『ノルウェイの森』:2010、日本
1967年、高校生のワタナベは、親友キズキ、その恋人・直子と良く会っていた。キズキと直子は幼馴染だった。ある時、キズキが自殺した 。ワタナベは町を離れて全てを忘れ、やり直したいと思い、東京の大学に進学した。大学では学生運動が盛んだったが、ワタナベは参加 しなかった。しばらくの間、ワタナベにとって大切なのは読書だけで、人生が一時停止したような日々が続いた。
ワタナベは100人の女と寝たという噂のある上級生の永沢に、その真偽について尋ねた。「大げさだよ。せいぜい70人かな」と答える彼に、 ワタナベは「僕は一人としか寝てません」と言う。永沢から「今度、俺とやりに行くか?」と誘われたワタナベは、2人の女性と飲みに 行き、そして肉体関係を持った。永沢の、掴みどころが無い不思議な、そして洗練された面に、ワタナベは惹かれた。
ある日、ワタナベは直子と再会した。ワタナベは彼女に「ちょっと歩かない?」と誘われ、散歩に出掛けた。あまり話さない彼女は、 「ごめんね、上手く喋れないの」と釈明する。「電話掛けてもいい、今度の土曜日?」と言われ、ワタナベは「もちろん」と答える。それ 以来、2人は日曜日ごとに会って散歩した。まるで魂を癒すための宗教儀式のように、2人は当てもなく歩いた。過去の話はせず、キズキ の名前は会話の断片にも登場しなかった。
ワタナベと直子は付き合いを深めていった。直子の20歳の誕生日、ワタナベは彼女と関係を持った。直子は初めての経験だった。「キズキ とは一度も寝なかったの?どうして?」とワタナベが尋ねると、直子は彼を突き放して嗚咽した。「ごめん、訊くべきじゃなかったね」と ワタナベは謝った。後日、アパートの管理人から直子が引っ越したことを聞き、ワタナベは彼女の実家宛てに手紙を届けた。手紙には、 「僕はあんな風にするべきじゃなかった。僕は君を傷付けてしまったのだろうか。それだけでも知りたい」と記した。
永沢にはハツミという恋人がいたが、構わずに他の女とも寝ていた。ハツミは永沢の浮気を知っていたが、一度も文句は言わなかった。 彼女は永沢のことを真剣に愛しており、それでいて彼に何も押し付けなかった。時間が経過してから、直子の返事が届いた。「今はまだ、 貴方に会う準備が出来ていません。神戸の実家に通って病院に通っていました。京都の山奥に療養所があるらしいので、そこに入って みようかと思います。貴方が私を傷付けたのではありません。私を傷付けたのは私自身です」と手紙には記されていた。
ある日、ワタナベは大学の食堂で緑という学生に話し掛けられた。夏休みに髪を切った彼女に、「良く似合ってるよ」とワタナベは言う。 ワタナベは彼女と良く会うようになり、自宅に招かれた。彼女の母は死亡し、父はウルグアイに行ったきりだという。2人は縁側で話した 後、キスをした。唇を離した後、「私、付き合ってる人がいるの」と言う緑に、「なんとなく分かってたよ」とワタナベは告げる。「好き な人、いる?」と訊かれ、彼は「いるよ」と答えた。
ワタナベの元に、直子からの手紙が届いた。手紙に「担当医は外部の人と接触を持ち始める時期だと言います。私には貴方の顔しか思い 浮かばないのです」と書かれていたので、ワタナベは喜んだ。療養所の阿美寮へ行くと、患者のレイコが迎えに出ていた。もう7年もいて 、療養所で音楽の先生もしているという。彼女は、ワタナベと直子が2人で会うのが禁じられているため、自分がオブザーバーとして常に 立ち会うことを説明した。
直子は畑仕事を抜け出し、こっそりワタナベに会いに来た。彼女は「どうしても会っておきたかったの。特に話したいことがあるわけじゃ ないんだけど」と言う。「ここにいるのが負担になるようだったら、遠慮しないで言ってほしい」と告げる彼女に、ワタナベは「ちゃんと 正直に言うよ」と述べた。夜、レイコはギターを弾きながらビートルズの『ノルウェイの森』を歌った。直子が泣き出したので、レイコは 演奏を止めた。
