『野菊の墓』:1981、日本
斎藤政夫という老人が渡し舟に乗り、故郷である千葉県の矢切村へと向かっていた。野菊が咲く季節になると、彼は半世紀以上も前のこと を思い出す。15歳の頃、町の中学に上がった政夫は、寄宿舎に入ることが決まっていた。母・きくの薬を取りに行く渡し舟で大人たちと 話していると、別の舟で現れた従姉・民子が呼び掛けてきた。きくが病身のため、民子は時々、家の手伝いに来てくれるのだ。きくの 死んだ妹の娘が民子だ。
政夫の実家は斉藤醤油店という醤油の醸造元で、兄の喜一郎が家業を任されていた。帰宅した政夫は、急いで民子に会いに行った。翌朝、 民子に起こされた政夫が彼女と騒いでいると、兄嫁の初子は「朝早くからみっともない」と厳しく叱責した。士族の出身を鼻に掛け、何か と言えば行儀を口に出す初子の態度には、きくも「奉公人も気が休まる時がなかろう」と不快感を抱いていた。
きくは民子に、政夫と畑へ行ってトウモロコシを取って来るよう指示した。2人が畑で作業をしていると、女中のお増がやって来た。彼女 はトウモロコシを取ろうとして、指を怪我してしまった。「おっちょこちょいなんだから」と、政夫は手拭いを巻いてやった。小さい頃 から格別の親切を掛けてくれる政夫に、お増は特別な感情を抱いていた。民子は政夫がお増の手当てをしてやる様子を見て、「政夫さんは 女の人に優しいのね」と嫉妬心を見せた。
きくの父・戸村新吉の後妻・せいが、きくの元を訪れた。彼女は民子が手伝いに行く度に、給金をせびりに来る。だが、そのことは民子も 新吉も知らされていなかった。新吉は「よろずや」の看板を出しているが、修理ばかり引き受けて品物は全く売れない。新吉が「民子は 斉藤の家におる方が幸せなんだ」と言うと、せいは「そんな風だから商いもロクに張れないんだよ」と悪態をついた。
豪雨の日、きくは常吉に、「町まで薬を取りに行った政夫を、船着き場へ迎えに行ってくれ」と頼んだ。それより先に、民子は傘を持って 迎えに出向いていた。だが、途中で困っている瞽女がいたので、政夫の傘を貸してやった。船着き場で政夫を出迎えた民子は、相合傘で 帰路に就いた。そこへ常吉が現れ、「ごちそうさんでしたよ」と拗ねたように告げて立ち去った。
翌日、斉藤醤油店の面々は、瞽女の三味線演奏を全員で拝聴した。店に戻ると、壁には「マサヲ・タミコ」という相合傘の悪戯書きが 貼ってあった。きくが「誰が貼った、こんな物を」と怒って従業員を見回すが、名乗り出る者はいない。彼女は「今度、こんな悪戯をする 者がいたら暇を出すよ」と注意した。犯人は常吉だった。政夫と民子の仲睦まじい様子を見て、そんなことをしたのだ。
その夜、きくは喜一郎を部屋に呼び、「こんなことが罷り通るのはお前の差配が行き届かないからだよ。政夫はともかく民子に傷が付く」 と苦言を呈する。喜一郎は「おっかさんに聞こうと思っていたんですが、政夫と民子を先行き、一緒にさせるつもりなんですか」と質問 した。きくは「民は政夫より年上だし、一番血の濃い従姉じゃないか」と、呆れたように否定した。
喜一郎は「初子がおせいさんのことを心配してるんです。民子とは生さぬ仲とは言え、親子には違いないんだから。妙な噂が耳に入ったら 何を言ってくるか分からない。家の商いに傷が付くんじゃないかと心配してるんです。政夫も民子も年頃なんですから、甘やかさないよう にしてください」と、きくに述べた。政夫の部屋で民子が泣いていると、きくが現れて「何も政夫の部屋で泣くことはなかろう。お前が そんな風だから、痛くもない腹を探られることになるんだ」と注意した。
きくは政夫と民子に、「政夫は明日から部屋に入って勉強だけに精を出せ。民も明日から身を入れて裁縫をしろ。お前たちはもう子供じゃ ないんだ。いつまでも一緒にいないで、それぞれのことをしなければいけん年頃になったんじゃ」と告げた。部屋で勉強していても、政夫 は全く身が入らなかった。彼は部屋を抜け出すと、仕事をしている民子の姿をじっと見つめた。
