『BECK』:2010、日本

内気な高校生の田中幸雄、通称コユキは、変わり映えのしない日々を送っていた。学校では軽音楽部の兵頭や北沢たちにパシリをやらされ 、女子生徒たちからもバカにされていた。コユキは自分のことを、つまらない日常を過ごす、つまらない男だと感じていた。その日の 下校時、コユキは外国人3人にハシゴに乗せられているブサイクな犬を助けようとして、いきなり殴られた。そこに犬の飼い主・竜介が 現れ、流暢な英語で3人を罵ると、いきなり拳銃を構えた。ただのオモチャだったので竜介も殴られたが、それがきっかけでコユキは彼と 知り合った。飼い犬の名前はベックだった。
ギターケースを抱えて走り去る竜介をコユキが追い掛けると、そこはライブハウスだった。竜介は、出演バンド「シリアル・ママ」の ギタリストだったのだ。初めてのライブ体験で、コユキはロック・サウンドに圧倒される。会場にレコード会社のスウカトも来る中、竜介 は穴の開いたギターで超絶的なテクニックを披露する。だが、それは明らかに英二のギターと反発し合うものだった。竜介は、その日の ライブでバンドを抜けることを決めた。
ライブの後、コユキは預かっていたベックを返しに行く。竜介は住み込みでバイトをしている釣り堀にコユキを連れて行く。彼の部屋には 大量のCDが置いてあった。そこへ、釣り堀の常連客・斉藤がやって来た。「グレイトフル・サウンド2008」のポスターをコユキが見て いると、斉藤が日本最大のロックフェスティバルだと教えた。竜介は、今日のライブでカバーしていた『FLATLINERS』を掛ける。 オリジナルの演奏者は、アメリカのThe Dying Breed、日本では「ダイブリと」略されるアメリカのバンドだった。
竜介はコユキに、ダイブリのギタリストであるエディが親友だと告げ、音に合わせてギターを弾き始める。竜介が使っている穴開きギター 「ルシール」は、エディから預かった物だった。竜介が大音量で演奏していると少女が入って来てCDの音を止め、流暢な英語で文句を 言う。彼女は竜介の父親違いの妹・真帆で、しょっちゅう釣り堀ハウスに泊まっているらしい。竜介が「何かお礼をさせてくれ」と言う ので、コユキは「ギターを教えてください」と頼んだ。すると竜介は自分のギターを1本プレゼントし、「教えてほしかったら、いつでも 来いよ」とコユキに告げた。
翌日、またメロンパンのパシリを命じられたコユキは、放送室に入って扉を鍵を閉め、ダイブリの『FLATLINERS』を大音量で流した。彼が 校庭に出ると、1年2組に転校してきたサクが「ダイブリのFLATLINERS。すごい渋い選曲だったよ」と声を掛けて来た。コユキは兵頭たち の視線に気付き、「あんまり俺と話さない方がいいよ」と告げる。コユキは屋上へ行き、ギターの練習を始めた。それを見た兵頭軍団が 苛めに行こうとすると、サクが現れて「学校を住みにくくしている張本人だね」と告げた。サクは彼らとケンカをして、殴られながらも 追い払った。彼はダイブリのドイツでのライブ音源をコユキに渡した。
竜介はベーシストの平を呼び、「一緒にバンドやらない?」と持ち掛けた。すると平は英二からも誘われていることを言い、「組みたきゃ 、すげえボーカル連れて来い」と告げる。ラッパーの千葉はフリースタイルバトルに出場し、優勝を勝ち取った。だが、彼は自分の居場所 がそこではないと感じていた。竜介は顔見知りの千葉に声を掛け、コユキや真帆と共にシリアル・ママのライブ会場へ赴いた。彼は勝手に ステージへ上がり、平とのジャム・セッションを始めた。
ライブ終了後、竜介は「用があるから」と会場にとどまり、コユキと真帆を先に帰らせた。真帆の仲間である俳優・ヨシトたちとの集まり に連れて行かれたコユキは、英語の飛び交う中、疎外感で一杯になった。しかし先に帰ろうとすると、真帆は追い掛けて来た。竜介から女 を紹介すると言われていた千葉は、バンド結成のためにライブハウスへ連れて来たと知る。騙されて怒った千葉だが、竜介と平がステージ で『EVOLUTION』の演奏を始めると、そこにラップで加わった。
コユキは真帆と共に、釣り堀まで歩いた。真帆がダイブリの『NAKED』を歌い出したので、コユキもそれに合わせて歌い出す。その歌声に、 真帆はハッとした。翌日、屋上でコユキはギターを弾き、サクはマラカスを振る。そこへ兵頭軍団が現れ、北沢がギターを奪って演奏した 上手くないので思わずコユキが笑うと、兵頭はギターを叩き割った。コユキは悲鳴を上げ、サクが殴り掛かる。北沢はサクを担ぎ上げ、 軽々と投げ飛ばした。
