『バイロケーション』:2014、日本

桐村忍はプロの画家を目指しているが、思うような作品が描けずに苛立っていた。今回が最後と決めている彼女は、何とか集中して絵を描こうとする。そんな中、下の5階に引っ越してきた高村勝が挨拶にやって来た。しばらくして忍は勝と結婚し、5階の部屋で暮らし始めた。しかし忍は絵を諦めておらず、結婚前に住んでいた6階の部屋をアトリエとして使っている。高村の両親は結婚に反対しており、一向に会おうとしてくれない。
ある日、帰宅した勝は、忍に似てる人を見掛けたと話す。だが、忍は彼が目撃した場所へは行っていなかった。翌日、忍は立ち寄ったスーパーで店員に捕まり、「10分前にアンタが出した札と番号が同じ。これって偽札だよね」と指摘される。忍は全く身に覚えが無かったが、防犯カメラの映像には10分前に店で買い物をする自分が写っていた。そこへ山梨県警の加納という刑事が現れ、忍を外へ連れ出した。彼は「あれがアンタじゃないのは分かってる」と言い、片方の紙幣が消滅するのを見せた。
「これと同じ、偽者なんだ、あいつは」と加納は告げ、忍を車に乗せた。彼は「俺はアンタを捜してた」と言い、ある屋敷へ連れて行く。執事の榊によって奥の部屋へ案内された忍は御手洗巧、門倉真由美、そして屋敷の主人である飯塚誠と会った。飯塚は忍に、「ここはバイロケーションを持つ者たちの集まりだ」と言う。バイロケーションとは自分の近くに発生する「もう1人の自分」であり、いわゆるドッペルゲンガーとは異なり肉体を持って行動する。ただし偽者なので、しばらくすると姿は消滅する。
バイロケーションはオリジナルと記憶がシンクロしており、オリジナルが体験したことを上書きする。第三者には全く見分けが付かず、バイロケーション側が体験したことはオリジナルに共有されない。そこに集まった面々は、全員がバイロケーションの被害に苦しんでいた。会を仕切る飯塚は、以前から忍をマークしていたことを明かす。「もう1人の自分なんて見たことが無いし」と忍は仲間になることを拒否し、その場を去ろうとする。しかし廊下に出た彼女の前に、自分のバイロケーションが出現した。
すぐにバイロケーションは消えたが、忍は腰を抜かした。飯塚は忍に、「私を信じろ。私は救いたい、ただそれだけだ」と告げた。忍は真由美に車で送ってもらい、彼女の事情を聞かされる。そこへ真由美のバイロケーションが現れ、車のドアを叩いて「私の息子を返して」と喚いた。真由美は車を走らせてバイロケーションを置き去りにすると、「気を付けて。あいつらは貴方の大事な物を奪いにやって来る」と忍に警告した。すぐに忍は、勝のことを思い浮かべた。
次の日、忍がアトリエにいると加納が来て、「渡したい物がある。アンタの身を守るためだ」と告げた。加納は忍を喫茶店へ連れ出し、携帯鏡を渡して「あいつらは鏡に姿を映せない」と説明した。彼は自分の姿を鏡に映し、「アンタも俺たちに会う時は、必ず確認しろ」と指示した。加納と別れた直後、忍は彼のバイロケに襲われて暴行を受ける。バイロケが拳銃を発砲しようとした時、本物の加納が現れてタックルを食らわせた。バイロケは不敵な笑みを浮かべ、煙となって姿を消した。
帰宅した忍は顔の怪我について、勝には「転んだだけ」と嘘をついた。勝は彼女に、また前と同じ道で似た人を見掛けたことを話した。忍は飯塚の屋敷を訪れ、自分も参加させてほしいと申し入れた。飯塚は彼女に、「会に出席する際は榊の大鏡のチェックを受ける」「飯塚と会う時はメンバー全員の名前を読み上げる」というルールを教えた。その日の会合には、加賀美榮という青年が新たに加わっていた。飯塚は忍に、加納が怪我でしばらく来られないことを話した。
飯塚は忍に、加納のバイロケが特別に凶暴であること、バイロケは人間が相反する感情で引き裂かれた時に発生することを語る。加納は理不尽な上司に耐え続けてきたため、強い憎悪の感情が凶暴なバイロケを生み出したのだ。バイロケが消える時間は不規則だが、バイロケによって現れた副産物、例えば手にしていた物は約24分で消えると決まっている。また、バイロケはオリジナルの近くでしか存在できない。こちらも存在できる距離が約1キロ半と決まっている。
加賀美は会の最古参メンバーで、ずっとバイロケの研究を続けてきた男だった。消える時間や存在できる距離について突き止めたのは彼だった。例えバイロケから離れても、また近くに発生するので無駄だと彼は説明した。会合を終えた忍が帰路に就いていると、加賀美は「飯塚さんがアンタに付いてろって」と言い、後ろを付いて来た。彼は「偽者も自分でしょ。時間を半分に分け合えばいいだけなんじゃないの。アンタが死んでも偽者は残るかもしれない。だとしたら偽者が本物になる。だから僕は、どっちでもいいと思うんだ。両者に違いなんか無い」と語り、苛立った忍は「自分の人生を乗っ取られるなんて、絶対に嫌」と反発した。
忍が勝を見つけて一緒に帰る様子を見送った加賀美は電話を掛け、「面倒なことになってますよ」と告げた。夜、テレビを付けた忍は、加納が民間人に発砲してビルに立て籠もっている生中継の映像を目にした。飯塚に電話を掛けた忍は集合するよう指示され、彼の屋敷へ赴いた。そこにはオリジナルの加納が来ており、「あいつ、どんどん暴走してる」と漏らした。飯塚は忍たちに、「バイロケを殺す」と告げた。ビルのバイロケが消えると、加納は「次のバイロケが出現するぞ、俺の近くに」と口にした。
飯塚は「場所は用意する」と述べ、忍たちを連れて屋敷を出た。一行は廃墟に到着し、加納のバイロケが出現するまで待機する。忍が御手洗の話を聞いていると、そこに加納のバイロケが現れた。忍がスタンガンで攻撃すると、加納のバイロケは逃げ出した。2人の加納が揉み合いになり、片方がもう1人を取り押さえて「撃て」と要求した。拳銃を手にした御手洗が戸惑っていると、飯塚が来て「撃て」と指示した。御手洗は発砲するが、殺したのは本物の加納だった。
加納のバイロケは「俺を殺しても無駄だ。復讐しに来るぞ、お前らのバイロケが。お前らは全員やられる。戦いだ」と告げて消えた。動揺する御手洗や真由美に、飯塚は「普段通りに行動しろ。奴らが出現したら必ず私に知らせろ」と告げた。帰宅した忍は荷物をまとめ、勝に「出て行く。急に絵が描きたくなった。コンクールまで会いに来ないで」と言ってアトリエに移動した。御手洗は自分のバイロケに襲われ、慌てて逃げ出した。彼は飯塚に電話するが、「何もするな。手を出すな」と指示された。しかし御手洗はバイロケに襲われたために反撃し、窓から突き落とした。
忍は部屋に戻る際、自分のバイロケが後ろから迫っているのを感じた。慌てて部屋に入った彼女が飯塚に電話すると、「何もするな。すぐに扉から離れろ」と指示される。バイロケの気配が消えた後、忍が「いつまで逃げなくちゃいけないの」と言うと、飯塚は「私を信じろ。貴方のことは、必ず私が守っている」と述べた。真由美が息子・進の入院している病室にいると、バイロケが歩いて来るのが見えた。彼女は進を連れて逃げ出そうとするが、「偽者」と睨まれる。進の持っている鏡に、彼女は映っていなかったのだ。真弓は自分がバイロケだと悟り、ショックを受ける…。

