『BALLAD 名もなき恋のうた』:2009、日本

小学生の川上真一は、同じ夢を何度も見るようになっていた。夢の中では、湖のほとりで着物を着た姫君らしき女性が祈っていた。真一が 同級生の女の子と話していると、いじめっ子グループが現れた。彼らは女の子が担任教師に密告したことに腹を立てており、真一に去る よう要求した。真一は女の子を守ることも出来ず、すごすごと立ち去った。真一は“川上の大クヌギ”と呼ばれる巨木へ行き、手を突いて 「僕に勇気を下さい」と願った。
真一が帰宅すると、母の美佐子と父の暁が言い争いを始めた。暁が友人の会社を手伝うためにカメラマンの仕事を休止すると決めたため、 美佐子が激怒したのだ。その夜も、また真一は同じ夢を見た。目を覚ました彼は大クヌギへ行き、根元に埋まっている木箱を発見した。箱 を開けると、中には古い巻物が入っていた。巻物を開くと、それは手紙だった。それを見た途端、真一は気を失ってしまった。
真一が意識を取り戻すと、見知らぬ場所にいた。自転車を走らせて移動すると、原っぱに侍の集団がいた。草むらに隠れた2人の足軽が、 侍集団を統率する侍大将を銃で狙っていた。真一が状況を理解せぬまま声を掛けると、慌てた足軽は狙いを外した。男たちは逃亡し、真一 は侍の集団の捕まって城へ連行された。彼らは春日国の侍で、統率していたのは無敵を誇る井尻又兵衛という侍大将だった。
真一は春日城の城主・康綱たちに、未来からタイムスリップしてきたことを説明した。証拠を示せと要求された彼は、携帯電話を見せた。 そこへ春日国の姫君・廉姫が現れた。真一は夢で見た女性だったので驚いた。そのことを彼が話すと、廉姫は「我が願いを叶えるために 来たか」と言い、しばらく城に留まるよう告げた。彼女は又兵衛を「次郎丸」と呼び、真一の面倒を見るよう命じた。
又兵衛は弟分の文四郎と共に真一を連れて歩きながら、「姫君にも困ったものだ」と愚痴をこぼした。又兵衛は、父が康綱の傍に仕えて いた頃、廉姫の遊び相手をしていたことを語った。又兵衛は真一を、文四郎の父・仁右衛門と母・お里が暮らす家に案内した。又兵衛は 家族を亡くして以来、仁右衛門夫婦の家で暮らしていた。夫婦は上の息子2人を亡くし、残されたのは文四郎だけとなっていた。
現代では、学校に行かず行方不明となった真一を美佐子が心配していた。そこへ暁が戻り、大クヌギの下で拾った手紙を見せた。そこには 真一の文字で「ぼくは今、天正2年の世界に来ています」と記されていた。美佐子は真一が戦国時代にタイムスリップしたのではないかと 考えるが、暁は「ただの悪戯だろう」と相手にしなかった。真一は又兵衛に促され、両親への手紙を書くことにした。それを埋めれば、 未来の両親に届くはずだと又兵衛は考えたのだ。
真一は「これを埋める良い場所を知っています」と言い、川上の大クヌギのことを告げる。だが、その時代に川上の大クヌギと呼ばれる木 は存在していなかった。真一が近くにある石仏のことを話すと、又兵衛は隠れヶ淵という森に囲まれた湖のことを告げた。又兵衛は、翌日 に案内することを約束した。しかし翌朝、常陸国の大名・大倉井高虎が来たため、又兵衛は出迎えに行くこととなった。彼は文四郎に、 真一の案内を任せた。
美佐子はネットで大クヌギのことを調べ、「天正2年、川上真一とその一族の働きによって春日の戦いは形勢を逆転させ、その功績を 称えて川上の大クヌギと呼ばれるようになった」という記述を発見した。彼女は真一がタイムスリップしたと確信し、暁と共に車に乗って 大クヌギへ向かった。高虎は城に入ると、廉姫を嫁に貰いたい旨を明かした。廉姫は驚き、又兵衛に視線をやった。それを見た高虎は、 2人が惹かれ合っていることを察知した。
高虎が側近の安長たちを連れて去った後、康綱は重臣たちと話し合いを持った。大倉井と組めば春日の守りは安泰となるため、重臣たちは 婚姻に賛同した。廉姫は康綱から気持ちを問われ、「お父上が決められることに従います」と感情を殺して答えた。本丸を出た廉姫は、 乳母の吉乃たちが止めるのも聞かず、一人で馬に乗って出て行った。一方、湖に到着した真一は、夢の中で廉姫が祈っていた見た場所だと 文四郎に話した。
廉姫が馬で来るのに気付いた文四郎は、真一を連れて身を隠した。廉姫は涙を隠すように、湖で顔を洗った。そこへ野伏の彦蔵や儀助たち が現れ、廉姫を取り囲んだ。慌てて文四郎は飛び出すが、彦蔵たちが戦う姿勢を示すと腰が引けた。その時、又兵衛が駆け付け、あっと いう間に野伏を叩きのめした。「お前は守る国があっていいよな」と彦蔵たちが漏らすと、又兵衛は金を与えて立ち去らせた。
又兵衛は廉姫に「少しは自重してください」と厳しい口調で注意した。廉姫は湖へ良く来ていることを告げ、「来ては、お前が戦で命を 落とさぬよう祈っておる」と口にした。又兵衛の腕に傷を見つけた彼女は手当てし、「お前は昔から私を守って、良く傷を作っていたな」 と言う。又兵衛は「今度は高虎様が守ってくださいます」と告げた。廉姫が「お前は本当に良いのか婚儀に賛成なのか」と責めるように 訊くと、彼は気持ちを抑えて「春日の国の安泰こそが、私の願いです」と答えた。
美佐子と暁は大クヌギに到着し、何かが起きるはずだと考えて待機した。真一は文四郎に連れられ、石仏へと赴いた。その隣にクヌギの木 は無かった。文四郎は真一から渡されたクヌギの実を土に埋めた。真一が手紙を埋めた途端、美佐子と暁がタイムスリップしてきた。2人 は真一を車に乗せるが、何も起こらず、現代に戻ることは出来なかった。真一たちは又兵衛と廉姫の元へ赴いた。車に興味を示した廉姫を 乗せていると、彦蔵と儀助が現れ、又兵衛に「家来にしてくれ」と頭を下げた。
暁は春日城で康綱と面会し、春日も大倉井も歴史の表舞台に出て来ないことを話した。康綱は廉姫を呼んで婚儀を拒否する考えを告げ、 「どうせ尻尾を振っても春日は残らない。ならば思ったままに生きていく」と語った。書状を受け取った高虎は激怒し、戦を宣言した。 又兵衛は真一たちに、戦の頃合いを見計らって非難するよう告げた。高虎の軍勢が攻めて来ると、数の少ない春日軍は苦戦を強いられた。 初日の合戦が終わると、又兵衛は翌朝に兵を率いて敵の本陣へ突入する作戦を廉姫や真一たちに話した…。

