『ノストラダムスの大予言』:1974、日本

嘉永五年(1853年)、長崎。蘭学者の西山玄哲は門弟たちに対し、ノストラダムスが『諸世紀』で書いた内容について語る。彼は鎖国政策を取っている日本に外国の黒船が来訪し、貿易を強要して大騒ぎになると説明する。しかし幕府は玄哲を危険人物と断定して捕縛し、妻のおりんは彼の保有していた『諸世紀』を持って逃亡した。ペリーが浦賀へ来航した後、その『諸世紀』は玄哲の息子である玄武、そして孫の玄学へと伝わった。
太平洋戦争の末期。哲学者の玄学は読書会を開いて仲間の医者や教師たちを集め、『諸世紀』の講義を行っていた。憲兵隊は玄学を逮捕し、日本の敗戦を断言した彼を厳しく糾弾する。しかし玄学はノストラダムスの予言が全て的中していることを語り、新型爆弾が投下されることを柏尾少佐に告げた。現在。西山家の末裔で環境学者の良玄は、ジベレリンを使って食糧問題の解決にしようとする政府の方針を批判する。稲に全面散布すれば成長率は著しく向上するが、人間の体内に蓄積されれば癌による大量死を招くと彼は断言した。
良玄の一人娘であるまり子は、子供バレエ教室の講師を務めていた。恋人でカメラマンの中川明がアフリカ出張から帰国したので、まり子は喜んだ。良玄は工場にセスナを飛ばして度重なる航空法規違反を犯したため、警官たちが西山環境研究所へやって来た。良玄は悪びれず、工場が有害物質を垂れ流していると主張する。彼は扇町で多くの小学生がマスクを着用して登校している事実を説明し、保護者に会って事情を聞くよう警官たちに要求した。
まり子が明を連れて研究所を訪問すると、良玄は日本の環境が悪化していることを話す。明はアフリカの現状について、水を失った人間と野獣の死が増えていることを語る。そこへ良玄の助手が来て、夢の島でナメクジのような巨大な化け物が見つかったという情報を伝えた。良玄たちが車で夢の島へ行くと、自衛隊が大規模な火炎放射を実施していた。良玄は化け物を焼き尽くすのではなく捕獲して調べる必要があると訴えるが、相手にされなかった。 夜、明は西山家に招かれ、良玄の妻である伸枝が用意した鍋料理を御馳走になる。良玄は彼に、「この豆腐の中には防腐剤が入っている。長く食べていると癌や流産、そして染色体の遺伝子が突然変異を起こす」と語る。伸枝が驚くと、彼は「魚から作るハムやソーセージにも使っている物がある。つまり二代目、三代目には奇形児が産まれる心配がある」と教えた。彼は人間を取り巻く有毒物が巨大ナメクジを生み出したのだと言い、『諸世紀』の一節を語った。
恐怖の大王について明が質問すると、良玄は「そうならないように努力しなきゃいけない」と口にする。良玄は少し照れながら、まり子と明に性的関係が既にあるのかどうか問い掛けた。彼は「しかし子供は作るなよ」と釘を刺し、安心して子供を産める状態ではないと告げた。まり子は自分のレッスン場にも自宅にも、良玄のせいで何度も脅迫電話があることを打ち明けた。良玄は憤るが、伸枝は大した問題ではないと告げた。
「自然と人間と未来」と題した討論会が開かれ、植物学者は自然保護の重要性を訴える。1人の主婦が立ち上がって「宅地造成が一概に悪いとは言い切れない」と反論すると、良玄は「高度成長のせいで日本が破壊されては大間違いだ」とバランスが大切であることを語る。ある青年が「将来の東京は今より近代都市化して、ますます便利で快適に暮らせるようになるのでは」と質問すると、動物学者が「動物は過密状態が続くとストレスが溜まって死ぬ」と解説した。1人の中年男性が「今の生活を放棄しろということですか」と反発すると、良玄は「現在の物質的享楽に固執することが自然を破壊する」と説いた。
その頃、明の故郷である漁村では赤潮が発生し、大漁の魚が死んで浜に打ち上げられた。明の父は入水自殺を図り、慌てて制止した息子たちに「誰にも分かるもんか」と叫んだ。その夜、明とまり子は浜辺で語り合う。「人間は狂い始めているんじゃないか」と明が言うと、まり子は「私は人間を信じるわ。人間がしたことですもの、人間が直せないことはないでしょ」と告げる。彼女は「私は目の前にいる貴方を信じているわ。だから人間を信じているのよ」と言い、明と性的関係を持った。
知り合いの病院長と会った良玄は、北九州の総合病院では奇形児の出産例が異常に増えていることを知る。全て脳死として処理することに彼は異議を唱えるが、病院長に「先生なら、そんな子をこの世に送り出せますか」と質問されると黙り込んだ。彼が原因を訊くと、病院長は「複合的結果としか言えません」と答えた。研究所で勤務する木田の娘も奇形児を出産し、脳死として処理されていた。良玄がお悔やみを言いに行くと、木田は「私たちがやって来たことは、少しは役に立っているんですか」と感情的になった。妻に諭された彼は冷静さを取り戻して謝罪するが、良玄は「君の言っていることは全て正しい。私は自分の無力を恥じる」と述べた。
