『バースデー・ワンダーランド』:2019、日本

上杉アカネは仮病を使って母のミドリに嘘をつき、学校を休んだ。クラスメイトのまゆこから何件もメールが届くが、アカネは携帯の電源を切った。前日、まゆこはクラスメイトのれあの仲間であるゆみとのりこから、「昨夜、れあちゃんからメッセージ行ったでしょ。みんなでヘアピン付けて学校へ行こうって」と責められた。それはれあの母が手作りしたヘアピンで、「何で付けて来ないの?」とゆみたちは問い詰めた。まゆこは彼女たちに、祖母の家に泊まって携帯を忘れたから知らなかったと慌てて釈明する。れあは彼女を無視し、ヘアピンを付けて登校したアカネに「ちゃんと付けて来てくれたんだね」と声を掛けた。まゆこはアカネに「ホントに知らなかったんだよ」と訴え、れあたちとの間を取り持つよう頼む。しかしアカネは彼女を無視し、れあたちと一緒に教室を去った。
空腹を感じたアカネは、こっそり台所へ行って何か食べようとする。そこへミドリが戻るが、テラスで中に作るから待っているよう優しく言う。アカネが朝食を取っていると、ミドリから叔母であるチイの雑貨屋へ行く用事を頼まれる。「なんで?」とアカネが嫌がると、母は「明日、アカネの誕生日でしょ。チイちゃんにプレゼントを頼んであるの。貰ってきてちょうだい」と話す。「自分のプレゼントを取りに行くなんて嫌だ」とアカネは口を尖らせるが、結局は承諾した。
アカネが自転車を走らせて雑貨屋「ちゅうとはんぱ屋」に着くと、チイは若い男性客に「こっちの方が似合うわ」と商品を勧めていた。客が去った後、チイはアカネから話を聞くが「誕生日プレゼント?そんな注文受けてかなあ」と首をかしげる。チイは仕入れのために何度も海外へ出掛けており、もうすぐフランスへ行く予定を立てていた。陳列されている商品を見ていたアカネは、手形のある石版に目を留めた。アカネが左手を合わせると手形にピッタリとハマり、なぜか抜けなくなってしまった。
焦ったアカネがチイに「抜けないよ」と訴えていると、地下室から音が聞こえた。すると地下室の扉が開き、ヒポクラテスという男が姿を現した。彼は「手形にピッタリ合う少女、緑の風の女神を探している」と言い、アカネに駆け寄る。「ピポ、でかしたぞ」とヒポクラテスが口にすると、置物に化けていた弟子のピポが動く。ヒポクラテスが「ワシらは向こうの世界からやって来た。信じられないかもしれないが」と語ると、チイはすぐに信じて興奮した。アカネがヒポクラテスの助言で力を抜くと、左手は手形から外れた。
ヒポクラテスはアカネに、「これから一緒に来てほしい。これは緑の風の女神であるアンタに課せられた宿命なのだ」と言う。アカネが困惑していると、ピポは「私たちの世界は危機に瀕しています。救えるのは貴方しかいないのです」と訴える。「そんな力無い」とアカネが嫌がると、ヒポクラテスは「これを付けるといい」と「前のめりの錨」と名付けたネックレスを渡した。ピポはアカネに、ヒポクラテスは最高位の大錬金術師なのだと教えた。ヒポクラテスは「これを首に掛けてさえいれば、後ろ向きになりそうな時、急に重くなり、嫌でも前のめりになってしまう」と説明し、アカネはネックレスを外そうとするが首から抜けなかった。
ピポはヒポクラテスしか外せないのだと説明し、アカネはネックレスに引っ張られて2人と共に地下室へ入った。チイは慌ててリュックを背負い、「私も行く」と後に続いた。一行が向こうの世界へ続く通路に入ると、時空を操る蜘蛛が巣を張っていた。ヒポクラテスは「時間が無い」と言い、一行は走って通路を抜けた。そこは塔の頂上で、巨大な鳥が卵を守っていた。一行が螺旋階段を下りていると、近くの道路で「ヨロイネズミ」と呼ばれる装甲車がケイトウ村の村長を務めるポポと母親の三輪車を襲っていた。
ヨロイネズミは三輪車を転倒させ、取り込んでスクラップにする。ヒポクラテスが駆け付けて「また悪さをしているのか、ザン・グ」と言うと、ヨロイネズミを操縦するザン・グと相棒のドロポは威嚇した。彼らが塔を壊すと、ヒポクラテスはヒツジジャラシの葉を使って羊の群れを呼び寄せた。群れがヨロイネズミを取り囲むと、ザン・グとドロポは引き上げた。アカネたちは花畑を抜け、ケイトウ村に着いた。のどかな風景を見たアカネが「どこが危機に瀕しているの?」と訊くと、ピポは「どんどん色が失われているんです。牧草地は枯れ始め、羊たちの毛並みも悪くなり、ケイトウの花も」と語った。
「どうしてなの?」というアカネの質問に、ヒポクラテスは「この世界のあらゆる物は、水のおかげで命を得ている。水が循環していれば、美しい色を保つことが出来るのだが」と説明した。ピポは「600年前にも同じことがあって人々が絶望していた時、風のように現れた少女が国を救ってくれました。その少女のことを、人々は緑の風の女神と呼んで崇め、今でも伝説は語り継がれているのです」と語るが、アカネは「やっぱり私にはこの世界を救うなんて出来ない」と拒否した。