監督・脚本・VFXは山崎貴、原案は映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」(原作:臼井儀人/監督・脚本: 原恵一)、脚本協力は佐藤嗣麻子&水島努、製作は上松道夫&阿部秀司&島谷能成&飯島三智&島本雄二&永井秀之&本間憲&加藤良雄& 諸角裕&亀井修&島村達雄&水野文英&吉田鏡、エグゼクティブプロデューサーは阿部秀司&梅澤道彦、プロデューサーは安藤親広& 松井俊之、アソシエイトプロデューサーは小出真佐樹&小久保聡、撮影は柴崎幸三、編集は宮島竜治、録音は鶴巻仁、照明は水野研一、 美術は上條安里、装飾は龍田哲児&中澤正英、衣裳デザインは黒澤和子、VFXディレクターは渋谷紀世子、殺陣は中瀬博文、音楽は 佐藤直紀。
主題歌『BALLAD 〜名もなき恋のうた〜』 歌:alan、作詞:kenko-p、作曲:菊池一仁、編曲:中野雄太、サウンドプロデュース:菊池一仁。
出演は草なぎ剛、新垣結衣、大沢たかお、夏川結衣、筒井道隆、武井証、香川京子、小澤征悦、中村敦夫、吹越満、斉藤由貴、吉武怜朗、 波岡一喜、菅田俊、織本順吉、油井昌由樹、綾田俊樹、矢柴俊博、飯田基祐、坂本長利、平田康之、鳥木元博、天田暦、鎗田晟裕、 野元学二、滝次郎、森永健司、津村和幸、村澤寿彦、中台あきお、大滝明利、竹井亮介、芹沢礼多、石原和海、加藤隆之、古川康、 立石由衣、太田美恵、田中優子、西辻恵美、千葉実裸、岡山和之、上谷健一、鈴木誠克、滝澤晴幸、中澤啓次、山口浩、松永義功、 寺本純菜、為谷龍児、青木遼生、岩井進士郎、門脇亨、西明彦、角田明彦、仲田育史、中西一樹ら。