レイコはワタナベに「悪いけど、また散歩でもしてきてくれない?」と言い、直子を後ろから優しく抱きしめた。ワタナベが部屋に戻って 寝ようとすると、直子が近付いた。キスをする彼女に、ワタナベは「とても好きだよ」と囁く。朝方、「来て、話したいことがある」と 言う直子に連れられ、ワタナベは外に出た。直子は「どうしてキズキ君と寝なかったか訊いたでしょ。私、寝たいと思ってたの。彼もそう したかった。でも何度も試したけど、出来なかった」と語った。
直子は「どうしてダメだったか、今でも分からない。私、濡れなかったし、開かなかった。こんなこと、出来ることなら話したくない。 でも自分だけでは解決できない。私、あの誕生日に会った時から濡れていた。貴方に抱いてほしくて、そんなの生まれて初めてだった。 どうして、そんなことが起こるんだろう。だって私はキズキ君を愛していたのよ」と言う。「僕のことは愛してなかったのにってこと?」 とワタナベが口にすると、彼女は「ごめんなさい。でも分かって。私とキズキ君は特別な関係だったの。キズキ君が死んじゃった後、人と どういう風に接したらいいか分からなくなって。愛することがどういうことが分からなくなっちゃったの」と泣いて走り出す。ワタナベは 後を追い掛け、絶叫する彼女を抱き締めた。
直子が「もう少し自分のこと、きちんとしたいから、それまで待ってくれる?」と言うので、ワタナベは「もちろん待つよ」と告げた。 東京に戻ったワタナベは、プールで緑と出会った。「どうしてそんなにボンヤリしてるの?」と訊かれ、彼は「旅行から帰ってきて、少し 疲れたんだよ」と答えた。緑はワタナベを病院へ連れていく。そこには緑の父が入院していた。緑の父は、もう話をすることも出来ない 状態だった。後日、緑から電話が入り、「お父さん、死んじゃった」と言う。「何か僕に出来ることある?」とワタナベが訊くと、彼女は 「大丈夫。お葬式、来ないでね。私、ああいう所で貴方に会いたくないの」と告げ、涙を堪えながら「今度、ポルノ映画に連れてって くれる?すごくやらしい奴よ」と言った。
ワタナベは永沢から、外務省に合格したことを知らされる。ワタナベが「海外勤務になると何年も帰らないんですよね。ハツミさん、どう するんです?」と尋ねると、永沢は「それはハツミの問題であって、俺の問題じゃない」と冷たく言う。「俺は誰とも結婚する気は無いし 、それはハツミも分かってる。だからハツミが誰かと結婚したけりゃすればいいし、俺を待ちたきゃ待てばいい」と彼は述べた。
3人で会食した時、永沢は自分とワタナベがスワッピングしたことをハツミの前で口にした。「その話、聞かせてほしいわ」とハツミは 険しい顔でワタナベに言う。ワタナベは渋谷のバーで飲んでいた時に女学生と知り合ったこと、夜中に女の子を取り替えようと永沢から 持ち掛けられて応じたことを説明する。「どうして、そんなことするの?」と訊かれ、ワタナベは「時々、すごく女の子と寝たくなるん です」と返答した。
ハツミが「どんな事情があるのかは知らないけど、貴方には向いていないし、ふさわしくないと思うんだけど」と言うと、永沢は「これは ゲームだ。こんなの女遊びじゃないよ。誰も傷付かない」と軽く言う。ハツミは「私は傷付いてる。どうして私一人じゃダメなの」と 苛立ちを示した。帰りのタクシーでハツミと2人になったワタナベは、永沢との関係について問われ、「僕が貴方だったら別れます。永沢 さんは誰かを幸せにしようとか考えて生きている人じゃないから」と述べた。ワタナベが「どうして永沢さんとくっついてるんですか」と 尋ねると、ハツミは「自分ではどうしようもないことなの」と答えた。
