『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』:2010、日本
のだめは千秋が一人でバッハの弾き語りをしたことをズルいと感じ、彼に追い付くためにコンクールに出ようとするがオクレール先生から 「許可できませんよ」と告げられた。さらに千秋からは「離れて暮らそう」と言われ、悲しくなった。「ホントに勉強に集中したいんだ」 と千秋が言うので、のだめは承諾した。引っ越しの日、千秋から「そんなに遠くじゃないし、会いたきゃ、いつでも会いに来ればいいし」 と言われ、のだめは笑顔で「変わりませんね、これからも」と告げる。
千秋は、のだめと離れていても大丈夫だと信じていた。彼はマルレ・オケの事務局員テオに手伝ってもらい、新しいアパルトマンに荷物を 運び込む。そこへマネージャーのエリーゼから電話が入り、仕事の依頼があったことを知らされた。千秋がヨーロッパデビューを飾った ウィルトール交響楽団で、孫Ruiとの共演が決定したという。Ruiは活動休止中だったが、その公演で復帰するらしい。千秋は「もちろん、 やります」と喜んで承諾した。
一方、今まで千秋が使っていた部屋に移ったのだめの元には、日本から峰と真澄がやって来た。2人はヴァイオリンコンクールに出場する 清良の応援に来たのだ。のだめは2人の観光に付き合わされる。夕方、アパルトマンに戻った千秋は、みんなの食事を作るハメになった。 峰と真澄は、すぐにアパルトマンの住人であるフランクやターニャと馴染んだ。峰は清良を邪魔しちゃ悪いと考え、コンクールが終わる まで会うつもりはないという。
翌朝、千秋はのだめに「しばらく忙しくなる。Ruiと共演することになった。ウィルトール・オケと」と話す。のだめはショックを受け、 コンセルヴァトワールへ向かうバスの中で涙ぐむ。バスを降りた彼女は、清良と遭遇した。清良は今回のコンクールに懸けていることを 話す。そして、思うような結果が出なくてスランプに陥っていたこと、早く優勝して日本に帰りたいことを語った。
カントナ国際コンクールの当日、のだめや千秋たちは、会場へ向かった。カントナ国際コンクールはヴァイオリンとピアノのコンクールで 、ファイナルはオーケストラとのコンサート形式で行われる。ヴァイオリン部門のファイナルで、清良はブラームスのヴォイオリン協奏曲 を演奏した。峰は思い詰めた表情で見守った。ファイナルを聴いた後、ターニャは卒業までにコンクールに出る決意を千秋たちに告げる。 すると黒木も「これからコンクールに出るよ。だから、お互い頑張ろう」と口にした。
最終結果の発表を待っている最中、清良は峰に気付いて微笑む。清良は峰に抱き付き、「結果がどう出ても日本に帰るから」と涙ぐんだ。 のだめはフランクと共に、ピアノ部門ファイナルを聴きに行く。そこで聴いたラヴェルのピアノ協奏曲ト長調に、のだめは心を奪われる。 清良は3位と特別賞を獲得し、アパルトマンでささやかなパーティーが開かれた。そこへ戻って来たのだめは興奮を千秋に語り、「絶対に 先輩とあの曲やりたいです」と言う。
のだめは峰たちの前で、初めて聴いたピアノ協奏曲ト長調を弾いてみせた。しかし千秋は、「よりにもよって、なんでこの曲なんだよ」と 暗い顔をする。Ruiと共演する曲が、それだったのだ。翌日、のだめは学校へ行き、オクレール先生に「何と言われようとコンクールに 出ます」と言う。しかしオクレールは「目の前の音楽に向き合えていないのに、なんでコンクールの話なんか出来るのかな」と、呆れた ように告げた。
