『100回泣くこと』:2013、日本

沢村佳美は友人であるバッハとムースの結婚式に向かう途中、藤井秀一を目撃した。気付かないフリをして通り過ぎようとした佳美だが、秀一は「やっぱり雨、降りますよね」と声を掛けて来た。佳美が黙っていると、「誰も傘持ってなかったんで、恥ずかしかったんです」と彼は言う。式場に到着した佳美は、花嫁のバッハに「呼ばないって話だったのに」と抗議した。それはバッハも知らないことで、花婿であるムースが内緒で呼んだのだ。
佳美が「ムースの親友だからしょうがないけどさ、心臓止まるかと思った」と話すと、バッハは「2人のこと知ってる人には急いで話回すからさ」と告げた。「まだ迷ってんの?藤井に彼女いないけど、もう4年も経ってるんだよ」と問われた佳美は、「不思議なぐらい、そこに迷いは無いんだよね」と述べた。秀一は女友達から「心配した。迷子札とか下げてるのかと思っちゃった」と言われ、「記憶が無いのは事故以前の1年ぐらいだから。逆行性健忘って言って、新しく記憶が無くなるってことは無いんだ」と説明した。
秀一は佳美と2人になり、ブックという愛犬の散歩にバイクで行っていたこと、ブックが老犬の域に入っていること、重度の腎不全で長く会っていないこと、4年前に事故を起こしてからバイクに乗っていないことを語った。後日、藤井は佳美をデートに誘い、OKを貰う。佳美は職場の先輩である中村夏子に、そのことを話す。夏子が「癌の再発の可能性が消えるまで、あと1年でしょ。今は自分の体のことだけ考えてさ」と忠告すると、佳美は「昔と同じように付き合ったり出来ないのは分かってるから」と述べた。
藤井は母である和代からの電話で、もうブックがダメかもしれないと告げられる。顔を出してやらないかと求めれた藤井は、「すぐには無理だけど、頑張れって言っといて」と告げた。日曜日、佳美は藤井と会い、彼のバイクを一緒に洗って修理に付き合う。藤井が「後はこれだな」と壊れた腕時計を取り出すと、佳美は「そんなボロボロ、新しいの買えばいいのに」と言う。藤井は「動いてほしいんだよね。この時計と一緒に、俺の時間も止まってた気がするから」と口にした。
2人は石黒時計店へ行き、腕時計を修理してもらった。藤井と別れた後、佳美は列車を待つ駅で「5年生存率。癌の治療開始から5年間、再発がなければ、治癒と認める。」とスケッチブックに書いた。後日、藤井は佳美の携帯に掛けるが応答が無いので、ムースの元を訪れて彼女に家を知らないかと訊く。また会いたいのだと話す藤井に、ムースは「会社なら分かるかも」と告げた。佳美から相談を受けた主治医の南雲は、「悩む必要なんて無いんじゃないかな。癌患者と付き合うには、それなりの覚悟が必要になってくるんだ。自分の生活を変えなきゃいけないことだってある。それで一度、辛い思いをしてるんだから」と語る。
佳美は公園で子供たちと遊んでいる藤井を見つけ、声を掛けた。ムースに会社の場所を聞いたが、行っていいか迷っていたのだと藤井は話す。携帯に出なかった理由について、佳美は忙しかったと告げる。藤井は彼女に、ブックが自分で立って御飯を食べたことを語った。急に佳美が泣き出すと、藤井は「今度はちゃんと待ち合わせてして会ってほしい」と言う。彼が手を握ると、佳美は「私で良かったら、いつでも」と告げた。
佳美は夏子に、藤井と付き合うことに決めたと話す。「先生も私も、付き合うことには反対だから。向こうだって付き合ってたら、その先を意識するはずだよ。その時、アンタはどうしようと思ってるの?」と問われた佳美は、「嘘つくよ。私は終わるのを前提で生きてるの。また今度とか、そんな余裕、やっぱり無いから」と答えた。キャブレターの手入れをしている時、藤井は佳美にキスをした。佳美は「突然だけどさ、結婚してほしい」と言われ、「うん。結婚しよう」と答える。ただし彼女は、「あと1年。まだ付き合って間もないし。準備期間が欲しい」と提案した。
佳美は藤井の家へ行き、同棲生活を始めた。教会に忍び込んだ2人は、結婚式の練習をしてみた。1ヶ月が経過し、佳美は藤井と居酒屋に出掛けて反省会を開く。何か言いたいことは無いかと問われ、藤井は「連絡もせずに帰りが遅い時がある」と告げる。佳美は部屋を引き払っていないことを理由に挙げた。ある日、夏子が幼い娘の由香を伴い、家庭訪問と称して2人の元を訪れた。佳美は夏子と2人になった時、下腹部の痛みを感じた。その様子を見た夏子が心配すると、彼女は「藤井くんに言ったら絶交だからね」と釘を刺した。