アカネは「帰りたい」と訴えるが、塔は壊れてしまい、もう1つの帰り道も馬車で2日は掛かると言われてしまう。チイが「だから今日はここに泊まるよ」と告げると、アカネは渋々ながら受け入れた。ポポはアカネたちのために、夕食を用意した。彼はセーターを持って隣町の品評会に行く途中だったこと村一番の編み手だった母は急に視力が悪くなったこと、どうしてもと最後に編んだセーターだったことを話す。さらに彼は、村のセーターの質が悪いという噂が広まって売れなくなったこと、質の悪い製品など市場に出していないことも語る。村人の生活を危惧したポポの母は、世界中の人々が集まるサカサトンガリ市のコンテストにセーターを出そうと考えていた。
ヒポクラテスはザン・グとドロポについて、「半年ほど前に現れて暴れるようになった。おそらくニビの町のゴロツキだろう」とアカネとチイに語った。ザン・グは鍛冶屋のヴーダンに集めた鉄屑を持ち込み、翌朝までに完成させるよう要求した。鉄が足りないと言われた彼は、「集める」と告げて去った。ヒポクラテスはアカネとチイに、世界の中心には時なし雨の城があること、そこに住む雨王は水を操ることに長けている一族であることを話す。
5年ほど前に時なし雨の王と王妃が亡くなり、残された幼い王子は1年ほど前から姿を見せなくなっている。事情は明らかになっていないが、体が弱くて長く臥せっているという噂だ。そして数ヶ月前から水が枯れ始めたのは、王子の力が弱まったせいだと言われている。城には魔法使いのカマドウマが住んでおり、錬金術師であるヒポクラテスは近付けない。そしてカマドウマは眠りの時期に入っており、1年が経たないと目を覚まさない。ヒポクラテスはアカネに、「恐らく王子の病気は私やカマドウマでも治せない。緑の風の女神でなければダメなのだ」と告げた。
ずっとセーターを編んでいたポポの母は、過労で体調を崩した。しかしポポが休ませようとすると、彼女は今夜中に何とか完成させたいと告げた。ヒポクラテスはセーターを届ける役目を引き受けて「市は城のそばだ。ついでのようなものだ」とポポに言い、アカネに同行を命じた。翌朝、アカネたちは車に乗り込み、村を出発した。原野地方で砂嵐に襲われた一行は、岩陰に隠れてやり過ごす。ヒポクラテスは水の巡りが悪くなって乾燥しているのだと告げ、日が暮れたので野宿した。
翌日、雪の町に着いた一行は宿を取った。ヒポクラテスが燃料屋へ向かった直後、ザン・グとドロポが宿に乗り込んできた。彼らは主人を脅して食糧と水を奪い、その場を後にした。ザン・グとドロポは燃料屋で爆弾を入手し、井戸を爆破しようと目論む。そこにヒポクラテスが現れ、「王子がしずくり切りをする井戸のことか」と尋ねる。ザン・グが「その王子のせいで、俺たちは酷い目に遭ってる。雨降らしの王族のくせに病気とはな。いっそ井戸なんて吹っ飛んじまえば、案外水が溢れ出るかもな」と語ると、ヒポクラテスは阻止しようとする。しかしドロポが魔法を使い、ヒポクラテスをハエに変身させた。
ヒポクラテスが戻らないため、アカネたちは捜索に向かう。彼女たちは車を見つけるが、ヒポクラテスの姿は無かった。燃料屋が「石炭を買いに来て帰った」と説明したため、一行はサカサトンガリ市へ向かうことにした。ヒポクラテスはハエの姿で車に乗るが、アカネたちは気付かなかった。ピポは急ぐよう求め、「明日の朝、しずく切りの儀式があるからです」と言う。言葉が話せないヒポクラテスは地図を使い、ピポが近道に気付くよう仕向けた。
アカネたちは吊り橋を渡ったり水中を移動したりして移動し、ヒポクラテスは先に城へ向かった。城ではカマドウマが王子を鉄人形に閉じ込めて眠りに入ったことから、公爵たちが困り果てていた。儀式の前日には元の姿に戻るはずだが、その気配は全く無かった。城から出た隊列が儀式のあるサカサトンガリ市の井戸へ向かうのを見たアカネたちは、後を追った。一行は猫たちの番所を通過し、サカサトンガリ市に入ろうとする。しかし裁判長のデブ猫は許可せず、裁判を始めると言い出した。デブ猫はアカネに「猫の尻尾を引っ張ったので有罪」と通告し、尻尾と耳を生やす。デブ猫は二度としないと約束させ、市に入ることを認めた。
チイは市場を見に行き、アカネはセーターをテントへ持って行く。すると担当者は無言のまま、無雑作にセーターを受け取った。チイを捜しに出たアカネは盗みを働いたドロポを目撃し、ピポから追い掛けるよう指示された。ピポはアカネに「知っている奴かもしれません」と言い、ロンという学友がいたこと、カマドウマの弟子になったと聞いたことを話した。ザン・グと合流したドロポの口を読んだピポは、彼らがヨロイネズミの大砲で井戸を壊すつもりだとアカネに教える…。