千秋は帰国する峰たちを見送りに行き、「ライジングでのだめと共演してやれば?」と持ち掛けられる。しかし千秋は、のだめが早く共演 して満足し、それで終わらせたがっているのではないかと感じていた。のだめは写真を借りに来たテオから、千秋とRuiがピアノ協奏曲 ト長調で共演することを知らされ、ショックを受ける。アパルトマンを訪れた千秋は、のだめからの沈んだ声の電話を受け、彼女にRui との共演がバレていると知った。
のだめは千秋に、「なんですぐに言ってくれなかったんですか。悔しいですけど、仕方ないじゃないですか。そんなことで怒るほど、もう ベーベじゃないですから。どうせ、のだめは、箸にも棒にも引っ掛からない学生ですから。のだめだって、あと1年しか無いのに」と 寂しそうに告げる。千秋が部屋に行ってのだめを抱き締めるが、もう「焦るな」とは言えなかった。彼は夕食を用意し、オクレールが コンクールに出させてくれないことを聞く。千秋は課題をチェックし、のだめの臨時コーチを買って出た。
翌朝、千秋はテオに電話を掛け、Ruiとの打ち合わせを延期してくれと頼む。千秋はアパルトマンに残り、のだめの練習に付き合った。 千秋は今までやった課題曲を見て、その量の多さに驚いた。翌日も、また千秋はのだめに付き合った。のだめは「なんでちゃんと楽譜を 読めって言われてたのか、なんでこう弾けって言われてたのか、分かって来たんです」と言う。のだめが昔と違って学ぶ楽しさを感じて いることを知り、千秋は自分の仕事に戻ることにした。
のだめはオクレール先生から初めて「メグミ」と呼んでもらい、浮かれた。オクレールは助手のマジノに、「今の課題が終わったら、 コンクールの準備を始めてください」と指示した。練習に赴いた千秋に、Ruiは「今までは巨匠との共演で背伸びをしていたけど、今は 千秋のような若い音楽家と一緒の演奏を作り上げてみたいと思った」と語った。自宅で練習を続けているのだめの心には、「イツマデ ヤレバ イイデスカ?」という言葉が浮かんだ。
千秋とRuiの共演を、のだめはフランクたちと一緒に聴きに行く。2人の共演は大成功で、観客からの大喝采を浴びたが、のだめは酷く 落ち込んだ。千秋が自分のアパルトマンへ戻ると、のだめが来ていた。困惑する千秋の前で、のだめは明るい様子で食事の用意をする。 その態度に千秋が不審を抱いていると、のだめは抱き付き、「ずっと一緒ですよね」と、すがるような目で見つめた。
翌朝、千秋がマルレの練習に出掛けようとすると、のだめは「結婚してください」と言い出す。千秋は狼狽しながら、「寝惚けてんじゃ ねえよ」と受け流して部屋を去った。暗い顔をしているのだめの前に、シュトレーゼマンが現れた。のだめは彼に抱き付き、声を上げて 泣いた。のだめはシュトレーゼマンに、やりたいと思っていた以上のことを千秋とRuiにやられたため、自信を喪失していることを明かす。 するとシュトレーゼマンは、ピアノを聴かせてほしいと告げた。
ベートーベンのソナタを聴いたシュトレーゼマンは、「正面から向き合うと、どんな風に楽しいか、知りたくありませんか?やりたかった こと、一度はやってみようと思いませんか?」と言う。シュトレーゼマンは自分のプラハ公演での共演を提案し、のだめは受け入れる。 エリーゼは呆れるが、千秋に電話を掛けてのだめのプロフィールを確認する。その電話で、千秋はのだめのデビューを知った。
千秋はプラハへ行き、その公演を聴く。シュトレーゼマンの指揮で、のだめは難曲であるショパンのピアノ協奏曲を演奏した。のだめの 演奏は飛んだり跳ねたりしていたが、破綻しないように計算されていた。彼女は情感豊かに音を紡ぎ、観衆は総立ちで拍手を送った。千秋 は楽屋へ行くが、のだめは彼と会おうとしなかった。千秋は、もう2人の関係が元には戻れないような気がしていた。