監督・脚本は安里麻里、原作は法条遥 『バイロケーション』(角川ホラー文庫刊)、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎、製作は山下直久&水口昌彦&木村憲一郎&山本浩&香月純一&植木英則、企画は安田猛、プロデューサーは小林剛&清水俊&澤岳司&稲葉尚人、撮影は月永雄太、照明は木村匡博、録音は柳屋文彦、美術は露木恵美子&黒川通利、編集は村上雅樹、VFXプロデューサーは井筒亮太、CGディレクターは守屋雄介、音楽は堤博明、音楽プロデューサーは和田亨。
主題歌は黒夢 『ゲルニカ』 作詞/作曲:清春、編曲:三代堅&黒夢。
出演は水川あさみ、千賀健永(Kis-My-Ft2)、高田翔(ジャニーズJr.)、豊原功補、酒井若菜、浅利陽介、滝藤賢一、マイコ、久保酎吉、山田日向、宮澤秀羽、内田尋子、緒川尊、Velo武田、ジェーニャ☆、アイコルツ マリナ、柴田みゆき、有戸麻、市山英貴、難波一宏、麻生真桜、新野卓、原陽子、山口有紀、岡田謙、村田一朗、斉藤康史、松井茜、Lucia Kovaleva、Alisa Zavorotnyuk、Maxim Matsumoto、Keivan Boutov他。