政夫は母から、裏山で茄子を取って来るよう頼まれた。そこへ民子も手伝いに来た。きくに言われたのだという。政夫は彼女の姿を見て、 「民さん、この頃、変だから。僕を嫌いになったみたいだから。民さんは僕と会わなくても寂しくないんだろ」と口にする。民子が「酷い わ。うんと寂しいのを堪えていたのよ」と言うと、政夫は「そうか」と晴れやかな表情を浮かべた。
「今まで通り仲良くしようよ」と政夫が告げると、民子はためらいながらも「そうね、ずっと仲良しでいいわね」と述べた。政夫と民子が 家に戻ると、初子は「人の口がうるさい時に政夫さんと連れ立って畑へ行くなんて勝手なことはしないでもらいたいわね」と嫌味っぽく 民子を非難した。そこへ、きくが来て「行かせたのは私だよ。不服なのかい。まだお前に代を譲った覚えは無いよ。余計な差配はしないで くれ」と静かに初子を諌めた。
祭りの日、きくが従業員に無礼講の食事をさせていると、女中の一人が「小作人が綿を積み残したと言ってきたんですけど」と報告した。 従業員に祭りを返上して摘みに行かせるわけにはいかず、きくは政夫と民子を行かせることにした。また何か言われることを懸念し、民子 は裏から行くことにした。別の道を歩いて合流した政夫と民子は、綿畑へ向かった。
政夫は道端の野菊を見つけ、それを摘んで民子に渡した。民子は「私、子供の時から野菊が好きなの。野菊の生まれ変わりじゃないかって 思うぐらいよ」と言う。「民さんは野菊のような人だ。僕は野菊が大好きだ」と政夫は告げる。弁当の時のために政夫が清水を汲みに 行こうとすると、民子も「私も連れてって」と述べた。手を繋いで坂を下りる途中、転びそうになった民子を政夫が抱き止めた。政夫は 「この先はもっと危険になるから僕が行って来るよ」と告げた。
政夫が清水を汲んで戻ると、民子は竜胆の花を摘んでいた。「政夫さんは竜胆のような人だわ」と彼女は微笑する。政夫が「民さんは竜胆 が好き?」と訊くと、民子は「好きよ。大好き」と答えた。弁当の時、ずっと考え事をしている民子に、政夫は「何を考えているの」と 尋ねた。「政夫さんより年上でしょ。そのことが情けないの。政夫さんが15なのに、私は17よ」と民子が暗い顔で言うので、「そんなこと 言うの、おかしいよ。僕だって再来年になれば17だよ」と政夫は告げた。
2人は綿積みに手間取り、すっかり帰りが遅くなってしまった。家で待っているきくは、「2人をやるんじゃなかった」と漏らした。初子 が常吉に様子を見に行かせようとしていると、政夫と民子が帰宅した。きくは政夫に、来月からの中学行きを早めて、祭りが終わったら 寄宿舎に入るよう告げた。政夫は民子に「僕がいなくなってから読んで」と手紙を渡した。その手紙には「民さんのことばかり考えている 。年のことは何とも思わない。正月の休みには帰ってきて、民さんと会うのを楽しみにしています」と書かれていた。
大雨の中、政夫は民子とお増に見送られて村を後にした。政夫が町に行ってからしばらくして、きくの兄・豪三郎が斉藤家を訪れた。きく と豪三郎は、民子に吉岡という男との縁談を持ち掛けた。連隊の軍人で、士族の出身だという。格が違うので、きくの養女にしてから嫁に 出して欲しいと言ってきているという。民子は政夫の部屋を掃除しながら、彼のことを思い出して涙した。
初子は喜一郎に、「民さんは政夫さんが正月の休暇で戻ってくるのを待っている。早く手を打つべき」と告げた。喜一郎は「政夫に相談 したからって、どうにも出来ないだろう」と軽く考えるが、「だからって黙っている政夫さんじゃないでしょう」と初子は言う。政夫が 戻ってくる前日になって、きくは民子を追い出すことを決めた。「政夫は勉強で大事な時だ。お前のことで道を外れたりしたら、将来に傷 が付く」と、きくは民子に説明した。