監督は原恵一、原作は柏葉幸子「地下室からのふしぎな旅」(講談社青い鳥文庫)、脚本は丸尾みほ、製作は山口真&藤田浩幸&岩上敦宏&池田宏之&森田圭&森下勝司、企画は松崎容子&石川光久、エグゼクティブプロデューサーは種田義彦、プロデューサーは竹枝義典&本多史典&長南佳志、キャラクターデザイン&メカニックデザイン&プロップデザイン&イメードボード&美術設定&作画監修はイリヤ・クブシノブ、演出は長友孝和、作画監督は浦上貴之&小林直樹&霜山朋久&新井浩一&竹中真吾&伊藤秀樹&山本史、作画監督補佐は竹内由香里&荒木佑太、美術監督は中村隆、色彩設計は楠本麻耶、CG監督は遠藤工、撮影監督は田中宏侍、編集は西山茂、音楽は富貴晴美、テーマソング「THE SHOW」はmilet。
声の出演は松岡茉優、杏、麻生久美子、東山奈央、市村正親、藤原啓治、矢島晶子、緒方賢一、田村睦心、茶風林、前田敏子、玄田哲章、飛田展男、高木渉、乃村健次、小野友樹、横溝菜帆、秋枝一愛、宮崎友海、宮田麻鈴、打田マサシ、美々、くわばらあきら、寺西はる、渡辺優里奈、白石兼斗、奥村翔、神田みか、宮本淳、菊地達弘、日野佑美、塩尻浩規、障子聖奈、菅沼千紗、吉富英治、大井麻利衣、松川裕輝、吉野貴大、美斉津恵、岡野友佑ら。


柏葉幸子の児童小説『地下室からのふしぎな旅』を基にした作品。
監督は『カラフル』『百日紅(さるすべり) 〜Miss HOKUSAI〜』の原恵一。
脚本も同じく『カラフル』『百日紅(さるすべり) 〜Miss HOKUSAI〜』の丸尾みほ。
アカネの声を松岡茉優、チイを杏、ミドリを麻生久美子、ピポを東山奈央、ヒポクラテスを市村正親、ザン・グを藤原啓治、ドロポ矢島晶子、カマドウマを緒方賢一、王子を田村睦心、ポポを茶風林が担当している。

