『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』:2004、日本

伊賀の忍者・服部カンゾウは山奥に暮らし、父・ジンゾウの下で修行を積んでいる。ある日、カンゾウはジンゾウから、最後の修行として江戸、すなわち東京へ行くよう命じられた。既に伊賀流忍者は服部家を含め、ごくわずかとなっている。それに対し、甲賀は多く存在し、忍びの道を捨てて現代社会に溶け込んでいる者もいるという。ジンゾウは忍びの掟を守りながら現代社会で生きていけるかどうかを試すため、カンゾウを江戸へ行かせることにしたのだ。
カンゾウは東京へ行き、主(あるじ)を見つけて仕えることにした。忍びの掟により、主以外の人間に姿を見られてはならない。もし見られた場合、破門されることになる。ムササビの術を使ったカンゾウは、小学生・三葉ケンイチの部屋に飛び込んでしまった。カンゾウはケンイチを主と決め、彼の家で暮らすことにした。もちろん、ケンイチの両親には姿を見られないよう行動する。同じ夜、都内の電気メーカーで、警備員が倒れているのを同僚の吉田が発見した。
翌日、カンゾウを「ハットリくん」と呼ぶケンイチは学校へ行く。彼は友達が1人もおらず、いじめられている。帰宅したケンイチはハットリくんを空き地へ連れて行き、本物の忍者と証明するために忍術を見せるよう求めた。分身の術と手裏剣を披露したハットリくんは、修行すればケンイチにも出来ると告げた。
電気メーカーの事件で、警察が捜査を開始した。被害者に意識不明だが外傷は無く、何かの薬品を使ったものと思われた。被害者の体には、奇妙な形の刺青があった。犯人は何も盗まず、現場に小刀を残していた。忍者フリークの柏田刑事は忍者の仕業ではないかと考えるが、田原警部からは相手にされない。その夜、今度はラーメン屋台の主人が同じ状態で見つかった。
ケンイチのクラスには産休を取った川島先生の代理として、新しく佐藤という先生がやって来た。佐藤先生が忍者のような動きを見せたことにケンイチは驚き、帰宅してハットリくんに話した。ピンと来たハットリくんは学校へ行き、生徒たちに金縛りの術を掛けて佐藤先生に襲い掛かった。すると佐藤先生は、甲賀忍者ケムマキとしての姿を現した。ハットリくんは、かつてケムマキと対決し、落とし穴の罠で敗れていた。ハットリくんは対決を挑もうとするが、ケムマキは既に忍びを捨てていることを理由に拒絶した。
警備員とラーメン屋店主に続き、新聞配達員やビルの清掃業者、主婦や俳優などが次々に同じような意識不明となった。被害者には全て同じ刺青があり、現場には小刀が残されていた。実は被害者は全て、忍びを捨てた甲賀忍者だった。一方、ケンイチは憧れの女性ミドリと初めて言葉を交わし、彼女が盲目だと知った。ケンイチが家に招かれると、ハットリくんも友人として姿を現した。
ミドリが家に閉じ篭っていると知ったケンイチは、ハイキングに行こうと誘った。ハットリくん、ケンイチ、ミドリの3人はハイキングへ出掛けるが、偶然にも甲賀忍者の黒影が潜む山寺を見つけてしまう。実は黒影こそ、一連の事件の犯人だった。彼は忍びを捨てた忍者を敵視し、次々に襲撃していたのだ。ハットリくん達は黒影に追われるが、その場は何とか逃げ切った。しかし黒影は街に現れ、ケンイチを誘拐する。彼はマスコミに事件を知らせて注目を集め、そこにハットリくんを誘い出そうとする…。

監督は鈴木雅之、原作は藤子不二雄A、脚本はマギー、製作は森隆一&亀山千広&荒井善清&島谷能成&亀井修&柴田克己、企画は遠谷信幸&千野毅彦&関一由&大多亮、企画協力は飯島三智、プロデューサーは福山亮一&和田行&宮澤徹&瀧山麻土香&和田倉和利、アソシエイトプロデューサーは黒田知美、撮影は高瀬比呂志、編集は田口拓也、録音は滝澤修、照明は松岡泰彦、美術は清水剛、特撮監督は尾上克郎、VFXプロデューサーは大屋哲男、VFXディレクターは西村了、アクションコーディネーターは山田一善、VEは小田切徹、絵コンテはヒグチしんじ、音楽は服部隆之。
エンディングテーマ「HATTORI3(参上)」Artistはハットリくん(作詞/藤子不二雄A、作曲/菊池俊輔、編曲/近田春夫・山岸大輔、Produced by/近田春夫)。
出演は香取慎吾、田中麗奈、ゴリ(ガレッジセール)、知念侑李(ジャニーズJr.)、升毅、伊東四朗、戸田恵子、浅野和之、宇梶剛士、東幹久、佐藤和也、長谷川成義、安達直人、草なぎ剛、川田広樹(ガレッジセール)、酒井敏也、村上ショージ、乙葉、瀬戸朝香、大杉漣、西村雅彦、阿南健治、田中要次、正名僕蔵、畠山明子、武川修造、朱源実、筒井巧、根岸紗里、戸川曉子、森下能幸、塩谷恵子、佐藤佐吉ら。


