庭に出た咲子は、子供たちと遊んでいる寺澤を目撃した。寺澤に「助けて下さい」と笑って言われ、彼女は遊びに参加する。咲子は寺澤と一緒にロープウェーで眉山へ登り、町の景色を眺める。彼女は母の余命がわずかであることを明かし、涙をこぼす。告知について訊かれた咲子は、「きっと母もそれを望むと思います。でも分からないんです。どんな顔して、なんて言ったらいいのか」と吐露した。
寺澤は咲子に、「夢草会というのを聞いたことありますか?献体、という言葉は?」と問い掛けた。献体とは、死んだ人が肉体を医大に提供することだ。その体は、学生によって解剖されることになる。夢草会は献体の支援組織だ。母が献を望んでいると知り、咲子は驚いた。献体の登録には、遺族の同意によるサインが必要となる。咲子は寺澤に、「母が勝手にやったんだと思います」と述べた。
咲子が「甚平」を訪れると、松山は龍子から預かっているという箱を差し出した。自分が死んだら渡してくれと言われていたのだという。死ぬまで内緒だと言われていたが、松山は「渡さなければいけないと思った」と語った。箱の中には、相続手続書類や登記済書の他に、篠崎孝次郎という男から龍子宛ての手紙が何通も入っていた。手紙には、東京都文京区の住所が記されている。他には、咲子が生まれる1年前に眉山で撮った、龍子と篠崎のツーショット写真も入っていた。咲子は、写真の男に幼い自分が手を繋がれていた記憶を呼び覚ます。そして彼女は、篠崎が自分の父親だと確信した。
咲子は龍子を連れて、人形浄瑠璃の観劇へ出掛けた。昼食を取った時、彼女は「生きてるでしょ、お父さん。どうして嘘ついたの」と母に質問した。龍子は浄瑠璃を歌ってから、「おあいこだよ。アンタだって私に嘘ついたじゃないか。島田先生、何だって?私がいつまでだって?だからさ、おあいこ」と言う。咲子は「やめてよ。お母さん、私なんて必要ないんでしょ。店畳んでケアハウスに入る時だってそうだったし、入院したのだって松ちゃんが電話してくれるまで知らなかったし、献体のことだって」と声を荒げた。
その夜、咲子は寺澤と散歩に出て、「母に酷いことを言ってしまいました。母と一緒にいると、余計に一人ぼっちのような気がしてしまうんです」と言う。寺澤は「でも話せたんですよね、自分の気持ち。何も話さないよりは、ずっといいですよ。お母さんも辛かったんじゃないですか。自分の娘に父親のことを話してやれないのは。だけど、それはきっと、お母さんにしか分からない。お母さんだけのものなんだと思います」と語った。「そんなのって」と咲子が漏らすと、寺澤は「寂しいですよね。とっても寂しいことかもしれない」と口にした。寺澤は咲子を抱き締め、2人は口づけを交わした。
咲子は東京へ戻ることにした。母には「仕事が溜まってるし」と言うが、それは嘘だった。本当の目的は、父に会うことだった。咲子は手紙を頼りに、両親がデートした場所を巡る。それから手紙に記されている住所へ行くと、篠崎医院という小さな個人病院があった。咲子は診療問診票を書き、患者として院長の篠崎と対面する。問診票の名前を見た篠崎から「ご出身は?」と尋ねられ、咲子は「徳島です」と答えた。咲子の年齢を見て、篠崎は素性に気付いた様子だった。「もうすぐ踊りの季節ですねえ。もう30年も見ていません」と呟く篠崎に、咲子は「よろしければ、遊びにいらしてください」と告げて病院を後にした。
龍子が倒れて集中治療室に担ぎ込まれ、咲子は連絡を受けて徳島へ戻った。龍子は意識を取り戻したが、かなり病状は悪化していた。島田は咲子に、「今後は痛みを和らげることに専念した方がいいかもしれません」と言う。元の病棟に戻った母は、咲子に「あの人に会ってきたん?」と問い掛けた。咲子が「うん。でも、ちゃんと話せかった」と答えて泣き出すと、龍子は優しく頭を撫でる。咲子は島田に、母を阿波踊りの見物へ連れ出したいと申し入れた。島田は反対するが、咲子の「連れ出さなければ母は治りますか」という問い掛けを受け、外出を許可した…。