竜介たちはバンド名を考え、千葉の思い付きで暫定的に「BECK」と決まった。そこへコユキがサクに付き添われ、壊されたギターを持って 現れた。コユキは頭を下げて謝罪するが、竜介は激怒して追い払った。斉藤と遭遇したコユキは、事情を話した。すると斉藤は「2ヶ月も あれば直るよ。修理代も立て替えてあげよう」と言い、その代わりとして自分が営む斉藤紙業の手伝いを要求した。時給五百円での過酷な 労働に、コユキはヘトヘトになる。しかし斉藤は、コユキにギターの弾き方を教えてくれた。
BECKはサポートメンバーのドラマーを引き連れ、初ライブを開催した。一方、斉藤に預けていたギターが、修理されてコユキの元に戻って 来た。コユキとサクは真帆に引っ張られ、BECKの練習スタジオへ出向いた。ちょうどドラマーが竜介と対立してバンドを抜けたところ だった。竜介は「テメエのお遊びに付き合ってる暇はねえ」とコユキを睨み付け、追い返した。すると真帆は竜介の頭から水を浴びせ、 「コユキがどんな思いでギターを修理したと思ってるの?」と怒鳴った。
また兵頭軍団に囲まれたコユキは、リンチに遭いそうになった。そこにBECKのメンバーとサク、真帆が駆け付けた。千葉は一人で大暴れし 、兵頭軍団を叩きのめした。サクから事情を聞いた竜介は、コユキをスタジオに連れ戻した。コユキのギターを聴いた竜介は、数ヶ月では 考えられないほどの練習量だと気付いた。竜介はサクがドラムを叩けると知り、平とジャムセッションをさせる。すると、パワフルで フィーリングのある音を出した。
竜介は、コユキとサクをサポートメンバーとしてBECKに入れようと決める。「サクはともかく、コユキはそのレベルじゃない」と平は言う が、竜介は「バンドは技術のある奴だけが集まりゃいいわけじゃない。ケミストリーが大切なんだよ」と告げる。コユキは緊張でガチガチ になりながら、初ライブのステージに立った。だが、コユキは音もリズムもメチャクチャに外してしまった。
初ライブを終えたコユキ帰宅して連中していると、真帆が現れて「終電逃がしちゃった。泊めてよ」と言う。彼女は映画監督になるのが夢 で、ベックのライブを撮ってて編集していた。足を引っ張ることを恐れるコユキに、真帆は「大切なのは何かを伝えること」という竜介の 言葉を伝え、エディが使っていたピックをプレゼントした。ダイブリの来日を知ったコユキは、サクと共に興奮した。
メンバーが釣り堀ハウスに集まると、竜介は新曲『LOOKING BACK』のデモ音源を聴かせた。だが、それはバラードであり、千葉の声には 合わなかった。竜介は自分が歌うと言うが、英語の歌詞を目にしたコユキは、自分に歌わせてほしいと申し入れた。真帆のことを歌った曲 だったからだ。ギターに合わせてコユキが歌うと、みんなは圧倒された。テレビでは、英二が「Belle Ame」というビジュアル系バンドで デビューすることが報じられていた。プロデュースはビジュアル・ロック界の伝説的バンド「ノワール」のリーダーだった蘭だ。バンドの プロモーションには3億円も費やされていた。
ある日、BECKのライブ会場には、いつもと比べて大勢の観客が集まった。ダイブリのエディがお忍びで来るという情報が漏れたのだ。 竜介以外のメンバーは、エディが来ることを知らされていなかった。ライブが始まっても、観客はステージよりもエディに注目する。竜介 は曲順を変更し、『LOOKING BACK』をコユキに歌わせる。コユキの素晴らしい歌声に、観客もエディもすっかり魅了された。
エディは竜介に、「明後日のライブで弾きたくなったからルシールを返してくれ」と言う。「奴にバレたら命が危ないぞ」と竜介は心配 する。真帆もコユキの歌声に聞き惚れた一人だった。彼女は「ドキドキして眠れない」と言うと、キスをして立ち去った。翌日、コユキと サクが登校すると、ライブを見たという同級生の益岡弘美が「最高だった。またライブ決まったら教えてね」と声を掛けて来た。サクは既 に、彼女が新体操部の1年だとチェックしていた。
ダイブリの招待客のみのライブでは、蘭の手回しでBelle Ameがセッションすることが決まっていた。コユキたちはエディに招かれ、客席 からライブを楽しんだ。ライブの途中、スペシャルゲストとして英二がステージに招かれた。だが、ダイブリのボーカルを務めるマットは ギターに火を付け、「お前とは演れねえ」と言い放った。英二が退場して気まずいムードが流れる中、コユキはマットからステージに 誘われる。一緒に歌おうというのだ。