帰郷した政夫は、民子が実家へ帰されたことをお増から知らされる。政夫は落胆し、町へ戻った。斉藤家へ呼ばれた民子は、きくから 「結納の日取りを決めようと思う」と告げられる。民子はきくに「幾ら政夫と一緒になろうと思っても、私は不承知だよ」と言われ、縁談 を承諾した。お増は人知れず泣いている民子を見つけ、「なんで嫌なものは嫌だと言えんかったの」と貰い泣きした。
お増は中学へ行き、民子が結婚することを政夫に知らせた。その日がお輿入れだと聞いた政夫は、村へと走った。嫁入り行列を発見した 政夫は、花嫁衣裳の民子に向かって「民さん」と叫んだ。喜一郎は政夫を捕まえ、「馬鹿な真似はよせ。男なら堪えるんだ」と諭す。政夫 は民子に竜胆の花を一輪、黙って差し出した。民子は目を潤ませながら、それを受け取った。
吉岡家に嫁いだ民子は、姑から冷たい仕打ちを受け、使用人のように扱き使われた。やがて民子は妊娠するが、姑は政夫の子ではないかと 疑いを掛け、ネチネチと罵って平手打ちを食らわせた。重労働が祟って、民子は倒れてしまった。政夫は「スグカエレ」という電報を 受け取り、故郷へ戻った。彼は母から、民子が流産し、里へ帰されて間もなく息を引き取ったことを知らされた…。監督は澤井信一郎、原作は伊藤左千夫、脚本は宮内婦貴子、製作は高岩淡&相沢秀禎、企画は吉田達&高村賢治、撮影は森田富士郎、編集 は西東清明、録音は林鉱一、照明は梅谷茂、美術は桑名忠之、音楽は菊池俊輔。
主題歌は「花一色−野菊のささやき−」作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:瀬尾一三、唄:松田聖子。
出演は松田聖子、桑原正、加藤治子、樹木希林、丹波哲郎、島田正吾、愛川欽也、湯原昌幸、赤座美代子、村井国夫、白川和子、叶和貴子 、北城真記子、常田富士男、沢竜二、武内文平、相馬剛三、団巌、高月忠、奈辺悟、沢田浩二、大井小町、酒井愛美、小甲登枝恵、 高野隆志、泉福之助、佐川二郎、美原亮三、大家博、村添豊徳、大島博樹、森田正雄、須藤芳雄、小山昌幸、藤木武司、 大栗清史、田倉しの他。
伊藤左千夫の同名小説を基にした映画。
東映・サンミュージック提携第1回作品。
ざっくり言うと、サンミュージックが松田聖子を売り出すための映画。
松田聖子の映画デビュー作であり、澤井信一郎の初監督作品でもある。
民子を松田聖子、政夫を桑原正、きくを 加藤治子、お増を樹木希林、豪三郎を丹波哲郎、老いた政夫を島田正吾、新吉を愛川欽也、常吉を湯原昌幸、初子を赤座美代子、喜一郎を 村井国夫、せいを白川和子、瞽女を叶和貴子、吉岡家の姑を北城真記子が演じている。同名小説は、1955年に『野菊の如き君なりき』(木下惠介監督)、1966年に『野菊のごとき君なりき』(富本壮吉監督)という題名で 映画化されている。
私は1955年版は見ていないが、同じ木下惠介の脚本を使った1966年版は観賞している。
1966年版と比較すると、ストーリー展開で大きく異なるポイントが3つある。1つ目は、政夫と民子の仲が良すぎることを、きくが戒めた後の展開だ。
この映画では、茄子畑のシーンで、政夫が民子に「この頃、変だから。僕を嫌いになったみたいだから。民さんは僕と会わなくても寂しく ないんだろ」と言い、その後で「今まで通り仲良くしようよ」と持ち掛けている。
だが、その展開は無理がある。
1966年版だと、その前に、きくから「仲が良すぎると周囲があれこれ言うから気を付けなさい」と言われた政夫が反発するが、きくは政夫 に他人行儀な接し方をするようになり、部屋に行かなくなるという展開が用意されている。
しかし本作品では、「民子が仕事をしている姿を、政夫が密かに眺める」というシーンしか無い。民子が自らの意志で政夫を避けるような 展開は無いのだ。
なのに「この頃、変だから。僕を嫌いになったみたいだから」と政夫が言うのは不可解だ。
なかなか会えなくなったのは、きくの指令で引き離されたからだ。民子の態度が急に変化し、よそよそしくなったわけではない。次のポイントは、きくが民子を追い出す辺りの展開だ。