佳美は体調を崩して熱を出し、藤井が看病する。「解熱の舞やって。熱を下げる踊り」と無茶ブリをされた藤井は、力一杯に解熱の舞をやってみた。佳美は「父が体調を崩して実家に帰らなきゃいけなくなった」と嘘をつき、病院で精密検査を受ける。検査に付き合った夏子に、彼女は「藤井くんには絶対言わないでよ。ずっと待ってたんだから。藤井くんとまた一緒にいられるのを、4年も待ってたんだから」と告げた。癌の再発を通告された彼女は病院の電話で藤井に連絡を入れ、泣きながら「私のこと、ずっと好きでいてくれる?」と尋ねる。「当たり前だろ」という返答を聞き、佳美は「明日も、明後日も、明々後日も電話するね」と告げて電話を切った。
翌朝、佳美は夏子の質問を受け、藤井に真実を言わなかったことを告げて「ちゃんと手術して完治したら、けろっと帰るんだから」と言う。「言い方キツいけど、藤井はアンタのために存在してるんじゃないよ。ホントのこと話して、それで理解してくれないなら、しょうがないじゃない」と夏子が語ると、彼女は「そんなの絶対に嫌だ。私は藤井くんに病人として見られたくないの」と言う。「だったら、あと1年待てば良かったでしょ」と夏子が告げると、佳美は泣きながら「私と藤井くんのことに口出さないで」と声を荒らげた。「私が人を好きになったらダメなの?」と訴える佳美に、夏子は「治そう。今は治すことだけ考えよう」と述べた。
実家に帰った藤井はブックを散歩に連れ出そうと考え、遊び道具のボールを探す。ダンボール箱を漁った彼は、自分宛ての手紙の束を見つけた。なぜ事故前のことを話そうとしないのかと藤井に問われた和代は、「先生も言ってたでしょ、無理に思い出そうとしたら精神的に参ってしまうって。アンタ、事故の後、頭を痛めて思い出したくないって自分で言ってたんだよ」と告げる。一方、バッハはムースに、「マジで藤井に話さないつもり?」と質問した。ムースは彼に、「私らが口出しすることじゃないし」と答えた。
バッハが「なんで俺まで藤井を騙さなきゃなんねえの」と不満を口にすると、「でもさあ、佳美が癌だって分かった時、逃げたのは藤井なんだよ。全部話したら傷付くのは藤井だし。だから、みんな嘘ついてるんでしょ」とムースは語る。「どうなりゃベストなの?」というバッハの問い掛けに、彼女は「佳美が完治して、何も無かったように戻って来る」と告げる。バッハが「ホントにそれってベストなの?なんか違うような気がするんだよなあ」と疑問を呈すると、ムースは黙り込んだ。
佳美の父である康彦は、南雲から「大丈夫ですよ。病巣は摘出しました。ただ、取り切れない小さな腫瘍は残りました」と聞かされる。南雲は他の部位に転移していたことを説明し、「これからは小さな腫瘍を叩いていくことになります。1クール3週間の抗癌剤投与を6クール続けます」と告げた。藤井は手紙に書いてあった住所を訪れ、大家に「空いてたらでいいんですが」と告げてアパートの部屋を見せてほしいと頼む。すると大家は、今も佳美が借りたままになっていることを告げた。部屋に入った藤井は、4年前に佳美と同棲していた記憶を断片的に思い出した。
彼は夏子の元を訪れて質問し、佳美の居場所を尋ねる。夏子は佳美が卵巣癌で入院していること、4年前に発症したこと、その直後に藤井がバイク事故を起こして彼女の記憶を失ったことを話す。「みんなで俺を騙してたんだ」と藤井が怒りを示すと、夏子は「それ、本気で言ってる?佳美の前でも同じこと言える?」と口にする。「誰もそんなこと言ってくれなかったじゃん」と藤井が感情的になると、「4年だよ。再発するかもしれないし、貴方が独り身だって保証も約束も無い中、佳美は4年も待ってたんだよ。騙してたとか、嘘ついてたとか、それぐらい許してあげてよ」と夏子は涙声で語った。
夏子が藤井を連れて病院へ行くと、廊下の椅子に康彦が座っていた。藤井が病室を覗くと、眠っている佳美の頭髪は薬の副作用でゴッソリと抜け落ちていた。藤井は顔を引きつらせ、病室を出た。康彦は藤井に、佳美の病状を説明した。彼から「あの姿を見て、藤井君に何が出来るかな」と問われた藤井は、「佳美と一緒にいたい」と告げる。すると康彦は、「4年前も君はそう言った。佳美が発症した時、君は傍にいてくれなかった。何もせずに部屋を飛び出した。事故に遭ったのは、その後だ」と話す…。