困惑しながらステージに上がったコユキは、マイクの前に立つ。するとエディは、竜介を舞台に上げてギターを渡す。竜介の加わった ダイブリをバックに、コユキは『NAKED』を歌った。BECKはCDを作ることになったが、レコーディングには1人6万円が必要になる。 コユキとサクは金を工面するため、斉藤の斉藤紙業で働く。他のメンバーも、平は工事現場の交通整理、千葉はラーメン屋で働いた。真帆 はダイブリのライブで撮影した映像を、ユーチューブにアップした。コユキは真帆から、英語の発音を教わった。
ベックは初のCDを作り、レコード店に並んでいるのを見て感激した。そんな彼らの元に、グレイトフル・サウンドを主催するイベント 会社「メタルグルー」の佐藤和緒がやって来た。グレイトフル・サウンドへの参加を持ち掛けられ、メンバーは大喜びした。そんな中、 エディから竜介に電話が入った。エディは「ルシールに撃ち込まれた弾丸と同じ数の薬莢が届いた。奴のレーベルに移籍しないかという 電話もあった。奴はルシールに気付いてる」と不安げな声で告げた。
竜介は平に質問され、ルシールが伝説の黒人ギタリスト、サニーボーイ・ウォーターズの物だったことを明かす。その後、女を巡って彼を 撃ち殺した男が持っていた。竜介はニューヨークにいた頃、エディと車上荒らしをやらかし、ルシールを盗んだのだ。ルシールの本来の 持ち主は、レオン・サイクスという男だ。アメリカの音楽業界を動かし、金儲けのためなら人殺しも平気でやる人物だ。
コユキは真帆の携帯に電話を掛けるが、出たのはヨシトだった。「真帆なら今、シャワー浴びてる」と言われ、コユキはショックを受けた 。実は、真帆がカフェでトイレに言っている間にヨシトが勝手に出ただけだったが、もちろんコユキは知るはずも無い。真帆はヨシトから 、最も尊敬しているジム・ウォルシュ監督のスタジオでバイトしながら学校に通える話を持ち掛けられる。それは願ってもないチャンス だが、真帆は迷っていた。
蘭は裏から手を回し、BECKのCDを店の目立つコーナーから移動させる。CDは返品の山となって釣り堀ハウスに戻って来た。さらに蘭は グレイトフル・サウンドの新しいプロデューサーに就任し、BECKの参加を取り消した。彼はテレビに出演し、ヨシトをフィーチャリング してBelle Ameがグレイトフル・サウンド出演することを発表した。さらに彼は、レオンが参加することも発表した。
ショックを受けている竜介の元に、レオン一味が現れた。竜介は拉致され、暴行を受けた。彼は射殺されそうになるが、そこにレオンの 叔父から電話が入った。竜介が連れて行かれた場所には、ブルースマンのジョン・リー・デイヴィスがいた。レオンの叔父とは、彼だった 。竜介はレオンに、「殺すのなら、最後にセッションさせてくれ」と頼む。セッションの後、竜介はサニーボーイがデイヴィスの師匠だと 知る。ルシールは弟子のデイヴィスが引き取ったが、ルシールを持つにふさわしい男を待っていたのだという。
デイヴィスに「殺すには惜しい男だ」と言われたレオンは、「金にならない殺しはしない主義だ」と竜介を生かしておくことにした。 コユキはあるメロディーを思い付き、ギターを弾いて作曲する。サクと弘美に聴かせると、いい曲だと誉められた。竜介が「殺す価値も 無いと言われたような俺に、人の心を動かすような音楽なんて出来んのかな」と落ち込むので、メンバーは励ました。コユキは竜介に、 自分が作った曲『MOONBEAMS』を聴いてもらった。
竜介はレオンの元を訪れ、彼の後押しでグレイトフル・サウンドへの出場を決める。彼らが出演するのはサード・ステージで、出演時間は メイン・ステージに出るBelle Ameと重なっていた。BECKはグレイトフル・サウンドに向けた練習を開始した。コユキが失敗すると、竜介 は「俺たちがグレイトフル・サウンドで戦うには、一人一人のスキルアップが必要なんだ。それぐらい出来なけりゃ、バンドを辞めて もらうぞ」と厳しい口調で告げた。
BECKのライブではコユキばかりが観客にもてはやされ、千葉は自分の居場所が無いように感じ始める。彼はフリースタイルバトルの会場に 乱入し、喧嘩を吹っ掛けた。コユキは弘美から「頑張ってね」と応援されるが、それを真帆に見られて焦った。真帆はアメリカ留学を ヨシトが取り計らってくれたことをコユキに話し、苛立つように立ち去った。本番前日、竜介はメンバーに、レオンとの取引内容を 打ち明けた。それは観客動員でメイン・ステージのBelle Ameとセカンド・ステージのマルコムを上回らなければベックを解散し、竜介が レオンのために無償で働くというものだった…。