良玄は田山という男に話し掛けられ、妻の浜子が精神科へ診察に来たのだが相談したいことがあると言われる。良玄は研究所へ来るよう告げ、病院を後にした。ニューギニア奥地で異常事態が発生した懸念があるため、国連は調査団を派遣することになった。良玄は日本代表の吉浜と大根を見送るため、所員の井原たちと共に羽田空港へ赴いた。良玄は研究所へ戻り、息子を連れた田山夫妻と面会する。浜子が人類の危機について真剣に尋ねると、良玄は「大丈夫だよ。私は世の中に警告を発したんだ。日本人は、それほど馬鹿じゃないよ」と笑顔で元気付けた。しかし彼は「東京にアパートを買うよりも田舎の畑で芋でも育ててはどうか」と持ち掛け、子供が大きくなるまでに少しでも住みやすい日本にするのが日本の務めだと説いた。
良玄は銀行からの資金援助を断られ、圧力があったと悟る。尼崎では奇病が発生し、良玄は所員の井原から患者の骨格写真を見せられる。全体に骨格が縮んでいたが、詳しく調べるために良玄は尼崎へ飛ぶことにした。明はまり子と舞踏公演を見ている最中、踊り子たちが急に小さく見えたので狼狽した。次の日、地下鉄のトンネルで雑草が異常に発育する事件が発生し、良玄は環境庁会議室で「日本中で起きている奇怪な現象の1つに過ぎません」と語った。
良玄は「福島県の亜鉛鉱山の廃坑近くにある部落では、同じ水源の地下水を飲んでいる。ある能力の発達した子供が何名か生まれている」と言い、その子たちが死んでいることからも末期的症状なのは確かだと訴える。公害を科学技術の進歩で克服しようとする政府の方針について、良玄は「その新しい技術が、また公害を生む。かつて文明の頂点まで栄えた都市は全て滅亡している」と批判した。理想主義のキワモノだと皮肉られた彼は、ノストラダムスの言葉を借りて人々に警告しているのだと述べた。
クリスチャンの環境庁長官から「貴方が権力を握った政治家なら、どうします?」と率直な意見を問われた良玄は、「まず科学的なデータを全て国民に知らせます。その上で、向こう十年間、最低必要以外の産業はストップする」と語る。さらに彼は、人口抑制のためには弱き者や能力無き者を排除すべきだと主張した。ナチスのような考えだと糾弾された彼は、人間が生き延びることが必要なのだと正当性を主張した。そこへ、ノイローゼ気味だった開発大臣が庭の木に登ったという報告が入った。
大気汚染によって微粒子上の塵が太陽を遮り、地球は寒冷化した。エジプトでは大雪が降り、ハワイ北部の太平洋上では海上が氷結した。スイスのジュネーブでは国会議が開かれ、世界的な大干ばつについて話し合いが持たれる。先進国は発展途上国の人口増加が原因だと指摘し、発展途上国は先進国の贅沢な食生活が問題だと反論した。会議から帰国した良玄は、公害問題査問委員会に出席した。日本の自給率の低さを彼が問題視すると、首相は農政の変革を断行していると語った。良玄は安易に解決できる問題ではないと指摘し、具体的な案を要求した。そこへニューギニアの国連調査団が消息不明になったという知らせが届き、良玄は第二次調査団に立候補した。
明も参加した第二次調査団は、ニューギニア奥地へ向かった。ジャングルを進んだ一行は、放射能で巨大化した食虫植物やコウモリを発見した。巨大ヒルが隊員のフランクを襲ったため、良玄は引き剥がして輸血の準備を指示した。良玄の分析により、ヒルは汚染されたコケを食べて強烈な放射能を帯びていることが判明した。脳を侵されたフランクは凶暴化し、明たちが慌てて取り押さえた。調査団は食人鬼と化した原住民に襲われ、発砲して追い払った。調査団は逃げる原住民の後を追い掛け、洞窟を調べた。すると汚染への抵抗力が無い第一次調査団は、生きたまま死人のような状態になっていた。
調査隊員が彼らを射殺しようとすると、明は慌てて制止する。しかし「こうする以外に君は何か出来るかね?」という問い掛けに明は何も言えず、良玄は拳銃を構えて吉浜と大根に発砲した。良玄は苦悩し、「これは地球で起こったことなんだ。明日には地球の上は、地獄になるかもしれん」と呟いた。日本では瀬戸内海上空で超音速輸送機の爆発事故が発生し、オゾン層が破壊されて超紫外線が地上に降り注ぐ。各地で山火事やコンビナートの爆発事故が頻発し、被害は拡大する一方だった。北極上空でも超音速輸送機の爆発事故が発生し、氷山は次々に崩壊した。異常な大雨が続いて大規模な洪水が発生し、各国の穀倉地帯は壊滅状態に陥った。
伸枝は体調が悪化して寝込み、まり子が看病する。伸枝が娘の妊娠に気付くと、まり子は誰にも話していないことを明かす。伸枝は伊勢の親戚と話を付けたことを教え、赤ん坊のために移住するよう勧めた。多忙な良玄は全く家に戻っておらず、まり子から電話を受けても仕事を優先した。政府は冷静な行動を国民に訴え、1年間の備蓄食糧があることを説明する。首相は配給態勢を整え、すぐに放出するよう指示した。しかし食料を求める人々は暴動を起こし、機動隊や警官隊と争いになった。高速道路は首都圏脱出を目指す車によって大渋滞となり、苛立った男の暴走による大事故が発生した…。