監督は廣木隆一、原作は中村航(小学館刊)、脚本は高橋泉、製作は小崎宏&林裕之&都築伸一郎&佐竹一美&藤島ジュリーK.&百武弘二、プロデューサーは松本整&宇田川寧、共同プロデューサーは大畑利久、撮影は鍋島淳裕、照明は豊見山明長、録音は深田晃、美術は丸尾知行、編集は菊池純一、衣裳は江頭三絵、音楽は上田禎、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌「涙の答え」関ジャニ∞ 作詞:Saori(SEKAI NO OWARI)、作曲:Nakajin(SEKAI NO OWARI)、編曲:野間康介。
出演は大倉忠義、桐谷美玲、大杉漣、宮崎美子、ともさかりえ、忍成修吾、波瑠、村上淳、中村有志、蜷川みほ、角替和枝、坂東工、岩崎未来、マーク・シリング、あべまみ、松木大輔、清瀬やえこ、鷲田詩音、関ファイト、谷口優人、吉原大地、Stephen Haugse、Kelemete Misipeka、Jacob Goodall、Kui Lee他。


中村航の同名小説を基にした作品。
監督は『きいろいゾウ』『だいじょうぶ3組』の廣木隆一、脚本は『ランウェイ☆ビート』『LOVE まさお君が行く!』の高橋泉。
秀一を大倉忠義、佳美を桐谷美玲、康彦を大杉漣、和代を宮崎美子、夏子をともさかりえ、ムースを忍成修吾、バッハを波瑠、南雲を村上淳、時計店の主人を中村有志、藤井の主治医を蜷川みほ、大家を角替和枝が演じている。

冒頭シーン、藤井は佳美に敬語で話し掛けている。
つまり、かつて恋人だったことを完全に忘れており、初対面という認識で話し掛けているってことだ。
ところが結婚式のシーンではタメ口に変化しており、かなりフランクな態度で喋っている。
そもそも、ムースやバッハがセッティングしたわけでもなく、佳美から接触したわけでもないのに、2人きりで話している状況からして「距離を詰めるのが早すぎるだろ」と言いたくなる。