緑からの電話を受け、ワタナベはバーへ出掛けた。緑は、奈良と青森へ行っていたことを話した。「お葬式とか、色々と大変だった?」と 尋ねると、彼女は「ううん、慣れてるから。奈良へ行って彼氏とやりまくろうと思ったけど出来なかった。それで青森へ一人で旅行へ 行って、ずっとワタナベ君のことを思い出してた」と語る。「どうして?」と訊くと、「貴方のことが好きだからに決まってるでしょ」と 彼女は告げた。
ワタナベが「だって君には恋人がいるし。僕のことを考える必要なんて無いだろ」と言うと、緑は「酷いこと言わないでよ。ねえ、今、何 したいか分かる?」と問い掛けた。ワタナベが「頼むよ、わきまえてくれよ」と困ったような表情で言うと、緑は「そんな答えが返って 来るなんて思ってもみなかった」と告げて店を去った。翌朝、ワタナベは緑に電話を掛けるが、彼女は出ようとしなかった。
ワタナベと直子との手紙のやり取りは続いており、20歳の誕生日プレゼントにはマフラーが贈られてきた。「雪が降り始める頃、私に会い に来てくれますか」という文面を見て、ワタナベは彼女の元を訪れた。喜んで迎えた直子だが、ワタナベが激しく体を求めると、「もう やめて」と拒絶した。彼女が「どうして私に構うの?私みたいな人間に関わらないで、貴方自身の人生を生きるべきじゃない?」と言う ので、ワタナベは「僕はそんな風に思ってないよ」と静かに告げた。
直子は「自分に嘘をついてると思わないの?私のことは放っておいて。あの誕生日の日、そうするべきだった」と冷たく言い、ワタナベが 触れようとすると「貴方の存在が私を苦しめるのよ」と怒鳴った。ワタナベは彼女を強く抱き締め、落ち着かせようとした。東京に戻る日 、ワタナベは「寮を出てアパートを探すつもりなんだ。良かったら一緒に暮らさないか。ここは長くいる場所じゃないと思うし」と彼女に 優しく持ち掛けた。
直子が「どうして濡れないのかしら。あの1回きりなの」と漏らすので、ワタナベは「それは精神的なものだから、時間が経てば上手く 行くよ」と元気付けた。「もし私が一生、濡れることが無くて、一生、セックスできなくても、貴方は私のことを好きでいられる?」と 訊かれ、ワタナベは「僕は本質的に、楽天的な人間なんだよ」と微笑する。「引っ越しが終わったら、また会いに来るからね」と彼は言い 、療養所を後にした。1ヶ月後、レイコからワタナベに手紙が届いた。そこには、直子が日常生活を送ることも困難なほど症状が悪化して おり、そんな状態でワタナベに会うことを望んでいないという内容が綴られていた…。脚本・監督はトラン・アン・ユン、原作は村上春樹、製作は豊島雅郎&亀山千広、プロデューサーは小川真司、 アソシエイト プロデューサーは松崎薫&池田穣、共同エグゼクティブ・プロデューサーはマイケル・J・ワーナー&パウター・ パウントレクト、共同プロデューサーは福島聡司、ライン プロデューサーは宿崎恵造、製作事業統括は寺嶋博礼&石原隆、撮影監督は 李屏賓、編集はマリオ・バティステル、録音は浦田和治、照明は中村裕樹、美術はイェンケ・リュゲルヌ&安宅紀史、 デジタル イメージング テクニシャンはアラン・ギトリン、音楽はジョニー・グリーンウッド。
出演は松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、玉山鉄二、高良健吾、霧島れいか、初音映莉子、糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏、柄本時生、 飯田孝男、YUSUKE、伊藤祐輝、田村健太郎、杉澤純、吉野耕平、大熊佐和子、増田遥、東山結衣、平沢いずみ、山中真理子(声)、 原慎一、大重わたる、三宅知明、小堀正博ら。
1987年に発表され、ベストセラーとなった村上春樹の同名小説を基にした作品。
監督は『青いパパイヤの香り』『シクロ』のトラン・アン・ユンだが、アスミック・エースやフジテレビなどが製作した日本映画で ある。