第17回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した法条遙の小説を基にした作品。
監督&脚本は『呪怨 黒い少女』『ゴメンナサイ』の安里麻里。
忍を水川あさみ、御手洗を千賀健永(Kis-My-Ft2)、加賀美を高田翔(ジャニーズJr.)、飯塚を豊原功補、真由美を酒井若菜、勝を浅利陽介、加納を滝藤賢一、飯塚の妻・小百合をマイコ、榊を久保酎吉が演じている。
先に『バイロケーション 表』が公開され、その約2週間後に結末の異なる『バイロケーション 裏』が公開された。

冒頭、外国人女性が教会らしき場所で朗読していると、拝聴していた少女がハッとする。女性と隣に瓜二つの人物が出現し、互いに驚く様子が描かれる。
こんなシーンから始めている意味が、まるで感じられない。
そこに登場した外国人が後の展開に絡んで来るのであれば、もちろん何の問題も無い。しかし、それは単に「バイロケーション」の現象を描くためのシーンでしかない。
だったら、そんなのは不要だ。外国人か否かという問題ではなく、そもそも最初にバイロケーション現象を見せる必要さえ無い。
その映像は飯塚がバイロケーションについて解説する時に使われるが、特に必要性があるとも思えない。

細かいことかもしれないが、忍と勝が出会うシーンの描写は引っ掛かる。
まずインターホンが鳴らされた後、忍が鏡を眺め、顔の汚れを随分と気にしていることに引っ掛かる。彼女は「今回が最後」と決めて絵に打ち込んでいるはずなのに、そんなに身なりが気になるものなのかと。
もう1つ引っ掛かるのは、勝が何度もしつこくインターホンを押していること。
普通、何度か押して応答が無ければ、留守だと感じて諦めるだろう。ところが勝は最初に3回鳴らし、少し間を置いて2回、さらに少し間を置いて3回、合計8回も鳴らすのだ。
それは、もはや嫌がらせかストーカーの類だぞ。

最初に感じたのは、「これってホラーじゃないよね」ってことだ。ホラーにしては、ちっとも怖くないのだ。そもそもホラーじゃなくて、ミステリーやサスペンスの類になるんじゃないかと感じる仕上がりなのだ。
原作は未読だが、前述したように日本ホラー小説大賞長編賞を受賞しているぐらいだから、ホラーとして質の高い仕上がりになっているはずだ。ってことは映画化する際、ホラーのテイストを薄めたと捉えるべきなんだろう。
しかし原作の訴求力を期待するのであれば、ホラーとしての方向性を打ち出さないのは間違いだろう。ってことは、ホラーとして作ったつもりなのに怖くないってことなのか。そうなると、もっと問題は大きいけど。
まあ、どっちにしても、まるで怖くないってのは大きな欠点になっている。

次に感じたのは、「これって辻褄は合ってるのか」ってことだ。
ミステリーに感じると前述したのは、その手のトリックが用意されていて、色々と伏線が張り巡らされ、それを回収する作業があるからだ。
で、トリックが明かされた時に、「でも、それが真実だとすると、辻褄が合ってなくね?」と感じる箇所が色々と出て来るのだ。
それは冒頭シーンから始まっている。
忍のバイロケは勝がインターホンを押した直後に出現しているのだが、つまりオリジナルの忍が同じ室内にいるのだ。玄関はすぐ近くにあるわけだから、そこで勝と喋るバイロケに気付かないのは無理があるだろ。