監督は堤幸彦、原作はハロルド作石、脚本は大石哲也、製作総指揮は迫本淳一&宮崎洋、製作は野田助嗣&大山昌作&久松猛朗&村上博保 &阿佐美弘恭&北川直樹&吉羽治、エグゼクティブ・プロデューサーは秋元一孝&奥田誠治&亀井威、企画・プロデューサーは吉田繁暁& 藤村直人、制作プロデューサーは澤岳司&妹尾祥太、撮影は唐沢悟、編集は伊藤伸行、録音は鴇田満男、照明は木村匡博、美術は相馬直樹、 脚本協力は上田大樹、企画協力は高見洋平(月刊少年マガジン編集部)、VFXスーパーバイザーは定岡雅人、VFXプロデューサーは 土屋真治、ティザーポスターデザインは箭内道彦、劇半音楽は合田茂一&ガブリエル・ロベルト&コトリンゴ、音楽プロデューサーは 茂木英興、音楽エグゼクティブプロデューサーは金橋豊彦、音楽制作はグランドファンク、OPENING THEME『Around The World』は Red Hot Chili Peppers、ENDING THEME『Don't Look Back Anger』はOASIS。
出演は水嶋ヒロ、佐藤健、桐谷健太、忽那汐里、中村蒼、向井理、中村獅童、松下由樹、Cinque Lee、竹中直人、カンニング竹山、 倉内沙莉、桂南光、有吉弘行、品川祐、蝶野正洋、もたいまさこ、水上剣星、古川雄大、桜田通、Brett Pemberton、Todd Shymko、 Floyd Lee、高橋努、川野直輝、高松新一(オジンオズボーン)、篠宮暁(オジンオズボーン)、佐藤二朗、みのすけ、諏訪太朗、 山崎和如、吉永秀平、松本寛也、羽鳥慎一、三浦涼介、田中大平、イルマス エンデール 玲、櫛田孝太朗、武藤弘樹、坂井直樹、 シミズヤスアキ他。