2002年の長編アニメーション映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』を基にした実写映画。
監督・脚本・VFXは、『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎貴。
又兵衛を草なぎ剛、廉姫を新垣結衣、高虎を大沢たかお、美佐子を夏川結衣、暁を筒井道隆、 真一を武井証、吉乃を香川京子、安長を小澤征悦、康綱を中村敦夫、仁右衛門を吹越満、お里を斉藤由貴、文四郎を吉武怜朗、彦蔵を 波岡一喜、儀助を菅田俊が演じている。

もうキャスティングの時点で、負け戦が決まっているようなものだ。
又兵衛を草なぎ剛が演じるって、誰が決めたんだろうか。それはジャニーズのゴリ押しキャスティングなんだろうか。
誰がどう考えても、草なぎ剛は「無敵を誇る武将」には見えないでしょうに。
これが例えば「そうは見えないけど、実は戦闘能力が高い奴」というキャラなら、まだ分かる。
だけど、そうじゃないんだからさ。

又兵衛が野伏の集団を簡単に捻じ伏せるシーンがあるけど、そこでのアクションに強さの説得力は皆無。
動きがモタついており、「やはり草なぎ剛はミスキャストだったな」という印象を強くするだけだ。
時代劇の喋り方も、全く口に馴染んでいない。
ハッキリ言って、コントにしか見えないのよ。
原作を踏襲した口ヒゲも全く似合っておらず、ただ単にコントっぽさを助長するだけになっている。

冒頭、真一が同級生の女の子を守ろうとせずにビビって逃げ去り、その後で大クヌギに「僕に勇気を下さい」とお願いするところで、 いきなり彼に好感が持てなくなる。
いじめっ子にビビって逃げるヘタレっぷりがダメなのではなく、その後の行動がアウト。
その真一が最初に姫君の夢を見た後、翌朝も同じ夢を見るという描写がある。しかし最初のシーンで「またか」と言っており、何度も見て いることは伝わる。しかも、翌日の夢も全く同じ内容なんだから、それは要らない。最初の夢を見たその日の内に、タイムスリップして しまえばいい。
「それだと両親の口ゲンカを描けない」と思うかもしれないが、真一の登校前にケンカをさせればいい。いじめっ子から女の子を守れずに 逃げ出すシーンと、両親の口げんかを目撃するシーンは、順番が逆でも全く支障は無い。