人気イラストレーターのイリヤ・クブシノブが、アニメーション映画のキャラクターデザインを初めて担当している。
それ以外にも彼女は、メカニックデザイン&プロップデザイン&イメードボード&美術設定&作画監修も兼任している。
それぐらい複数の仕事を担当しているぐらいだから、イリヤ・クブシノブの起用が本作品の大きなセールスポイントになっていること間違いないだろう。
しかし残念ながら、それが本作品の分かりやすい欠点に繋がっている。

イリヤ・クブシノブがデザインしたキャラクターは、「年齢不詳」と言って差し支えない見た目になっている。
アカネが登場した時、すぐに小学生だと思える観客がどれぐらいいるだろうか。むしろ、ランドセルを背負っているシーンが描かれて「これで小学生なのかよ」と驚く人の方が多いかもしれない。
ハッキリ言って、高校生と言っても通用するぐらい大人びている。
なので、こちらも年齢不詳のミドリが登場した時に、親子の年齢差があまり感じられないぐらいなのだ。

そりゃあ世の中には大人びた小学生もいるし、6年生だったら次は中学生だから、随分と肉体も成長しているだろう。特に女子は男子より成長が早いからね。
しかし、アニメとして考えた場合、そこは「小学生らしさ」を見た目で表現した方が絶対に得策なはずで。っていうか、意図的に「小学生らしさを強調しないデザイン」にしているとも思えないし。
あと、そこに拍車を掛けて、松岡茉優の声も小学生らしさが皆無で、かなり大人びているんだよね。
クラスメイトを演じる声優がキッチリと「小学生らしい演技」をしているので、余計にアカネの「小学生らしくなさ」(変な日本語だけど)が際立っている。

「別に小学生じゃなくても良くね?」と軽く考える人がいるかもしれないが、それは大間違いだ。アカネが小学生か否かってのは、この話において、ものすごく重要なポイントだ。
ワンダーランドにおける出来事は、いわゆる「大人へ向けての通過儀礼」だ。そしてアカネが体験する通過儀礼は、「小学生向けの通過儀礼」なのだ。
仮に彼女が高校生だとすると、「今さら」の冒険になってしまう。
それに高校生だとしたら、チイは不要だろう。小学生だからこそ、大人の同伴者が隣にしても納得できるのだ。

そもそも、アカネに「絶対に世界を救わなきゃ」と使命感を抱かせるような環境を作り出せていない。
その環境は、同時に「観客が冒険に引き込まれる状況」でもある。つまり、それが整っていないってのは、観客を引き込む力が不足しているってことでもある。
具体的に何が問題なのかというと、「どこが危機に瀕しているのか良く分からない」ってことだ。
アカネが疑問を抱いた時に「どんどん色が失われている」と説明されているけど、「それで何が問題なの?」と言いたくなってしまうのだ。

ピポは「牧草地は枯れ始め、羊たちの毛並みも悪くなり」と話すが、それが明確な形では描かれていない。単純に「色が失われる」というだけなら、それが「世界の危機」と呼べるほどの危機だとは感じられない。
実際にモノクロの世界になったら、きっと暗い気持ちになると思う。でも、そこに危機感を抱かせるような表現が足りていないのよ。「どんどん色が失われている」と説明している時点では、カラフルな光景が広がっているんだし。目の前で色が消えて行く様子が描かれるわけでもないし。
それに「水が不足して人々が困っている」という問題もあるんだから、そっちだけで良くないか。
実際、劇中で「人々が困っている」ってのを描くシーンで言及するのは、水不足のことばかりだし。

タイトルは「バースデー・ワンダーランド」だが、「バースデー」感も「ワンダーランド」感も薄い。
「バースデー」に関しては、アカネが別世界に入ってしまうと完全に忘れてしまう。アカネ本人も、「誕生日が近い」ってことを全く気にしていないし。
「ワンダーランド」に関しては、もちろんアカネたちがいる場所のことだが、センス・オブ・ワンダーが足りない。我々が住んでいる世界と異なることは明確に分かるけど、残念ながら「どこかで見たような」という印象しか受けない。
それでも、映像表現で上手く飾り付ければ引き付ける力も生まれただろうけど、そういう部分への意識は乏しいんだよね。