監督は舛田利雄、特技監督は中野昭慶、原作は五島勉『ノストラダムスの大予言』より(祥伝社ノンブック)、構成・脚本は八住利雄、潤色は舛田利雄&坂野義光、製作は田中友幸&田中収、撮影は西垣六郎&鷲尾馨、美術は村木与四郎、録音は増尾鼎、照明は小島真二、協力監督は坂野義光、編集は小川信夫、振付は川西清彦(西野バレエ団)、音楽は冨田勲。
出演は丹波哲郎、由美かおる、黒沢年男、司葉子、山村聡、志村喬、平田昭彦、小泉博、谷村昌彦、鈴木瑞穂、内藤武敏、佐々木勝彦、竜崎勝、浜村純、下川辰平、加藤和夫、渥美国泰、北沢彪、青木義郎、稲野和子、加藤小代子、音羽久米子、矢吹寿子、中村たつ、谷口香、武藤章生、久野四郎、平田未喜三、弘松三郎、雪岡恵介、久遠利三、亀谷雅彦、原田君事、小笠原剛、大杉雄二、鈴木治夫、青木敏夫、苅谷俊介、小坂正男、富士乃幸夫、加藤茂雄、鳥居功靖、中山剣吾、宇仁貫三ら。
声の出演は岸田今日子、納谷悟郎、市川治、作間功、村越伊知郎、梶哲也。
ナレーターは中江真司。