シリアスな物語のような雰囲気で始まるが、康綱たちが携帯電話に驚く様子はコミカルだ。
だったら最初から、もっとコミカルなテイストを強く押し出した方が良かった。
この映画、監督の考えなのか、製作サイドの意向なのかは分からないが、どうも感動させようという意識が先走りすぎている印象を 受ける。
『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』にも感動はあったが、メインとしてコミカルがあって、その中に上手い塩梅でシリアスを織り交ぜる ことによって、感動が際立つようになっていた。
この映画では、最初から感動を押し出しすぎたせいで、逆に感動が薄れてしまっているように思える。

又兵衛が真一を家へ連れて行く際に「姫様にも困ったものだ。昔から何かと言うと俺に押し付ける」と言うと、文四郎は「仲がよろしい 証拠でございましょ」と口にする。
又兵衛は慌てて「幼馴染だから姫は俺に遠慮が無いんだ」と言い、「父上が親方様の傍にお仕えしていた頃、良く姫の遊び相手を させられていたからな」と語るが、すげえ不自然で説明的。
たぶん、そこで廉姫と又兵衛の間に身分違いの恋愛関係があることを観客に提示したかったんだろうが、無理がありすぎる。
そんな不自然なセリフで押し付けて来るのではなく、雰囲気で何となく伝わる程度に留めておけばいい。それに、そんなに急いで 知らせようとしなくてもいいし。

暁から手紙を見せられた美佐子が、真面目な顔で「何かの間違いで、本当に天正2年に行っちゃってるってことは?」と言い出すのが、 すげえバカバカしく見えてしまう。
コミカルなテイストの中でやってくれりゃあ、受け入れられたかもしれんけど。
まだ真一がいなくなってから、数時間しか経過していないんでしょ。
ってことは、その段階では、まだ「学校をサボッた」という程度なのよね。

真一が文四郎に対して自転車に乗るよう促す態度は、すげえ生意気で馴れ馴れしく見える。すぐにフランクな関係を築いてしまう のよね。
戦国時代にタイムスリップしても大して怖がっていないし、いじめっ子にビビって女の子を守れなかった奴と、同一人物には思えない。 だけど高虎に対してはビビっている。
真一のキャラ造形がフワフワしているように思える。
しんのすけじゃないのに、場面によっては、しんのすけっぽく動かそうとして、それが違和感に繋がっている印象を受ける。

せめて、真一を「好奇心旺盛で元気一杯」というキャラ造形にしておけばいいのに、冒頭で「勇気の無い弱気な子」という性格をアピール しているんだよなあ。
そこから「戦国時代にタイムスリップして様々な出来事を体験し、勇気を得る」という成長物語に繋げたいんだろうけど、大して意味の 無い伏線になっている。
両親が言い争いをしていたのも同様で、「不穏な関係になっていたが、戦国時代にタイムスリップする中で関係が修復される」という ドラマは見当たらない。

又兵衛と真一の双方がカルチャーショックを受けるという描写は、ほとんど無い。
真一はあっという間に戦国時代に順応し、又兵衛もすぐに真一を受け入れる。
高虎は過去に廉姫と森で遭遇しており、その強気な態度に関心を持ったのに、それを隠して初対面のようなフリをして城に来るが、隠して いる意味が全く分からない。
それが物語において何か意味を持っているのかと言うと、何も無い。

湖に廉姫が現れた時、なぜ文四郎が真一を連れて身を隠すのか分からない。
「泣いているのが見えたから」ということなら納得できるが、涙に気付くのは後になってからだ。
そこへ野伏の集団が現れるが、真一たちが城から歩いて行ける程度の近場なのに、そんな連中が来るというのは違和感。森の奥らしいけど 、そういう印象も薄いし。
文四郎がビビった後、真一が防犯ブザーを鳴らすのは意味が無い。
その音に気付いて又兵衛が駆け付けるわけでもないし。

