『のぞみ ウィッチィズ』:1990、日本

高校1年生の司葉遼太郎は、夏休みの間に都内から引っ越してきた。彼は引っ越す直前に中学1年から好きだった同級生に告白したが、「迷惑」と言われていた。司葉家の隣には、1人の女性が引っ越してきた。ロングスカートの女性を見て、その美しさに遼太郎は驚いた。翌日、土手へ出掛けた遼太郎は少年と出会い、隣の女性の弟だろうと考える。
2学期が始まり、遼太郎は陽西学園の1年C組に転校生として紹介される。その通りには、同じ転校生として隣の美人・江川望もいた。遼太郎は、土手の少年とロングスカートの女性が同一人物だったことに気付いた。ニュージーランド帰りの望は、英語がペラペラだった。父親は仕事の都合で帰国しておらず、先に望だけが戻ってきていた。
望は、山崎瞳という生徒がスケバンに苛められている現場を目撃し、得意のボクシングで助けた。男性恐怖症だという瞳に、遼太郎は心を奪われた。ひょんなことから望は遼太郎を挑発し、遊びでボクシング対決を仕掛けた。怒って本気になった遼太郎の目を見て、望はボクシングをやっていた亡き兄の面影を重ね合わせた。
陽西学園には、必ず何かの部活動をしなければならないという校則があった。校内を歩いていた望と遼太郎は、ボクシング部の練習に大勢の生徒達が集まっているのを目撃した。2年B組の南条章吾がスパーリングをしていたのだ。彼は生徒会長で、高校に入ってから無敗の記録を続けていた。遼太郎は望からボクシング部に入るよう勧められるが、笑って断った。
望は瞳が所属する舞台研への入部を希望するが、高飛車な態度の北川部長から「今すぐここでオーディションをする」と告げられる。しかし望は1人芝居で『ピーター・パン』を演じ、その天才的な能力を発揮して入部を認められた。後日、遼太郎は教科書に瞳からのラブレターが入っているのを発見し、指示された講堂へ向かう。だが、それは遼太郎を入部させるために舞台研のメンバーが仕組んだことだった。遼太郎は唯一の男性部員として、半ば強引に舞台研へ入部させられた。
学園祭に向けて、舞台研は『ロミオ&ジュリエット』の上演を決めた。しかし遼太郎は乳母役で、ロミオは望、ジュリエットは瞳が演じることに決まった。部員たちは練習を積み、いよいよ学園祭の当日となった。だが、瞳が急性胃腸炎で倒れてしまう。そこで部長は望にジュリエットを演じさせ、遼太郎をロミオ役に指名した。遼太郎はセリフもマトモに喋ることが出来ず、口づけのシーンでは手を滑らせて本当に望にキスしてしまう。最後はセットをなぎ倒し、観客の爆笑を招くハメになった。
学園祭が終わって数日後、遼太郎は望に「好きだ」と告白するが、「ボクも君に興味以上のものはあるけど、今はゴメンとしか言えない」と返される。2人が家の近くまで来た時、遼太郎はいきなり1人の女性に投げ飛ばされる。その女性は、柔道と空手をやっているという望の従姉だった。夜、彼女は上半身裸で窓を開放し、遼太郎に挨拶するという大胆な行動を見せた。
舞台研ではコンクールに向けて動き始め、望は白鳥の1人芝居をすることになった。遼太郎は部長から「芝居の中でボクシングの場面があるから」と言われ、ボクシング部への出向を命じられた。遼太郎は厳しい練習を強いられ、ヘトヘトになる。遼太郎は望に、ボクシングを教えて欲しいと頼んだ。望は、遼太郎の動体視力の良さを知る。遼太郎は、昔から動くモノが良く見えたこと、遊びならパンチをかわせるが緊張すると体が堅くなってしまうことを語った。
望の協力でボクシングの腕を上げた遼太郎は、ボクシング部監督からインターハイへの出場を指示される。驚く遼太郎だが、既に舞台研を除名になり、正式なボクシング部員として登録されていた。実はボクシング部への出向は、その才能に気付いていた望が北川部長に頼んで仕組んでもらったことだった。
遼太郎がインターハイに向けた練習を積む一方、望は白鳥の演技が上手く行かずに悩んでいた。望はスワンに成りきるため、プリマドンナの千野真沙美の公演を見に行く。さらに彼女は遼太郎と共に、白鳥が集まるという湖にも出掛けた。そこで望は、自分だけのスワンの演技を発見した。やがてインターハイ予選が始まり、遼太郎は順調に勝ち進んでいく。そして準決勝の相手が棄権したため、後は別の日に行われる決勝戦を残すのみとなった。しかし、その相手とは南条章吾だった・・・。