ワタナベを松山ケンイチ、直子を菊地凛子、ミドリを 水原希子、永沢を玉山鉄二、キズキを高良健吾、レイコを霧島れいか、ハツミを初音映莉子が演じている。また、大学教授役で糸井重里、 レコード店の店長役で細野晴臣、阿美寮の門番役で高橋幸宏が出演している。原作は発売された当時に読んだはずだが、内容は全く覚えていない。
「簡単に男女がセックスし、簡単に女が死ぬ話」という程度の記憶しかない。
大ブームになった小説だが、私の中では、その程度の印象だったということだ。
『ノルウェイの森』に限らず、それ以外の村上春樹作品を何作か読んでいるが、私はハマらなかった。だから、原作と比較して云々という 批評をするつもりは無い。
「あの傑作だった原作を、こんな映画にしやがって」という捉え方をすることは無い。ただし、そもそも原作を映画化すること自体が無謀だったのではないかという気はする。
原作小説の魅力というのは、物語の内容ではなく、村上春樹の文体が醸し出しているものが大半ではないかと思うからだ。
小説を読んで面白いと感じた人は、小説だからこそ面白いと思えるのであって、それを映画化した時に、どう頑張っても「傑作」という ゴール地点には辿り着かないのではないかと、そんな風に思えるからだ。おまけに監督がトラン・アン・ユンで、その組み合わせも良くない。
村上春樹の映画をトラン・アン・ユンが映画化するって、その段階で失敗は目に見えている。
これまでトラン・アン・ユンの映画を3本見ているが、そこで感じたのは「彼は美しい映像を撮る人」ということだ。彼が手がけた映画の 中では、人間も美しい映像の一部であり、深みのある人間ドラマや心情描写は感じなかった。
キャスティングにも大いに問題があり、松ケンはともかく、菊地凛子が高校生から20歳の役ってのは無理があるだろう。彼女が若く見える 女優ならともかく、年相応に老けているんだから。いきなりキズキが自殺するので、その原因は全く分からない。それに対するワタナベや直子の反応は全く描かれない。
すぐにワタナベが大学に通うシーンになり、彼が東京へ行くことに関して直子に何か話したのかなど、そういうことも描かれない。
ワタナベが大学に行った後、再登場した直子は不思議ちゃんキャラなのだが、それは冒頭シーンでは全く示されていない。
高校時代のシーンでは、直子は登場しただけで、どういう人物なのかは全く表現されていない。
直子とキズキが特別な関係だということも、全く伝わって来ない。それはキズキも同様で、ワタナベや直子との関係性も薄っぺらい。後から回想として補充されることも無い。
小説であれば、それでも成立していたのかもしれない。
しかし映画だと、そこの薄さは大きなマイナスになっている。
ワタナベや直子の「キズキを失った喪失感の大きさ」が伝わらず、だから「喪失感を共有することで傷を癒そうとする」という2人の人間 ドラマがクッキリと見えてこない。そしてワタナベや直子の気持ちが良く分からないので、感情移入することも出来ない。
例えば20歳の誕生日に直子が泣き出しても、まるでピンと来ない。
「今もキズキを失った悲しみから立ち直れていないってことなんだな」という風には理解できるが、それは筋書きから推測して得られた 答えでしかない。
それがドラマとして表現されている、その場面から彼女の心情が伝わってくるということではない。いきなりワタナベが永沢と話しているシーンがあって、「僕は永沢さんの掴みどころが無い不思議な、そして洗練された面に惹かれた」と モノローグが入るのだが、その短い会話だけでは、永沢が「掴みどころが無いけれど洗練された人物だ」ということは全く 分からない。
そもそも、何の前触れもなく、いきなり彼と会話しているシーンがあるので、どういう関係なのかも良く分からない。