廉姫が「(湖へ来ては)お前が戦で命を落とさぬよう祈っておる」と言った後、又兵衛が「御冗談を」と照れ隠しで笑いながら告げるが、 そのリアクションが場違いな軽さにしか見えない。
そこに限らず、コミカルな描写がハマっていないと感じる箇所が多い。
その原因の一つは、コメディーとしての下地がちゃんと整っていないからだ。どうやら山崎監督は、喜劇のセンスに欠けているようだ。
もう一つの原因は、草なぎ剛の演技が下手だから。この人も喜劇のセンスが無い。
っていうか、草なぎ剛の場合、そもそも演技をさせたらボロが出る人なので、この人を使うのなら、なるべま芝居をさせないようにする ことが必要なのよね。

クライマックスとなる合戦のシーンは原作通り、当時のリアルな戦いを再現しようとしている。人は大勢いるし、激しく戦っているが、 迫力や盛り上がりに今一つ欠ける。
そこへ川上ファミリーの乗った車が走って来て又兵衛に助太刀するのも原作通りなのだが、大きく異なるのはノロノロ運転ってことだ。 それはダメでしょ。
そりゃあ、戦国時代の侍が動いている自動車を見たら、それだけで腰が引けるとは思うよ。
だけどさ、そこは暴走させるところに面白味があるはずでしょ。それをノロノロ運転にしたら台無しだよ。

高虎が女一人の為だけに戦う形になるのは、すげえ小さい男に見えてしまう。
その高虎が観念し、又兵衛が首を落とそうとした時に真一が制止に入るが、それも引っ掛かるなあ。主人公に人殺しをさせたくないって のは分からんではないが、それまでの合戦で一人も殺していないのかって話にもなるし。
それに、髷を落として解放するってのは無理がある。
むしろ斬首してやるのが武士の情けでしょ。
髷を落として解放するって、それは相手を辱めることになるでしょ。
それで納得して立ち去る高虎も変だし。

合戦を終えた又兵衛は城の近くで何者かに撃たれ、命を落とす。
だが、なぜ撃たれたのか、犯人が何者なのかは分からないままだ。
これはスッキリしない。
その前に又兵衛と廉姫が「戦が終わったら自由に暮らそう」と約束しており、実際にそんなことはさせられないので、まあ死なせなきゃ ならんってのは分かる。原作でも死んでるしね。
だけどさ、そこは改変して、生かしておいても良かったんじゃないの。
一方で「自由に暮らす」という願望は持ち込まず、身分違いの壁は最後まで崩さないままにしておくってことでさ。

『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』では、しんのすけがカヤの外になってしまい、要らないキャラになっているという問題があった。
その問題は、この映画でも解決されていない。
つまり、川上家の面々が要らないキャラになっているのだ。
タイムスリップするのであれば、真一と又兵衛の絆がメインになるべきだろう。
しかし又兵衛と廉姫のロマンスがメインになっていくので、「だったら真一もタイムスリップも要らないでしょ」ということになって しまう。

この映画の一番の問題点は、『クレヨンしんちゃん』ではないことを製作サイドが本当の意味で理解できていないってことだ。
原作である『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』は、「クレヨンしんちゃんだから許される」とか、「クレヨンしんちゃんだから受け入れ られる」といった事柄が幾つもあった。
それなのに、山崎監督は無頓着にも、そういう事柄を、そのまんま持ち込んでいる。
プロレスのリングなら相手をロープに振ったら返ってきてくれるが、格闘技だとロープに投げようとしても停止されてしまうだろう。
リングが変われば、暗黙のルールも違ってくるのだ。

それにしても、山崎監督は人間ドラマの演出能力が全く向上しないよなあ。
たぶん、そういうことに興味が無いんだろうなあ。
だったら、そういう要素が少ないような作品を撮ればいいのに、『ALWAYS 三丁目の夕日』にしろ本作品にしろ、人間ドラマが重要 な要素を占める映画を選んじゃうんだよなあ。
とにかくギクシャク感が半端ないし、感動的なはずのシーンも、全く泣けなかった。

(観賞日:2011年9月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会