監督は犬童一心、原作は さだまさし『眉山』幻冬舎文庫、脚本は山室有紀子、製作は本間英行、製作統括は島谷能成&亀山千広&見城徹&安永義郎&谷泰三&中村美香&樫野孝人、エグゼクティブ・プロデューサーは市川南&織田雅彦&舘野晴彦、プロデューサーは川田尚広、プロダクション統括は金澤清美、撮影は蔦井孝洋、美術は瀬下幸治、録音は志満順一、照明は疋田ヨシタケ、編集は上野聡一、助監督は熊澤誓人、協力プロデューサーは久保田修、音楽は大島ミチル。
主題歌『蛍』はレミオロメン、作詞・作曲:藤巻亮太、編曲:レミオロメン&小林武史。
出演は松嶋菜々子、宮本信子、大沢たかお、夏八木勲、円城寺あや、山田辰夫、黒瀬真奈美、永島敏行、金子賢、入江若葉、上田耕一、河原崎建三、中原丈雄、本田博太郎、竹本孝之、永衣美貴、野波麻帆、小山田サユリ、村松利史、本田大輔、兼崎杏優、大津友貴絵、大塚和彦、松本じゅん、高橋かすみ、谷津勲、黄田明子、窪田かね子、有木由美子、小出ミカ、吉増裕士、小野純平、野元慎吾、大塚圭悟、佐藤光一郎、松浦元太郎、寺尾正義、大塚健太郎、松浦日向子、古河はるか、佐藤妃那子、佐藤さや、黒田忠良、佐藤恵子、東内つとむ、鶴澤友輔、造士若菜、三好一文、薄井智里、三好博文、津川清ら。


さだまさしの同名小説を基にした作品。タイトルは「びざん」と読む。
監督の犬童一心と脚本の山室有紀子は、『タッチ』に続いて2度目のコンビ。
咲子を松嶋菜々子、龍子を宮本信子、寺澤を大沢たかお、篠崎を夏八木勲、啓子を円城寺あや、松山を山田辰夫、14歳の咲子を黒瀬真奈美、島田を永島敏行、吉野を金子賢、篠崎の妻を入江若葉、吉野の同席者を上田耕一、小畠を中原丈雄、綿貫を本田博太郎、青年時代の篠崎を竹本孝之、龍子に叱責される看護師を野波麻帆が演じている。

松山と啓子という2人の人物が序盤に登場するが、こいつらの素性が良く分からない。
電話で松山は「龍子姉さん、入院したんよ」と口にしているので、龍子の弟なのかと思ったら、どうやら違うみたいなんだよね。
そこを分かりにくくしたまま放置している意味が無い。姉貴のように慕っているとしても、そこは「龍子さん」と呼ばせるべきだ。
もしくは、常に龍子を「姉さん」と呼んでいる設定だとしたら、咲子に電話を掛けて来るのは別の人間にした方がいい。

啓子は病院で咲子に声を掛けるが、ナース服を着ていないので、看護師ではない。
どうやら介護福祉士という設定らしいが、そんなの、映画を見ているだけだと分からないぞ。
かなり後になって、咲子の「店畳んでケアハウスに入る時だってそうだったし」という台詞があるから、そこで世話をしていた人という設定なんだろう。
そういうことは、早い段階で説明すべきじゃないのか。松山と同様、なぜ無駄に分かりにくくしたまま放置しておくのか。

龍子は正義感の強い女性というキャラ設定らしいけど、いきなり看護師を「私は前も言いましたよ。ここは痛いからやめてって。お医者の方ばかり見て仕事するの、おやめなさい」と病室で叱責しているのは、ただの嫌なババアにしか見えない。
その看護師が患者から敬遠されるような問題のある女だという描写が無くて、龍子がガミガミと説教しているシーンだけが描かれているので、ただの陰湿なイジメにしか見えない。
で、それをニヤニヤしながら見ている他の患者たちのことは注意しないし。

咲子は「お母さん、いいかげんにして。ここは病院よ。お店じゃないんだから」と睨むが、ってことは、店でもそんな態度だったのかよ。嫌な店だなあ。
実際、龍子が吉野を説教するシーンが後で描かれるけど、やっぱり「嫌な女将」という印象を受ける。
もちろん吉野の態度は不愉快だけど、マジなトーンで注意するより、もっと上手く追い払う方法や、静かにさせる方法はあったんじゃないかと。
で、それでも言うことを聞かなかったら、強硬手段に出てもいいかもしれないけどさ。