「アカネが小学生ならチイが同伴していても納得できる」と前述したが、困ったことにチイの存在意義は皆無に等しい。
世界を救う任務を課せられたのはアカネなのだから、本来なら彼女だけで充分なのだ。
にも関わらずチイを同行させるからには、彼女をメンターのようなポジションで使うのかと思っていた。しかし実際のところ、チイは単なる同行者に過ぎないのだ。
彼女は能天気に異世界を楽しんでいるだけであり、アカネには何の影響も与えていない。彼女がいなかったとしても、話の展開には何の支障も生じないのだ。

八もしも「アカネはワンダーランドに驚いたり拒否反応を示したりするが、チイは簡単に受け入れて馴染む」という対比のためにチイを配置しているのだとすると、「そんなキャラは不要」と断言できる。
この手の作品では、ヒロインが異世界に驚こうが順応しようが、どっちであろうと構わない。
対比のためのキャラなんていなくても成立する。
驚けばファンタジー、順応すればメルヘンとして、こっちは何の問題も無く受け入れることが出来るのだ。

チイが役立たずであるならば、ヒポクラテスはアカネのメンターとして仕事をしてくれるのかと思いきや、こっちも同じぐらい役立たずだ。
彼は最高位の大錬金術師のはずなのに、その実力を発揮することは無い。
羊の群れを集めるシーンがあるし、何の能力も見せていないわけではない。しかし、ザン・グの野望を阻止しようとした時、失敗ばかり繰り返していたドロポの魔法で簡単に姿を変えられてしまう。
どこが最高位の大錬金術師だよ。ギャグとして描いているつもりかもしれないが、だとしたら完全に場違いでしかないぞ。

「王子が病気で臥せっているせいで水が枯れ始めた」と聞いたチイは、「錬金術師なんだから治せないのか」とヒポクラテスに告げる。するとピポが、「城には魔法使いのカマドウマがいて守っているので近付けない」と話す。
物理的に手が出せないのかと思ったら、ただの縄張り争いだ。
だけど世界の危機なんだから、縄張りが云々とか言っている場合じゃないでしょ。縄張りに手を出した問題については後で何とかするとして、当面の問題を解決するために動くべきでしょ。
「ヒポクラテスはカマドウマの縄張りに手が出せないからアカネの力が必要」ってのは、すんなりと受け入れられる説明じゃないぞ。
ヒポクラテスは「恐らく王子の病気は私やカマドウマでも治せない。緑の風の女神でなければダメなのだ」と言うけど、「アカネじゃないとダメ」という主張には何の根拠も無いし。
とりあえず自分で動いてみて、それでもダメな時に次の手を考えろよ。後半には何の躊躇も無く城へ行っているんだし。

「アカネがワンダーランドを救うための冒険」が描かれるべきだろうに、なかなか「冒険」にならないのも大きなマイナスだ。
アカネがワンダーランドに移動した後、まずザン・グとの出会いがある。ここで時間を取るのは構わない。ただ、そこから「ケイトウ村に泊まって事情説明を聞いて」というトコで尺を割き、翌朝までは全く動かない。
「サカサトンガリ市へ行く」という目的が生じ、ようやくアカネが旅に出る展開になるのだが、この時点で既に映画開始から45分ほど経過している。
そもそもアカネは世界を救うために呼ばれているので、「サカサトンガリ市へ行く」という目的で動いている時点で寄り道になっているとしか思えない。
実際は「城へ行くついでに立ち寄る」ってことで、ヒポクラテスがアカネを同行させるのは城へ向かうからなのだが、村を出発する直前に「セーターを届ける」という仕事を引き受けているため、そこが分かりにくくなっている。アカネは王子を救うために城へ行くことは嫌がっているからね。

村を出発した一行は砂嵐に襲われるものの、大きなピンチというわけではなく、あっさりと片付けられる。
そのためだけに1日が経過しているが、わざわざ夜のシーンを入れている意味は全く無い。それどころか、砂嵐さえ無意味と言ってもいい。そんなのをカットしてしまい、さっさと雪の町に到着すればいい。
もっと言っちゃうと、雪の町に立ち寄る手順さえ要らない。
そこでは「ヒポクラテスがザン・グたちと遭遇して」という展開があるが、それをサカサトンガリ市で描けばいいでしょ。