ハロルド作石の同名漫画を基にした作品。
竜介を水嶋ヒロ、コユキを佐藤健、千葉を桐谷健太、真帆を忽那汐里、サクを中村蒼、平を 向井理、蘭を中村獅童、和緒を松下由樹、レオンをサンキ・リー、斉藤をカンニング竹山、弘美を倉内沙莉、栄二を水上剣星、ヨシトを 古川雄大、兵藤を桜田通、北沢を高橋努、東郷を川野直輝が演じている。
監督は『20世紀少年』3部作の堤幸彦。
原作は全34巻だが、映画では10巻までの内容を基にしている。

堤幸彦は登場人物の衣服や小道具も含め、なるべく原作に忠実に再現するよう心掛けたらしい。
また、彼がキャスティングしたわけではないが、主要な登場人物に関しては、かなり似ている俳優を起用していると感じる。
だから配役に関しては、ほぼ文句は無い。
特に千葉は、千葉そのものだ。さすがにフリースタイルバトルでは本職のラッパーに負けているが、ライブシーンでのラッパーぶりは 見事。

ハロルド作石の同名漫画を映画化する際、最も難しいと思われるのが、「誰がコユキを演じるのか」ということだろう。
何しろコユキは、誰もが圧倒され、魅了されるような天性の歌声を持つ男として描かれている。
そんな人物を映像化するに当たって、まず考えられるのは、歌の上手い役者を起用することだ。
あるいは、歌手をコユキ役に起用するという方法もあるだろう。
ただし、どんな方法を取ったとしても、たぶん多くの観客に「万人を魅了する歌声だ」と納得させることは難しかっただろう。

さて、本作品では佐藤健がコユキ役に起用されている。
だが、その歌唱力や歌声については度外視されたキャスティングだ。なぜなら、劇中で佐藤健は一度も歌わないからだ。
コユキが歌うシーンは何度も登場するが、全て口が動いているだけで、歌声は聞こえない。
例えば釣り堀のシーン、真帆が歌っている時の声は聞こえるが、コユキが歌い出した途端、彼の口は動くが、歌声は出ないという演出に なる。
そして、ヒーリング・ミュージックみたいな変な音が流れ、空の映像がフラッシュバックのように入る。

コユキの歌声を聴かせなければ、「歌声がイメージと違う」とか「とても天性の歌声とは思えない」という批判を浴びることは無い。
でも、そこを「全て想像にお任せします」というのは、完全に「逃げ」だよね。
それは漫画だったらOKだけど、映画化するなら、歌声は必須でしょ。
ところが、なんと「コユキの歌声を聴かせない」というのは製作サイドの考えではなく、なんとハロルド作石の意向だそうだ。
だけどハッキリ言って、コユキの歌声を聴かせないのなら、『BECK』を映画化する意味なんて無いでしょ。

しかも、その「歌声を聴かせない」という演出方法が、前述のように、開き直りのような無残な形となっている。
その「無音口パク」というコユキの歌唱シーンの演出は、一度ではない。竜介の加わったダイブリをバックに歌うシーンでも、またコユキ の口パクだけで歌は聞こえない。釣り堀の時と同じく、スローになり、フラッシュバック的な風景の映像が挿入される。
同じ演出が多すぎて、アホらしくなってくる。
それって、1回が限度だわ。正直、2度目でもキツいよ。
っていうか、ホントは1回でもアウトなんだけどね。あくまでも「口パクを受け入れるとして」という話だけど。

歌声を表現しないにしても、口パクをそのまんま見せることは無いでしょ。
例えば、コユキが歌い出したところでシーンを切り替えて、歌い終えた後のシーンに移ればいい。そこで周囲のリアクションを見せれば、 コユキの歌声が素晴らしかったことは表現できる。
そのダイブリのライブなんかだと、途中からマットが加わると、彼の歌声だけは聞こえて、コユキの声は聞こえないんだよね。
そうなると、もはやコユキの歌声に観客が盛り上がっているのかどうか、良く分からないし。