そこで大声を出して説教することで、店全体の雰囲気が悪くなって、他の席にいる客たちも不快な気持ちになっちゃうんじゃないかと思うんだよね。そう考えると、あまり客あしらいの上手い女将ではないなあと。
っていうか、そもそも、その吉野に関するエピソード、何のために用意されているのか良く分からない。何を描きたいのか良く分からないんだよね。
学生時代の咲子が、三者面談による個人懇談会の紙を持って帰宅しているけど、それの意味も良く分からないし。
っていうか、原作はどうだか知らないが、この映画版においては、もはや龍子が小料理屋の女将だったという設定さえ、ほとんど意味の無いものと化しているように感じられる。

寺澤と女性看護師の話を耳にした後、咲子は釈明した寺澤に「貴方、それでも医者なの」と詰め寄り、龍子は「そいつは私も聞きたいね。言葉の綾?だったらアンタが医者になったのも何かの綾とでも言うのかい。生半可な答えじゃ承知しないよ」と言う。
その後、芝居がかった調子で、「好きも嫌いもございましょうが、どうかこの世に生きる者同士、命の重さはお互い同じとおもしめし、なにとぞ、平等に哀れな病人どもをお見立てくださいますよう」と語る。
嫌なババアだなあ。

そのシーンも、やはり龍子を「正義感の強い女性」としてアピールしたいんだろうけどさ、すげえ嫌な患者にしか見えないんだよね。
そりゃあ、確かに寺澤は不用意な発言だったとは思うけど、そこまでの態度でやり込めてしまうと、むしろ龍子の側も不愉快な奴になってしまう。
そんな患者なら、女性看護師から煙たがられても仕方がないんじゃないかと、そこまで思ってしまうぐらいだ。

咲子から「生きてるでしょ、お父さん。どうして嘘ついたの」と尋ねられた時、龍子は浄瑠璃を歌ってから「おあいこだよ。アンタだって私に嘘ついたじゃないか。島田先生、何だって。わたしがいつまでだって?だからさ、おあいこ」と言う。
いやいや、おあいこじゃないぞ。
龍子の嘘は、すげえ昔からの嘘じゃねえか。
しかも、咲子の嘘は母を慮っての嘘だけど、龍子の嘘は惚れた男を守るための嘘であって、娘のことなんて何も考えてないからね。

その後、咲子に「やめてよ。お母さん、私なんて必要ないんでしょ。いつも自分一人」と責められても、龍子はマトモに答えようとしない。
「ここは私が出すよ。今日は楽しかった」とはぐらかす。一度も娘とマトモに向き合い、ちゃんと話そうとはしない。
そんな感じだから、不誠実な女にしか見えないのよ。
そりゃあ、娘が腹を立てるのも当然だろうと。
後半に入って、「実は自分勝手だと思っていた母親が、ずっと娘のことを考えて、思いやりがあった」という真相が明かされるのかと思ったら、そういうことは無いのよ。最後まで、自分勝手な女だったという印象は変わらないままなのよ。
なんかねえ、母親としての自覚が足りないんじゃないかと。

咲子は寺澤とすぐに親しくなって、2人で出掛けるような間柄になっているが、ここの恋愛関係は、すげえ無理があるぞ。って言うか、要らないでしょ。
どうしてもヒロインに恋愛の相手を用意したいのなら、以前から交際している相手とか、かつて片思いしていた相手とか、幼馴染とか、とにかくゼロから始めなきゃいけない関係性は避けた方がいいよ。
実際、寺澤との恋愛劇は、まるでマトモに描けていない。
抱き締めてからのキスシーンには、違和感しか無いぞ。

あれだけバリバリと残業して仕事に打ち込んでいた咲子だが、帰郷した後、まるで仕事のことを気にする様子は無い。
ちょっと見舞いに戻るだけだったはずが、予定が変更されているのに、咲子が会社に「もう少し休ませてください」と連絡を入れることも無い。
かなり長く休みを取っているのに、上司や同僚から早く戻って来てくれという催促の電話が掛かってくることも無い。
有能な社員に見えて、実は、いてもいなくても構わないという程度の社員だったのか。
そうじゃなきゃ、あれだけ長く休暇を取っているのに、会社の人間から一度も連絡が来ないってのは、ちょっと変だもんな。

咲子は東京へ戻るのだが、まずは父親を見つけ出すことを優先すべきだろうに、なぜ両親のデートした場所を巡るのか。その思考回路がサッパリ理解できない。
嘘をついていた龍子や、妻がいるのに龍子と関係して自分を作った篠崎に対して反発があるのなら、デートコースを巡るという行動は不可解極まりない。例えば篠崎の居場所が全く分からないというのなら、まだ分からないでもないけどさ。
っていうか、そもそもヒロインは、まだ見ぬ父に対してどういう感情を抱いているのか、それが良く分からないんだよね。
だから、両親のデートコースを巡ることで何を感じようとしているのか、どう感じたのか、それも伝わらない。