そこに限らず、導入部からしてスムーズじゃない描写が多すぎるし、無駄にゴチャゴチャしている。
例えば、女友達に話し掛けられた藤井が「記憶が無いのは事故以前の1年ぐらいだから。逆行性健忘って言って、新しく記憶が無くなるってことは無いんだ」などと説明するのは、あまりにも不格好だ。
そもそも逆行性健忘症について説明している時点で不格好ではあるが、そのためだけに女友達を使うぐらいなら、せめて佳美に説明する形にでもした方がいい。そうすれば、無駄に女友達との会話シーンを入れる必要が無くなる。
あと、藤井と佳美が2人きりで話す時点で、まだムースが一言も発していないってのは、キャラの出し入れが下手すぎるわ。その段階では、もう藤井とムースの会話シーンを済ませておくべきだよ。

藤井が「最初は佳美に敬語、次の瞬間にはタメ口」という言葉遣いの変化を見せているのと同様、佳美の夏子に対する言葉遣いも気になる。
序盤で夏子が初登場した時、佳美は「先輩」と呼んでいる。ところが、それ以降は「夏子」で統一されている上、ずっとタメ口で話しているのだ。
どうやら親友という設定らしいけど、だったら最初に「先輩」と呼んでいたのは何だったのか。
あと、桐谷美玲とともさかりえの年齢差を考えると、「タメ口で喋る親友」ってのは違和感があるし。普通に「信頼できる先輩」の設定で良かったんじゃないのか。
あと、冒頭で「親友の結婚式」に行ったはずなのに、親友であるバッハがほとんど話に絡まないのは扱いが雑だと感じるし。

逆行性健忘症について藤井が女友達に台詞で説明するのも不格好だが、それを超える不格好なシーンが待ち受けていた。
藤井のバイクと時計を修理するのに付き合った佳美が帰りの列車を待つ駅でスケッチブックを開き、「5年生存率。癌の治療開始から5年間、再発がなければ、治癒と認める。」と書くシーンがあるのだ。
なんちゅう野暮な処理をするのかと。
っていうかさ、逆行性健忘症にしろ、5年生存率にしろ、そこまで明確な形で、言葉や文字にしなきゃダメかね。もうちょっとボンヤリさせていても、それなりに伝わると思うけど。そして、その程度の伝わり方でも充分だと思うんだけど。

「藤井が事故の影響で逆行性健忘症になっており、佳美のことも覚えていない」という設定が明らかになった段階で、「かなり上手く表現しないと陳腐なメロドラマになってしまうし、リスクの高い要素を持ち込んでいるなあ」とは感じる。
とは言え、上手く使えば観客を感涙させることの出来る要素ではある。
大倉忠義と桐谷美玲のコンビだと、年齢的な面も含めて厳しいかなあとは思いつつ映画を見ていると、ある意味では予想の斜め上を行く展開が待っていた。
「逆行性健忘症の設定をいかに使いこなすか」というポイントに注目していたら、この映画は「それ以外の要素を増やす」という答えを用意していたのである。

その要素というのは、「かつて佳美を癌を患っており、再発の可能性がある」という設定だ。
ハッキリ言って、それは前述の質問に対する答えになっていないし、ピントが完全にズレているのだが、どうやら製作サイドは「不幸な要素を増やせば感動も増える」というYoshi先生的な考えに至ったらしい。
しかも驚くべきことに、その要素を中盤や後半に明かして話に盛り上がりを付けようとするのではなく、逆行性健忘症の設定が提示された数分後、まだ映画が始まって10分も経たない内に明かしているのだ。
なんだ、そのセンスは。普通に考えれば、藤井からプロポーズされた佳美が1年間の準備期間を置こうと提案した時や、その後に明かすべきでしょ。