おまけにコユキだけじゃなくて、シリアル・ママのボーカルの歌声も聴かせないんだよな。
無音口パクの演出をコユキ以外の人物でも採用したら、コユキの歌声が特別だという価値が薄れるでしょうに。
あと、コユキの歌声を聴かせないのなら、楽曲のメロディーや編曲だけで観客を魅了するようなモノを用意すべきなのに、『LOOKING BACK 』にしろ『MOONBEAMS』にしろ、凡庸にしか聞こえない。
歌声は口パクで誤魔化しても、楽曲が冴えないんだから、どうせ意味が無いよな。
「コユキの持って来たフレーズを聴いた時、直感でイケる気がした」と竜介は『MOONBEAMS』に関して言うけど、あのフレーズでイケる気 がするのは、どうかしてるぞ。

色々と「粗いなあ」と感じる箇所が多い。
例えば、竜介と平の演奏に千葉がラップで加わるシーンは、BECKが結成されて最初の演奏なのに、曲の序盤でぶった切ってしまう愛の 無さ。
屋上で練習するコユキの横で、サクがマラカスを振るシーンも違和感がある。
サクが初心者なら仕方が無いけど、ドラム経験が長いんだから、マラカスみたいに音が遅れてくるような打楽器はおかしいよ。
本物の打楽器じゃなくて、机や椅子を叩くという形でもいい。マラカスよりは遥かにマシ。

BECKがサポートメンバーのドラマーを引き連れて初ライブを開催するシーンでは、カットバックでコユキが斉藤にギターを習う様子も 描かれている。そこでは斉藤とコユキの服も演奏する曲も変化していく。
ということは、何日か経過しているということになる。
だったら、少しずつコユキの腕前が上達していくことを必要があるのだが、最後のライトハンド奏法で失敗しちゃダメだろうに。
そこにオチは要らないんだよ。オチが欲しいのなら、ギターの腕前とは無関係なところで付けるべきだ。

真帆はダイブリのライブで撮影した映像をユーチューブにアップするが、そもそもビデオカメラを持ち込めている時点で おかしいでしょ。
インディーズのバンドならともかく、全米で人気のバンドなのに、そんなに簡単に撮影させてくれるのかよ。
エディなんて持っているのがバレちゃマズいルシールを使っているのに(使っている時点でどうかと思うが)、なぜビデオカメラの 持ち込みがOKなのよ。

あと、とにかく詰め込みすぎだよ。原作のダイジェストになっちゃってる。それぞれのキャラを厚く描くことが出来ていない。
この映画だと、ルシールが特別な音を奏でるわけじゃないし、それを巡るエピソードはバッサリと排除しても良かったんじゃないか。
あと弘美も何のために出て来たのか良く分からない程度の扱いだから、削除した方がいいし。
それと、グレイトフル・サウンドをクライマックスに持って来たい気持ちは分かるけど、もっと小さいハコでも良かったんじゃない かなあ。

尺の問題で、原作では批判の対象となっていた「金やコネを利用してスターに成り上がる」というバンドの形を、BECKが体現してしまって いる。
彼らはダイブリというスーパーバンドと知り合いだったことで注目を浴び、人気が高まっていくのだ。
それじゃあダメでしょ。
原作だと、小さいハコでコツコツと実績を積み上げていく描写があったはずなんだよね。
それを丁寧に時間を掛けて描写しろとは言わない。
だけど、ダイジェスト的に挿入することは出来たはずだ。

この映画だと、BECKはデビューした後、あっという間に人気を集め、スター・システムに乗っかってるんだよな。
ホントはBECKって、最初の内は「一部の音楽通だけが知っている実力派バンド」というポジションだったはずなのに、すげえ売れ線を 狙ってるバンドにしか見えない。
シリアル・ママのライブが2009年6月19日で、その後に結成されたBECKが2010年の夏フェスに出演しているってことは、わずか1年で トントン拍子に階段を上がっていることになるし。

BECKのオリジナル曲が3曲だけってのは寂しいよなあ。
それしか無いから、グレイトフル・サウンドのステージに戻って来た千葉に対してコユキが「ねえ、『EVOLUTION』、行こうよ」と 告げても、それが「良いセリフ」にならないんだよね。
『EVOLUTION』がBECKにとっても千葉にとっても大切な曲という扱いなら心を揺さぶるけど、千葉がメインを務める歌はそれしか無いん だから、そりゃ『EVOLUTION』に行くに決まってるでしょ。
難しい注文かもしれないけど、途中のライブシーンで『EVOLUTION』ばかり使うのはやめて、他に数曲を用意しておくべきだったと 思うなあ。

