『爆裂都市 BURST CITY』:1982、日本

土曜の夜になると、ライブ・スポット「20000V」でバトル・ライブが開催される。その日の出演バンドは、コマンド佐々木、フライング風戸、パンク死土、ミラクル賀仁悪、鋼鉄男の5人で構成されるバトル・ロッカーズだ。彼らの演奏に、観客は熱狂した。一方、ヤクザの黒沼は、兄貴分の霧島が連れて来たロリコン政治家にブルーという少女を手配する。政治家はSMプレーでブルーを甚振った。ライブを終えたバトル・ロッカーズは、ゼロヨンレースの会場に移動した。調子に乗った流れ者レーサー3人組のスピード・キラーズが挑戦状を叩き付けて来たが、風戸は余裕でクラッシュに追い込んだ。
翌朝、黒沼は政治家の相手を済ませたブルーを優しくいたわり、「もう少しの辛抱だから」と風呂で抱き締める。下層民たちはサイドカーで街にやって来たキチガイ兄弟を発見し、「何しに来た?」と問い詰める。しかし兄弟は言葉が話せず、アーウーと喚くだけだった。下層民たちがサイドカーに触れようとすると、兄弟は怒って殴り掛かった。下層民たちがやり返そうとしているところへリーダーの坂田が現れ、「やめんか」と制止した。坂田は兄弟に「敵じゃねえよ、俺たちは」と言い、「いたけりゃ、いればいい。だがな、仲間の物を盗んだり、味方同士で喧嘩する奴はワシが許さん。その掟が守れるなら歓迎する。ここはみんなの土地や」と述べた。
バトル・ロッカーズの連中はアルバイト先で腹の立つ上司に暴力を振るい、クビになる。アジトでたむろしていた彼らは、暇を持て余す。一方、菊川ファミリーはアジトに集結し、ボスである菊川の「下等選民、反動分子、クズ、カスは粛清しなければならない」という演説を聞く。黒沼はお喋りしている若い連中を見つけ、「ボスの話はちゃんと聞け」と注意する。若い連中は黒沼が去った後、「成り上がりのくせに」と陰口を叩いた。
菊川ファミリーは湾岸特別指定地区の原子力発電所の建設を請け負い、下層民たちに働かせようと考えた。それを霧島から聞かされた黒沼は、「しかし人が足りませんなあ」と口にした。すると霧島は「それに接待もな。あの子、なかなかいいな。昨日来た役人が偉く気に入ったらしい。このプロジェクトはお前に任せる。これは、ここだけの工事じゃねえ。どうせ腐ってるんだ、この街が。一度、殺虫剤を撒かなきゃならん。頼むぞ」と語った。
また土曜の夜が来て、バトル・ロッカーズは20000Vでライブを行う。そこへパンク・バンドのマッド・スターリンが殴り込み、バトル・ロッカーズを襲撃した。両バンドが争っているところへ、警官隊が駆け付けて取り押さえる。ライブを台無しにされたバトル・ロッカーズは、苛立ちを募らせた。ゼロヨンレースの会場へ赴いたバトル・ロッカーズは、そこにいたキチガイ兄の生意気そうな表情に腹を立てた。賀仁悪と鉄男はサイドカーを奪うが、キチガイ兄に殴られ、すぐに取り戻された。キチガイ兄弟がバイクを疾走させたので風戸が車で後を追うが、振り切られてしまった。
黒沼は坂田の元へ行き、低姿勢で挨拶する。下層民の出身である黒沼は、「相談したいことがありまして」と坂田に告げる。一方、バトル・ロッカーズはアジトで無作為な時間を過ごしていたが、些細なことから佐々木、死土、鉄男が喧嘩を始める。風戸は賀仁悪と共に仲裁し、警察がうるさいのでバトル・ライブが中止になり、20000Vも2週間の営業停止を受けていることを佐々木に教えた。下層民は原発の工事現場へ赴き、そこでの労働に従事する書類に捺印した。
バトル・ロッカーズはライブが出来ない苛立ちを解消するため、車を暴走させる。警官2人がスピード違反で止めに来ると、佐々木は殴り掛かり、手錠を掛けられた。拘置所に入れられた彼は、他の犯罪者にも暴力を振るった。黒沼はブルーに、「あと一回だけ俺の言うこと聞いてくれよ」と頼む。「もう痛いのは嫌よ」と拒むブルーに、黒沼は「今の仕事が上手く行けば、この街から出られるんだからよ。2人で出て行こうぜ」と告げる。
菊川ファミリーは工事の進行をスピーディーにするため、下層民をプレハブ小屋に監禁する。坂田たちが工事現場にいる間に、一味は下層民の住処を破壊していた。「臭い体を綺麗にしてやろう」と放水されたキチガイ兄は怪力で扉を破壊し、下層民は菊川ファミリーへの反撃を開始した。ロリコン政治家はブルーを拘束し、菊川ファミリーが連れて来たキチガイ弟を甚振った。ブルーに「ブタ」と罵られた政治家は激昂し、彼女を殺害した。マッド・スターリンは20000Vの前に車で乗り付けて演奏し、たむろしていた観客たちを「何でもいいから、やっちまえ」と焚き付ける。そこへバトル・ロッカーズが現れてマッド・スターリンからステージを奪い、演奏を開始する…。