「バイロケーションはオリジナルと記憶がシンクロしており、オリジナルが体験したことを上書きする」という説明がある。
ってことは、バイロケはオリジナルの記憶を持ちつつ、その上に自身の体験を上書きするってことだよね。
だったら、オリジナルの忍は1度も勝の部屋に行っていないわけだから、バイロケの忍は「自分がずっとアトリエにいた」という記憶になるはずで、変に思うんじゃないかと。未婚のオリジナルと結婚しているバイロケだと生活形態は全く異なるはずで、バイロケは強い違和感を覚えるんじゃないかと。
それと、バイロケって何度も消えているははずだから、その記憶はツギハギだらけになるはずだけど、それを気にする気配は皆無なんだよな。

スーパーで捕まって加納が飯塚の屋敷へ連れて行くのは、バイロケを目撃しているからオリジナルの忍だ。しかし真由美に送ってもらう忍は勝のことを思い浮かべているから、バイロケの方だ。
だけど、それは辻褄が合わないでしょ。だって、車内の忍は自分のバイロケを見たショックで怯えているんだから。
この映画、シーンによってオリジナルだったりバイロケだったりして、それがトリックになっているんだけど、ハッキリ言って卑怯な手口にしか見えないのよね。
終盤に種明かしがあった時に、「見事なトリックに騙された」という爽快感は皆無なのよ。むしろ、「どこがオリジナルで、どこがバイロケだったのか」ってのが良く分からず、すんげえモヤモヤするのよ。

ちょっと例を挙げると、冒頭はオリジナルで、結婚したのはバイロケ。スーパーで捕まるのはオリジナルで、真由美に送ってもらうのはバイロケ。
加納から鏡を渡されるのはオリジナルで、傷だらけで帰宅するのはバイロケ(オリジナルが怪我を負うとバイロケも負傷する設定なのだ)。
飯塚の屋敷を訪れ、会に参加させてほしいと頼むのはバイロケ。アトリエに逃げ込んで飯塚に電話するのはオリジナル。
一応、「煙草を吸うのはオリジナルだけ」とか、「バイロケは基本的に髪を下ろしている」とか、「赤いカーテンはオリジナルの部屋で、緑のカーテンはバイロケの部屋」とか、区別するためのポイントは幾つか用意されている。
ただ、それは後から分かることだし、種明かしの段階に入ってから一気に「あの時の忍はオリジナル、あれはバイロケ」と全て教えてくれるわけではないんだよね。

それと、加納や御手洗のバイロケはオリジナルの存在を認識しているのに、忍と真由美のバイロケは認識しておらず、自分がバイロケだと気付いていないってのは、都合が良すぎるだろ。
大体さ、加納や御手洗のバイロケが「自分はバイロケ」と認識しているなら、飯塚の主催するバイロケ側の会は成立しないだろ。それは自分がオリジナルだと思い込んでいるから成立するはずの回でしょ。
御手洗のバイロケなんて、会に出席するのなら、他のバイロケに「お前もバイロケだぞ」と言いそうなもんだけど、それは言わないのね。
その辺りも、都合がいいなあと思ってしまう。

終盤に入ると、バイロケ忍の描いた絵がコンクールで入選し、オリジナルの描いた絵は落選する。
だけどオリジナルもバイロケも、どちらも6階のアトリエで絵を描いているのよ。しかもバイロケ忍はアトリエに籠もって絵を描いているので、絶対にオリジナルは彼女を目撃するはずなのよ。
なんで目撃していないのか、ワケが分からない。
「たまたまバイロケが絵を描いている日は朝から晩までアトリエにいなかった」とか、そんな都合のいいことは有り得ないでしょ。

「第三者にはオリジナルとバイロケの見分けが付かない。鏡で確認しないと分からない」という設定なのに、最初に忍が自分のバイロケを見る時も、加納のバイロケを見る時も、眼球が普通じゃない状態だ。
なので、「いや見分けなんて簡単に付くだろ」と言いたくなってしまう。
実際、忍は加納のバイロケを見た時、瞬時に「こいつはバイロケに違いない」と確信している。
ひょっとすると観客を怖がらせるために「見た目が異様になる」という演出を持ち込んだのかもしれないけど、設定と合わなくなっちゃうでしょ。