ワタナベは永沢との会話の中で「一人しか寝ていない」とサラッと語るが、その一人だけ寝た女に関するエピソードは描かれないし、彼の モノローグで説明されることも無い。いきなりハツミが登場し、「ハツミさんは永沢さんが他の女と寝ているのを知っているが」というワタナベのモノローグが入るのも唐突。 まずハツミについて紹介すべきじゃないのか。
っていうか、そもそも永沢の登場するエピソードが上手く絡んでいない。ただ単にメインの話を分断するだけの役割になっている。
永沢がドイツに赴任して2年後にハツミが他の男と結婚し、それから2年後に手首を切って自殺したことがモノローグで語られるが、そこ だけ後日談を語るのも違和感たっぷりだ。
やはり永沢とハツミのエピソードは分離している。
そこだけが浮いているという表現は適切ではないだろう。
ある意味、全てが浮いているので。直子が姿を消すまでは、彼女が病院や療養所に入るような兆候は全く見られなかった。
「どんどん喪失感が大きくなり、自分では制御できなくなっていく」という様子は見られなかった。
だから、手紙で病院に入っていたことが記されるのだが、それが唐突に感じられる。
ただし、この映画の中で「自然な流れ」「スムーズな展開」というものがあったのかというと、答えに困ってしまうわけだが。映画の中で誰かが死のうが、誰かが悩もうが、「どうでもいいわ」としか感じない。
映画の語り口以上に、こちらの気持ちが平坦なままで時間だけが過ぎていく。
ブンガク的なセリフを語る登場人物が、その場面で何を感じているのか、どういう気持ちなのか、それが漠然としている。
ワタナベや直子、緑やレイコが愛する人を失った悲しみなんて、これっぽっちも伝わって来ない。
直子が自殺した後のワタナベの悲しみにしても、彼は慟哭しているけど、心に響いてくるものは何も無い。ワタナベが療養所を訪れた時、直子は「今、硬くなってる?」と訊く。 ワタナベが「勃起しているかという意味なら、してるよ」と言い、直子が「そういうのって、辛い?」と尋ねると、彼は「そういう時も ある」と答える。
「出してあげようか」「手で?」「うん」という会話の後、画面には写らないが、直子が手コキをするシーンになる。
それは、ただの「エロくないエロシーン」になっている。東京に戻ったワタナベに、緑はプールで「ねえワタナベ君、私が今、何したがってるか分かる?」と訊く。
「さあ、想像もつかないけど」と言うワタナベに、彼女は「広いフカフカとしたベッドで横になりたいの。隣には貴方が寝ていて、私の服 をそっと脱がせるの。途中まで気持ちいいなあと思ってボンヤリしているの。でも我に返って、ダメよワタナベ君、そんなこと出来ない って言うの。でも貴方はやめないの。それで、そそり立ったモノを見せ付けるの」と語る。
こいつも直子と同様、ただのエロキチガイに見える。直子が自殺した後、レイコがワタナベとのセックスを求めるのも、ただの「やりたがり」にしか見えない。
そんな女たちに囲まれているワタナベは、直子となかなか会えないから緑と仲良くするとか、直子とセックスしたくても出来ないから他の 女とセックスするとか、ただ二股を掛けている身勝手な男としか見えない。
確実に言えるのは、どのキャラも魅力を全く感じさせないってことだ。「原作を読んでいる人が、それと比較しながら鑑賞する」という形であれば、それなりに楽しめるのかもしれない。
ただ、原作を抜きにして考えると、これは「優柔不断な男1人がエロい女3人と関わる、エロくないエロ映画」でしかない。
あと、本作品を見ていると、「喪失感を埋めたり共有したりするためにはセックスが必要」という主張が見えてきてしまうが、そんなこたあ 無いよな。(観賞日:2011年7月6日)
第7回(2010年度)蛇いちご賞
・作品賞
・主演女優賞:菊地凛子
・監督賞:トラン・アン・ユン