監督は石井聰亙(現・石井岳龍)、脚本は石井聰亙&秋田光彦、企画は戸井十月&泉谷しげる&石井聰亙、製作は秋田光彦&小林紘(上板東映)、プロデューサーは秋田光彦、プロデューサー補佐は久里耕介、撮影は笠松則通、照明は手塚義治、録音は林成光、美術監督は泉谷しげる、アシスタント・プロデューサーは大塚恭司、美術は尾上克郎&阪本順治、メカニック・クリエーターは古沢敏文、メイクアップ&ヘアー・アーチストは大平尊文、監督助手は西沢弘已(弘巳は間違い)&池田勇二&松岡錠司&太田達也、編集は石井聰亙&山川直人&阪本順治、擬闘は大野剣友会、フリークス・デザインは手塚真(現・手塚眞)、助監督は緒方明、音楽プロデューサーは柏木省三、音楽は1984。
出演は陣内孝則、大江慎也、伊勢田勇人、鶴川仁美、池畑潤二、戸井十月、町田町蔵、泉谷しげる、スターリン、コント赤信号、上田馬之助、麿赤児、平口広美、大林真由美(現・玉垣真由美)、吉沢健(現・吉澤健)、篠原勝之、小水一男、江藤潤(現・江藤漢斉)、田村三郎、河田光史、ギリャーク尼ヶ崎(ギリヤーク尼ヶ崎)、松田桃金、スーパー・リキ、瀬川研一、吉原正浩、飯島大介、南伸坊、生江有二、杉田陽志、諏訪太郎(現・諏訪太朗)、神ひろし、森清寿(後の森宙太) 、豊田真治、岸野幸正、柏木省三、室井滋、ダンシング義隆、田浦智之、工藤和彦、長谷川正好、清末裕之、谷昌樹、高橋達也、西耕平、宇野イサム、白沢秀一、溝口順一、菅原靖人、山田光一、八百原寿子、中島陽典、戎谷広、大池雅光ら。


『高校大パニック』『狂い咲きサンダーロード』の石井聰亙(石井岳龍)が監督を務めた作品。
『狂い咲きサンダーロード』でアート・ディレクター&音楽を担当していた泉谷しげる、ノンフィクションを手掛けるフリーライターだった戸井十月が、石井監督と共に企画している。
泉谷しげるは美術監督も担当している。
後に『どついたるねん』で監督デビューする阪本順治が編集と美術、『独立少年合唱団』で劇場映画デビューする緒方明が助監督、特撮監督になる尾上克郎が美術、日本テレビのプロデューサーになる大塚恭司がアシスタント・プロデューサー、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』を撮る松岡錠司が監督助手、ヴィジュアリストの肩書で活動するようになる手塚眞(当時はアマチュア映画監督)がフリークス・デザインで、それぞれ本作品に携わっている。

『狂い咲きサンダーロード』でパンク・ロックやニュー・ウェーヴの曲を使用した石井聰亙は、この映画において、その色をさらに濃くしている。出演者の顔触れからして、そっちに傾いていることが良く分かる。
まずバトル・ロッカーズのメンバーは、佐々木がザ・ロッカーズの陣内孝則(まだ役者に転向する前だ)、風戸がザ・ルースターズの大江慎也、賀仁悪がザ・ロッカーズの鶴川仁美、鉄男がザ・ルースターズの池畑潤二、死土がオーディションで選ばれた伊勢田勇人。
キチガイ兄弟は、兄を演じるのが戸井十月で、弟は元パンク・バンド「INU」のボーカリストで公開当時は「FUNA」のボーカルだった町田町蔵(でもクレジットでは「イヌ」と出る)。黒沼役は泉谷しげる、マッド・スターリンはハードコア・パンクバンドのスターリン、流れ者レーサーはコントグループのコント赤信号、菊川はプロレスラーの上田馬之助。この映画、主な出演者の中に、映画やTVドラマの俳優業を本職にしている人が見当たらない。
坂田を演じたのは舞踏集団「大駱駝艦」主宰の麿赤児、ロリコン政治家は漫画家の平口広美、ブルーは劇団「天井桟敷」の大林真由美(現在は結婚して玉垣真由美。画家として活動)、霧島は状況劇場出身の吉沢健(現・吉澤健)。他に、ゲージツ家の篠原勝之、ポルノ映画監督の小水一男(ガイラ)、大道芸人(舞踏家)のギリヤーク尼ヶ崎、ロックバンド「誰がカバやねんロックンロールショー」のダンシング義隆、当時はアマチュア映画監督だった飯田譲治なども出演している。