大ベストセラーとなった五島勉の著書『ノストラダムスの大予言』を基にした作品。
監督は『影狩り』『人間革命』の舛田利雄。構成・脚本は『日本海大海戦』『地獄変』の八住利雄。潤色は舛田利雄監督と『ゴジラ対ヘドラ』の坂野義光。
良玄&玄哲&玄学を丹波哲郎、まり子を由美かおる、明を黒沢年男、伸枝を司葉子、首相を山村聡、病院長を志村喬、植物学者を平田昭彦、動物学者を小泉博、田山を谷村昌彦、環境庁長官を鈴木瑞穂、官房長官を内藤武敏、吉浜を佐々木勝彦、大根を竜崎勝、木田を浜村純が演じている。
ナレーターを中江真司、予言の声を岸田今日子が担当している。

前年の『日本沈没』が大ヒットをしたこと受けて、東宝は「この路線は稼げる」と確信した。
そこで新たなパニック映画の題材として目を付けたのが、大ベストセラー著書の『ノストラダムスの大予言』だった。
映画は文部省推薦作品として公開され、1974年の邦画興行収入で第2位を記録した。
しかし被曝したニューギニアの原住民が食人鬼化したり、核戦争で地球が滅亡した後に奇形の新人類が出現したりする表現を問題視した被爆者団体と反核団体が抗議し、上映の中止を求めた。

東宝は新聞に広告を出し、「原水爆で被害を受けた方々に対する配慮と認識が足りず、被爆者の方々に対する偏見を観客に与える部分があった」と謝罪する羽目になった。
ただし上映は中止せず、問題とされたシーンをカットした修正版フィルムを使って公開を続けた。
しかし1986年に予定されていたビデオとレーザーティスクの発売は中止され、未だにソフト化されないままだ。
それでもアメリカではソフト化されているため、本気で探せば観賞することはそんなに難しくない。

丹波哲郎先生といえば、演説の人だ。
特に、この手の大作映画で先生が登場すると、それは間違いなく「重々しい口調で講釈を垂れる」という役柄になる。本来はそういうキャラじゃなかったとしても、先生が演じればそういうキャラに変貌する。
会話劇のシーンであっても、極端に言っちゃえば「丹波先生の一人語りに他の面々が合わせる」という形になる。
先生は優雅独尊の人なので、周囲に合わせようなんて思っちゃいない。それが先生の生きる道なのだ。
なので、そのタンバ節を有り難く拝聴するべし。

当時を知らない人には理解できないかもしれないが、原作の『ノストラダムスの大予言』はインチキなトンデモ本という扱いではなくて、本当に「真実を綴った予言書」として多くの人々に受け入れられた。今となっては「そんなの有り得ないだろうに」と思うかもしれないが、当時は本気で「1999年7月に人類が滅亡する」と信じていた人が決して少なくなかった。
そういう人類滅亡の不安は、実際に1999年7月が過ぎるまで続いたのだ。
原作はノンフィクションだが、映画版はフィクションとして作られている。
ただ、原作と共通しているのは、「過剰な主張によって人々を不安に陥れようとする」という方向性だ。

どうやら本作品は原作と違って、「環境保護は大事だよ」と訴える意識が強かったようだ。そのため、自然破壊に対する厳しい糾弾が何度も繰り返され、いかに人間が体に悪い物を食べているのかが語られる。
もちろん、それを熱弁するのは、丹波先生の仕事である。
丹波先生(っていうか西山良玄)の熱弁する内容は、今で言うところの環境テロリストのような主張になっている。かなりトンデモ度数の高いメチャクチャな主張なので、製作サイドの思いとは裏腹に、反感を抱かれる恐れもあるんじゃないかと思う程だ。
ただし、「不幸中の幸い」というべきか、あるいは「皮肉なことに」と表現すべきか、あまりにも内容が陳腐なので、きっとバカバカしさが際立って怒りに繋がらないだろう。

当時は光化学スモッグを始めとする公害が大きな社会問題となっていたため、そこに警鐘を鳴らそうとするのは理解できる。国民に我慢を 求め、必要な物資を確保しておくよう唱えるのも分かる。
しかし、「人類が生き延びるためには弱者を切り捨てるべき」とまで言い出すと、そりゃあ閣僚から厳しく批判されても当然だろう。
困ったことに、良玄は過激な意見を全く悪びれずに「私は絶対に正しい」と主張するだけでなく、そこから反省したり変化したりすることが無いのだ。
彼は全く揺るがず、その意見を最後まで曲げないのだ。