そもそも「まるで見分けが付かない」ってトコに恐怖があるはずなのに、それを台無しにしてどうすんのかと。
加納のバイロケを目撃するシーンなんかにしても、「忍も最初はバイロケだと気付かない」ってことにしちゃった方が、むしろ恐怖演出として面白いんじゃないかと思うんだよね。
最初はバイロケが「加納が戻って来て話し掛けた」と装い、忍も本物だと思い込むが、たまたまショーウィンドーか何かに映っていないのを目撃し、バイロケだと気付く、という手順にした方がさ。

廃墟で加納のバイロケが出現した時も、やはり目がグリンとなってるから、すぐに忍たちは偽者だと気付くんだよね。
バイロケの方も、オリジナルに見せ掛けようという意識は皆無だし。
でも、せっかくオリジナルと瓜二つなのに「自分はバイロケです」ってのをバレバレにして出現するってのは、「忍たちを殺そうとしている」という目的からすると、ちょっとバカすぎるんじゃないかと。もっと狡猾に行動しろよ。
そもそも、そんな風にバイロケが「ワシはバイロケ」とバレバレで登場してばかりだと、「鏡に映らない。だから鏡で確認する」という設定も全く無意味になっちゃうでしょ。

あと、「バイロケはオリジナルよりも肉体が強靭で格闘能力に優れている」とか、そんな設定なんて無かったはずでしょ。
なぜ加納のバイロケは鉄バイブで殴られても、全くダメージを受けないのか。
それとさ、バイロケの加納はオリジナルの加納を取り押さえて忍たちに「撃て」と要求するんだけど、それは引っ掛かるわ。
その時だけ加納のバイロケが本物を偽るのは、都合が良すぎるだろ。だったら逆に、なぜ今までは偽らなかったんだよ。

あと、オリジナルの傷はバイロケに移るはずなのに、なんでオリジナル加納が殺されてもバイロケは無傷なんだよ。
それどころか、消えた直後に復活し、余裕で喋っているし。
整合性が取れてないだろ。
他にも、「忍がバイロケ加納をスタンガンで攻撃したのにオリジナルは全くダメージを受けない」とか、「バイロケの真由美がオリジナルを何度も突き刺しているのに本人は全くダメージを受けない」とか、そこの設定は色々とボロが出まくっているぞ。

「バイロケによって現れた副産物は約24分で消えると決まっている」という設定が語られるけど、このルールは忍の紙幣が消える時以外は全く利用されていない。
ぶっちゃけ、まるで無意味な設定だ。
また、「バイロケが存在できる距離はオリジナルから約1キロ半」という設定も語られるが、それなのに勝を守ろうとした忍は上の階へ移動するだけ。本気で勝を守りたいなら、彼から1キロ半を超える距離に移動すべきじゃないのか。
もちろん、その忍はバイロケなので実際には不可能だが、でも「勝から離れよう」という行動を起こす意識は持って当然じゃないのか。

加納はバイロケが発砲&立て籠もり事件を起こした時、飯塚の屋敷に逃げ込んでいる。
しかし、むしろ一刻も早く出て行って「自分はここにいる。あれは偽者」と訴えた方がいいんじゃないかと思ってしまう。
「一瞬にして誰にも気付かれずにビルから脱出し、別の場所に出現した」なんてことは、普通なら信じられないはずで。
バイロケ現象については信じてもらえないにしても、事件を起こしたのが瓜二つの別人であることの立証にはなるんじゃないんかと思うんだよな。

オリジナルの加納は廃墟で加賀美を見た時、「お前は、誰?」と言う。最古参メンバーなので加納は会ったことがあるはずだが、終盤に入って「飯塚はオリジナルとバイロケの区別に加賀美を利用しており、加賀美を知っているのはバイロケ」という設定が明らかになる。
で、それが明らかになった時に、「加賀美が加納に襲い掛かったのは変だろ」と言いたくなる。
だって、自分を知らないってことは、そいつはオリジナルなんだからさ。飯塚が鏡を使って本物かどうかを確かめず、いきなり御手洗に発砲させるのも不可解だし。
後半、「最初から飯塚と加賀美はオリジナルの加納を殺すつもりだった。理由は危険だから。バイロケと争うべきではないと飯塚は考えていた」ということが明らかになるけど、それはそれで「なんでバイロケ側なのか」ってのが引っ掛かる。
「バイロケと争うべきではない」と飯塚は言うけど、でもバイロケが襲って来ているわけで。それなのに「何もするな」「争うな」と言われても、そりゃ無理だろ。