例えば、「最初は父に対して、結婚しているのに母と浮気して子供を作り、自分たちを放り出した酷い男だと思っていたけど、手紙に書かれた文章を読んで、本当に母のことを愛した、優しさのある人間だと思い直す」とか、そういう変化があれば、若かった篠崎のナレーションベースによるデートコース巡りも、意味のあるモノになっただろう。
だけど、咲子の心情が全く分からないから、ホントに「ただデートコースを巡った」という「行動」を見せられているだけなんだよな。
あと、どれだけ釈明しようと、自己弁護しようと、「ようするに篠崎は、献身的に支えてくれる妻がいながら他の女と浮気して、ガキを孕ませた不倫男」という事実は変えられない。
例えば、妻がすげえ嫌な奴だったとか、龍子と恋人同士だったけど親が勝手に結婚相手を決めて逆らえなかったとか、何か情状酌量の余地があるならともかく、そういう背景は全く描かれていない。
そうなると、それはやっぱり、不誠実な男としか受け取れないよ。

そして、娘にずっと嘘をつき続け、「父親のことを話してほしい」と頼まれてもマトモに向き合わずに歌で誤魔化したりしていた龍子も、やはり娘に対して不誠実で身勝手な女だと思うのだ。
不倫でガキを孕むまでは仕方がないとしても、そして咲子が14歳だった頃はマトモに話さなくてもいいけど、もう32歳になった娘に対してマトモに向き合おうとしないのは、ダメな母親としか思えないぞ。
しかも、もう龍子は自分の病状も知っているんだぜ。ってことは、もはや墓場まで持って行こうってことでしょ。
いやいや、生きてる間に、ちゃんと娘に説明してやれよ。
余命わずかだとか、かなりの痛みがあるとか、そんなことで許してやろうっていう気分にはなれないぞ。
あとさ、龍子は終盤、「あの人(篠崎)から身を引いて、あの人の故郷だったこの土地にやって来た。眉山をあの人だと思って、お前と2人、ここで生きて行こうと決めたんだよ」と語るんだけど、不倫相手の故郷で、その不倫相手との間に出来た娘と一緒に暮らし始めるというのは、ほとんど嫌がらせにしか思えないんだけど。

途中、龍子が献体登録をしていることが明らかになり、咲子が驚いているけど、その展開って、まるで意味が無いよね。
献体という要素が無くても、ストーリー展開の上では、何の支障も無いよね。
例えば篠崎との関係性で、龍子の献体登録に意味が生じるならともかく、そんなことは無い。篠崎は医者だけど、そのことが、龍子が献体登録した行動に影響を及ぼしているとは思えない。
ラストには献体の慰霊祭まであるけど、龍子の献体登録ってのは、ものすごく浮いた要素に思える。

冒頭で龍子が阿波踊りに参加して踊っているシーンがあるけど、阿波踊りというイベントを、上手く物語に絡ませることが出来ていない。咲子と龍子、龍子と篠崎の関係において、阿波踊りが重要なイベントになっていたわけでもない。
だから、咲子が龍子を阿波踊り見物に連れ出すという終盤の展開も、かなり強引で不自然だと感じる。
徳島の人々や組織に協力してもらっているから、その代わりに阿波踊りを大々的に取り上げようということなのか。それとも、徳島らしさを出すために阿波踊りという安直な考えだったのか。
いや、別に安直でも構わないけどさ、だったら「そりゃあ、娘が余命わずかな母のことを思いやった時に、阿波踊りに連れ出すことは当然だよな」と思わせるように、そこまでの物語に上手く阿波踊りを組み込んでおかないとダメでしょ。
咲子の回想でも、阿波踊りの印象深いエピソードなんて全く無かったでしょ。それなのに残り30分ぐらいになって、準備のシーンから阿波踊りが描かれるのよね。

そこからは、阿波踊りに参加する人々の様子も描かれており、もはや阿波踊りを描くことが目的のようになってしまっている。
でも、咲子と龍子は見物しているだけなんだから、阿波踊りはホントなら、背景でいいはずなのよ。
やたらと阿波踊りの扱いがデカくなりすぎている。
あまりにも長々と、不自然なぐらい阿波踊りの様子をアピールしてしまうもんだから、ものすごくバランスが悪い。

(観賞日:2012年5月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会