サイケデリックな音楽に合わせて女性の舞踏団がアングラ的なダンスを披露するシーンがあり、それを眺めていた明は「急にダンサーが小さく見える」という現象に困惑する。そして、そんなシーンを見せられたことに、こっちも困惑する。
まず、そこでサイケな音楽を流し、アバンギャルドなショーを見せる必要性は全く無い。
「そういうのが当時は流行していた」と言われりゃそうなんだろうけど、その手の流行を持ち込む意味は全く無い。
また、そこで明が奇怪な現象に見舞われたのに、伏線として利用せずにどんどん話を進めてしまうので、「じゃあアレは何だったのか」と言いたくなる。

それ以外でも、何か意味ありげなシーンを挿入しておいて、特に何も無いってことが幾つもある。
例えば、木田と娘が四国巡礼の旅に出ているとか(ちなみに娘役は「麻里とも恵」時代の阿川泰子)、バスガイドが小坂明子の大ヒット曲『あなた』を歌っているシーンがあるが、こんなの何の必要性も無いぞ。
木田の娘が奇形児を生んで脳死扱いされるシーンがあるので「そのまま放置せずフォローを入れました」ってことではあるんだけど、「だから何なのか」としか思わない。

巨大コウモリの群れや、食人鬼と化した原住民に調査団が襲われるシーンでは、ホラーやアクションの要素を持ち込んでいる。その辺りは、いかにもB級SF映画的な考え方だ。
ただ「色んな異変が起きています」ってだけでは満足できず、そうやって躍動感を出そうとしているわけだ。
コンビナートのシーンや、高速での暴走がきっかけによる事故のシーンなんかで無闇やたらと爆発炎上させたがるのも、それと似たようなことだ。
確かに、やたらと会話や会議のシーンが多くて、退屈を招きかねない構成なのよね。映像として、「動き」に欠けているのよね。
ただし、だからってアクションシーンや爆破シーンが効果的かと問われたら、それは微妙だけど。

後半、超音速輸送機の爆発事故から一気に世界中が危機的状況へと突入する中、取材を受けた良玄は「今こそ人間の真価が問われる時だ。悪戯な恐怖や絶望に囚われて、衝動的に動くことなく」と語る。
だけど、そもそもノストラダムスの予言を声高に語り、人々に不安を植え付けていたのはアンタでしょうに。
それが今になって「悪戯な恐怖や絶望に囚われるな」と説いても、「どの口が言うのか」って話だよ。
前半における自分の言動を反省した上で、そういうことを喋っているわけでもないし。

氷山の崩壊や大規模な洪水が発生した後、日本では暴動が起きて政府は「パニック状態が落ち着くのを待つ」という方針を決定する。この辺りになってくると、もはや「環境破壊、ダメ、ゼッタイ」というメッセージ性は完全に死んでいる。
その後、まり子は海辺で明から伸枝の病死を知らされて泣く。彼女は妊娠したので産む決意をしたことを明かし、明と追いかけっこを始める。そして壮大なスケールの音楽が流れる中、まり子は砂の上で飛び跳ねたり踊ったりする。
「なんじゃ、こりゃ」と思う人も少なくないだろうけど、それは本作品全体を通して言えることだ。ある意味、この映画にピッタリのイカれたダンスと言っていい。
なので、「本作品の一番の見せ場は、由美かおるが飛んだり跳ねたり踊ったりするシーンだ」と最後に書いておく。

そうそう、終盤には「第三次世界大戦が勃発して地球は滅亡し、崩壊した大地に奇形の新人類が誕生する」という様子が描かれる。
でも、そこからシーンが切り替わると、良玄が総理に向かって「今のままで自然破壊を繰り返していたら、そんなことが起きるんだよ。
まだ遅くないから、一刻も早く止めなきゃダメだよ」と訴える姿が写し出される。
つまり、いわゆる夢オチである。
そして総理が人々に向かって「人間生存の新しき戦いに向かおうではありませんか」と熱く訴えて、映画は終わる。
最終的には「社会派のメッセージを訴え掛ける真摯な映画」として着地させようとしているが、紛れもなくトンデモ映画である。

(観賞日:2020年6月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会