ベックのライブではコユキばかりが観客にもてはやされ、千葉は自分の居場所が無いと感じ始める。
これって、実は原作でもキッチリと解決された問題じゃないんだよな。
コユキがメインの曲だと、千葉は全く存在価値が無い。コユキと千葉ってツイン・ヴォーカルじゃなくて、コユキが歌う曲の時は千葉は お休み、千葉がラップをやる曲ではコユキはギターに専念という風に、完全に住み分けがあるのよね。
それってコユキは別にいいだろうけど、千葉の立場は危ういよなあ。
他に何か担当の楽器があるわけじゃないんだから。

2人のパートが用意されているような楽曲が無い理由は簡単で、コユキの曲はオアシス系、千葉の曲はレッチリ系で、全くテイストが 違うんだよ。
ホントは2人が共存できるようなバンド・サウンドを構築していくべきなのに、そういうアプローチはやらない。
最終的に彼はバンドに戻って来るけど、居場所が無いという問題は何も解決されてないんだよね。
他の連中は天才で、千葉だけは凡人なんだし。
っていうか根本的に、オアシスとレッチリを合体させたバンドという設定に無理があるんだけどね。

もちろん個々のスキルアップは大切だけど、バンドにとって重要なのは個人のスキルだけじゃなくて、「みんなが集まった時、どんな音を 出すか」ってことなんだよな。
だから「個々のスキルはそれほどでもないけど、グループになると魅力的なサウンドを出す」というバンドも存在する。
例えばローリング・ストーンズなんて、ハッキリ言って下手な連中の集まりだけど、バンドとしては魅力的だ。
別にBECKが下手である必要は無いけど、個々のスキルアップばかりを気にして、「バンドとしてのサウンドの重要性」についての言及が 全く無いのは引っ掛かるなあ。
前半で竜介は「バンドは技術のある奴だけが集まりゃいいわけじゃない。ケミストリーが大切なんだよ」と言っていたのに、「バンドと しての魅力」って、映画を見ていても伝わって来ない。
前述したように、なんせ千葉が「要らない人」になったままなのに、何の解決策も考えないような奴らだからね。

グレイトフル・サウンドでは、大雨が降り出してメインとセカンド・ステージが中断する中、BECKだけが『LOOKING BACK』の演奏を続ける 。その様子を、和緒がメインとセカンドのスクリーンに流す。
その後、千葉が戻って2曲目『EVOLUTION』が始まると、客席の女性4人が水着姿になり、興奮した斉藤がカメラを奪って彼女たちを撮影 する。それがスクリーンに移った後、メインとセカンド・ステージにいた観客たちが一挙にサード・ステージへ押し寄せてくる。
これ、どう考えても、演出として間違ってるでしょ。
だってさ、その順番だと、他のステージの観客は、水着の女が目当てで集まって来たという風に見えるでしょ。
そうじゃなくて、コユキが『LOOKING BACK』を歌っている段階で、それをモニターで見た他のステージの観客が少しずつ移動を始めるべき でしょ。『EVOLUTION』が始まっても、先に観客の移動を描いておいて、それから水着姿の女性を斉藤が撮影するシーンに行くべきでしょ。

それと、たった3曲しか無いのに、その内の1曲しかノリノリになれる曲が無いってのは、選曲ミスだろ。
っていうか正直、せっかく『EVOLUTION』で盛り上がったのに、メインのメロディーが全く分からない口パクの『MOONBEAMS』で台無しに している感じだぞ。
完全にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『Guerrilla Radio』の模倣ではあるものの、『EVOLUTION』はちゃんと盛り上がる曲に なっているだけに、『MOONBEAMS』でガックリと来るよ。

(観賞日:2011年4月11日)


2010年度 HIHOはくさいアワード:7位

第7回(2010年度)蛇いちご賞

・主演男優賞:水嶋ヒロ
・監督賞:堤幸彦

 

*ポンコツ映画愛護協会