藤子不二雄Aの漫画を基にした、というよりも、たぶんアニメ版を基にした実写映画。
ハットリくんを香取慎吾、ミドリを田中麗奈、ケムマキをガレッジセールのゴリ、ケンイチを知念侑李、黒影を升毅、服部ジンゾウを伊東四朗、ケンイチの両親を戸田恵子と浅野和之、田原警部を宇梶剛士、柏田刑事を東幹久、吉田を阿南健治が演じている。
チョイ役として、大勢の有名タレントが出演している。
甲賀忍者のサラリーマン役が草なぎ剛、同じく新聞配達員役がガレッジセールの川田広樹、ビル清掃員が酒井敏也、大道芸人が村上ショージ、主婦が乙葉、俳優が大杉漣。空き地のポスターの女性が瀬戸朝香で、捜査本部長が西村雅彦で、アナウンサーは田中要次だ。

最初に覆面で顔を隠したハットリくんとジンゾウの戦いがあり、覆面を外してウズマキを描いたホッペのハットリくんが「ニン!」と笑った瞬間、もう気持ちが萎えた。この映画はヤバいと感じた。
それが良い意味で裏切られることを期待したが、わずかな期待だった。
実際、そんな期待が叶えられることは無かった。
泣けてきた。
もちろん、感動したという意味ではない。

ハットリくんはケンイチの部屋に入った瞬間から、忍者としての姿をさらしている。
主(あるじ)以外の人間には姿を見せられない掟だから、つまり部屋に入った時点でケンイチを主と決めていることになる。
だが、「なぜ小学生を主にするのか」という理由は分からない。
ケンイチが「なぜ?」と尋ねているが、それはケンイチだけが抱く疑問ではあるまい。

ケンイチはハットリくんが来た翌日、空き地へ連れて行って「本物だと証明するために忍術を見せて」と求める。ってことは、それまで本物の忍者だと思わずにメシを与えたり宿泊させたりしていたのかよ。本物の証明なんて、来た当日の内に済ませておけよ。警備員襲撃のシーンを挟んだ後に、やることではないだろう。
その空き地のシーンでハットリくんは、「ケンイチでも修行を積めば出来るようになる」と言うのだが、それは絶対に違う。ハットリくんは忍者だが、ケンイチは一般の人間なのだ。その区別はハッキリさせておくべきだ。
後でケンイチが変わり身の術モドキを使ってケムマキを出し抜くシーンもあるのだが、そりゃムチャだろう。っていうかシナリオとしてバカすぎる。

そのケンイチはハットリくんの主になった直後から、両親に「犬でも拾ったのか」と問われて「忍者だよ」と返している。その後も、ハットリくんの目の前で両親に対して「忍者と遊んでいた」と告げたりする。
両親がケンイチに無関心だからいいものの(いや、それはそれでダメなんだが)、簡単に喋ってどうするんだよ。ハットリくんも、慌てて「言ってはダメ」と注意したりしないし。
そこはハットリくんが「誰にも言わないでほしい」と強く頼み、ケンイチがハットリくんのことを知られないようにするためにアタフタするというドタバタ劇を見せるべきじゃないのか。それが難しいのであれば、ハットリくんがケンイチの両親に忍術でも掛けて、同居が当たり前なのだと思わせるようにしてしまった方がいいんじゃないのか。

というか、そもそも「主以外に姿を見せられない」という設定自体が、かなりキツい足かせになっているように感じる。その設定だとハットリくんはケンイチとしか自由に話したり顔を合わせたり出来ないわけで、そりゃ話を作る上では苦しいだろう。
そんなことはシナリオを書いている段階で百も承知だろうが、それを改変せずに、なぜ無理を押し通そうとしてしまったのか。