そもそも、飯塚が何をしたいのかサッパリ分からないのよね。「本物とバイロケを共存させたい」と言っておきながら別々の会を作っているし、オリジナルとバイロケの対立が激化するのを放置しているんだな。
むしろ、飯塚の無責任とも言える指示が、その対立を煽っていると言ってもいいぐらいだ。
ぶっちゃけ、ただバイロケ側の味方をしているだけなんじゃねうのかと思ってしまうぞ。
で、ホントに彼がバイロケ側の見方をしているだけなら、そういうことを明かすべきだけど、そこは分からないままだしさ。

飯塚が小百合のバイロケと結婚し、それを見た本物の小百合がショックで自殺したってのが終盤に入って明かされるけど、それは設定に無理があるだろ。
飯塚は自分の家が出資したサナトリウムで小百合と出会って結婚しているけど、それなら「本物の小百合は病室から一歩も外に出ていない」と知っているはず。
それにバイロケって永遠に存在するわけじゃなくて、時間が来ると消えるんでしょ。しかも、本物の近くにしか出現できないんでしょ。
だったら、バレずに結婚生活を送るのは無理があるぞ。

つまり忍の設定に関しても、やはり無理があるってことになる。
完全ネタバレだが、実は忍もオリジナルじゃなくてバイロケだ。
それなら勝と一緒にいる最中、急に消失しちゃう可能性だって充分に考えられるでしょ。「勝といる時は絶対に消えない」とか、そんな都合のいいことは有り得ないはずで。
それと、途中でバイロケ忍はアトリエへ移動して暮らし始めるけど、そこにはオリジナルの忍が住み続けているはずでしょ。なんで全く遭遇しないんだよ。それは無理があるだろ。

ただし問題は、もっと根深いトコロにある。
「辻褄が合っているかどうかはともかく、種を明かされた時の衝撃は充分だし、ミステリーとして面白かった」と感じさせてくれたのであれば、ホントに辻褄が合っているか、正しい形で伏線が回収されているか、あの時のアレはどういう意味だったのか、そういった疑問を解消するために、また観賞しようという気持ちになるだろう。
しかし本作品は、辻褄が云々という以前に面白さが不足しているため、「確認作業としてもう一度見たい」という気持ちを抱かせてくれないのである。
それよりも「時間が無駄に掛かるし、すんげえ面倒だし」という気持ちが、圧倒的に勝ってしまうのである。

しかし本作品で最も問題視すべきは、その興行形態だろう。
前述したように、この映画は「表」と「裏」の2パターンが用意された。
何が違うのかというと、「ほとんど変わらない」ってのが答えである。「裏」でも「表」と同じ話が延々と続く。別角度や反対方向からのアングルを使うわけでもなく、映像も全く同じだ。
そして裏の場合、映画も終わりに近付いた頃、申し訳程度に違うシーンが2分ほど追加される。
完全ネタバレだが、オリジナルはバイロケの提案を拒否して6階から投身自殺する。表では、それに伴ってバイロケ忍が消える。しかし裏だと「妊娠していた」ってのが理由で消えずに済む。
その1点以外、2つのバージョンは何も変わらないのだ。

バイロケ忍には、加賀美から「大事なのは絵か勝か」と質問されるシーンがある。また、バイロケ忍がオリジナルに「画家としての人生をあげるから、勝と結婚して」と提案するシーンがある。
つまり、「表とは異なる答えを選べば、別の人生が訪れる」という岐路が2つも用意されている。
しかし、そこは全く分岐点として使われず、同じ道筋を辿るのだ。
そして前述したように、約2分だけ追加シーンが用意される。

つまり、表バージョンを見た後で「裏はどれぐらい違う内容なのか」と期待して映画館に足を運んだ人は、その2分だけのために1本分の映画料金を支払う羽目になったわけだ。
そういうのって、短期的には金儲けに繋がる考え方かもしれないけど、長期的に考えると映画界にとってはマイナスでしかないと思うよ。
映画人として、ホントに卑劣だと思うよ。
ただし不幸中の幸いで、そもそも表がそんなにヒットしなかったので、大きな違いを期待して裏を見に出掛け、騙されて搾取された人も少なかったわけだが。

(観賞日:2015年10月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会