1966年版では、その時点では、まだ民子に縁談の話は持ち込まれていない。そして、政夫が去ってから仕事に全く身が入らず、泣いて ばかりいたことになっている。
また、民子が追い帰される経緯は、帰郷した政夫がお増から話を聞いた後、回想という形で描写される。
ここを回想ではなく、その前に描写しておく形にしたのは良かった。
それと、お増のキャラ造形も、1966年版では「最初は嫌味な女だが、その辺りで改心してる」という形だが、この作品では最初から嫌味な ところは無い。
キャラ造形が異なるということも手伝っているのだろうが、お増を演じる樹木希林の存在感は抜群だ。その映画でダントツに素晴らしい。
1966年版では、そのお増から「正月なら民子の家を訪れても変に思われない」と言われた政夫が年明けに民子の家へと赴くが、彼女と 会わずに立ち去るという展開がある。それも、この作品では見られない。政夫がお増から民子の嫁入りを知らされた後の展開は、大幅に異なっている。
1966年版では、既に嫁いだことをお増が知らせている。
それに対して、政夫は平然とした態度で「嫁に行こうがどうしようが、民さんは民さんだ」と口にする。その反応に違和感があったので、 この作品の「村へ走って戻り、民子に黙って竜胆の花を差し出す」という展開はイイ。政夫が村へ急ぐシーンでは、松田聖子の主題歌が バックに流れる。
その辺りはベタだけど、感動的なシーンとして、そつなく演出されている。これは松田聖子を売り出すためのアイドル映画だ。
アイドル映画を作る時には、「大抵のアイドルは演技力が低い」ということを念頭に置いておくべきだ。
だから難しい芝居を要求しても、それに応えることなど、まず不可能だ。
それよりも、なるべく芝居をさせないように努めるのが賢明なやり方だろう。
そのアイドルの普段のイメージを、出来る限りそのまま活かせるような役柄や物語にしておけば、そんなに悲惨な出来映えにならずに済む 可能性は高まる。ところが、何をトチ狂ったのか、サンミュージックは松田聖子の映画デビュー作として、『野菊の墓』という作品を用意して しまった。
まず、松田聖子のブリッ子なイメージとヒロインの性格は大きく異なる。
辛い目に遭いながらも耐え忍ぶ哀れな女、自由に恋をすることも許されない不憫な女、惚れた男のために自己犠牲を支払い、死ぬ間際まで 相手のことを思い続ける一途な女、そういうキャラクターに、松田聖子はミスキャストなのだ。
また、時代設定も現代ではないので、さらに「普段の松田聖子のイメージ」からは離れてしまう。
というか、カツラと着物で芝居をする姿は、ギャグの無いコントにしか見えない。
あと、松田聖子が走ってくるスロー映像に主題歌が流れるという冒頭シーンで気になったのだが、彼女のカツラ姿は、あれでホントに正解 なんだろうか。ものすごくデコッパチになっているんだが。松田聖子がポスト山口百恵だったこともあって、1977年の土曜ワイド劇場で山口百恵が主演した『野菊の墓』を選んだようだが、そこには 大きな勘違いがある。
山口百恵の顔立ちはカツラや和装が似合っていたし、彼女の醸し出す雰囲気は、しっとりした純愛作品とマッチしていた。
松田聖子と山口百恵は、アイドルとしてのイメージが全く違っているのだ。
松田聖子には、もっと天真爛漫なヒロインを演じさせ、明るく楽しい雰囲気のアイドル映画をやらせるべきだったのだ。主演するアイドルの芝居が拙いのだから、周囲は演技力のあるメンツで固めるのが常套手段だろう。
ところがアイドル映画というのは、なぜか相手役をオーディションで公募するケースが多い。
この作品でも、聖子の相手役を務めるのはオーディションで選ばれた新人の桑原正だ(ちなみに彼は本作品だけで芸能界を引退している) 。当然のことながら、こちらも演技力は低い。
全体を通して、監督は健闘している。
しかし、どれだけ監督が頑張ったところで、どうしようもない問題もある。
それは、出演者の演技力だ。(観賞日:2010年7月3日)