監督&脚本は関本郁夫、原作は野部利雄、製作は高倉英二、企画は新井一夫、プロデューサーは三浦道雄&大曲暎一、製作プロデューサーは菅原郷史、製作プロデューサー補は萩(本当は「火」の部分が「亀」)原芳子&工藤慶子、撮影は野口幸三郎、編集は冨宅理一、録音は信岡実、照明は小中健二郎、美術は渡辺平八郎、凝斗は中瀬博文(十二騎会)、パントマイム指導は米山ママコ、バレエ指導は谷口登美子、舞台演技指導は村田元史、音楽は広瀬健次郎、選曲は細井正次、パーカッションはせつこ藤本、
主題歌「BELIEVE IN YOURSELF」作詞は影森潤、作曲は小林健、編曲は船山基紀、唄は藤谷美紀。
主題歌「HEARTBEATが聞こえる」作詞は佐藤ありす、作曲は羽場仁志、編曲は林有三、唄は宮下直紀。
出演は藤谷美紀、宮下直紀、宍戸錠、由紀さおり、常田富士男、長倉大介(現・永倉大輔)、市川紀子、澤崎愛子、細川直美、赤塚真人、片桐はいり、具志堅用高、福田健吾、千野真沙美、ライオネス飛鳥、長江英和、直江喜一、佐藤江珠、三野輪有紀、山口祥行、黒田勇樹、幸内康雄、土屋貴子、斉藤高広、吉田愛弓、入沢宏彰、高木雅代、本田利興、江尻正美、山田祐己、高橋ひとみ、上舞洋志、鍋島美保子、竹本雄一、渡辺とく子ら。


週刊ヤングジャンブに連載された同名漫画を基にした作品。
正確なタイトルは、「のぞみ」と「ウィッチィズ」の間にハートマークが入る。
望役の藤谷美紀は第1回全日本国民的美少女コンテストグランプリ受賞者で、これが映画初主演。遼太郎を宮下直紀、遼太郎の父を宍戸錠(特別出演)、遼太郎の母を由紀さおり、白鳥の世話人を常田富士男、南条を長倉大介、北川部長を市川紀子、瞳を澤崎愛子、遼太郎の初恋の人を第2回全日本国民的美少女コンテストグランプリの細川直美が演じている。
他に、英語教師を赤塚真人、古典教師を片桐はいり、ボクシング部監督を元WBA世界ジュニアフライ級王者の具志堅用高が演じている。
望の兄を演じるのは、当時はスター扱いされていた三迫ジムの現役ボクサー、福田健吾。千野真沙美は本物のバレリーナで、バレエ指導は彼女の母・谷口登美子。スケバン役のライオネス飛鳥は、これが映画デビュー。スケバンが連れて来る巨漢のボクシング部員を長江英和、ボクシング部のセコンドを直江喜一、クラスメイトの新体操部員を山口祥行が演じている。

宮下直紀の演技は拙いが、こちらはまだヘタレ男という設定の分だけ救いがある。
問題は藤谷美紀だ。
彼女が演じる望ってのは、英語がペラペラで芝居が天才的でボクシングも強いという万能キャラクター。
これがツラい。
藤谷美紀が喋る英語は拙いし、ボクシングも一応は練習したんだろうけど、やはり動きはイマイチだ。
芝居の部分が、何よりもキツい。
『ピーター・パン』の場面では、望がパッとピーター・パンの衣装に変わってアニメで描かれた空を飛ぶという演出に逃げているが、それだけで誤魔化しきれるものではない。

ただし、だからって、望の配役を変えるわけには行かないのよね。
まあ、どうせ「英語がペラペラで芝居が天才的でボクシングも強い」という万能キャラをこなせる若手女優なんて見当たらないだろうけど、そういうことじゃなくて、何しろ藤谷美紀を見せるためのアイドル映画なのでね。
そんで問題は、そういう目的を持った映画なのに、この原作を選んだのはなぜなのかってことよ。
もっと等身大のキャラ、ハッキリ言えば大して芝居をさせずに済むキャラが主役の映画にすればいいのに。

不憫なキャラが色々といて、例えば前半で遼太郎が瞳に惹かれるという場面があるが、学園祭以降は瞳が完全に消えている。
遼太郎の両親は最初に登場するだけで、後は全くノータッチ。
最もヒドいのが、望の従姉。途中で派手な登場をするから話をかき回す役目かと思ったら、そのシーンだけで出番は終わっている。
ただの脱ぎ要員なら、そこまで意味ありげな扱いをするなよ。