キチガイ兄弟は両親を惨殺されており、復讐するために街へやって来たのだが、この映画を見ただけで、その設定が分かった人は、かなり洞察力が鋭い。
あんなドラッグ中毒者のフラッシュバックみたいな断片的映像だけで、兄弟の事情を読み取るのは、それほど簡単なことではないだろう。
で、その設定が効果的に使われているのかというと、そんなことは全く無い。下層民が菊川ファミリーに襲い掛かると展開の中に、復讐劇は紛れ込んでしまう。
その設定だけでなく、キチガイ兄弟の存在意義そのものが薄い。

冒頭からカメラがグラグラと揺れまくるし、カメラ・ワークも良くないので映像が見づらい。
オープニング・クレジットではライブシーンで写し出され、バトル・ロッカーズの主題歌『セル・ナンバー8』が流れる。
それが終わり、本編が始まるのかと思いきや、すぐにオール・キャストによるスカ・パンク『裕福の飢餓』が流れ始め、断片的なカットをコラージュしたPVのような映像になる。
その間、物語は全く進行しない。

映画が始まって15分ぐらいの時点で、「ああ、これはマトモに考えちゃダメな映画なんだな。思考回路はオフにすべき映画なんだな」と気付かされる。
何しろ、舞台となっている街の名前を「破怒流地区」(これで「バトルちく」と読む)にしているようなセンスで作られた映画なんだから(勘違いしてほしくないのだが、決してバカにしているわけではない。「そういうセンスの映画」というだけだ)。
その後、それなりに物語は進行していくのだが、何となく輪郭がボンヤリしている。
それは難解な構造になっているとか、人間関係が複雑に入り組んでいるとか、そういうことではない。状況説明が上手くないのだ。
っていうか、たぶん石井監督の中に「分かりやすく描こう」という気持ちが無いんだと思う。

ハッキリと分かるのは、「ヤバそうな連中が、やたらと騒がしくしている(&下品にしている)」ということだ。
この映画は、過剰なほどの騒音と暴力に満ち溢れている。
それは『狂い咲きサンダーロード』と同じだが、まだ前作の方がストーリーテリングへの意識はあったんじゃないか。
今回はバンドを中心に据えたことで、「ストーリーテリングより、まず音楽。そこに暴力を乗っける」という意識が強まっているように感じられる。
劇中で暴力シーンが多く描かれるだけでなく、映像表現自体も暴力的だ。

前述したように、頭をカラッポにしてロックと暴力のコラボレーションに身を委ねるべき映画である。真面目に内容を捉えようとしても、骨折り損になるだけだ。
構成はデタラメで、バトル・ロッカーズ周辺のエピソードと下層民の関わるエピソードが並行して描かれるが、それは全く交差しない。
バトル・ロッカーズの方はそっちの人間関係だけ、下層民はそっちの人間関係だけで収まっている。坂田がバトル・ロッカーズと親しくなるとか、マッド・スターリンと黒沼が手を組むとか、相関関係がくっ付くことは最後まで無い。キチガイ兄弟が、1シーンでバトル・ロッカーズと少し絡むだけだ。
そこで互いの存在を知ったことも、その後の展開には全く繋がらない。

下層民の暴動とライブハウスの暴動は、同じ夜に発生している。しかし、連動しているわけではない。
下層民の方は、扱き使おうとするヤクザに対する反撃だ。ライブハウスの方は、警察に抑制されたフラストレーションの爆発だ。
それぞれの敵であるヤクザと警察が結託しているわけでもないし、原発とライブハウスも全く関連性が無い。別々のエピソードが、最後までバラバラのままで進行する。
そうそう書き忘れていたけど、劇中の警察は単なる警察ではなく、「バトル・ポリス」と称される組織になっている。
このバトル・ポリス、とてもカッコ悪い。
そのカッコ悪さを味わうのが、この映画の楽しみ方の一つだね(いや、それは確実に間違ってるぞ)。

(観賞日:2013年5月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会