で、そんなに早い段階で2つも「カップルが見舞われる不幸」の要素を持ち込んでいる割には、それが「観客が2人に同情心を抱くための要素」として充分に機能しているとは言い難い。むしろ、サラッと処理している印象を受ける。
廣木隆一って良くも悪くも、メロドラマ的な演出が下手なのか、あるいは好きじゃないのか、どっちかなんだろう。しかし、静かに淡々と描いている中から、2人の抱える辛さや悲しみがジンワリと滲み出してくるわけでもない。
この映画の場合、お涙頂戴の路線で味付けした方が、まだマシだったんじゃないかと思うんだよな。
あくまでも「まだマシ」という程度であり、そうすれば傑作になるというわけではないけど。

ちょっと調べたら、逆行性健忘症ってのは映画オリジナルの要素であり、原作小説は「藤井がプロポーズした後で佳美が体調を崩し、精密検査を受けて癌が判明し、やがて息を引き取る」という話らしい。
ってことは「かつて癌を患い、再発の可能性を感じている」ってのも映画オリジナルの要素ってことなのね。
つまり製作サイドは原作の要素だけでは弱いと感じて、「観客を泣かせるためには、逆行性健忘症と、再発の可能性という2つの要素を足そう」と考えたのね。
でも、そこまで変えるなら、もはや原作を使う意味が無くなってるんじゃないかと思うんだけど。

序盤、ブックの具合が悪いことを母から聞かされた藤井は、「今すぐには行けないけど」と告げている。バイクを修理して佳美と一緒に行こうとした時も、キャブレターの不調で行かないままに終わっている。
そういう描写からすると、「藤井が実家に戻ってブックと会う」ってのは大きな意味を持つイベントとして後に引っ張っているのかと思いきや、夏子が佳美に「治そう」と告げるシーンの後、カットが切り替わると藤井が実家の縁側でブックと並んでいる。
なんだよ、その淡白な処理は。
そんな簡単に会っちゃうのかよ。

たぶん原作だと愛犬ブックも重要な意味を持っているんだろうし、「藤井と佳美の恋愛関係」と上手く絡めてあるんだろう。そして、老齢で闘病生活に入っているブックと、癌の進行する佳美の状況も、上手く重ねてあるんだろう。
しかし、この映画版だと、ブックの存在意義が全く感じられない。
仮にブックの存在を排除したとして、それが何が困るか、どんな影響が出るかと考えた時に、何も思い浮かばない。
ようするに、いてもいなくても変わらないってことなのだ。

体調管理に専念すべきだと忠告する夏子に対し、佳美は「終わるのを前提で生きているから、藤井と交際する」という考え方を示す。
その考え方は理解できるけど、交際するのであれば、ちゃんと真実は明かすべきじゃないかと思うのよ。佳美が癌のことを内緒にしたまま藤井と交際するってのが、不誠実に思えてしまうんだよなあ。
例えば、「癌が再発する可能性があるから、好きだけど交際には消極的」という手順があって、「でも藤井が熱烈にアタックするので交際することに」という展開になれば、佳美の決断を受け入れやすくなるだろう。
でも、そんな手順は無く、最初から何も迷わずに付き合いを始めている。

交際が始まった後に、「真実を話すべきだけど、それによって彼が離れていくことが怖い」という不安を見せてくれれば、そこに共感することが出来たかもしれない。
でも、そういう気持ちで内緒にしている感じは受けないんだよね。1年間の準備期間にしても、「癌の再発が無いことを確認してから結婚したい」という自分の気持ちだけの問題であって、藤井への気遣いから提案したわけではないのだ。
真実を言わない理由として、佳美は「私は藤井くんに病人として見られたくないの」と説明するが、夏子から「だったら、あと1年待てば良かったでしょ」と正論を言われてしまう。「アンタに何かあったら、苦しむのは藤井なんだよ」と言われると、今度は「私が人を好きになったらダメなの?」と口にする。
人を好きになるのはダメじゃないよ。そうじゃなくて、好きになった相手に真実を隠していることを責められているのよ。
論点をズラしちゃイカンよ。