ハットリくんはケンイチと出掛ける際に、誰かが来る度に姿を隠すということを繰り返す。
だが、初めて学校に行った時には、金縛りの術で生徒全員を停止させている。
1つのクラスだけではない。
学校の生徒全員の動きを停止させているのだ。
それぐらい広範囲の人々の動きを止められるのなら、いつも金縛りの術を使えばいいじゃん、ってことにならないか。

ケンイチが最初からハットリくんに目上からの物言いをすることに違和感を覚えるのだが、そもそもハットリくんの年齢設定が全く分からない。
最初の空き地のシーンでハットリくんが「自分がケンイチぐらいの頃には」と言っているので、少なくともケンイチと同年代でないことは確かだ。
しかし、子供っぽさを出そうとしていることも明らかだ。
困ったことに、ハットリくんがライバル視するケムマキは完全に大人なので、そうなると「子供と大人のライバル関係」という、おかしなことになってしまう。

ハットリくんはロビン・ウィリアムズやロベルト・ベニーニのような「子供っぽさを持った大人」ということではない。完全に「少年」をやろうとしている。
これが非常に気持ち悪い。
例えば『ガキ帝国』や『岸和田少年愚連隊』でも、オッサンたちが高校生を演じていた。だが、彼らは子供っぽさを出す芝居をやっていたわけではない。それに、無理や違和感を忘れさせてしまうだけの勢いやパワーが作品に備わっていた。
そういう勢いやパワーは、この映画には無い。

この映画、どういった観客層をターゲットとして考えていたのか、それがサッパリ分からない。
まず漫画やアニメが好きだった層をターゲットにしていないことは明白だ。全くキャラ設定が違うし、弟のシンゾウや獅子丸も出てこない。
そもそも監督も脚本家も、漫画やアニメに対するリスペクトが全く無い。
まあリスペクトがあれば「香取慎吾の主演で実写映画化」などと考えないだろうが。
しかし子供向け映画として考えると、ケンイチの設定が暗すぎるし、話がシリアスになりすぎる。
もっと身近なトラブル、小さな策謀に留めておいて、ホノボノしたアクション・コメディーにしておけばいいのに。
黒影をモノホンの悪党にしているから、幼児的なハットリくんのキャラと馴染まなくなってしまう。いや、敵の野望が大きくても、例えば『スパイ・キッズ』のフループみたいにおバカなキャラならいいのよ。でも、黒影って完全にマジな悪党だからね。

黒影だけでなく、ケムマキもコミカルな部分が全く無い。別に性格は捻じ曲がっていたりしても構わないが、ちょっと抜けたトコロのある三枚目キャラにしておけばいいものを、ひたすら無表情で根暗な男になっている。
だからハットリくんとケムマキの絡む部分で笑いを取りに行くことが出来ない。
結局、周囲は弾けてないのに、ハットリくんだけが場違いに騒がしいという状態になっている。

まあ観客層が云々という以前に、話が完全にバラバラになってるけどね。
ハットリくんとケンイチの友情、ミドリとの関係、ケムマキとのライバル関係、黒影の戦い、この4つの要素の絡み具合が、てんでダメなのだ。
ケンイチとの友情ドラマは、充分に描写できていないし。
ミドリなんて、いる意味がゼロに近い。
ヒロインが必要ならば、教師か忍者か、いずれかにしておいた方が良かったんじゃないのか。

ミドリが盲目というのも、「ハットリくんが自由に彼女と話すことが出来る」という目的のためだけの設定だし。

黒影が最後に爆死するのも最悪だ。
子供向け映画だから死を扱うな、とは言わない。
しかし、ギャグにならない形で、軽薄&安直な死を扱うのはダメだろう。
そこで黒影が爆死することに、何の意味も無いのだ。
ただ最後に派手な爆破を持ってきたかったというだけだろう。
だけど、派手な爆破を持ってきたかったとしても、爆死しようとした黒影をハットリくんが救うという筋書きは可能でしょ。

なんかねえ、製作サイドの考えが透けて見えちゃうのよね。
「VFXを多用した忍者アクション映画を作ろう。どういう話にしようか。そうだ、『忍者ハットリくん』なら有名だから食い付きがいいんじゃないか。じゃあ、それを原作として使おう」ってな感じの考えがね。
もし間違っていたら素直に謝罪・・・・・・うーむ、こんな映画に謝罪するのはイヤだな。

 

*ポンコツ映画愛護協会