城へ向かう途中で、アカネたちは吊り橋を渡ったり水中に入ったりする。だけど、そのシーンは物語を盛り上げる機能を持っておらず、淡々と通り過ぎて行く。
しかも、城へ行くはずだったのに、目的地がサカサトンガリ市の井戸へ変更される。だったら最初から、井戸を目指している旅でいいだろ。そこで儀式があることは最初から決まっているんだし。
で、そのサカサトンガリ市に入ろうとしたら番所で裁判が始まるんだけど、邪魔だわあ。変なトコで道草を食っているようにしか思えないわ。
もう物語も佳境に突入しているはずなんだけど、ちっともテンポが上がらないんだよね、この映画。

後半に入ってから「しずく切りの儀式があって、王子が絶対に必要で」ってなことが、何度か語られる。
でも、しずく切りの儀式ってのが何なのかは教えてくれない。
その儀式によって何が起きるのか、失敗すると何が問題なのか、そういうことも教えてくれない。
「どうやら儀式は重要らしい」ってことがボンヤリとしか分からない状態が終盤まで続くので、「ザン・グが井戸を破壊しようと目論み、アカネたちが儀式のために阻止しようとする」という図式に乗れないのだ。

前述した「テンポが上がらない」ってことよりも、さらに厄介な問題がある。それは、「なかなかアカネが成長してくれない」ってことだ。
アカネは旅の道中、ずっと「巻き込まれている」という立場を崩さない。自主的に行動することは皆無に等しくて、せいぜいセーターをテントに届けるぐらいだ。
言うまでもないだろうが、セーターを届けたぐらいで成長できることなんて何も無い。「はじめてのお使い」じゃないんだからね。
アカネがピポから「私が奴らの気を逸らすので、大砲の弾を盗んでください」と言われてヨロイネズミに忍び込み、ようやく少しだけ勇気が見える。
でも、そこまでに成長のための手順が何も無かったので、唐突に感じる。

儀式の前日、カマドウマが能天気に目を覚まし、鉄人形が王子ではないことを公爵たちに教える。
その後、「王子がドロポに元の姿に戻すよう要求し、落ちこぼれのドロポが失敗してザン・グの姿になった」ってことが明らかにされる。
で、アカネは「しずく切りが怖くて王子は井戸を破壊しようとした」と見抜き、「しずく切りを手伝う」と持ち掛ける。
だけど、これまた上手く流れを作れておらず、「アカネが急に仕事をしている」としか思えない。

アカネは王子に協力を申し出た時、「ここに来るまで色々な村や町を通って来たけれど、なんて綺麗なんだろうってビックリした。なんて色の綺麗の世界なんだろうって。私たちの世界は科学が進歩して、とっても便利だけど、とっても不便なの。ケイトウの花の色にワクワクしたり、夜空の星にときめいたり、そんな生活、みんな忘れちゃってる」などと語る。
だけどアカネって、ケイトウの花の色にワクワクしたり、夜空の星にときめいたりしていなかったでしょ。「なんて色の綺麗の世界なんだろうって」なんてビックリしていなかったでしょ。そう感じていたのはチイだけであり、アカネは「早く帰りたい」ってことぐらいしか思っていなかったでしょ。
それに、アカネは「私たちの世界は科学が進歩して云々」と語るけど、ワンダーランドへ来る前に「自分たちの世界は色々と不便」なんて全く思っていなかったはず。
伏線らしき物が全く無かったので、唐突にメッセージを発信しようとして上滑りしているようにしか感じない。雪の町でアカネと老人が両方の世界の違いについて話すシーンはあったけど、伏線とは言い難いし、そのシーン自体が取って付けた印象しか無かったし。

王子は元の姿に戻り、儀式に挑む。しかし何も起きず、失敗を悟った彼は、しきたりとして井戸に身を投げることを決意する。アカネは止めようとして、一緒に井戸へ落下してしまう。
すると井戸の中にはカマドウマがいて、王子に「雨王としての立派な覚悟を見たよ」と言い、彼とアカネを元の場所に戻して井戸から水を放出させる。
だけど、それってカマドウマが王子を騙していることになるわけで、酷い奴だとしか思えないぞ。
結局、「カマドウマがいれば全て解決」ってことになっちゃってるし。

(観賞日:2020年12月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会