4年前、佳美が急に病院で検査を受けると言い出したので、藤井は「なんでそんな大事なこと急に言い出すの?っていうか前に治ったって言ってたじゃん」と責め立てる。それに対して佳美は「言えないよ。だって、もう子供産めないかもしれないんだよ」と告げる。
つまり彼女が内緒にしていたのは、「もう子供が産めなくなるかもしれないから」ってのが理由なのだ。
そんなことで、「藤井が自分を嫌いになるかも」と思ったのか。まるで信頼関係ゼロじゃねえか。
そういうの、まるで同情できないよ。
ただの独りよがりであり、キツい言い方をするなら「不幸な自分に酔っている」ってだけだよ。
っていうかさ、佳美は「私、子供産めなくなっちゃった、で済む問題?」と語るけど、極端に言っちゃえば、それで済む問題だよ。

これが例えば、かなり高年齢のカップルで、「今を逃すと子供を持てるチャンスが無くなる」という状況なら、子供に対して強いこだわりを見せるのは分からんでもない。
藤井がずっと「子供が欲しい」と言っていたなら、それも理解の手助けになるだろう。
だけど、そういうのが何も無くて、それどころか結婚してもディンクスになる匂いさえ漂わせるカップルなので、違和感が強い。
前半で藤井が少年たちと遊んでいる様子を描いており、そこで彼の子供好きをアピールしているつもりかもしれんけど、その程度では弱いし。

まだ数回しか会っていないのに、交際を決めた直後なのに、藤井は佳美にキスしてプロポーズする。
その直前に夏子が「向こうだって付き合ってたら、その先を意識するはずだよ」と結婚に対する考えを尋ねるシーンがあるのだが、その直後にプロポーズという展開が待ち受けているのだ。
すんげえ拙速なのだ。
で、なんで慌ただしい展開になっているかというと、原作だと既に交際中だったのに「かつて交際していたことを藤井が忘れている」という設定になっているからだ。

原作と設定を変えたせいで、藤井と佳美の関係をゼロから始める必要が生じている。
それでも、「藤井が逆行性健忘症で佳美との過去を忘れている」という要素だけなら、「2人が交際を決め、愛を育み、藤井がプロポースして」という手順に充分な時間を費やすことも可能だっただろう。
しかし、その後には「佳美が癌になり、そして闘病の末に息を引き取る」という展開が待ち受けており、そこにも時間を割く必要がある。
そのため、「交際開始から求婚まで」の経緯をバッサリと削ぎ落としているわけだ。

しかし根本的なことを言ってしまうと、逆行性健忘症の設定なんて要らないんだよね。
その設定と「佳美の癌」は、全く相乗効果を生んでいない。それどころか、「佳美に癌が再発する可能性が」という要素が提示されると、もはや逆行性健忘症の設定は無価値に等しい物に成り下がる。
逆行性健忘症なら逆行性健忘症、癌なら癌、どちらか1つに絞り込んだ方が絶対にいい。
原作の内容からすると、どちらに絞り込むべきかは明らかだ。逆行性健忘症の設定を使いたいなら、その1本だけで映画を作るべきだ。
どっちも盛り込んだ結果、見事なぐらいの「二兎を追う者は一兎をも得ず」になっている。

後半、「癌の発症が4年前で、その直後に藤井が事故を起こした」ということが明らかとなるが、その辺りでようやく、逆行性健忘症の設定がマトモな形で活用される。
最初に「佳美が発症した時に藤井が何もせず逃げ出した」という周囲の認識が提示され、その後で藤井が真実を思い出すという手順が用意されている。
でも、「だから何なのか」と言いたくなってしまう。
結局、そこで意味のある使われ方をしたところで、逆行性健忘症の要素が「佳美の癌」という要素と相乗効果を生まないってのは変わらないんだよね。

(観賞日:2015年4月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会