序盤、遼太郎が隣家を見ていると窓が開き、その向こう側が宇宙になっていて、燕尾服でステッキを振る望が出現するという安い演出が爆裂する。
「良くも悪くも1980年代だよな」と思っていたら、1990年の映画だった。
で、その望を見て遼太郎が「魔女だ」と驚くが、そこでタイトルに引っ掛けたセリフを言わせるのは無理があるぞ。

転校初日、遼太郎が制服姿の望を見て、ロングスカートの女性と土手の少年が同一人物だと気付くという描写がある。
そりゃ無理があると思うぞ。
そこで気付くぐらいなら、土手で少年を見た段階で気付くだろ。
あと、遼太郎が望のことを「ウィッチィズ」と普通に呼ぶシーンが前半だけあるが(後半に入ると忘れ去られる)、それだと魔女が複数形になってるだろ。

舞台研の面々が遼太郎を騙して入部させるという展開が、どうにも解せない。
望に厳しかった北川部長が、そこで急に入部基準を甘くする理由が分からんぞ。
遼太郎が芝居の才能を見せているわけでもないんだし、「男が必要だから」ってのは理由にならない。しかも、その唯一の男である彼に『ロミオ&ジュリエット』で男役をさせるわけでもない。
それなら、まだ遼太郎が瞳に惚れているから入部を志願するという方が納得しやすい。

というか、そもそも芝居の部分は全てカットしてしまった方がいい。
もう序盤でボクシングに向けてのネタを振ってるんだし、そこに話を絞り込んで青春ボクシング映画にした方がスッキリする。
しかし最初にボクシングのネタ振りをして以降、遼太郎がボクシング部に出向させられるまでは完全スルーなんだよな。
だったら、早い内にボクシングのネタ振りする必要無いだろ。

前半で簡単に望のパンチを食らってた遼太郎が、後半では簡単にパンチを見極めて、「すごい動体視力だ」ということが判明する。
ただ、そうなると前半のシーンの説明が付かない。
「遊びだとかわせるが、本気だと緊張してしまう」という説明があるが、前半の望とのボクシングシーンは、明らかに遊びの範疇だからね。

遼太郎がボクシング部に出向させられたのは、望がボクシングの才能を見抜いて仕掛けた作戦だったと明かされる展開がある。
これも無理がある。
望が遼太郎の動体視力に驚くのは、ボクシング部に出向した後のことだ。
望は遼太郎のどこに才能を感じたんだろうか。
まさか、「本気の目が兄と同じだったから」というだけで納得しろと言うんじゃないだろうな。

この映画は、青春ボクシング映画にした方がいいのは明白だが、そうすると困ったことが起きる。ボクシングがメインになると、望の存在感が薄くなってしまうのだ。
だから、望が白鳥の演技で悩むという話も後半では描いていく。
で、これが見事に映画を散漫な印象にさせている。
もう芝居なんて、どうだっていい段階に入ってるのよね。話としては完全にボクシングに舵を切った後で、白鳥の芝居に悩まれても、そんなの知らんよ。

その白鳥の芝居、湖の世話役が白鳥について物語を語ると、アニメーションで説明されるという演出がある。
世話役が常田富士男だから日本昔ばなしでも意識しているのかと思ったりするが、でも違うだろ、その演出は。
この映画、たまにアニメが入るが、それ自体は別にいい。ただ、使い方をもっと考えようよ。
少なくとも、そのシーンは違うぞ。

そこで白鳥の演技を掴んだ望は、舞台研の面々や遼太郎の前で1人芝居を演じる。
ここに長く時間を割いているが、ものすごくキツい。
その1人芝居の中だけさえ話がバラバラでまとまっていないのがスゴい。
で、その後に遼太郎が南条と戦うシーンがクライマックスとして用意されているが、2人の間に因縁も友情も何も無いし、盛り上がるための要素がそこには見当たらない。
演劇とボクシングを両方とも追い掛けて散漫すぎる内容になっているが、たぶん原作が連載途中で路線変更したという事情を考えずに、その中身を基本的に踏襲しようとしたから、おかしくなったんだろうな。

私もハッキリと記憶しているわけではないが、確か原作漫画は当初は演劇をメインに据えたラブコメで、それが途中からボクシング漫画に移行していったはず。
で、ボクシング漫画に移行してからは、望の存在意義がどんどん下がっていったと記憶している。
それでもタイトルにまでなっているキャラをないがしろにするわけにもいかず、お色気担当として使われていたような気がするぞ。
そういえば同じ原作者の『ミュウの伝説』も、大枠はファンタジー・アクション漫画だったけど、中身はエロかったんだよな(って映画と何の関係も無いな)。

 

*ポンコツ映画愛護協会