のだめの鮮烈なデビューは、世界中に報じられた。峰たちは喜ぶが、オクレールは「シュトレーゼマン、なんてことをしてくれたんだ。 あの子はもう少しで本当のピアニストになれたかもしれないのに」と嘆く。エリーゼはのだめを大々的に売り出そうと目論むが、のだめは シュトレーゼマンとの共演で燃え尽きており、もうピアノを演奏しようという意欲は全く沸いて来なかった。
のだめはエリーゼの元を去って行方をくらまし、月を見上げて「ちゃんと正面から向き合ったもん。だから、もういいでしょ、神様」と 漏らした。千秋はシュトレーゼマンからの電話で、のだめが失踪したこと、彼女がプラハ以上の演奏を出来ないと考えて演奏意欲を失って いることを知らされる。「満足できれば、俺とのコンチェルトじゃなくても良かったのか」と、千秋はショックを受けた…。監督は武内英樹、原作は二ノ宮知子(講談社刊「Kiss」連載)、脚本は衛藤凛、製作は亀山千広、エグゼクティブプロデューサーは石原隆 &和田行&吉羽治&畠中達郎&島谷能成、プロデュースは若松央樹、プロデューサーは前田久閑&和田倉和利、ラインプロデューサーは 森徹、撮影は山本英夫、編集は松尾浩、録音は柿澤潔&北村峰晴、照明は小野晃、美術デザインはd木陽次、美術プロデュースは柴田慎一郎、 VFXプロデューサーは大屋哲男、ミュージックエディターは小西善行、クラシック音楽監修は茂木大輔、指揮監修は飯森範親、 ピアノ監修は安宅薫。
出演は上野樹里、玉木宏、竹中直人、瑛太、水川あさみ、小出恵介、伊武雅刀、福士誠治、吉瀬美智子、ウエンツ瑛士、ベッキー、 山田優、なだぎ武 (ザ・プラン9)、猫背椿、西村雅彦、豊原功輔、遠藤雅弥、宮崎美子、岩松了、マヌエル・ドンセル、マイク・ ジーバク、Eglantine Rembauville、三浦涼介、ルカ・プラトン、マンフレッド・ヴォーダルツ、ニコラス・コントス、ジョナサン・ ハミル、ローラン・リグレ、ニコス・ビィファロ・ビィンチェンゾ、ロイック・ガルニエ、ロビン・デュビー、シンシア・チェストン他。
二ノ宮知子の人気少女漫画『のだめカンタービレ』を基にしたフジテレビ系連続ドラマの劇場版2部作の後篇。
のだめを上野樹里、千秋を 玉木宏、シュトレーゼマンを竹中直人、峰を瑛太、清良を水川あさみ、真澄を小出恵介、峰の父・龍見を伊武雅刀、黒木を福士誠治、 エリーゼを吉瀬美智子、フランクをウエンツ瑛士、ターニャをベッキー、Ruiを山田優、テオをなだぎ武、マジノを猫背椿が演じている。
アパルトマンに住む幽霊学生ヤドヴィの日本語吹き替えは、蒼井優が担当している。清良がコンクールで演奏するシーンでは、水川あさみの指使いがカメラに写し出されるのだが、まるで実際に演奏しているように見える。
これは素直に「素晴らしい」と称賛しておく。
もちろん本人が実際に演奏しているわけではないし、そんなことは分かっているんだけど、それでも「そう見える」ってのは重要で。 ここで指の動きが全く音に合っていなかったら、大きなマイナス査定に繋がる。
それに比べると、ピアニストを演じる上野樹里や山田優の場合、演奏している手元が彼女たちの顔と同じアングルに収まるカットは無い。
まあピアノの方が指使いが難しいということはあるんだろうけどね。清良がコンクールで演奏していると、峰が清良をウィーンへ送り出した時の回想シーンが挿入される。
コンクールに清良が出て峰たちが応援に来るエピソードは、ドラマ版からの延長線上で考える必要がある。
これを映画の前作とのパッケージだけで考えると、ハッキリ言って余計な寄り道である。
映画だけで捉えると、この後篇で描くべきなのは「のだめが音楽と向き合うようになるまでのドラマ」であり、ライジング・スター・ オーケストラの面々に目移りしている暇など無いはずだからだ。千秋とRuiの共演シーンでは、千秋とのだめの関係を示す回想が挿入される。これも清良の演奏シーンにおける回想と同様に、「今までの 集大成ですよ」ということを表現したい狙いがあるんだろう。
だけど正直なところ、この映画における心情表現の弱さを回想シーンで誤魔化そうとしているようにも思える。
それぐらい、心情表現が弱い。
あと、千秋のモノローグで進行していくこともあってか、のだめを主役に据えると、ちょっと話が上手く転がっていかないなあという 印象がある。
千秋を語り手にするには、彼がのだめと離れている時間が長いし、それに彼はのだめの方ばかり見ているわけでもないんだよな。原作をなぞっているから仕方が無い部分はあるけど、もう終盤に入っているのに、今さら作曲学科の幽霊学生ヤドヴィを登場させられても 困るなあ。
そんで、その新キャラの集めている打楽器を叩き、彼女と話し、彼女に自分の作った曲を聴かせることで、のだめが元気を取り戻すん だよなあ。
ヒロインが元気を取り戻すためのきっかけを作る役回りを新キャラに任せるってのは、納得しかねる。
そこは原作から離れてもいいんじゃないか。ヤドヴィは前半から観客の前には姿を見せており、のだめの前に登場するまでの準備期間はあるんだけど、そういう問題じゃない。
最終作で初登場するキャラが、のだめに元気を取り戻させる役割を担っていること自体、問題があると思うのよ。
しかも、前半から伏線を張っていることもあり、そのキャラの登場が本作品において大きな意味を持っているかのような扱いになって しまう。
でも、そいつの登場なんて、本筋からすると脇の脇なんだよな。
っていうか、出て来なくても全く支障が無いのよ。出さない方が良かったんじゃないかなあ。「のだめは黒木がオケから預かって来た子供たちと 遊ぶことで、元気を取り戻す」という形でもいいんじゃないかなあ。才能があるからといって、プロの音楽家として頑張らなきゃいけないわけではない。
本人が望まないのなら、音楽家を続けなくてもいい。幼稚園の先生になることが望みなら、そっちを選べばいい。
それは本人の自由だ。
だから、のだめが最後に幼稚園の先生になっても、それはそれでハッピーエンドである。
千秋の「のだめを何度でも、あの舞台に連れて行きたい」という思いは、彼のエゴに過ぎない。しかし本作品では、「のだめが演奏する気を失ったのは、自信を喪失しているだけ。逃げているだけ」ということになっており、千秋との コンチェルトでプロの音楽家を続ける気持ちになったという形になっている。
それって、ちょっと解せないんだよなあ。
千秋との共演でのだめが感じるのって、「千秋を好きでいられなくなるかもしれないという不安が解消される」、もしくは「今まで以上に 千秋を好きになる」ということだけなんじゃないかと思うのよ。だから、のだめが千秋と一緒に演奏できたことで満足し、幼稚園の先生になった方が、むしろスムーズに思えるんだよなあ。
そこで「音楽と向き合い、最高の演奏を次の時には越えられるように頑張っていこうという意欲に燃える」という気になるのが、良く 分からないなあ。
あと、映画の構成として考えても、その演奏シーンがクライマックスとしての力を持っていないんだよな。
そこまでにオケの演奏シーンがあって、そっちの方が圧倒的に強いシーンになっているのよ。ちなみに、TVドラマが当たったら、その続編や完結編、番外編を映画で作るというのは、今や確立されたビジネスモデルとなって いる。
その大半は、映画で作る意味は無く、TVのスペシャル版で充分だと感じさせる仕上がりになっている。
この作品も、その枠に収まっている。
ただ、結果として本作品は大ヒットを記録したわけで、やはりビジネスとしては大成功だったわけだ。
映画としての価値は無いけど、商売道具としての価値は高い。
この作品は前篇も含めて、良く出来た映画ではないが、良く出来た商品ではある。(観賞日:2011年3月24日)